第23話 父さん、姿を消す
その日家に戻ってコンビニ弁当を温めていると、マリコ姉からメッセージが来た。
『譲、就職おめでとう! 実はそのことで相談したいことがあるんだけど』
相談? なんだろう?
温め終わった弁当と缶ビールを用意してから僕は食べながら電話をかけた。
『あ、譲、ごめんね、忙しいときに』
「ううん、大丈夫だけど。どうしたの?」
『実は私の彼のことなんだけど』
彼って……ああ、木下さんのことか! 完全によりが戻ったんだ。
『あの会社の倒産の後、彼、なかなか就職決まらないみたいでさ。今は雇用保険受け取っているから生活はなんとかなるんだけど、歳も歳だし本人焦ってるみたいなの。だから譲の会社で彼みたいな人を募集してないかな? ってちょっと思ったの』
ああ、そういうことか。確かにマリコ姉にも木下さんにも恩があるし、できることなら紹介だけでもしてあげたい……んだけど、僕が採用された経緯から考えると、とても力になれそうにない。
そう考えた僕は、マリコ姉に事実を話した。もちろん他言しないよう念押しして。
『そうなんだ……それじゃしょうがないね。だけど譲も入社早々大変だね。あ、この話、彼から頼まれたわけじゃないから心配しないで。誰にも言わないから。じゃあね』
そう言ってマリコ姉は電話を切ったけど、僕は彼女の力になれない自分の無力さに心底歯がゆく思った。
☆☆☆
「君が新島くんかね? 営業4部の
福沢課長の仕事をこなしながら一週間ほどたったころ、新しい課長から声をかけられた。年は福沢課長と同じ40前後のようだけど、スマートな福沢課長とは対照的に恰幅が良く、つやつやしている。営業4部には30人ほどのメンバーがいて、新人の僕には誰が何をしているのかわからない状況だったんだけど、それでも一週間たってはじめて課長と話をする、というのはやはり何かおかしな気がした。
「いきなりで申し訳ないが、仕事を頼まれてもらえないか?」
この「仕事を頼まれてもらえないか?」って日本語にはいまだに違和感しかないけど、引き受けろってことだよね?
「国内案件だが、そこそこ規模が大きい仕事だから気をつけて対応してほしい」
そう言って大隈課長は提案書を見せる。僕は中身にざっと目を通すと、いくつか質問してその仕事を引き受けた。どうせ僕に断る選択肢はなかったし、この時は単純な営業案件だと思っていたんだ。
ところが、昼休みにカレーをかきこみながらあらためて目を通すと、重大な問題に気がついた。この案件、宇津木興産というメーカーの商品の売り出しがメインとなるイベントなんだけど、この会社、僕が今福沢課長の案件で担当しているクライアントの競合先だ。いくらうちが大規模商社で社内競合が頻繁に発生するとはいえ、見積金額を知っている競合案件を一社員が同時に担当するのはさすがにまずいんじゃないか? そう考えた僕は、昼食を終えると大隈課長の机に向かった。
☆☆☆
「なるほど。だから私の仕事は受けられないと?」
「受けられない、といいますか、僕が受けて大丈夫なのでしょうか? 正直判断がつかないのですが」
決して逆らっているわけではないのです、というニュアンスを込めながら判断を仰ぐ。ところが、大隈課長は顔をしかめて言った。
「新島くん。過去の仕事と今の僕の仕事、どちらが大事だと思う?」
「え……っと、仕事である以上、どちらも大事ですし、やるからにはどちらも手は抜けないと考えています」
「そうか。だけど片方の仕事はもう片方の仕事の敵側であって、一人で同時に手を出すべきではない、そう思ったんだね?」
「はい」
「ただね、今君の抱えている仕事は実際は福沢さんの仕事なわけで、君が責任を負う必要はないと思うんだがね」
「ですが――」
「新島くん。僕はね、君のことを評価してるんだよ。今日一日よく考えて、明日もう一度話を聞かせてほしい」
その言葉の意味は、営業5部側のクライアントに負けさせろ、ということだろうか? 正直よくわからなかったが、僕は頭を下げてから自分の机に向かった。
☆☆☆
あらためて考え直してみた。大隈課長はきっと、僕をためしているんだろう。僕は個人的には会社のために、どのクライアント、どの案件も大切にする必要があると思っているけど、大隈課長にとっては自分の部の仕事が全てであり、絶対であり、それ以外は敵、という考えなわけだ。そして今の僕は彼の部下なわけで、彼の指示に従わなければならない。福沢課長と決別しろ、俺に服従しろ、ということを暗に言っているのだろう。だって仕事ぶりをまったく見ていないはずなのに僕のことを「評価している」なんて言えるわけないしな。
だけどだからといってこれまでの仕事を放りだしていいはずがない。少なくとも自分ができないのであれば他の誰かに引き継がなくちゃいけない。ただ、大隈課長がその話をしなかったということはきっと、その引継ぎ先も僕が自分で手配しろ、もしくは放り出せ、ということなのだろう。ドライな彼にとって、自分の部署の仕事以外はどうでもよいのだろうし、自分の部署の
行き詰まった僕は、定時後に福沢課長に連絡し、判断を仰ぐことにした。
『なんだって? そんなことになっていたのか! むむむ……』
彼も予想していなかったようで、電話の向こうで考え込んでいる。
「どうしましょうか?」
『しょうがない。やはり大隈の指示に従ってくれ。これ以上新島くんに迷惑をかけるわけにはいかない。うちのクライアントの責任は俺が取るから』
責任取るったって福沢課長、今は何もできない立場じゃないですか!
『いや、新島くんが悩むことじゃない。うちはそういう会社なんだ。引継ぎとか気にする必要はないからな』
そう言った福沢課長の声には、いつもの力強さにかけていた。
心の中で「お役に立てずすみません」と謝り、僕は電話を切った。
☆☆☆
翌日、憂鬱な気持ちで出社すると、なにやら部署内が騒然としていることに気がついた。
「何かあったんですか?」
隣の席の中川さんに尋ねると、彼は青い顔で答えた。
「大隈課長が
え? どういうこと?
「部下へ不適切な指導を行っていたと、調査が入ったらしい」
不適切な指導? ひょっとして彼のドライすぎるところが問題になったとか?
「なんでも他部署の仕事をするなと強制したとか」
それって……昨日の僕の件のことじゃないの?
というか、誰かがあの会話を聞いていた?
背筋が凍り付いた気がした。
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