父さん、会社を倒産させたんだ……

叶良辰

父さんの幕開け

第1話 父さん、やらかす

「初めまして、新島にいじまゆずると申します。よろしくお願いします」


 営業部に配属された新入社員の僕は、同じ部の先輩に挨拶した。


「どうぞよろしく。杉浦すぎうら左京さきょうです」


 左京さんは、社内ではそのまま杉浦さんと呼ばれていたが、刑事ドラマの主人公を思わせるような、スタイリッシュな紳士で(とこの時は思っていた)、しかし頭の後ろはバーコードという、ちょっと(というかかなり)残念な風貌だった。というかそんな第一印象のせいでてっきり40過ぎだとばかり思っていたのだが、実際は僕と二つしか違わないと聞いてさらにびっくりした。話によると、彼には奥さんもお子さんもいるらしい。見ようによっては、仕事の無理がたたって早死にしてしまった僕の父親に似ていなくもない。きっと彼も、若いうちから日本社会の荒波にもまれてしまったせいでこうなってしまったのだろう。


 さらに聞くと、彼が入社したのは今年の3月。以前勤めていた会社が倒産してしまい、行く当てがなかったところを、社長にひろってもらったのだとか。つまり、社歴的には僕より1か月先輩ということになる。やっぱり苦労の多い人生なんだろうな、と思っていた。この時は。


「ところで新島くん。『新規の得意先』になりそうな知り合いはいませんか?」

「え? どういうことですか?」


「言葉通りの意味ですよ。営業なんですから新規開拓ができて初めて一人前です」

「ですが、うちってそんな部署じゃないですよね?」


 この会社に入社する前、面接で営業部の仕事について質問した時、人事部の人から「既存の顧客のみを担当する」と聞かされていた僕は、左京さんの話が理解できなかったのだ。


「ふふふ、そんな甘いことを言ってはいけませんよ。まずはうちの商品リストを見て、売り込める知り合いがいないか、30分で調べて私に報告をあげてください」

「あのー、うちの商品って、車の部品の中のさらに細かい部品ですよね? それも各メーカー、各車種ごとにカスタマイズする――」


「私の言うことが聞けないのですか?」

「えーと……」


 正直僕は混乱していた。


「おや? できないというのですか?」


 っていうか僕にそんな知り合いがいるはずがない! この会社に入るまでアメリカの大学生だったんだよ? 元々日本に知り合いが多いわけじゃないし、それ以前に入社したばかりで商品知識ゼロな上に車の事も良く知らないこの僕が、そんなことできるわけないじゃないか!


 そう思った僕は、


「とりあえず、時間ください」


 左京さんにはそう言って、人事担当の乙坂おとさかさんにそれとなく確認することにした。



☆☆☆



「なんだって! あいつ君にそんなことやらせようとしたの!」


 乙坂さんの反応に逆に僕がびっくりした。詳しく聞いたところ、やはり以前の話の通り、既存顧客に対してのセールス担当として僕が採用されたのは間違いないらしい。


「じゃあなんでそんな話になってるんですかね?」

「うーん、私にもわからんな……松波まつなみ部長に聞いてみようか」


 乙坂さんは新人の僕に気を使って、そのまま営業部長の松波さんのところに一緒に行ってくれた。


「はぁ? なんだそりゃ? 俺はそんな指示出しとらんぞ!」


 話を聞いた松波部長も顔をゆがめる。謎が謎を呼ぶ中、僕と乙坂さんと松波部長の三人は、営業課長の木村さんに聞くことにした。


「ええっ! 全然知らないんですが」


 木村課長は松波部長に詰め寄られ、血相を変えた。この営業部には課長代理も係長も主任もいないため、結局左京さんのところに戻ってくることに……。


「あの、左京さん、新島くんに新規開拓しろって指示出したって、本当?」


 僕たち三人の視線を浴びながら、木村課長がそれとなく左京さんに尋ねる。


 すると、左京さんは澄ました顔で、


「そんなことは私、一言も言っておりません。新島くんの聞き間違いかと」


 ええーっ‼︎ なにそれ?


 三人の上司の目が僕に注がれる中、あわてた僕は左京さんに、


「このリストの商品を売り込める知人がいないか、僕に30分で調べて報告をあげろ、って言ったじゃないですか? さっき」


 と問い詰めた。ところが左京さんは、


「新人にそんなこと言うわけないじゃないですか。いったい君は何をどう勘違いしたのか」


 と笑いながら僕の肩をポンと叩いたんだ。


 こうなると何も言えない。


 忙しい上司たちはさほど大事になることではないのだろうと思ったのか、「まあ、上手くやれよ」と自分の席へと戻って行った。



 それを見届けた後、左京さんはこっちを睨みつけ――


「譲くん、ちょっと来てもらえますか?」


 そう言って僕を屋上に連れて行ったんだ。



 ☆☆☆



「君はどうやら、私の意図を理解していなかったようですねぇ」


 左京さんは、雰囲気は穏やかだが、威厳のある言い方で僕をなじった。


「あの……どういうことですか?」


「君がこの会社で、しかもこの私の隣の席に配属されたということは、私の命令が絶対である、ということです。それを忘れないで下さい」


「……なんすか? それ」


 どう考えてもおかしいだろ。部長や課長はそんなこと言ってなかったし……。


 と思ったのだが、そんな僕に左京さんは背を向け、後ろ手に手を組みながら語り始めた。


「いいですか? 譲くん。この会社は今、窮地に立たされています」


「え?」


「まだ誰も気づいていませんが、大手クライアントの館山自動車との取引が打ち切られそうなんです」


「は?」


「ですから、それを補填するだけの得意先を我々で取ってこなければならないんです」


「マジですか!」


 そんなの全然聞いてねー!


「ところで譲くん。私が聞いた話では、確か君は、アメリカのコロンビア大学に在学していたエリートでした。『でした』、というのはご家族の事情で学費が捻出できなくなり、帰国して働かなければならなくなったから。そうですよね?」


「ええ、はい。まあ……」


 この人、なんでそんなこと知ってるんだ? 僕のことは何もしゃべってないのに。


「つまりはエリートの道を踏み外したわけです。そんな人間がこのご時世、簡単に就職できるわけでもない」


「そ……そうです。だから拾ってくれたうちの社長には感謝してます」


「ならば、その恩義に報いなければならない。違いますか?」


 振り向いた左京さんは、人差し指を立て、続けた。


「今回の新規開拓、われわれの手にかかっているんです」


 そう言って左京さんはにこっと笑った。


「えっと、左京さん、すみません、ちょっと聞きたいことが」


「なんでしょう」


「その館山自動車のうちの営業担当って、誰なんですか?」


「知りたいですか?」


「そりゃあ、知りたいですよ! だって、交渉次第でなんとかなるかもしれないじゃないですか!」


「交渉は……難しいでしょうねぇ」


 左京さんは遠い目で言う。


「というか左京さん、なんでそんな事情にくわしいんですか?」


「それはですね」


 突然振り向いた左京さんが、僕の耳元に顔を寄せ、こっそりと言った。


「館山自動車の営業担当、それはこの、私だからです」


 は?


 てことは、ぜんぶあんたがやらかしてたのかよ!


「今なにか、不服そうな顔をしましたねぇ?」


「い、いえ……」


「会社の危機には社員一丸となって事に当たるべき、違いますか?」


「それは、そのとおりです……」


「少なくとも顧客の開拓が会社のデメリットになることはない。そうですよね?」


「それはそうですが……」


「最後に」


「はい」


「このことは、他の人には内緒ですよ」


 左京さんはにっこりと笑顔を浮かべて、僕に脅しをかけた。


 そして今思えば、彼――左京さんとの出会いが、その後の僕の人生を大きく狂わせるきっかけだったんだ。

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