第5話 父さん、負傷する

 父さんはしぶっていたが、部長に報告したところ、結局フィリピンに直接交渉に行くことになったらしい。


 まあ普通そうだよね。こんな話、電話でどうこうできるわけがない。


 だけど父さんは販社と契約にこぎつけたって言ってたな? 出張もせずにどうやったんだろうか?


 そんなことを考えていたら、となりの席の父さんが言った。


「譲くんのパスポート番号を教えていただけますか?」


「え? なんでですか?」


「譲くんも一緒に行くからに決まっているじゃないですか」


「なぜ僕が?」


「当然でしょう。私が君の教育係を仰せつかっている以上、君を連れて行かない理由がありません」


「いやいや、経費がかかりますよね?」


「何事も経験ですから。あ、そうだ。それでは君が経費申請しておいてください。やり方は総務に聞いて。これも経験ですから」


「…………」


 結局父さんの分の出張手配までやらされることになってしまった。



 ☆☆☆



「左京さん、明日からの出張の日程です。取り急ぎ3泊4日で手配しています」


「チケットは融通が利くようにしていますか? 現地では何が起きるかわかりませんからね」


「はい。オープンチケットで日程の変更がきくようにしています」


「うちの契約書とコピーは準備していますか?」


「はい。コピーも取っています。それと現地法人の印鑑も。ですが、現地で契約書に捺印とか、僕たちがやっても大丈夫なんですかね?」


「事は一刻を争います。会社とメールでやり取りしながら対応するしかないでしょう」


 左京さんが人差し指を立てながら言った。


「そのことなんですけど、左京さん、あの会社の取引先との契約って、どうやったんですか? 電話で販社と連絡をとったんですか?」


「え? ああ、まあそうです」


「どうやって契約を締結したんですか? 現地の販社ということは、この現地法人の印鑑を使って契約を交わさないといけないわけですよね? 電話と書類の郵送だけで締結できるんですか?」


「いえ、日本の本社同士で契約しましたよ」


「は?」


「そもそも私、フィリピン語しゃべれないですから。販社も商社ですし、日本での契約に応じてくれましたので」


「いえ……あの……左京さん……フィリピンの公用語、英語ですよ?」


「……ああ。そうでした。私としたことが。ですが、日本の会社と直接やり取りした方が互いに楽じゃないですか」


「じゃあ輸出入はどうするんですか?」


「それはそのフィリピンの製造会社が対応していた方法そのまま継続すればよいということで――」


「テキトーだなぁ。それじゃあフィリピンの製造会社との交渉がダメだったらどのみちダメじゃないですか」


「……それはまあ、そうですね」


「税金とかどうなるんですか? 現地で間接税かからないんですか? というか製造会社とは、どの程度の金額交渉で折り合いをつけるつもりなんですか?」


「……いちいちうるさいですね君は! わかっていますよ!」


 そう言って父さんは怒ってあっちに行ってしまった。



 ☆☆☆



 日本の社会は厳しい。


 噂には聞いていたが、これほど理不尽だとは思わなかった。


 もちろん自分の立場的に、仕事があるだけでも感謝しなければならないとは思うし、つらいからといって辞められる状況ではないけれど、こんな思いがいつまで続くのだろうか?


 そんなことを考えながらボロアパートに帰宅し、コンビニ弁当を開ける。


 そんなとき、携帯にメッセージが入った。


『譲、東京にいるって本当? 今度遊びに行くね。 マリコ』


 えっ……マリコ姉、なんで僕が日本に戻って来たこと知ってるの!?


 高校卒業後、北海道の実家から飛び出して東京に出たマリコ姉とは、僕がアメリカに留学してからも、メッセージはやり取りしていたけれど、今、僕が東京ここにいることは伝えてなかった。というか伝えられなかった。彼女はミーハーというか、ブランド志向というか、のことを誇りに思っていたから。


 こんなみじめな状況じゃ、あわせる顔がないよ……。


 そう思った僕は、返信せずに寝ることにした。



 ☆☆☆



 翌日、成田空港で待ち合わせていた僕と父さんは、予定通りにマニラ行きの直行便に乗る……はずだった。


 空港ロビーで待っていると、メールが来たのだ。


 ――杉浦です。今朝突然ギックリ腰を発症し、動けなくなってしまいました。治りしだい追いかけますので、先に現地入りして話を詰めておいてください――


 必要なものはすべて持たされていたし、なぜかそんなことになる気がしていた僕は、取り急ぎ会社に事情を報告すると、予定通り飛行機に搭乗した。後から聞いた話だと、今回の件は本来なら課長や部長クラスが対応すべき案件だったらしいけど、僕は相手側のアポすら取れていない段階で課長以上を担ぎ出すわけにもいかないと考えていた。それにその時の僕は、試してみたいことがあった。


 定刻の1時25分にマニラのニノイ・アキノ国際空港に到着すると、30度を超える気温と照りつける日差しに汗が噴き出した。熱帯域のマニラは4月が一番暑いらしい。汗をぬぐいながら取り急ぎホテルに向かい、チェックインを済ませる。部屋でパソコンをネットにつなぐも、相手の会社からはメールの返信は来ていなかった。


 ……そして当たり前のように、父さんからのメールも来ていなかった。


 僕は日本であらかじめ調べていた部品メーカーの現地法人に電話をかける。数件問い合わせたところ、今日これから訪問可能なところが見つかった。


 スーツに着替え、そのままホテルを出ると、タクシーを拾ってその会社に向かった。



 ☆☆☆



「初めまして、西田商事の新島と申します」


「ヒナセ工業の高城たかしろと申します」


 名刺を交換し、席につくと、自社の会社紹介を手渡し、簡単に今回の部品について説明した。


「というわけで、この部品生産の委託をお願いできる会社を探しているんです」


「なるほど。ただこれは、弊社では難しそうですね」


 ヒナセ工業の高城課長は一通り技術的なことを説明してくれ、これだとどこどこの会社の方が良いですよ、と、いろいろとアドバイスしてくれた。


「ありがとうございます。ところで、差し支えなければ御社の会社案内をいただいてもよろしいでしょうか?」


「もちろんいいですよ」


「ありがとうございます」


 僕はヒナセ工業の会社案内を受け取ると、礼を述べ、社屋を後にした。



 時間を確認すると、4時を回っている。

 今日のところはここまでにして、ホテルに引き上げることにした。

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