第8話 父さん、実力を露呈する
そのとき、弁護士がホテルに入ってきた。しょうがなく彼に左京さんを紹介する。
「Hello. Mr.Sakyo. Nice to meet you!」
「は……はろ~」
左京さんが助けを求めるようにこっちを見た。僕は左京さんが英語がまったくできない事実に絶望を覚えながらも、実際はなんとなくそんな気がしていたので、このチャンスを生かす方向に気持ちを切り替えた。
「昨日も彼が僕にアドバイスをくれたんです。彼の交渉力はすごいですから、左京さんから彼に頼んでみてもらえませんか?」
「え? あ、いや、譲くんのほうからお願いします。さっき説明しましたよね?」
「いえいえ、我々の方針にブレがあってはいけませんし、私もそこまでの英語力があるわけではありませんので、ここは専門家同士で意思の統一をはかっていただければ」
「それはそうですが……あっ!
突然父さんが背中を抑えて倒れこんだ。
「譲くんっ! 助けてください! 足腰がたたないっ!」
あきれるしかなかったが、しょうがなくベルボーイを呼んで父さんを部屋に運んでもらい、後は僕の好きにさせてもらうことにした。
☆☆☆
「とまあ、現地ではこんな感じでした」
帰国後、乙坂さんに食事に誘われた僕は、経緯を話した。
「それは……大変だったね……」
「結果的に商談はなんとかまとまったから良かったですけど」
フィリピンの製造会社との取引を正常化することに努めた結果、館山自動車からの契約が戻ってくることになったのだ。仕入れを確保できなくなった先方がうちの社長あてに泣きついてきたらしい。一方で父さんが担当していた新規の販社とのフレームワーク契約がどうなったかについては、正直わからない。
「どうせ杉浦のことだから松浪部長には上手いこと言ってごまかしてるんだろ?」
「あの日のことについては、なんとか現地には辿りつけたものの、機内での無理がたたってか、腰痛が再発して動けなくなってしまった、と弁明しているようです」
「で、夜は遊びに出かけたと?」
「さあ、そこまでは……。僕もあの晩は弁護士と食事に行って帰りが遅くなりましたし。翌朝の左京さんは神妙そうな態度でしたから。酒臭かったですけどね」
「ぜんぜん神妙じゃねぇ!」
「しばらく自宅療養したいから、労災の申請を出しておいてもらえないかと頼まれました。断りましたが」
「無理に決まってるだろ! あいつ何考えてんだ?」
「ですよねー。ここ数日リハビリとか言って休んでますけど」
「ただの欠勤扱いにしかできねーよ。そんなの」
乙坂さんが笑いながら言った。
「ところで社長には話していただけたんですか?」
「ああ。社長と話して、松波部長とも会議で確認したんだけど、営業部ではなぜか杉浦の評価が高いんだよ。だからにわかには信じられないんだそうだ。今回の件も俺の方から社長の耳に入れておくし、あらためて君の話を聞かせてもらうことになるとは思うけど、あいつ、本当に英語しゃべれないの?」
「ええ。まったく。ホテルでチェックインすらしてませんでしたから。というか人事面接の時に英語力チェックとかなかったんですか?」
「それがだな、俺もあいつの面接に直接立ち会ったわけじゃないからわからないんだけど、記録だとネイティブレベルって評価なんだよ。電話面接の会話での判断なんだが」
「ああ、それ僕も受けました。確かその時だけ人事部のキャシーさんと話しましたけど、それのことですか?」
「そう、それ」
「ひょっとして、キャシーさんに電話が変わったときに、左京さんとは別のネイティブ・スピーカーが話していたとか? 前もって準備してて」
「まさか……そんな……」
「いやー、左京さんならやりかねない気がします」
その時は冗談で言ったつもりだったけど、実際のところは当たらずと言えども遠からずなんじゃないかと後日、思い直すことになった。
☆☆☆
翌朝出社すると、僕は自分の目を疑った。なんと僕より先に父さんが出勤していたのだ! これまで遅刻ギリギリの出勤と定時即退勤のリズムを崩すことのなかったあの父さんが!
ふと見ると、彼の後ろには大きなゴルフバックが置かれていた。
父さん、ゴルフとか行くの?
っていうか、昨日までリハビリうんぬんとか言ってなかったか?
そう思うだけで朝からいらいらしてしまったが、なんとか気持ちを抑え、メールチェックから仕事にかかる。
「譲くん、おはようございます」
「おはようございます」
言葉で挨拶はかわしたが、目は合わせないでおく。
「譲くんはゴルフはしないのですか?」
「僕は、やったことないです」
できるだけそっけなく答えた。本当はゴルフのたしなみがないわけではないのだが、この人とはもう、関わりたくない。
「興味ないですか? 商社マンならばゴルフくらいはできないとまずいですけどねえ」
「そうですね」
取りつく島がないように言ったつもりだったが、父さんはこちらに近づいてくる。
そして僕の耳元で、
「今度、お教えしますよ」
そうささやき、にこっと笑う父さん。
「あ、ありがとうございます……」
僕の返事を聞くと、満足そうにうなずき、席に戻りながら話し始めた。
「では譲くん、会社から氷高カントリークラブまでのルートを調べてプリントアウトしてもらえますか?」
「え? なんですか?」
「会社から氷高カントリークラブまでの道ですよ。明日の私の戦場です」
「いや、そうじゃなくて――」
「何か?」
この人、僕がこれまでどれだけ苦労したと思ってるんだ?
ところが父さんは、そういった僕の心の内を完全にスルーするかのように言った。
「ああ、なるほど。プリントアウトの理由がわからなかったわけですね。確かにお客様がハイヤーで迎えにいらっしゃいますが、それでも万が一何か不測の事態が発生するかもしれません。その場合に備え、事前に交通ルートを調べておくのが大人の対応というもの。君もそのあたりに気づかないようではまだまだですねぇ」
さすがに殺意が芽生えた。でも我慢だ、我慢……。
☆☆☆
朝礼が始まり、業務予定報告が終わると、僕は少し落ち着きを取り戻した。
というのも、父さんの予定には僕の業務の引き継ぎが入っていたからだ。
もう父さんの仕事はしなくて済む、そう思うと頑張れる気がした。
ところが、予定の時間になっても父さんは僕のところに来ない。
ひょっとして、僕が地図をプリントアウトするのを待ってる?
いやいや、まさか……。
父さんならあり得るな……。
そう思った僕は、父さんがトイレに行ったすきに地図を印刷し、彼の机に置く。
そして、自分の席に戻ろうとした瞬間
「ありがとうございます」
「うわっ!」
音もなく忍び寄る父さんに僕は気がつかなかった。
あわてて自分の席に戻りながら聞いてみる。
「引継ぎはいつ始めるつもりなんですか?」
「ああ、それですが必要なくなりました」
「……どういうことです?」
「自分で言うのも恥ずかしいのですが、先程木村課長と打ち合わせまして。課長に新規開拓の手腕を認めていただきましてね、そちらに力を注ぐようにと言われまして」
「?」
「ですから、譲くんにはこれまで通り私の業務を手伝っていただきます。私も今後、上司として譲くんを指導しながらさらなる売上の拡大に貢献したいと思います」
目の前が真っ暗になった。
「よろしくお願いしますね」
父さんは力のこもった目つきで顔を近づけてきた。
「ち、ちなみに明日は、どんな方とのゴルフなんですか?」
「知りたいですか?」
父さんはにやにやしながら聞き返す。
「ええ、まあ」
そう言った僕に父さんは近づき、耳元で言った。
「ナイショです」
耐えろ、ここは耐えるんだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます