3-2
エド・アケロウの死が殺人であると仮定し、犯人になりうる人物像を考えた場合、最初に思い浮かんだのは、『エド・アケロウに鎮圧された思念放射犯』だった。自分を逮捕した警官らを逆恨みして危害を加えに来る恥知らずは時おり現れる。その類。だが、データを調べたところ、エド・アケロウが過去に鎮圧した思念放射犯は、現在のところ全員が拘置所か、刑務所か、監視つきの精神病院に収容されているらしく、シャバに出ている者はいないとのことだった。
わたしは鑑識から送られてきた動画ファイルを再生した。
視界が切り替わる。わたしの眼前に、寂れた住宅地の風景が展開していく。視点が左方向へと回り、築六十年は経っていそうな古いアパートが視界に入る。
「ここがエド・アケロウの住んでいたアパートです」
と、わたしは言っ――いや、わたしが言ったのではない。この動画を自分の視聴覚で撮影した鑑識官が言ったのだ。わたしはその感覚の記録を、自身のSNで脳内に再現しているだけ……錯覚だ。
視界はそのまま前進していく。階段を上り、二階の角部屋の前で停止した。郵便差し入れ口の付いた茶色い扉……ドアノブがズームになる。骨董品のようなアナログ錠タイプ。そこに鑑識官の手が伸び、科学捜査用ライトを照射した。浮かび上がる指紋。視認画像を本部のデータベースと照合――検出された指紋は一種類のみ。エド・アケロウ本人のもの。
扉が開き、視点は室内へと移動する。隅にキッチンが備えられた、手狭なワンルーム。最小限の家具しかなく、散らかっている物品は何もない。左側の壁についた扉が開かれる。ユニットバスだ。綺麗に掃除されており、トイレタリーも整理して置かれている。
「物色された形跡は感じられませんね」と、鑑識官が言った。
そこから科学捜査用ライトをそこら中に照射していくが、浮かび上がる指紋はエド・アケロウ本人のものばかり。床からは二種類の足跡が検出された。コンバースのスニーカーと、フローシャイムの革靴。……どちらもエド・アケロウの所持している靴だ。サイズも一致している。血や体液の痕跡はどこにも浮上しなかった。
視点はキッチンの方へと移動し、冷蔵庫が開かれる。中には何種類かの食材と、蓋付きのガラス瓶が二本。片方は空で、片方の瓶にはドロドロした灰色の液体が入っている。
「えー、自家製のスムージー? ですかね」と鑑識官。
……あれか、これが例の『ナッツと根菜と青魚のミックスジュース』か。
そこから鑑識官は片方の瓶を手に取り、蓋を開け、中に銀色の棒状機械を挿入――すると、機械に反応があった、
「バルビツール酸系の反応があります。睡眠薬が混入されていると思われます」
……なるほどな。わたしは得心した。これで犯行の手口がおおよそ推測できた。
犯人はエド・アケロウの死の前日、あいつが仕事に行っている最中に、ここにやってきた。このアパートは扉に郵便差し入れ口が付いている。そこから室内に何らかの器具を入れて、内側からサムターンを回せば簡単に侵入できるだろう。市販されているマニュピレータ付きドローンを放り込めば一発だ。そして冷蔵庫の中の『自家製スムージー』に睡眠薬を混入し、指紋と足跡を掃除して退出した。その後、帰宅したエド・アケロウは何も知らずに冷蔵庫の瓶の中身を水筒に移し(それで片方の瓶が空になった)、翌日それを警察署内の休憩室で飲んだのだ。こう考えればすべて辻褄が合う。
……オーケイ、これはつまり、エド・アケロウを殺すことは誰にでもできたという証明に他ならない。少なくとも、エド・アケロウの勤務時間である九時から十九時の間に、ここに来ることが出来る人間なら、誰にでも。この辺の地域は住んでいる人間も少なく、監視カメラもろくに設置されていない。どうやって特定しろと?
そこから鑑識官は室内をくまなく調べていったが、見つかったものは八本の毛髪のみ。すべてエド・アケロウと同じ短い黒髪だ。
「もしかしたら別人の毛髪が混じっている可能性もあるので、持ち帰って成分分析にかけてみます」
と鑑識官が言い、そこで動画は終了した。
わたしは自席の背もたれに体重を預け、大きく息を吐き出した。どうにも鑑識方面では有効な手がかりは得られそうにない。となると、やはりこちらか……。わたしはエド・アケロウの『全履歴』を開き、十日ほど前の記述から目を通した。
それから数時間ほど『全履歴』を読んでみたが、これといって手がかりは掴めなかった。殺人事件は被害者の交友関係から洗うのが定石だが、エド・アケロウはどうも他人と深く関わろうとしないタイプの人間だったらしい。親しい友人や恋人は、いなかったようだ。警邏課のコル巡査とはよく組んで仕事をしており、多少の交流があったようだが、それでもプライベートで会うほど親しかったわけでもなく、仕事上の軽い付き合いだけだったようだ。エド・アケロウは誰が相手でも敬語で話し、会話の分量は最小限。休日はひとりで過ごす。仕事はきっちりこなし、周囲に迷惑はかけない。そしてそのことを誇示したりもしない。こういうタイプの人間が、他人に強烈な敵意や殺意を抱かれるだろうか? 例外は思念放射犯が相手の場合で、こちらは普段と逆に、相手が怒りそうなことをわざと言っているような傾向が見られる。何故そんなことをしていたのかは知らないが、どっちにせよ、その線は犯人像から消されている。
そんなことを考えながら『全履歴』を読み進めていく内に、わたしはふと思った。この『全履歴』には、思念放射犯と思考を同期している最中のことまで書き起こされているが、果たしてこれは真実なのか?
思考同期下で人間の脳神経がどのように働いているのかは、現状まだ解明されていない部分が多い。確か過去に、SNの視聴覚録画機能を用いて、思考同期中に生じるイメージの世界を記録に残そうとした
わたしは、殺人課の共有データベースに保存されている、フィーロゥ・ダットの取り調べ記録を開いた。
刑事 確認だが、お前は先週の土曜に、大学時代の友人である
サペード・レンドラーと会った。そこでレンドラーから
『合法の安定剤だ』という触れ込みで錠剤を一瓶渡された。
で、月曜の夜、その錠剤を服用した結果、唐突に湧き上がった
衝動に突き動かされ、レム・ジェーヴァーの家に押し入った。
そして持参したクレー射撃用の銃で胸を撃ってジェーヴァーを
殺害した、ということだな?
ダット ああ、それで間違いない。
刑事 本当に『合法の安定剤だ』と言われたのか?
〈レゾ〉と知らずに服用したと?
ダット そうだ。
刑事 今、レンドラーの方も取り調べを受けている最中だが、
そこであいつが『ダットには〈レゾ〉だと伝えて渡した』
と証言した場合、お前は非常に不利な立場に追い込まれる
ことになるが、それでもそう主張するのだな?
ダット 構わない。わたしは事実を話しているだけだ
刑事 では、そう記録しておく。で、殺した動機は復讐なのだな?
ダット いや――それは違う。
刑事 ……何?
ダット ジェーヴァーを殺したのは、
今思えばただの八つ当たりだった。
刑事 ……ジェーヴァーの誤診が原因で、配偶者に死なれたと聞いているが。
ダット 確かにそうだ。だが、ジェーヴァーの病院から帰ってきたあと、
妻はわたしにこう言ったのだ。
『食中毒って言われたんだけど、この痛さはなんか違う気がする。
別の病院でもう一度診てもらいたい』と。
しかし、わたしはそれを無視した。
『気のせいだろう。そのうち治るから放っておけばいい』
――妻の死にはわたしにも責任がある。
本心では薄々それを自覚していたが、わたしはずっと、
それを認めることが出来なかった。
刑事 ならば、事件当日に銃を持ってジェーヴァーの家に
押しかけた理由は何だ?
ダット あの日、レンドラーから受け取った薬を飲んで
わたしの内に芽生えた衝動は、
『妻の死の責任をすべて誰かに押し付けて楽になりたい』
というものだった。
わたしは銃を突きつけながらジェーヴァーに
『何故、妻は死ななくてはならなかったのだ?』と問うた。
『申し訳ない! すべてわたしの責任だ! 赦してくれ!』
――という回答を期待して。だが返答は逆だった。
ジェーヴァーに『妻が死んだのはお前のせいだ』と言われ、
わたしは『逆上』した。そしてその苛立ちに任せて、
ジェーヴァーを撃ったのだ。
刑事 …………。
ダット その後、ジェーヴァーを撃って動転したわたしは、
なんとか気を鎮めようとレンドラーから受け取った
〈安定剤〉を大量に飲んだ。思念放射が起こったのは、
そのせいだろう。巻き込んでしまった人々には
本当に申し訳ないと思っている。何もかも、わたしの弱さが
招いたことだ。一生かけてでも償うつもりでいる。
刑事 わかった、それで供述調書を作成する。
ダット ところで、ひとつ聞きたいのだが。
刑事 何だ?
ダット わたしの鎮圧を担当した対策官は元気にしているか?
刑事 そういった質問には答えられない。
……わたしは、『全履歴』に書かれた、ダットとの思考同期部分を読み返した。すべて証言と一致している。となるとこのテキストに書かれていることはやはりすべて真実、と考えるべきなのだろうか。
ならば、この部分も?
レンドラーが、人類にテレパシー能力を与えようとしている、という記述も真実なのか?
*
『全履歴』の中でも、特に真偽が疑わしく感じられるのが、この深夜の病院でのレンドラーとの一連のやり取りの記述だ。自在な思念放射を可能にする新種の薬……そんなものが存在すると? にわかには信じがたい。部下からの報告によると、火曜の深夜、エド・アケロウがダットの収容されている病室の前に来たことは、コル巡査からも証言が取れているとある。そしてコル巡査がトイレに行って戻ってきたら、病室の前でレンドラーが気絶していたことも、事実らしい。だが、それ以前にエド・アケロウとレンドラーがどういうやりとりをしていたのかを証明できる第三者は存在しない。
わたしは、内務監査課がおこなっているレンドラーの取り調べ記録にアクセスした。
レンドラー 動機? 金だよ。他に何がある?
監査官 フィーロゥ・ダットはお前からタダでクスリを受け取ったと
言っているぞ。
レンドラー 最初に『合法の安定剤』だと言ってタダで渡し、
服用させ中毒になったところで、今度は高値で売りつける。
そういうプランだったのだよ。わからないか? それくらい。
監査官 レンドラー、てめえ本物の【検閲により削除】だな。
じゃあ他の〈レゾ〉はどこにやった?
レンドラー 他、というと?
監査官 知らばっくれてんじゃねえぞ【検閲により削除】が!
消えた押収品の〈レゾ〉の量は、てめえがダットに
渡した分だけじゃ全然足りてねぇんだよ。
他の〈レゾ〉はどこにある? 誰に渡したんだ?
レンドラー さぁ……知らないな。わたし以外にも
同じようなことをやっている警官がいるんじゃないのか?
監査官 【検閲により削除】なことを【検閲により削除】じゃねえぞ!
この【検閲により削除】【検閲により削除】【検閲により削除】
……今度は、二者の間で証言が完全に食い違っている。どうなっているんだ? わたしは頭を抱えた。エド・アケロウとサペード・レンドラー、どちらが真実を話している?
仮説1 昨日考えたとおり、エド・アケロウはとんでもないサイコ野郎で、『全履歴』は捜査を撹乱することを目的に虚実を入り混ぜて書かれている。死因はただの自殺。
仮説2 この世界には人類をテレパシストに変えようと目論む秘密組織が存在し、その存在を知ってしまったエド・アケロウは口封じのために暗殺された。サペード・レンドラーはその組織の一員だが、それを隠している。
――果たして、どちらのほうが真実味があるだろう。
*
結局その日はろくに捜査が進展せず、ひたすら疲労だけを積み重ねて、わたしは深夜に帰宅した。ただいま、と言うことすら億劫に感じ、わたしは無言で玄関を開けた。
わたしは廊下を三歩進み、マーリの部屋の扉の前で足を止める。扉の隙間からは、今日もかすかに光が漏れている。
……最後に娘と言葉を交わしたのは、何日前だっただろう。わたしは自分の記憶を探った。だが正確に思い出すことはできず、それどころか最後に顔を見たのすらいつだったか覚えていないことに気づき、自嘲的な笑いが自然と口からこぼれた。
いったいマーリはいつも何をしているのだろう。担任教師から連絡が来たりはしていない以上、学校には行っているのだろう。だが家ではずっと部屋に閉じこもったままだ。朝早くにでかけ深夜に帰宅するわたしから見たマーリは一日中部屋から出てこないも同然だった。いったいこの扉の向こうで、娘は何をしているのだろう。
――気になるなら、開けて確かめればいいのでは?
そんな考えが唐突にわたしの頭に浮かんだ。マーリの部屋の扉には鍵が付いていない。開けようと思えばいつでも開けられる。わたしはドアノブにそっと手を伸ばし、勝手に部屋を開けたことで発生する娘の怒りの大きさと、それによって自分たちの父娘関係にどの程度の大きさのヒビが入るか、といったことをしばらく考え、伸ばした手を引っ込めたり、また伸ばしたりといったことを繰り返した後、わたしは結局何もせずに娘の部屋の前を通り過ぎた。
今は、放っておくべきなのだ。娘のためにもそれがいいに違いない。
わたしは自室のベッドに腰掛け、SNで鑑識課から送られてきたメール画面を開いた。
『エド・アケロウの自宅で発見された毛髪のうち、七本はエド・アケロウ本人のものでしたが、一本は別人のものと判明しました。毛根が付いておらず、DNA鑑定はできませんでしたが、成分調査の結果、毛髪の持ち主はA型の男性で、含有ミネラルのバランスから高血圧の傾向があると推測されます。詳細は添付データをご確認下さい』
わたしは警察権限を用いて、保健福祉省のヘルスチェックデータベースにアクセスし、A型男性で高血圧の持病がある人間のプロフィールデータを検索した。該当件数は、約一千万人。
なるほど、わたしは明日からこの一千万人をひとりひとり訪ねていけばいいわけだな。そしてそいつが短い黒髪だったらこう言うのだ。「お前をエド・アケロウ殺しの容疑で逮捕する。この毛髪が証拠だ。何、やっていない? では電車でエド・アケロウの隣に座って肩に頭をもたれかけた経験はあるか?」
わたしは何もかも馬鹿らしくなってメール画面を閉じ、ベッドに横になった。そして目を閉じて、エド・アケロウのことを考えた。
あれからまた『全履歴』を読んでみたが、この男の生活は、いつも同じことの繰り返しだった。毎日決まった時間に起床し、決まった時間に就寝する。緊急出動などで予定が狂っても、極めて短時間で本来のペースを取り戻す。いつも同じようなものを食べ、同じようなことを話し、同じように視界の右上で時刻を確認する。『全履歴』はその反復の歴史だった。
特に徹底していたのは仕事時だ。エド・アケロウは鎮圧任務に赴く際、毎回頭の中で考えているのだ。〈レゾ〉とは何か、思念放射とは何か、対策官の仕事とはどういうものか、それらの意味や定義、背景にあるものを毎回頭の中で言語化し、『全履歴』に書き出している。よくもまぁ、そんなことができるものだ。確かにこれを徹底すれば仕事上のつまらないミスは減るだろう。自分の仕事の意義を再確認してモチベーションを保つ効果も、あったのかもしれない。だが、わかりきったことを確認する行為ほど、退屈で面倒なことはない。もっとも、エド・アケロウにそんなことを言ったら多分こんなようなことを返すだろう。
「わかりきったこと? あなた、本当にわかりきっていると、言えるんですか?」
とにかくエド・アケロウは曖昧を嫌う人間だったようだ。あらゆる物事を、はっきりさせたがる。どんな些細な疑問も違和感も放置せず、納得のいく答えが出るまで考え続ける。
……なるほどな。わたしは思った。コル巡査の言うとおりだよ。エド・アケロウは、警官になるべきだったのだ。こんな捜査員が部下にいたら、さぞや心強いだろう。何で
……そんなことを考えながら、『全履歴』のスクロールバーを上げたり下げたりしていたとき、ある一文がわたしの目に止まった。
[間違いなく協力者がいるはずだ。薬品の調合ができる知識と、設備を有する人間が。]
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