Finale

何も考えられない、私の心の奥底からこの身を焼き尽くそうとする炎に全ての思考が燃やされてしまう。熱は確かにある、だけれどもこの暗い部屋を照らすことができない黒い炎はただ苦しみを私に与えてくるだけだ。ふと芳香が私の鼻を掠める―――そのよく知っている匂いの主に駆け寄りその細い首に手を添え力を込める、私の身を焼くこの不愉快な炎をねじ伏せるようにその白い首を絞り上げていく。それでも彼の瞳が放つ絶えることのない輝きが私を苦しめる、彼の血管が奏で続ける鼓動が私を苦しめる。私が何故こうしているのかすらも分からない、ふと外からこの部屋を照らした光が彼の顔を浮かび上がらせる、まるで生まれた時から恐れるという言葉すら知らなかったかのような笑顔。鍵をかけてすらいなかったのか、そもそもなぜお前がこんな夜に私の部屋に来るのだ、そんな理性が私の手にこもる力を奪い去った。全く感情の籠っていない生理的な咽び、少しだけ彼はその顔を反射的に曇らせると顔を作り直しこちらを向く、その表情は余りにも熱が籠った官能的なもので思わず私はたじろいでしまう。

「殺してくれても良かったんですよ?」

歌うように紡がれた冷静に考えれば言っている意味が全く分からないその言葉、しかしながらどこまでも彼の本心で有るかのように芯が通った声で益々私は混乱してしまう。さらに私の心を叩き割るのは彼の口づけ、甘い、絡み合う舌が生み出す熱が脳の奥まで溶かし切る。叩き割ったのはただの表面的な部分に過ぎず結局のところ心を幾重にも縛っていた鎖を完膚なきまでに粉砕しただけ、もう何かを考える必要もない、力任せに彼の服を破りその身体を味わう。味わったことのない感覚に私は震える、女性的な肌の奥の柔らかさなど無く、華奢で有りながら強い芯の通った少年という言葉通りの身体、嗅覚を麻痺させる香水の鎧の奥に潜む大人になる前の少年の香り、薄皮一枚の奥にある彼の身体を支える骨、その動きを司る無駄のない締まった筋肉。まるで自分を抱いているような、若い日の私自身を抱いているような感覚、その袋小路に迷い込んだ私は初めから方向感覚が狂っていたのだろうか、しかしながらこの五里霧中、全てを投げ捨てて裸のまま宙に浮かぶこの感覚はただ心地良い。だからこそこの五感全てこの瞬間を愛で続けていたい。

「いいですよ、好きにして。仕込んでありますから」

収まることの無い飢えに突き動かされていた私を更に深みへと引き摺り込むその声。彼を一糸纏わぬ姿にして押し倒す、微かな光すらも集め輝いているかのように白い肌、経験したこともない未知の領域に足を踏み入れたはずなのにこれまでのどんな性交よりもすんなりと飲み込まれていく、弾けた彼の声。大きい、そう漏らしたその言葉は甲高くも低音が支えられており私の心を浮かれさせるよりは一度現実へと引き戻す。しかし現実は確かに彼に握りこまれている、この身体を。

「お前は何がしたいんだ?」

私の声は震えていた、確かに目の前の彼に恐怖している。それなのに私の性欲には鎮まることを知らない、寧ろ彼に立ち向かうように固くその血を滾らせている。

「簡単ですよ」

そう言って彼は私の頬に手をあてる、それが意味することなど頭で考える必要もなくこれまで幾度となくしてきたように唇を重ねる―――直接脳内に注ぎこむ様に語られる言葉、自分が好き、自分と似ている先生が好き。彼は歌う、これまでの誰よりも私の身体を楽しみながら、以前に誰かに仕込まれていることなど明らかであり、そして手慣れたことの様にその技巧を集め私の身体を貪っている。

「自分の価値が分からないほど子供じゃない、どうせお父さんも見た目だけで僕を選んだ。だからこそその後の人生は順調、初めから手にしていたものが優れているのならそれで全て薙ぎ倒して歩んでいけばいいだけ」

それならただ食らうだけ、どうせ何かを考えることなどもうできやしないのだ。それならただ彼の身体を楽しみこの熱を早く鎮めるよりほかないのだ。私はこの遊戯の名前も楽しみ方も知らない、ただ衝動的に彼を犯すことしかできない、そして何より身体がそれを求めている。しかしそんな拙い暴力ですら受け止め彼は美しい音色に変えるだけ。底なし沼、身体はもうその泥の中へと沈んでいる。だけれども私を包むその生暖かい感触は決して気持ち悪いものではなく寧ろ全てを優しく包んでくれる完璧な牢獄。弾けた私の衝動、これまで出したことのない声と共に私は彼の中を染め上げた。それと共に彼が掬い上げ私の口に運んだ少年の味、それはどんな美酒よりも私を酔わせるのだ。


不協和音、私と繋がった彼が手をつく音、鍵盤の上を猫が歩く音と変わらないはずそれがこれまで私が紡いできたどんな旋律よりも美しかった。有機的で今にも破裂しそうな鼓動を如実に表した音、絡み合うのは何も舌だけではない、鍵盤の上で彼の指と私の指が性交をしている。しかしながら新しく生まれる二人だけの夜の歌は原始の音楽で、だからこそ何よりも正確に人間というものを表現しきっていた。乱れないリズム、蠱惑的な旋律、抑えきれない欲求を走らせる低音の身体を揺さぶるパッセージ。二つの手だけでもその調和を保てずに苦しむ人間がいる中で私達はありとあらゆる技巧を詰め込みながらも一つの曲を紡いでいく、彼の軽やかな歌声を支える私の対となる甘さを持つ旋律は溶け合いポリフォニーへと変わる。快楽で乱れる彼の低音の伴奏の隙間を埋めるのは更なる私の緻密な計算に支えられた変則的な装飾。彼は幾度となく私の所有物である目の前の楽器を自分の色で染めようとする、私の指がその味を感じれば不意の揺らぎすらも新たな装飾符へと生まれ変わる。ああ、今宵の歌ならば誰に聞かせても恥ずかしくない、それほどまでに完成された人というものを美しく掘り上げたこの彫刻、幾重にも移ろいながら絡み合う情欲の炎、軽やかで華奢な主旋律、それを離さないように強く壊れるほど激しく、それでいて甘く握りこむ私の右手、性欲と快楽、身体の奥底から湧き上がってくる炎は焦げるようなどす黒い煙を纏わず高らかに夜空に向かって吠える、それを支えるかのように彼に精を注ぐ私。これは、人間の叫び、魂の歌、良く似た二人が一糸纏わぬ姿で交わるその姿を書き起こした地上の星……。




   〇




黒い花が咲いている、私のこの身体を糧にして。全ての光を貪りつくす黒い花、太陽も、私たちの立つ石っころから遠く離れた星々の光すらも。きっと彼はこれからもこうして人の輝きを食らい尽くしながら咲き誇るのだろう。私は唯の養分、この身に蓄えたものを彼に全て与えてしまえば唯の痩せた大地と成り果てる、つまりは彼の隣に居続けることなどできやしないのだろう。それでも私は今日この目で見た、二人で紡いだ照らしてくれるものですらも貪欲に喰らい尽くした先の宵闇に咲き誇るこの異形の、絶佳の花を忘れることはないだろう。

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ブラックダイアモンド 姫百合しふぉん @Chiffon_Himeyuri

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