第10話 父さん、罠を仕込む

「今日は杉浦君は来てないのかい?」


 館山自動車の会議室で待機していた僕に、先方の担当者である三宅さんが入室するなり尋ねてきた。


「はい。杉浦は本日、体調不良のために早退しまして、今回の見積に関する打ち合わせは僕に一任すると」


「その見積だけど、昨日の午前中までにメールで送ってくれと頼んでおいたのに結局届かなかったんだが」


 三宅さんは明らかに不機嫌そうな口調で伝えてきた。


 いきなり話が違うじゃねーか!


「誠に申し訳ございません! 杉浦は高熱のせいか、てっきりすでに送ったものと勘違いしていたようで……。至急送信させます」



 僕は慌てて廊下へ出て父さんのスマホへ連絡した。しかし、やはりというかなんというか、電話はつながらなかった。


 心を落ち着かせながら会社にかけなおす。父さんがまだいるかもしれないし木村課長がチェックのために確認しているかもしれない。


 しかし、父さんはあの後電光石火で早退したそうで、木村課長もこの件については知らないという。


 ちょっと待て! 父さん、課長の決済すら仰いでなかったのか!


「いったい君は何をしに来たのかね!」

「……誠に申し訳ございません!」


 僕はその場で土下座することになった。三宅さんは以前、入社したばかりの僕を追い返した人だ。あの激怒っぷりを身をもって経験した僕は、そうせざるを得なかったのだ。だが目の前でいきなり土下座され、さすがの三宅さんもしばらく言葉を失う。


 二人の間に微妙な空気が流れる中、廊下を慌てて走ってくる足音が聞こえてきた。


「三宅さん! こんなところにいらっしゃったんですか? アメリカの販売店からリコール対象車種の確認がしたいって、英語で電話が入ってきたようなんですが」


 事務服を着た女の子がノックもそこそこに慌ただしくドアを開けて顔を出した。


「ええっ!? なぜ俺に? 担当部署が違うだろう」


「そう言われましても、お相手は三宅さんをご指名のようなので、今内線が回ってくると思います」


 彼女の言葉でうろたえる三宅さん。突然、彼の目の前に置かれた電話が鳴った。

 顔を上げていた僕の前で彼はおそるおそる電話を取る。


「ハ、ハロー? アイムミヤケ……」


 カタカナ英語でそれだけ言うと、受話器越しにペラペラと聞こえてくる英語に、三宅さんは受け答えもせず押し黙ってしまった。


「あのー、よろしかったら僕が通訳しますよ?」


 口をはさむと、渡りに船とでも言わんばかりの表情で三宅さんが僕に受話器を押し付けてきた。


「Hello. This is Niijima speaking. Can I help you? 」


 話してみると、どうやら相手は部署の違う別のMiyakeさんに用があったらしく、取次ぎの女の子が間違えたらしい。

 改めて用件を聞き、部署違いのMiyakeさんに内線で取り次いでから電話を切り、目の前の三宅さんに事情を説明した。


「そうだったのか! 私に海外スタッフから連絡があるなんておかしいと思ったんだよ。それにしても君はすごいね! あんなに流暢に英語が話せるのか」

「家庭の事情で中退しましたが、少し前までコロンビア大学に留学していましたので」

「そんな優秀な人材をお宅の会社はうちの担当に当ててくれたのか。いやぁ、それにしても今のは助かったよ」


 さっきまでの気まずさが嘘のように三宅さんが破顔する。


「このたびの手違い、本当に申し訳ございませんでした」


 俺がもう一度頭を下げると、


「……こちらも忙しい合間を縫って御社にわざわざチャンスを与えているんだよ? 今までの付き合いがあってこそなんだから、そこをわかってもらわないと困るよ。いつまでに送れるか、あらためて連絡ちょうだい」


 咳払いしてそう言いながらも三宅さんの機嫌は直っているようだ。


「ありがとうございます!」


 

 ☆☆☆



 館山自動車を出た俺は、フゥーッと息を吐いた。


 たまたま運よく切り抜けられたけど、どう考えても段取りがおかしい。なぜ見積もりが事前に送られてなかったのか、理由がまったくわからなかった。


 会社に戻った僕が木村課長に今日の経緯を話すと、少し待たされ、会議室に来るように言われた。


 そして定時後すぐに、松波部長、木村課長とのミーティングが始まった。


「新島くん、本当のことを教えてほしい。これまでの杉浦くんからの指示について」


 松波部長がやや疲れた表情で言った。この問題の根は相当深いようだ。

 

「今日の件に関しては、僕は館山自動車に新規部品の見積の件で訪問したのですが、左京さんは木村課長の承認を得た見積書を今日、メールで先方の三宅さんに送ったと言ってたんです。ところが先方の三宅さんからは届いていないと言われ、しかも期限は昨日までだったと。あわてて現地から木村課長に連絡したところ、木村課長はその件は知らない、と」


「その件、君と杉浦くんが担当していたんだよね?」


「はい。僕と左京さんが館山自動車を訪問した時に見積依頼をいただき、僕が製造元に問い合わせ、左京さんが社内的な要件を詰めるということで作業を分担していました」


「輸送については?」


「私の方で関係各社に見積を取っています」


「木村くんはこの件、知ってるのか?」


「いえ、知りません」


「そんな!」


 僕は三宅さんからの見積依頼書とそれに対して製造会社から取った見積をノートパソコンから出してきて二人に見せた。そして、父さんに先週メールで送った見積のたたき台を二人に転送した。


「なるほど。確かに新島くんの言う通りだ。木村くん、この内容を至急確認してくれ」


「かしこまりました」


 そう言って木村課長は会議室を出て行った。


「それと新島くん、杉浦くんの業務はどの程度把握しているかね?」


「えーと、新規開拓で忙しいとは聞いていますが実態はよくわかりません」


「どこの会社に当たっているか、知ってる?」


「それは営業会議の資料に掲載されたリストの会社、ではない……のですか?」


「その会社に同行したことは、あるかね?」


「いえ、一度もないです」


「その案件の仕事をしたことは?」


「数回その会社の海外の取引先について情報を調べてほしいと言われたことはありました。といっても僕もwebの情報くらいしか確認できないので、メールにURLを記載して送っただけですけど」


「…………」


「なんか、あったんですか?」


「それがだね、新規の進捗について先日杉浦くんに確認したら、新島くんの調査待ちだと言われているんだよ」


「えっ? そんな話、会議で出てませんよね?」


「ああ、まあそうなんだがね……。それと以前の館山自動車の件、納期遅れが出たことについては、製造会社が納品を止めていたことが理由だったんだよね?」


「え……っと、それも違うと思いますけど。製造会社が止める以前に左京さんが発注していなかったのが原因ではないかと」


「なに?」


「製造会社が納品を止めていたことが発覚したのって、僕が入社した後の話なんです。ですが、館山自動車の部品については、それ以前から製造会社に発注されていなかったんだと思います」


「どうしてそう思うんだ?」


「僕が入社する前の経緯は知らないですが、左京さん、発注とかできないですから」


「え? うそだろ?」


「だって左京さん、英語できないですし」


「いや、確か人事からネイティブレベルの人材だって――」


「それ嘘ですから」


「……そうなの?」


 松波部長の顔からどっと汗が噴き出していた。


 この後戻ってきた木村課長の話によると、今回僕が見積を取った製造会社は父さんの別件で納期遅れを出していて、現在確認中ということになっていたそうだが、僕がスムーズにやり取りしていることから木村課長もおかしいと思ったようで、これまでの取り引き状況を調べたところ、やはり父さんは何もしてなかったそうだ。


 きっと、それがバレることを恐れて父さんは今回の見積書を木村課長に出さなかったのだろう。


 だが、事態はそれだけでは済まない状況に発展していた。

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