切り株のある丘で(根っこ)
少年は、ぽつぽつと語りだした。
「物心ついたときには、母子家庭だったんだよ、俺は」
自分の暗い部分をさらけ出すのは、不快でもあり、同時に快感でもあった。
「兄弟もいないし、母親も朝から晩まで仕事だし、昔っから、俺は独りぼっちだった。かと言って友達と呼べる代物もいない。だから、遊び相手は、この木だけだった」
少年は、自分の寄りかかっている幹を指した。
こげ茶色の温かいぬくもりが、彼の背中を満たす。
「そういうことだったんですね」
少女は途中で質問せず、ずっと相づちをうちながら聞いていた。
「ずっと木と一緒にいたからな。一人で登ったり、紅葉とか雪景色なんかを楽しんだり。親と喧嘩したときは、ここまで走ってきて、木にずっと愚痴を言ってたこともある。俺がどれだけ喋ったって、木はずっと聞いててくれるんだよ。それで、全部受け入れてくれる」
彼女の掌のなかで、摘み取った花が編まれてゆく。
茎から茎へ。それを、また別の茎へ。徐々に、輪っかのような形が出来てきた。
「どんな時も木が側にいたんだ。だから、いつまでも、離れたくなかった」
少女は、完成した髪飾りを嬉しそうに眺めた。
そっと目を瞑り、鼻を近づけると、彼女は微笑んだ。
「中学も高校も、必ず木と一緒にいたいと思ってた。だから、通学路にこの丘を通る学校だけを選んで、受験した」
いつのまにか、花の髪飾りは少女の頭に乗っかっていた。
「どう?にあってる、かな」
少年は、黙ってうなずいた。
しばらくのあいだ、静寂が訪れた。
「もう、分かっちゃったよね。俺が言いたいこと」
彼が苦笑いすると、彼女は首を横にふった。
「それでも、きみのことばで、言ってごらんよ」
少年は俯き、下を向いた。
そして、諦めたような弱弱しい笑みを浮かべた。
「ある日、俺はいつものように学校に行く途中、ここを通った。木は、切られていた」
今日も、遥か上には青い空が広がっていた。
一年前のあの日と、同じ空が、広がっていた。
もはや、少年は話し続けることができなくなっていた。
少女が気遣わし気な視線を送る。
「つらかったんだよね?」
「……」
いっそのこと、消えてしまいたかった。
木と運命を共にできなかったことを、何度悔やんだか分からない。
そのとき、彼の心は、灰になっていた。
「いっかいさ、泣いてみようよ」
髪飾りをした少女は腰を上げると、少年の目の前で立ち止まった。
制服姿のまま、地面に体育座りの格好になった。
「ほら、飛んでゆけ―」
彼女は、少年にかすかに息を吹きかけた。
そのとき、丘に風が吹いた。
少年の頬を、泪が一筋、また一筋。
止める術など、知る由もなかった。
「泣いたって、いいんだよ。つよがったって、苦しくなるだけ」
もはや彼は、全てを吐き出してしまいたかった。
ずっと誰にも言えなかったすべてを。
「その切り倒されたあとが……この、切り株なんだよ。だから……だから、俺は、毎日ここに」
膝を抱え込んで、一人でむせび泣いた。
二度と戻ることのない木を想うと、胸が引き裂かれそうだったのだ。
「今になってやっと分かったよ。あの木は……あの木は、俺の親友で、恋人で、兄弟で―とにかく、俺を満たしてくれていたんだ」
少女は立ち上がり、スカートのゴミをはらった。
腰に手をあて、少しだけ力のこもったような声で言った。
「よし、わかった。じゃあ私がかわりに、きみを満たしてあげるよ」
少年は涙をぬぐい、顔を上げた。
視線の先には、彼女のもの柔らかな笑み。
「こうやって、まいにち話そうよ。ね?」
彼女の正体が何者なのかすら分からない。
それなのに毎日話すなんてこと、できるのだろうか。
「今はまだ、ほんものじゃないけど、きみが元気になれたら、そのときはほんものになって、会いにきてあげる」
少年は、はじかれたように目を見開いた。
夢の存在が本物になる?
「よく分からないよ。どうすればいいのさ」
少年が途方に暮れたようにかぶりをふると、彼女はおおきく伸びをした。
「まいにちここに来てね。この丘のうえで。まっててあげるから」
そこまで説明すると、少女は人差し指を軽く立てた。
「でもね、一つだけ、やくそくして」
少年が目をぱちくりさせると、彼女はもういちど、息を吹きかけた。
またしても、丘には一陣のそよ風。
「約束って……何を?」
今の俺に、何をさせようと言うのだろう。そう訝しむ彼の前で、少女は囁くように言った。
「きみのせいふく姿、みてみたいな」
蝶が舞い、少女の髪飾りにとまった。
少年は、手で顔を覆った。
「どうして……そんなことを、よりにもよって」
少女はクスッと笑った。
「だって、きみのがんばってるところ、見たいんだもん」
「それって、つまりは……学校へ行け、ってことだよね?」
少女はこっくりとうなずいてみせた。
「うん。そゆこと」
俺なんかに、できるのだろうか。
四か月以上学校を休んでいた身だし、もう同級生にも忘れられているかもしれない。部活もずっと行っていない。先生とうまくやっていけるかもわからないし、久しぶりに登校したところで、気まずい空気になってもおかしくない。勉強についていける自信など、尚更ない。
しかし、彼の心の中には、消極的な自分を罵るもう一人の自分が現れていた。
奴は言う。
おまえは、いつからそんな意気地なしになったのだ、と。
奴は言う。
そんな体たらくで、倒された木に顔向けできるのか、と。
もしかしたら、やれるかもしれない。
―いや、やってやろうじゃあないか。
決心するのに、不思議と時間はかからなかった。
「明日の夕方、ここで。それでいい?」
少年は意を決して言った。いつの間にか、彼の迷いは消えていた。
「だいじょうぶ。きみなら、やれるから」
彼女は後ろで手を組み、唇を軽くひと舐めした。
ピンク色の唇が持ち上がり、雪山を逆さにしたような八重歯が、右からにょきっと突き出した。
彼は空を見上げた。
西のすみに、赤みがかった空が見えている。丘の上は、すでに暗くなっていた。
「あの―」
少女の方へ手を伸ばし、それから目をそむけた。
「なあに?」
好奇の瞳を向けられ、少年は口ごもった。
あれ?俺は、何を言おうとしてたんだっけ―。
どぎまぎしつつ、何とか言葉を絞り出した。
「あ……あの、もしよかったら、一緒に帰りませんか?」
もはや破れかぶれだが、何とか口に出す。
少女は口元をちらっと上げ、指でサインをつくった。
「それはちょっと……ダメかなぁ~」
胃に穴が開くような感覚を覚えつつ、少年は落胆しないふりを装った。
「家、どこにあるんですか?」
少女はこめかみのあたりをさすりながら答えた。
「うーんとね、へへへ」
あんなに鬱陶しいはずだったのに。
迷惑で、ただの邪魔でしかなかったのに。
なぜだろう。
―今では、きみの呑気な笑顔がこんなにも愛おしい。
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