第2話 父さん、仕事を取ってくる
結局僕は左京さん(死別した父親に似ていたので、自分の中では彼のことをひそかに「父さん」と呼んでいた)から無理やり新規案件を担当させられることになり、必死に商品リストを覚えこもうとしていた。
……ダメだ。全然わかんねえ。
万策尽きた僕は、気の迷いで、その商品のカタログ品番をネットで検索した。
ところが、
「ん?」
検索結果でトップに出たのはなぜか、我が社のサイトではなかった。
ついいつもの癖で、英語サイトで検索してしまったのだが、そこでトップに表示されたのは、仕入れ元のフィリピンの会社の営業ページだったのだ。
英語サイトとうちの商品リストを照らし合わせつつ、僕は少し考える。
(あれ? そういえば、この会社とうちとの契約内容って、どうなってるのかな?)
アメリカの大学で法律を専攻していた僕は、立ち上がって戸棚から契約書を探し出すと、内容を確認した。
結論から言うと、いろいろとおかしい。
本来この商品の分野はうちの会社が技術的にほぼ独占していて、特許を元に下請けのこのフィリピンの会社に製造させているはず。
つまり、この下請け会社は勝手にこの商品を他社に販売することができないはずだ(実際契約書に記載されているから間違いない)。
ところがこのサイトを見ると、この下請け会社が『自社商品』として販売し、我が社以外の会社に卸しているようなのだ。
うちの会社の直取引の顧客とは今のところ関係はなさそうなものの、海外の自動車メーカーに対し、商品を横流ししようと勝手なことをしているのではないか? そう思った。
そして、この案件の担当は、父さん(左京さん)だった。
☆☆☆
「というわけで、どうやらおかしなことになってるようです」
僕がこの件を父さんに報告すると、彼は少し間をおいて言った。
「譲くん、このことは私たちだけの秘密にしておきましょう」
「え? 放置しておくんですか?」
「そうではありません。しっかりと証拠をそろえ、相手に言い訳ができないようにしてから動かなければ、取り逃がしてしまいます。下手に騒ぎ立てると取り返しがつかなくなります。ここは私が対応します」
「そうですか」
「そのかわりに、君にお願いがあります。これから私の取引先に行って来てくれませんか? この封筒を持って」
「えーと、受付の方にお渡しすればいいんですか?」
「はい、中の専用伝票に記載のある会社です。受付で『技術部の方にお渡しください』と言えば大丈夫ですから。頼みましたよ」
「わかりました」
そう返事をしながら封筒の中を確認してみると、請求書らしき伝票の宛先住所が見えた。だがそこは「取引がなくなりそう」と父さんが言っていた、あの館山自動車だった。
「あの! 左京さ――」
僕が顔を上げた時にはすでに、彼はどこかに行ってしまっていた。
ま、まあ……受付に置いてくるだけだしな……。
そう思い直して出かけた僕は、泥沼に足を突っ込むことになった。
☆☆☆
「少々お待ちください」
父さんに言われた通り、受付の女性に伝票を渡してそのまま帰ろうとしたものの、彼女は怪訝な顔つきでそう答えると、内線で確認を取り始めた。嫌な予感がするが、伝票を置いて逃げるわけにもいかない。結局彼女に会議室に通され、お茶を出されたテーブルでしばらく待たされた僕は、その後奥から出てきた男性に、
「君は誰だ?」
そう言って睨みつけられた。
「このたび西田商事に入社したばかりの新島と申します」
立ち上がって会釈で返しつつ、名刺をとりだそうとするが、彼は、
「じゃあ、この伝票はなんだ?」
その言葉とともに、僕の持ってきた伝票をテーブルの上に叩きつけ、すごんできた。
父さんの言っていた話とぜんぜん違う……。
「えーっと、実は僕もよくわかっていないのですが、請求書……ですかね?」
「じゃあおたくは何か? 部品を納品もせずに、請求するつもりなのか?」
「はい?」
僕は凍った。いきなりこんな修羅場が待ち受けていているとは思わなかったのだ。
「はい? じゃないだろ! 前の担当がまったく納品してこなかったじゃないか! おかげでこっちは工程全部ストップだよ!」
「も、申し訳ございません! 大至急社に戻って確認します!」
「もう遅いんだよ! こっちはすでに損害出てるんだ! おたくとは今後、一切の取引を停止させてもらうからな!」
そう言って担当者は椅子を蹴りあげるように席を立ち、奥に引っ込んだ。
僕は机に残された伝票とともに、会社に戻るしかなかった。
☆☆☆
「それで君は、すごすごと逃げ帰ってきたのですか?」
戻ってきた僕に、父さんは容赦ない言葉を浴びせた。
「だって、そんな事情、教えてくれなかったじゃないですか! 前の担当って左京さんのこと――」
「お客さんを怒らせたら土下座して謝る! 商社の営業の基本でしょう!」
「え?」
「いいですか! 非がどちらにあるかとか、関係ないんです! 顧客と我々との関係が覆ることは絶対にありません! 我々はお金をいただく立場なんです! 顧客より上に立つことなど絶対にない! そういったときは謝るしかないのに、なぜあなたはそんなこともわからないのですか! なぜそんなこともできないのですか!」
「…………」
これが社会の理不尽さか。しかし、海外暮らしの長かった僕は日本人社会の常識を知らないだけかもしれない。ここは耐えなければならないのかも。
「私たちは信用で商売をしているんです。それを肝に銘じておきなさい」
「…………」
黙る僕の前で父さんが立ち上がると、
「この件は、私のほうから課長に報告しておきます」
「は?」
立ち去る父さんを見て、やはり何かがおかしい、そう思ったときは、すでに遅かった。
☆☆☆
「新島君、ちょっと」
険しい顔をした木村課長に呼ばれ、僕は嫌な予感がした。
連れていかれた会議室に入ると、先に座っていた松波部長も険しい表情で腕を組んでいる。
僕が会釈して腰を掛けると、木村課長が話し始めた。
「杉浦くんから、君のことを責めないでほしいと言われたが、伝えておかなければならない」
「は、はい……」
「館山自動車の年間売り上げは、昨年度二千万円だった。これの見通しが、今後、立たなくなってしまった」
「は……い……?」
「確かに君はまだ若い。だから今後も失敗することもあるだろう。とはいえ、今回の損失の痛手はあまりに大きい」
「…………」
「杉浦くんがフィリピンから新規の顧客を取って来てくれたが、それで穴埋めできるかどうか……」
「はぁ?」
「新島くん、杉浦くんを見習って、今回のミスを取り返せるよう、頑張りたまえ!」
僕は眩暈で倒れそうになった。いったい何が、どうなっているのか、まったくわからない……。
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