第14話 父さん、給与明細を確認する
「譲さん、私の給与、予定よりも少ない気がするのですが?」
「え? 給与ですか?」
別に父さんの給料を僕が決めているわけではないので、そんなこと言われても正直困るんだけど……。
「はい。社会保険の調整の時期でもないと思いますし、不明確な項目で手取りが減らさているのはいささかおかしいと思うのですが」
「そうなんですか? 僕は確認していないのでよくわからないのですけど」
「譲さんは違う、ということですか?」
「え……っと、具体的にいくらくらい少ないんですかね?」
「およそ、1280円です」
うーん、僕にはまったく心当たりがない。給与明細とか毎月まともに見てないし、それくらいの額は残業代でごろごろ変わるし。っていうか父さんこまかいな!
「左京さんがいくら受け取られているのか僕も知らないですし、経理か人事に確認した方が良いと思いますけど?」
「ん? 譲さんもご存じない? 妙ですねぇ」
父さんは手をあごに当てて少し考え、それから立ち上がった。
「何か事件の匂いがします。譲さん、一緒に来てもらえませんか?」
「は? 事件?」
「行きましょう」
そう言って僕の手を引っ張る父さん。
「ちょっと、左京さん!」
「事は一刻を争います」
そのまま強引に人事部まで連れてこられた僕は、不本意ながらも父さんと一緒に木下課長と対峙することになった。
「先月分の給料のことなんですが、この1280円の天引きの理由がわからないのですが?」
さっそく父さんの給与明細を確認する木下課長。そして、
「あー、これね。忘年会の会費の徴収ね。うちは毎年社員にも出してもらって盛大にやるから」
「はいー?」
課長の答えに父さんがすっとんきょうな声をあげた。
「いや、年末の忘年会でみんなから集めるって昔決めたことがあってね。労使協定で――」
「ふ・ざ・け・な・い・で・下さい‼︎ 私は一切関係ないので返してください‼」
「え? だって、組合の同意を取って――」
「私は聞いていませんから!」
「……だけど忘年会、杉浦くんも参加するんだよね?」
「出ませんから‼」
「…………」
「返してください!!!」
「じゃ、じゃあ来月の給与に追加で戻しておくけど、それでいいよね?」
「ダメです!」
「「え!」」
僕も思わず声が出た。父さんそんなに金欠なの?
「先月の給料から引かれているのに、今月だなんて、利子もつかないのに認められるとお思いですか?」
「利子って……」
「今回は私一人ですから少額ですが、他の全社員から集めるとすれば相当な額です。そのあたり、決して私個人の事を考えての事ではありませんから」
「いや、どう考えても左京さん、自分の――」
「と・に・か・く! 今すぐ返してください!!!」
僕の声は父さんの恫喝にかき消された。
木下課長はしぶしぶ経理部長のところに行き、報告すると、いくつかの書面とお金を受け取って戻ってきた。
その書面にサインしてお金を受け取った父さんは、
「ありがとうございます。では」
と一礼し、僕を残して去った。
木下課長の表情から、
「なんなんだ、あいつは……」
という声が聞こえてきそうだった僕は、課長にこれ以上にらまれたくなかったのと、父さんと同類だと思われたくなかったのとでなぜか謝り、逃げるように部屋を出た。
☆☆☆
そしてその数日後、父さんは僕と同じ業務にたずさわることになった。元々僕と父さんの所属部署は一緒で、それぞれ営業補佐として別の担当者についていたんだけど、営業部の先輩、西園寺さんが退職する影響で人事通達があり、僕たちは二人で正式に彼の後任として営業を任されることになったんだ。
もちろん父さんと組まされるのは僕としては不本意だったけど、会社の決定に異議を唱えることなどできるはずもなく、引継ぎが始まる。
だけど、困ったことにその案件は僕にはまったく経験のない日本の年末商戦事業だった。
父さんに仕事をさせると大変なことになることを身をもって知っていた僕は、なんとか自分だけでやり切ろうとした。短い引継ぎ期間に割り振られた仕事の全体量を把握し、海外の仕入れ先の情報を取りまとめ、胃の痛い思いをしながら納期から逆算して動く。
「譲さん、何かお手伝いすることはありませんか?」
「いえ、何もないです」
父さんの申し出は条件反射で断った。後々のチェックやら尻ぬぐいやらで二度手間三度手間がかかるのは避けたいと思ったのだ。
「大変だと思うけど、頑張れよ」
そう言って西園寺さんは会社を去った。丁寧に引き継ぎを受けた僕は、彼の後継者として一人で頑張ろうと思った。先輩とはいえ、彼一人でやっていた仕事を僕がこなせないはずがない。そう高をくくっていたのだ。
だが、この年はイレギュラーな事故があまりにも多かった。物流が悪天候にさえぎられる中、僕は休みなく電話をかけ、対応できるルートを開拓しようとしたが、さばききれないオーダーは山のように積み上がっていった。
そして僕はついに身体を壊した。相談できる人が周りにいない中、徹夜に次ぐ徹夜、心労に次ぐ心労を重ねた結果、オーバーワークで業務中に倒れたのだ。
その結果、僕は全ての仕事を途中で先輩方や父さんに預けることになってしまった。
くやしかった。力尽きた自分が情けなかった。だが体はまったく動かない。
そして皮肉にも、病院に父さんが見舞いにやってきた。
「左京さん、すみません……」
「どうしてこんなことになるまで私に言わなかったんですか!!」
父さんは本気で怒っていた。
「ごめん……なさい……」
「仕事は一人でやるものではありません! チームワークが重要なんです! 譲さんが倒れてしまったせいで、会社のすべての仕事に影響が出ているんですよ!」
父さんに言われ、あらためて僕は自分をふがいなく思った。この人にだけは絶対に言われたくなかったけど、こうなってしまったのは自分のせいだ。
病床の僕が委縮していると、父さんはしょうがないという風にため息をついた。
「まあ、私の方でなんとか処理していますので、大事には至っておりません。譲さんはゆっくり休んでください」
父さんの言葉は非常に不安だったけど、僕にはどうすることもできない。言われた通り、ゆっくり休むことにした。
☆☆☆
年末、まだまだ万全ではないものの、仕事に復帰した僕はやり残した仕事を確認した。父さんや先輩方は予定通りに手配してくれていたようで、すべての納品が滞りなく完了していた。
父さんは朝見かけたきりで、ずっと席を外していたので、先輩に挨拶に向かう。
「フォローありがとうございました」
「いやいや、気にすんな。それより今日は忘年会だ。無理のない範囲で出て来いよ」
そう言って軽く肩を叩かれ、気が少し楽になった気がした。
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