第16話 父さん、接待する

 年が変わっても、引き続き同じクライアントを父さんと一緒に担当することに変わりはなかったのだが、年明け早々彼はとんでもないことを言い出した。


「譲さん、下阪身かはんしん百貨店を接待しましょう」

「接待……ですか?」


「はい。私、クライアントに気に入られる術は、心得ております」


 確かに父さんは仕事以外で人に気に入られることにはけてると思うよ。でもそれって、実務を僕に任せて自分がおいしい思いをしたいだけなんじゃないの? 年末の忘年会とかこれまでの経緯からするとそう考えざるを得ないんだけど。


 だけどそれ以上に問題なのは下阪身百貨店のこと。うちの直接の取引先じゃないんだよね。当然僕らの担当でもない。百貨店のテナント数社に商品を卸している都合上、付き合いがないわけではないんだけど、この百貨店自体はうちの扱っている商品とは、正直あまり縁がない。


「幸い、下阪身百貨店の吉野部長はキャバクラが好きなご様子。もう少し深い仲になって、今後の取引や新規開拓をお願いするというのはどうでしょう」


 そりゃ商社だからそういった営業も必要だとは思うよ。けど、いきなりキャバクラって、露骨すぎない?


「もちろんキャバクラは三件目で、それまでは普通にゴルフと食事のコースで考えています」


 ゴルフ好きだね。まだ冬だよ? いずれにせよ、上司の許可が無いと……。


「そこをなんとかするのが先輩の譲さんの仕事じゃないですか? 私が立案し、先方との矢面に立つわけですから、そのあたりの根回しはしていただかないと」


 ちょっと待て! 父さん、具体的な仕事の話もなしでいきなり接待って、おかしくない? 少なくとも過去にうちとどういった関係があって、どういったアプローチがあったのかくらいは知っておかないと。


「ですからそこは先輩である譲さんにお任せしますから」


 さすがにカチンときた。


「左京さん、ちょっと虫が良すぎませんか?」

「といいますと?」


「会社の経費を申請する以上は、どの程度の結果が残せるのか考えてます? 僕たちの手持ちクライアントと比べて百貨店のプライオリティって本当にそこまで高いんですか?」


「では、譲さんはどうすれば良いと?」

「仮に接待するのであれば、売り上げの大きな担当クライアントとのパイプを太くすることを軸に進めるべきかと思いますが。僕たち、まだ担当を引き継いだばかりで、顧客との信頼関係を築くのはこれからですよね? その中で一番重要なのは売上的に丸宮模型ではないですか? 少なくとも僕たちの立場を鑑みれば、すでに割り当てられたクライアントの仕事を優先して考えるべきでは?」


「ならば、譲さんはそうしてください。私は自分の道を選びますから」


 父さんは、少しむっとした表情でそう言うと、席に座った。そんなことで怒るのかよー。


 と、その時、丸宮模型の山根次長から新規発注についての呼び出しのメールが入った。父さんはほっといて、僕一人で行こう。

 


 ☆☆☆



「いつもありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ草刈さんのところにはお世話になっていますから」


 社交辞令とはいえ、山根次長に言われるとうれしい。彼は30代前半なのに仕入れ部門の次長を任されているやり手だ。僕なんかにも良くしてくれるけど、その気さくな人柄の中にあっても言葉の端々にスマートさがにじみ出る、できる男なイメージ。


「ところで新島さん、ゴルフとかされます?」

「ゴルフですか? ええ、まだ始めたばかりですけど――」


「奇遇ですね。実は私もなんですよ。今後ご一緒しませんか?」

「それはもう! 是非お願いします!」


 やった! 山根次長から声をかけてもらえるなんて! ここは少し無理をしても頑張りたい!


「せっかくですからうちの上司に掛け合って、多少予算取れないか聞いてみます」

「いや~そこまで大げさにしなくてもいいですよ~」


「いえいえ、せっかくですので、僕が使える交際費の範囲だけでも確認しておきます」


 そんな調子の良いことを口にして会社に戻った。正直言って、次長にいいところを見せたいと思ったのは事実だ。



 ところが、僕の上司の太田垣課長にそのことを報告すると……。


「新島くん、すまないがしばらく交際費は出せない。杉浦くんが予定をいれてしまったんだ」

「はい?」


 どういうことだよ。父さん、今日の今日で営業部の交際費を使い切るほど接待の予定入れたのか?


「でも、丸宮模型ですよ? せっかく山根次長が誘ってくださってるんです。なんとかなりませんか?」

「申し訳ない。先着順なんだ。自腹で落としてくれないか。今後別の形で埋め合わせするから」


 ううっ、自腹か……。

 それ以上に父さんに出し抜かれた気がしてすごく嫌だ……。



 ☆☆☆



 電話で山根次長とゴルフの日取りを決め、それでも心なしか悔しさの残る僕は、オフィスの屋上で一人、コーヒーの湯気を浴びながら考えた。


 父さんは、なぜ急に接待とか言い出したのだろうか? ひょっとして、うちの会社の人事考課システムについて誰かから聞かされたのだろうか? それで自分が評価されていないことに気がつき、あわてて巻き返しをはかろうとしたんじゃないだろうか?


 だけどそれなら僕と一緒に目の前の仕事をまじめに進めるほうが有利なはずなんだ。もちろんそれを父さんに求めることができるかどうかはさておき、だけど、年末に体を壊した僕に説教した彼の中に、本当にその選択肢はないのだろうか? そう思った時、一つの考えが頭をよぎった。


 慇懃無礼な父さんは、普段から僕のことを「さん」づけで呼んだり先輩扱いしたりするけど、内心自分が「使う立場の人間」、僕が「使われる立場の人間」だと思ってるはず。だから、僕の方が評価が高いことに納得がいかないんじゃないだろうか?。


 仮にそうだとしたら、今後父さんと二人で動くのって僕にとってデメリットが大きすぎると思う。トラブルメイカーの父さんが足を引っ張りまくる未来しか見えない。だから父さんから「自分の道を選ぶ」と言われたのはきっと、僕にとっては良かったことなんだろう。


 そう考えると自然と悔しさも収まり、心が落ち着いた気がする。今後は極力彼と関わらずにいよう、そんなふうに前向きに捉えることができた。



 もちろんそんな僕の希望は、もろくも打ち砕かれることになったんだけど……。

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