3-1

[基本的にそう質問された場合、この仕事が自分の適性を最大限発揮できるから、とか、思念放射犯罪は深刻な社会問題でそれを解決できることに喜びを感じるから、とか、他人から見て納得しやすいであろう、お飾りの回答を差し出して済ますことにしているのだが、

 真の理由は、まったく別の]


 ……文章の末尾は、ここで途切れるようにして終わっていた。


「どうでしたー? 警部補」

 検屍官が質問してくる。

「遺書でしたー?」


「いや、遺書ではない。と思うが……」


 わたしは改めて、解剖台の上に目を向けた。

 わたしより十以上若い男……が、目を閉じて、腹を開かれて、そこに横たわっている。


「確認だが、この男は今日の十二時過ぎに、警察署内の休憩室で突然意識を失って、病院に運ばれたということだったな?」

「そーですね、周囲にいた警官からはそのように」


 わたしはSNで読んでいた文章、そのテキストファイルの設定を切り替え、最終更新日時を『一行ごと』で表示させた。末尾の六行は……今日の、十二時二十五分十六秒から十七秒の間で記述されている。


「となると……おそらくだが自分の着想を記録しておく、メモのようなものだろう。今日、意識を失う直前まで、この男は自分のSN内でようだ」


「遺書じゃないんですかー?」

 検屍官が同じことを訊いてくる。

「『すみません』とか『おゆるしください』とか『さようなら』とか、どっかに書いてないんです?」

「……ちょっと待て。このテキストファイル、。この場で全文をあらためるのは無理だ」

「スマートニューロンの死後公開許可領域にテキストファイルが保存されていたら、普通は遺書なんですけどねー」


 ハナから自殺に違いないと決めつけているような口ぶりだな……と、わたしは思った。まぁ、分からなくもないが……、となれば、誰だって自殺を疑う。


「死因は睡眠薬の過剰摂取で間違いないのか?」

「ええ、胃の中から大量に検出されました。他に外傷も、病気のあともない」


 男の腹の中に、よくわからん銀色の棒状機械を突っ込みながら、検屍官が言う。


「間違いなく急性バルビツール中毒ですねー。マリリン・モンローと同じ死に方だ」

「……となるとこいつは、大統領直属の暗殺部隊に殺られたのかもな」


 検屍官が馬鹿みたいな大声で笑った。



  死んだ男の名は、エド・アケロウ。

  享年、二十八歳。

  職業、思念放射犯罪対策官カウンターテレパス

  平均一年でと言われるこの仕事を、六年間に渡ってこなしてきた男。



「どっちにせよ現状では自殺か他殺かは断定できん。両面から捜査するしかないな」


「自殺だと思いますけどねー」

 そう言いながら検屍官がエド・アケロウの頭蓋を丸鋸で切り開いていく。

「あ、でも脳はすげー綺麗ですね。対策官の死体でこんなハリのある脳は初めてだな」


 検屍官は言った。


「知ってます? 思念放射犯罪対策官カウンターテレパスの脳って、麻薬中毒者の脳とそっくりなんですよ」




           *


 その日は、帰宅したのは午前零時を超えてからだった。


「ただいま」


 と、言ったが返事はない。玄関を開けたわたしは廊下を三歩進み、マーリの部屋の扉の前で足を止めた。扉の隙間からは、かすかに光が漏れている。

 ひとこと声をかけてみるか? と、わたしは思い、次に、どうせ無視されるに決まっている、と思い、そこから娘が電気を消し忘れたたまま眠ってしまっている可能性などが頭に浮かび、最終的にわたしはいつものように何もせずに娘の部屋の前を通り過ぎた。

 


 わたしは自室に戻り、着替えを済ますとそのままベッドに倒れ込んだ。そして、自身のSNにコピーしたテキストファイルを開いた。

 エド・アケロウに組み込まれたSNデバイス。その死後公開許可領域に保存されていたのは、身分証明データ、ヘルスチェックデータ、臓器提供意思表示データといった一般的なものを除くと、これだけだった。それ以外に保存されていたであろう膨大なデータはすべて墓まで持って行かれた。

 そしてこのテキストファイル……当初、最も新しい記述部分を読んだときは、自分の着想を細かくメモしていくような類のものかと思ったのだが、古い記述を遡って読んだ結果、それはまったくの誤りだった。

 そこに記録されていたのは、エド・アケロウという人間の『全履歴』とでも言うべきものだった。

 例えば、今から四日前、月曜の夜に書かれた部分。

 

[職場から帰宅したわたしは、いつものように夕食の用意にとりかかった。

 冷蔵庫を開け、必要な食材を取り出していく。大豆、アーモンド、ピーナッツ、にんじん、かぶ、そしてイワシ。

 それらをすべてまとめてミキサーへ押し込む。

 スイッチを入れ、中身が液状になるのを待つ。その間に、わたしは自身のスマートニューロンにアクセスし、登録アプリケーションの一覧を表示する。

 視界にずらっと並べられる三十個ほどのアイコン。

 その中の一つ、緑と白で描かれた人魚の像――スターバックスコーヒーのロゴマークに意識を集中させる。

『今月のおすすめ チョコラティバナナココフラペチーノ  とろけるチョコレートとローストしたバナナが織りなすデザートのような味わい』今日はこれにするか。]


 ……このような調子で、エド・アケロウは自分の視界に映ったものや、自身の行動や思考などを、SNを使ってようだ。フィクションの可能性も疑ったが、ここ数日間のエド・アケロウの勤務記録と照合した限りでは、記されていることと食い違う点は何もなかった。

 最も古い記述データは今から十年前だ。……十年前からずっと? ヤツはこんなような文章を延々と自分の脳内で書き続けていたのか?

 率直に言って、意味がわからない。自分の見聞きしたものを記録に残したいなら、普通は視聴覚が捉えた情報をそのまま動画ファイル化してSNに保存する。そっちの方が遥かに簡単で、手間もかからない。最も古い記述はエド・アケロウが朝に目を覚ましてベッドから這い出る描写で始まっており、『どうしてこのようなものを書こうと思ったのか』という前置きのようなものは一切なかった。


 何故こんな面倒なことを……それとも自分の言語野と文書作成ソフトを常時同期させておけば自動でこのようなテキストができあがるのか? そう考え、わたしは自分のSNで試してみたが、できあがったのは乱雑とした単語の羅列でしかなかった。『全履歴』のような文体で書こうとしたらある程度意識し続けなければ無理だ。そんなことを? 十年間? 毎日?


 正気の沙汰ではない……と言いたいところだが、このテキストが突き付けてくるのは、エド・アケロウという男が、とことん正気で在り続けた、という証明の記録だった。


 思念放射――狂人の放つ思念の波に飛び込んで、自分の精神を掻き回されながらも、最終的にはいつも、エド・アケロウは正気を維持したまま帰還する。書かれた文章を読む限り、エド・アケロウは突入前と突入後で、まるっきり何も変わっていない。常に平常心。その精神構造に何の影響も受けずに思念放射の中から戻ってくる。


 ……なぜ、そんなことが出来る?

 わたしは思った。なぁ、エド・アケロウ。なぜ、お前は思念放射に耐えられるんだ?

 なぜ、お前には耐えられて、――


 ……わたしは目を閉じた。少なくとも、今言えることは、エド・アケロウの『全履歴』を読む限りでは、エド・アケロウの死が自殺である可能性は低いということだ。まだ直近の数日分を飛ばし飛ばしで読んだだけだが(全部読もうとしたら何年かかる?)、そこには自殺をほのめかすような記述はまったく無い。睡眠薬を買ったとも、それを自分の水筒に入れて飲んだとも、書かれてはいない。


 書かれてはいない……わたしは自分の考えを反復し、そこで思わず苦笑した。書かれていないから、なんだと言うんだ? 書かれていない事実、そういったものがあるとしたら? あるときエド・アケロウは、いっちょ警察をコケにしてやろうと思いつき、十年掛けてこのようなテキストを作り上げ、死後公開許可領域に残して自ら命を断ったのだ。自殺の意図だけは、あえて記述から省いて。そして今、こうして悩んでいるわたしの姿をあの世で見ながら笑っている。そんなサイコ野郎という可能性だって、


 ……もう眠ろう。明日も早くから仕事なのだ。

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