夢を見ていた。


 楽しい夢だったのか怖い夢だったのかは良く覚えていない。でも、何かとても大切なことだったように思う。

 懐かしいような切ないような夢の情感は、障子越しの朝日の中に淡く溶けて消えた。

 少しだけ残念な気分を引きずったまま、わたしは布団をたたみ身支度を整えた。


 今日は宵宮よいみや水天宮すいてんぐうの境内では屋台が開かれる。

 朝食を簡単にすませ社務所に向かうと、親戚筋の美魚みおはもう境内の掃き掃除を終わらせていた。

 艶やかな黒髪を二つに縛り巫女装束の彼女は、2つ年下なのにわたしよりよほどしっかりしている。


「おはよう。ごめんねえ、手伝うよ」

「おはようございます。それじゃあ社務所の中をお願いします」


 美魚は薄く微笑むと、掃き清めた境内に水をまき始めた。


「えらいなあ、みゅうみゅうは。もうすっかり巫女さんが板についてるねえ」


 美魚の襟元からのぞく白いうなじがうっすらと汗ばんでいる。

 目を奪われていた自分に気付き、訳もなくうろたえたわたしは慌てて目を逸らした。

 まだ中学生なのに、同性のわたしが見ても時折どきりとせられるほどの色気を感じさせる。密かに日に焼けた己の腕とみくらべ、思わずため息がもれる。


「決められたことをこなしているだけですよ。一通り覚えれば、後は単純なルーチンワークです」


 高校二年の夏休み。ふわふわと日々を過ごすわたしは、まだ進路を決められずにいる。


「朝も弱いし、やっぱりわたしには無理かなあ」


 わたしは漠然ばくぜんと進学を考えてはいるが、保護者である拝島はいじまの伯父は神職につくことを望んでいる。はっきりと聞かされたわけではないが、いずれは美魚の兄であり再従兄弟はとこの海斗の嫁にし、拝島の家に迎え入れる心づもりをしている様子。おばあちゃんがいた頃の神社は好きだったけれど、正直宮司ぐうじ秘宮ひめみやから拝島に代わった今の雰囲気はあまり好きじゃない。


『いいかい郁海いくみ。おまえは将来絶対に――』


 しわだらけの顔にいつも微笑を浮かべていたおばあちゃん――本当は高祖母こうそぼにあたるんだったか。汐入しおいりの古い家系は入り組んでいてややこしい――が、いなくなる前に珍しく真剣な顔で残した言葉は、巫女になれだったのかあるいはその逆だったか。とても大事なことのはずなのに、わたしの記憶は霞がかかったように茫洋ぼうようとしたままだ。


「……郁海さんは夜もダメダメじゃあないですか」


 まったくだ。

 笑みを含んだ再従姉妹はとこの言葉に、わたしは苦笑を返すしかない。


海斗かいとが何か用があるみたいでしたよ?」

「なんだろう? 電話すればいいのに」


 携帯を確認してみるも着信はない。わたしが伯父に持たされているのは子供用の携帯――防犯ブザーの付いたお子様用だ。養われてる身だからあれこれ注文を付けられる筋じゃないというのもあるが、ぼんやり屋のわたしにはこのくらいの機能でちょうど良い。海斗や美魚もガラケー派。拝島の伯父が使っているスマートフォンなど、たぶんわたしには一生縁が無いだろう。


「家族相手に、電話もないんじゃないですか」


 ぶっきらぼうな海斗の語りを思い出す。学校では寡黙かもくな硬派で通っているが、幼い頃から知っているわたしに言わせれば、あれは引っ込み思案で喋らないだけだ。わたしが表情を読んで水を向けて、ようやく会話が繋がるレベルだから、込み入った話なら確かに直接のほうが手っとりばやい。


「家族……ねえ」


 強い日差しに朝の冷気は払われ、すでに気温は上がりつつある。

 気が付くともりから聞こえる虫の声は、鈴虫からせみに代わっていた。



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884676971


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