父さんの台頭

第12話 父さん、ハロワに行く

 家に帰り、シャワーを浴びながら、僕は考えた。


 父さんは前の職場を退職後、うちの社長に拾われたと聞いている。なのに、なぜあそこまで人の恩義を裏切るようなことができたのだろうか?


 そもそも、今回の騒動のほとんどが父さんの行動によるものだ。もちろん父さんを採用した会社に最終的な責任があるわけだけど、実際僕が見る限り、ほぼ父さん一人が問題を引き起こしている。なのに本人はまったく自覚が無いかの様に自分の権利だけを主張していた。


 ある意味、凄いと思った。

 あれだけ人をだまし、ごまかし、迷惑をかけ、損害を与えながら、自分の利益については少しも妥協しない姿勢が凄いと思った。




 だけど、その数日後だった。話はこれだけでは終わらなかったのだ。まさかこんな事になるとは……。




 それはおそらく、父さんへ退職金が支払われ、会社と父さんの縁が完全に切れたタイミングだったのだろう。


 会社に労働基準監督署が、乗り込んできたのだ。


 社長と乙坂さんはなんとか対処しようとしていたが、監督署はあたかも会社の事情を全て知っているかのように労働法上の弱点をあげつらっていき、会社にかせを加えて行った。


 後から聞いた話によると、そのとき松波部長が調査員を怒らせてしまったらしい。確かに「あいつだろ! あること無いこと言いやがって! 悪いのは全部あいつだ!」的な言葉が聞こえたような気がする。監督署にとっては一社員が会社にどれだけ損害を与えたかなどは関係ないのだが、感情的な部長は、あまりに理不尽な取り調べに逆上してしまったようだ。そのせいで調査員に目をつけられた営業部も時間をかけて念入りに調べ上げられることになってしまった。


 結果的に営業部の仕事は強制的にストップされ、父さんの案件の後始末として対応していた多くの業務も詰んでしまった。僕自身も事情聴収で身動きが取れなくなった。


 いったい誰が監督署にタレこんだのか? そんなことは明らかだったし、逆に誰もが彼の事を口に出さなかった。いや、出せなかったのだ。少なくともここ数週間、クレーム対応や納期対応などの火消しに追われ、激務に忙殺されていた社員全員が、自分たちの努力が目の前ですべて水の泡と化す様をただただ、見守るしかなかったのだから。



 かくして西田商事は、二度の不渡りを出し、倒産した。


 社員はみな、最低限の給与を保障されたけれど、職場を失った。


 僕は、この経緯を誰にも語ることができず、やるせない気持ちになった。


 父さんはどうしてここまでやったんだ? 会社に恨みがあったのか?


 仮にそうだとしても、逆恨みにしか思えない。


 会社にダメージを与えることで、彼にとってメリットとなりそうなことが一つも思いつかない。


 社会的には? もちろん大損害だ。つぶれた会社だけでなく、関連する多くの企業に甚大な被害を与えることになった。


 僕たちはいったい、何のために働いていたのか?


 そんなことを自分に問うくらい、今回の件でショックを受けた。


 だが、それでも僕は今後も働かなければならない。働かなければ生きていけない。足を止めるわけにはいかないのだ。だから、この経験を今後の糧にするしかない。そう思った。



 ☆☆☆



 仕事を失った僕は、とりあえずハローワークに行くことにした。


 半年以上の勤務実績(ぎりぎりだったけど)があった僕は、雇用保険で失業手当を受け取ることができた。もちろん、仕事の給与満額が保障されるわけではないけれど、次の仕事に就くまでの生活費としては欠かせない。


 会社の倒産というやむを得ない事情による退職のため、待機期間などは特になく、真面目に求職活動さえすれば翌月からお金を受け取れることになった。


 とはいえこんな情けない状況、早く抜け出したいに決まっている。マリコ姉から何度か連絡がきてたけど、返信すらできてない。半年で会社を辞めたなんて恥ずかしくて言えないよ……。


 そんな感じで人目を気にする僕は、ハローワークにも目立たない格好で行くことにしていたんだ。



 ところが、最初の失業手当給付の認定日にハローワークに行った僕は、待合室で声をかけられた。


「おやおや、譲くんじゃありませんか」


 そういってにこにこしながら近づいてきたのは、そう、父さんだった。


「就職活動の進捗はいかがですか?」


 そう言いながら僕のとなりに腰掛け、気安く話を振ってくる。会社がつぶれたことは知っているらしい口ぶりに、イラっときたけれど、ここで怒るのもバカらしい。


「ええ、まだ始めたばかりなので――」


 そう答えた僕の手元から、父さんは書類をすっと抜き取った。


「ちょ、ちょっと! 左京さん!」

「えーっと、基本手当日額は……えっ!」


 父さんが驚愕した目つきで僕をにらんだ。


 そして、


「君の方が……私よりも……50円も……多いっ!」


 父さんは、心なしか怒りに震えているように見えた。



 だけどこれは当然のことで、あれから僕は、死ぬほど父さんの尻拭いで残業させられたんだ。その分が上乗せされているだけで、むしろ有給だってまともに消化できなかったんだ。一か月1500円の差を理不尽に感じるのは僕の方だよ!



「と……ところで、次はどこで働くつもりですか?」


 僕に書類を返しながら父さんに聞かれた。悪いけど、仮に行く先が決まっていたとしても、この人にだけは絶対に知られたくない。


 そう思った僕は、心にもないことを言った。


「しばらく、ゆっくりします」

「そうですか。やはり考えていることは一緒ですね」


 父さんは満足そうににっこりと笑って僕を見た。なんだよ、それ! 何が言いたいのかわかんないけど、僕はあんたに同類だとは思われたくないよ!



 ☆☆☆



 アパートに戻ってきた僕は、鍵を開けながら、晩飯の買い出しを忘れていたことを思い出した。


 めんどくさいけど、コンビニ行くか。


 そう思って明けた鍵を閉め直し、出掛けようとしたとき、後ろから声をかけられた。


「譲、久しぶり」


 そこに立っていたのは、その言葉通り、ここ数年会っていなかったマリコ姉だった。



 ☆☆☆



「父ちゃんの葬式のあと、あんた全然実家に帰ってないしょ」


 キッチンに立つマリコ姉が言った。


「うん。まあ……ね」


「アメリカから戻ってきてから色々忙しかったしょ? 私も近いしさ、たまにはご飯作りにくるからね」


「ありがとう、でもいいよ、無理しなくて」


 そう言いながらも、僕は自分が情けなかった。


 マリコ姉はきっと、知ってたんだ。僕の会社が倒産したこと。そして、親族に顔を合わせられないことを。


 だからこうして、何も言わずに晩飯を作りに来てくれた。

 僕が落ち込んでいることを知って、自分ができることをしに来てくれた。


 僕はそれを、素直にうれしいと思った。


 マリコ姉も若い頃上京してきて、いろいろあったに違いない。ミーハーでプライドの高かった昔のマリコ姉の面影はここにはなく、まるで阿寒湖のマリモのように角のない、ふわふわとした笑顔を見せる大人の優しいお姉ちゃんがいた。


「できたよ~。食べよ」


 そういってマリコ姉がカレーを運んできてくれた。



 カレーを食べながら、僕は昔話からアメリカ在学中のことなどをずっと語り続けた。

 マリコ姉は自分のことは言わず、僕の話を聞き続けてくれた。

 僕は調子に乗って、しゃべり続けた。


 気がついたら、会社が倒産して、無職になったことも自分から打ち明けていた。


「そっかー。大変だったんだね」


 マリコ姉は、優しく同情してくれた。



 ☆☆☆



「それじゃ、また来るね」


 そう言ってマリコ姉が帰った後、僕は一人の部屋で寂しく、切なくなった。


 ビールでも買っておけばよかったな……。


 そうは思うものの、この時間から外に出るのもおっくうだ。


 あきらめて、寝ようとしたとき、携帯にメッセージが入る。


 ……マリコ姉からだ。


『もし譲がよければだけど、私の彼の会社の中途採用面接、受けてみない? 英語ができる営業職募集してるらしいよ』



 なんだろう、涙が出た。

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