第9話 父さん、風邪をひく

 休み明けに出社した僕は、にこやかな父さんにいきなりからまれた。


「実は土曜日のゴルフの調子がよくてですねぇ」


 軽く受け流して朝のメールチェックに入ろうとする僕に構わず、父さんは続ける。


「新しい顧客になってもらえそうなんですよ」


「そうですか。おめでとうございます」


 そっけなく答えながら立ち上がったパソコンでメーラーを開く。


「譲くんもゴルフ、早いうちに始めたほうがいい。間違いないです」


「そうですね」


 かなり溜まっているメールに目を通しながら相槌を打つ。


「私も教えるといった手前、譲くんが新規顧客を開拓レベルまで鍛えなければなりませんねぇ」


「ありがとうございます」


 一通りメールをチェックし、スパムメールの除去をはじめる。


「そういえばそろそろお中元の季節ですが、私も上の方に送ったり下の方から受け取ったりしなければなりません」


「ああ、そうですね(ん?)」


 スパムを消しきった僕の頭に、これまでの生活にはなじみのなかった言葉が残された。


「『お中元』ですか?」


「はい。譲くんは海外生活が長いまま入社したから知らないかもしれませんが、日本の会社では直属の上司にお中元を贈る風習がありましてねぇ」


 そ、そうだったのか! そう言えば小さい頃、夏と冬にいろいろなところからうちにプレゼントが送られてきていたけど、あれのことかな? てことは僕が送るのは……父さん?


「まあ、贈答品は気持ちですから、特段高いものとか、高級な物とか、あまり考えず、相手のスタイルに合ったものを選ぶのが基本です。ただ、それとは関係ないですが私のゴルフのレッスンでは上級者に通用するマナーやしきたりから入りますので、なかなか好評なんですよ。そう言った面ではご心配なく」


 やけに含みを持った言い方でせまってくる父さん。僕が自分の常識の無さに情けなくなりながら、父さんのパソコンにちらっと眼をやると、そのモニターにはギフト関係の画像が並んでいた。


「左京さんは木村課長に何を送られるんですか?」


「課長にはこれです。あと、クライアントには会社からこれを届けてもらいます」


 それぞれ「特選松阪牛」と「山村屋の水羊羹」だった。上司に対して送る方が手厚いものなのか……。


「日頃お世話になっている気持ちですから。自分が頂いて嬉しいと思うものを選んでいます。ちなみに、譲くんとは早いうちにゴルフのレッスンを始められるよう、段取りを考えておりますよ」


「ありがとうございます……」


 そう答えながらも僕の頭の中には特選松阪牛2万円の文字がこびりついて離れない。そんな出費、想定してなかったよ。



 いや待て!


 なんで僕が父さんに贈り物しなくちゃいけないんだ? そこまで値が張るようなもの、うちには来てなかったぞ?


 そう思い直すと、僕は乙坂さんのところに相談に行った。



 ☆☆☆



「なんだって! あいつそんなこと言ってたの?」


 乙坂さんの反応に逆に僕がびっくりした。詳しく聞いたところ、うちの会社は社内での金品のやり取りは禁止らしい。お客さんへのお中元やお歳暮は総務で対応するそうだが、いずれにせよ、この社内で上下関係に気を使う必要はまったくないそうだ。


「とりあえず俺の方から総務に言っておくよ。贈答品についてのルールを社内メールで流すようにするから。間違っても杉浦なんかに送らなくていいからね! っていうか、あいつは別に君の上司じゃないぞ? 誰がそんなこと言ったんだ?」


「本人から言われました。木村課長が新規開拓の腕を認めてくれたとかで」

 

「マジで? 全然聞いてないんだけど! っていうか木村さんも松波さんもやたらあいつの肩持つけど、弱みでも握られてんのかね?」


「ひょっとしてすでに送り物を受け取っているとか?」


「さすがにそんなことはないと信じたいが……。まあ、もう少し頑張ってくれ」


 そんな話をしながらもなんとか処世術を身につけようと努力していたんだ、この頃の僕は。



 ☆☆☆



 次の問題が発生したのはそれからしばらくたってから。


 僕は父さんの命令で館山自動車から依頼された新しい部品の見積を手掛けていた。


「左京さん、午後から訪問することにやっている館山自動車の見積書ですけど――」

「ゲフンゲフン!」


「左京さんの方で課長の決済を受けて用意しておくって話――」

「ゲフンゲフン!」


「僕も一応確認させてもらっていいですか?  細かい数字を頭に入れてないと――」

「ゲフンゲフン!」


「……」


 父さんがさっきから嫌な咳をしている。

 頼むから口元をハンカチか手で押さえるようにしてくれ。

 父さんから感染される風邪はなぜかものすごくたちが悪い気がする。


「さっきから咳が止まらないみたいですけど大丈夫ですか?」

「ああ、すみませんね、ゲフン! 譲くん。今朝からどうも体調が優れなくて」


「医務室行ってきたらどうです? 熱があるかもしれないし」

「しかし、今日は午後ゲフン! から館山自動車と大切ゲフンゲフン! な打ち合わせがあるじゃなゲフン! いですか」


 ゲフンゲフンうるさいが、それ以外にもツッコミどころがある。

 館山自動車に一旦契約切られたのは誰のせいだと思っているんだよ。

 僕だけで商談へ行った方がまだ──


 そうか!


「左京さん、下手に風邪をごじらせてしまうのもまずいですし、第一その咳では打ち合わせも満足にできないじゃないですか。今日のところは僕が一人で行ってきますから、左京さんは早退して療養に励んでください」


「ですがゲフンゲフン! 譲くん、大事ゲフン! なゲフン! 商談をゲフンゲフン! 経験の浅いゲフンゲフン! あなたゲフン! 一人に任せるわゲフンゲフン! けには」


「大丈夫です! 今日のところはこちらの見積を提示して先方の希望を持ち帰るだけにしますから。具体的な交渉は次回左京さんが行ける時に話し合いたいと伝えておきます」


 ゲフンゲフンうるさいが、僕も必死だ。

 今回もこのトラブルメーカーを避けて話を進めた方が、よほどスムーズに話を進められるに違いない。


「それで、今回の見積書ですが、左京さんが持っているものをいただいていいですか?」

「それゲフン! ならすでに先ほゲフンゲフン ど先方へゴブン! メールでゴブンゴブン! 送ってありますし、あなたにゴブン! 渡すとなるともう一ゴブン! 度パソコゴブン! ンを起ち上げなゴブンゴブン! ければいけないのでゴブン! 時間がかゴブン! かりますが」


 咳の感じがさらに嫌なものに変わってきている。

 しかもすでにパソコンの電源落としてるって、帰る気満々じゃねーか。


「わかりました。先方にすでに渡ってるなら大丈夫です。それを叩き台にしてあちらが希望を提示してくるでしょうから」


「くれぐれゴブン! もあなた一人でゴブン! 判断せずに、先ゴブンゴブン! 方の希望をゴブン! 持ち帰るようにしゴブンゴブン! てください。我社の命ゴブンゴブン! 運をかけゴブン! た大事ゴブンゴブン! な商談ゴブン! でゴブン! あるこゴブンゴブン! とをゴブン! 忘ゴブンゴブン! ゴブンゴブン! ……に」


 もはや何を言っているがわからないが、受け流していい妄言であることには間違いない。


「じゃ、早く家で奥さんに看病してもらってくださいね。僕は今から会社出ますから」


 僕は会社を出てすぐにドラッグストアでうがい薬を買い、駅ビルのトイレでまるっと一本使い切るほど念入りにうがいをした。

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