3-3

 翌日。わたしはまず内務監査課に連絡し、レンドラーのSNデバイスから引き出したデータをこっちにも回してくれと依頼した。

 断られた。

 わたしは引き下がった。頼む、事件の捜査に必要なんだ。

 拒否された。うるせえ、こっちはそれどころじゃねえんだ。

 わたしは粘った。なだめたりすかしたりして頼んだ。

 時おり脅しも挟んだ。

 数時間後、データが送られてきた。

 わたしはレンドラーの知人一覧データから、薬学に通じている可能性のある人物をリストアップした。

 三十八名が挙がった。

 わたしはレンドラーとその三十八名の間で交わされた通信記録を洗ったが、エド・アケロウについて触れているものは一切なかった。

 三十八名のうち、短い黒髪で高血圧のA型男性は二十名。

 わたしは電気通信情報局に依頼し、その二十名の位置情報サービスの使用履歴を確認した。木曜の九時から十九時の間、常時位置情報サービスに接続し、エド・アケロウの自宅に近づいていないことが証明されたのは、八名。

 残り十二名はSNの位置情報サービス(あるいは電波そのもの)をオフにしていて、所在地が確認できない時間帯が存在している。

 その十二名のうち、四名は刑務所に服役中であることが判明。

 これで残りは八名になった。 

  


           *



 その日も帰宅は深夜になったが、捜査の方針がようやく固まりつつあったことで、いつもよりは足取りが軽かった。


「ただいま」

 と、言って玄関を開けたわたしは廊下を三歩進み、マーリの部屋の扉の前で足を止めた。いつものように。


 その日、わたしは仕事が上手く進展して気分が良くなっていたせいか、今日は扉を開けられるんじゃないか、という気分になっていた。ただ、何と言って入ろうか。そこが問題だった。扉を開けて開口一番、『何の用?』などと言われた場合に備えて。いつもより長めに立ち止まっていたせいか、わたしは普段ならば気付かなかったであろう違和感を認識した。


 最初に感じたのは匂いだった。嗅ぎなれない匂い。そしてよくよく目を凝らすと、マーリの部屋の扉の隙間からは、光とともに微かな煙の粒子が漏れ出ていることに気がついた。そこからタバコという結論に達するまで、そう時間はかからなかった。


 タバコ……わたしはいくらかの失意を覚え、次にまだ十三歳なのにと憤り、そこから自分が最初にタバコを吸った年齢を思い出して苦笑し、おっとこれで話しかけるちょうどいい理由ができたじゃないかと浮かれ、さてこういった場合に父親としてとるべき態度は寛大と厳粛を何対何でブレンドするのがちょうどいいのだろうか? といったようなことを考えながら手を伸ばしてマーリの部屋の扉を無言で開けた。そしてわたしは見た。


 自分の娘が、姿


 ……そこで、わたしは、何か、何かしらの文言を大声で叫びながら娘の咥えている大麻を奪い取り、先端の火を握り潰すだかなんだかして消し、また別の文言を叫びながら娘の肩を、掴んで、前に、後ろに、揺さぶった。

 娘はダウナートリップした人間特有の眠そうな目でわたしを見た。


「……なんなの……うるさいな……」


!」

 わたしは言った。

「これに手を出した人間がどうなるのか分かっているのか!」


 娘はわたしに、いや、わたしを含む空間全体にゴミでも見るようなおぼろげな視線を投げかけ、それからヒッ、ヒッ、という笑い声だが痙攣だかよくわからない呻きを漏らした。

 娘は言った。


「どうなるかって……? 決まってるじゃん……?」


 わたしは言葉に詰まった。詰まった、が、ともかく何か言わなければと思い、ぐっと拳を握りしめ、そしたら突然手のひらに激痛が走り、そういえばさっき燃えている大麻を掴んでいたのだったと気付き、いやいや今はそんなことを考えている場合ではないと考え、そんな考えを考えているうちに、娘が二の句を継いだ。


「もう放っておいて……わたしはもう……何も考えたくないの……別に……長生き? したいとか思ってないし……もう、いいの、これで……」


 それから娘はベッドに顔を突っ伏した。しばらくの間じっとして、時おり、体を震わせ、そして、これはわたしの気のせいかもしれないが、何か、すすり泣くような声が聞こえ、そして、やはり気のせいかもしれないのだが、娘が、こんなようなことを言った。


「…………こんな時代に……生まれてきたくなかった…………」 



 ――――なぁ、

 娘にこう言われたとき、父親はなんて返せばいいんだ?

 こんな時代……そうだな、こんな時代、本当にひどい時代だよ。

 馬鹿みたいな数の馬鹿どもが、自分の思念とかいう糞の塊を周囲に撒き散らし、何もしていなくても勝手に頭の中を他人のひり出した糞でいっぱいにされる。そんな時代に、わたしたちは生まれたのだ。


 いったい人類は今まで何をやってきたんだ?


 いつの間にやら、情報処理の技術ばかり発達させるようになって、それで何が変わったんだ? 《今まで分かり合えなかった人間同士が、分かり合えるようになったとでも》》? 

 スマートフォン、スマートグラス、スマートアイ、そして今はスマートニューロン?

 いつになったら、人類は賢く洗練された存在になれるんだ?

 なぁ、誰か、教えてくれよ、頼むから、誰か、誰か…………………………………

  


           *



 ――わたしとキャネルとマーリは強い絆によって結ばれていた。愛情という絆で。


「ハッピーバースデー、マーリ」と、わたしは言った。

「ありがとう、お父さん」と、マーリは言った。

「ちょっと待ってて」わたしは隣の部屋からプレゼントを連れて戻った。「お待たせ。今年の誕生日プレゼントだよ」


 それを見て、マーリは目を丸くし、それから微かに声を震わせて言った。


「うそ……お母さん?」


「久しぶりね、マーリ」とキャネルは言った。「お母さん、ようやく元に戻れたの」


 マーリは口元を手で覆い、目から大粒の涙をこぼした。


「こんなうれしい誕生日プレゼント、わたし、はじめて」


 キャネルはにっこり微笑むと、どこからか大きなバースデーケーキを取り出して、テーブルの上に置いた。


「さぁ、今年はひと息で全部吹き消せるかしら?」


 マーリはその可愛らしい頬をめいっぱい膨らませ、バースデーケーキの上に立てられた十四本のロウソク――――ではなくそれがであることに気がついた瞬間、わたしは絶叫し、そして夢から覚めた。



          *



 …………………、

 わたしは、今、どこにいるんだ? 目が覚めた瞬間、わたしはそのような疑問を抱いた。


 周囲を見回す。車……車の中だ。わたしは車の中にいて、その車は路肩のパーキングメーター前に停車している。次に、わたしは何で車に乗っているんだ? という疑問が浮かんだ。ぼやけた頭の中から必死で記憶を手繰り寄せ、わたしは八名まで絞り込んだエド・アケロウ殺しの容疑者のうちのひとりに会いに行く途中だったことを思い出した。運転中に、ひどいめまいを感じたので、車を停めて、少し眠っていたのだ。


 …………………、

 わたしはしばらくそのまま車のシートに座り、特に何もせず、ただぼんやりと、止まっている速度メーターを眺めたりなどしていた。そのうち、わたしは久しぶりにタバコが吸いたいと思い始めた。娘が生まれて以来、ずっと辞めていたタバコを。だが手持ちがない。仕方なく、わたしは生まれて初めて、SNを介してオンラインでタバコの電子データを購入した。


 データを実行すると、わたしの手元にマルボロが一箱出現した。パッケージの下半分には『このタバコはあなたの健康に一切の害を与えません』と書かれている。それ、書く必要あるか? と思いながら、わたしは中身を一本取り出して口に咥えた。咥えただけで自動的に火が点いた。

 息を吸う。わたしの体内に、懐かしい感覚が広がった。舌の上に広がる複雑な味わい、煙が肺を通って鼻に抜けていく感触、そしてこの香り……何もかも本物のマルボロそのものだった。そして――そこからどれだけ待っても、あの気分が鎮まり頭がスッキリしていく感覚だけは訪れなかった。


 わたしは、あと十九回実行できるマルボロのデータパッケージをすぐさま削除した。そしてまたぼんやりと、止まった速度メーターを眺めているうちに、新たな疑問が生まれた。


 わたしは、なぜ刑事という仕事を続けているのだ?


 刑事――殺人課捜査員。殺人が起こった時、誰が殺したのかを突き止める仕事。……そんな仕事、必要か? 誰が殺したのか突き止めて、それが何になるんだ? 死んだ人間がそれで生き返るわけでもない。遺族の気分をよくするためか? なら、エド・アケロウの場合はどうなる。この男には妻も子供もいない。このあいだ経歴を調べてみたら、青少年養護施設の出身とあった。だから親もいない。親しい友人も恋人もいない。じゃあ誰のために捜査するんだ? わたしがこうやってエド・アケロウの死の謎を追う行為には何の意味もないんじゃないのか?


 ……いやいや、そんなわけないだろう。落ち着けよ。意味はあるだろ。ほら、あの……なんというか、社会? 社会のあれがあるだろ。なんだっけ? あの……秩序? 秩序的なあれがあるじゃないか。そうそう秩序だよ秩序。それだ。で、秩序ってのは何だっけ?


 ……もう、うんざりだ。この世の、なにもかもが。わたしはSNの機能で、自分の五感を一つ一つオフにしていった。


 まず闇が訪れ、次に静寂が広がり、無臭が、無味が、そして何ものにも触れていないという感覚が全身を支配した。わたしはその完全なる無の中で、自分の疑問について答えを探した。

 なぜ刑事という仕事を続けているのか? という疑問は、だんだんと、そもそもなぜ自分は刑事という仕事に就いたのか? という疑問へと展開した。

 自分はなぜ刑事になったのだ? 

 そこには何か、何か大きな理由が、あったような気がするのだが、どれだけ記憶を遡ってもそれを思い出すことができなかった。


 こんなことなら、自分も『全履歴』を書いておけばよかった――わたしはそう思った。あそこまで細かくなくとも、自分にとって大事な考え、失いたくない気持ちくらい、どこかに書き残しておけばよかった。それがあれば、こんな風に自分を見失うこともなかったかもしれない――


 わたしはそこでふと思った。もしかしてエド・アケロウは、自分を見失わないために『全履歴』を書いていたのか? 自分の行動や考えのすべてを目で見える形にして、過去を読みかえすことで自分の変化を確認し、大きく食い違っている部分を見つけたら修正する。それを繰り返すことで、自己を保ってきたのか? だからどれだけ思念放射に晒されても平気だったのか?


『全履歴』の最初の記述は十年前だ。十年前――だ。まさか、エド・アケロウは、思念放射という現象が誕生した時に、いつか自分がそれに巻き込まれた時に備えて、この『全履歴』を書き始めたのか?


 だとしたら……すげえよ、お前は。本当に。それに比べて、自分はさっきから何をやっているんだ。なんで? なんで? って、五歳のガキみたいに、だらだらと疑問ばかり並べて。


 五歳……そうだな、五歳くらいの時は、いつも頭の中は疑問でいっぱいで、なんでこうなってるの? なんでこうなってるの? って、それをハッキリさせずにはいられなかった。

 それがいつの間にか、そんなことは一切口にしなくなった。疑問が浮かんでも、どっかに棚上げして放ったらかすようになった。


 ……なんで、そんなふうになっちまったんだ? 


 ……だって、仕方ないじゃないか。自分が五歳のときに、「なんでこうなってるの?」って言うたびに、

「それはね……」と優しく答えを教えてくれる、大きくて暖かな存在が、今はもうこの世から消えちまったんだから――――


 ……そこまで思考が進んだところで、わたしはようやく、自分が刑事になったのは、殺された母の鎮魂のためだったということを思い出した。



          *



 時刻、二十一時十五分。わたしはようやく目的地に到達した。

 車を停車させ、頭の中でもう一度、これから自分がとる行動の内容を確認する。


 これから向かうのは、チャック・ジョエルという男の家だ。八名まで絞り込んだ容疑者のうちのひとり。その中でも最も疑いの強い人物だ。ジョエルは大手製薬会社の研究員で、三年前にレンドラーからの依頼で、思念放射犯罪対策官(カウンターテレパス)が使う精神強化薬を開発したと、経歴には載っている。今もその薬の改良などに関わっているらしい。

 〈レゾ〉を改良して作った、人をテレパシスト化させる新薬……そんなものが本当に存在するなら、ジョエルが関わっている可能性は高い。そしてそこには、エド・アケロウの死と繋がる何かがある――わたしの勘がそう告げていた。


 わたしは車を降り、自身のSNデバイスの視聴覚録画機能をオンにする。動画ファイルの保存先を、殺人課のデータベースと、SNの死後公開許可領域の、二点に設定。わたしはジョエルの家の扉の前まで歩き、そこで一度立ち止まった。


 ――まず、木曜の九時から十九時にかけての、ジョエルのアリバイを確認。そして可能であれば毛髪を採取する――


 わたしはインターホンを鳴らした。そして、警察だ、と言うよりも先に、扉が開かれた。


「あら、いらっしゃい」


 そう言って、扉を開けながら、

 中から、キャネルが姿を表した。


「久しぶりね。どうぞ、あがってちょうだい」


 ………………………、

 え?

 ちょっと待ってくれ。どうなっている? なんでキャネルがこんなところにいるんだ? なんで? なんで? と、わたしの頭の中を疑問が駆け巡――ので、わたしは部屋の中に入った。

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