1-4

 ――思念放射犯というのは鎮圧までに掛かる手間も相当だが、その後にも様々な面倒事が残される。

 精神鎮圧された思念放射犯は当然の事ながら意識喪失の状態にあり、この状態では逮捕も勾留もできないので、一旦病院に搬送され、意識回復を待たなければならない。そして回復後に逃亡されることを防ぐために、警官の見張り番を付ける必要が出てくる。見張り番など付けなくとも、ベルトか何かで拘束しておけばいいのではないかとわたしは思うのだが、人権団体がうるさいらしく、現在も多くの警官たちが、いつ目覚めるかわからない思念放射犯の逃亡防止のために待機し続けるという行為に、貴重な時間を使わされている。


 わたしはドアをそっと開き、病室内の様子を確認する。

 ベッドの上のフィーロゥ・ダット氏は相変わらず眠ったままのようだ。覚醒にはもう少し掛かるだろう。

 時刻二三時四一分。既に消灯が済まされた病院の廊下は薄暗く、ひっそりと静まり返っている――――


「あ、どうもお疲れ様です」


 病室の前にレンドラー警部がやって来たのを見て、わたしは挨拶した。

 レンドラー警部は面食らったような表情でわたしを見た。


「どういうことだ?」とレンドラー警部は言った。「なぜ、こんなところにいる?」

「ここの見張り番を任されているジェイミー・コル巡査に差し入れをしにやってきました」

「コル巡査はどこにいるのだ」

「それがわたしの差し入れた牛乳がどうも悪くなっていたようで、腹を下してしまいましてね。今はトイレに篭っています。わたしとしても少々責任を感じまして、こうしてコル巡査が戻るまで見張りを代わってあげようと思いまして」

「勝手なことをしないでもらいたい」とレンドラー警部は言った。

「そのような場合は本部に要請して代わりの警官を派遣させる規定になっている」

「まぁちょっとくらいいいじゃないですか」とわたしは言った。「それよりちょっとレンドラー警部にお聞きしたいことがあるのですが」

「何かね」

「フィーロゥ・ダット氏に〈レゾ〉を渡したのは警部なんじゃないですか?」


 そう言って、わたしはレンドラー警部の顔をまじまじと覗き込んだ。

 もっと驚いたような表情を浮かべるかと思ったが、わたしとここで顔を合わせた時点で、向こうとしてもこうなることは予想できたのか、さほど表情は動かなかった。


「なぜ」

 とレンドラー警部は言った。

「そのような考えに至ったのだ?」


「そう考えるとおおよそ全て辻褄が合うんですよ。

 まず突然面談の予定が組まれたことがおかしいと思いました。通常であれば

 これらの通達は五日以上前に行われるものです。そして顔を合わせた直後に

 警部はおっしゃいましたね、“以前どこかで顔を合わせたことがあったかな”と。

 警察業務に長く携わっている人間が、会った人間のことを正確に記憶ないし

 記録できてないということは通常有り得ません。そこで色々と考えてみて

 一つの仮説を立てました。ダット氏に〈レゾ〉を渡したのは警部である。

 ダット氏と思考同期させた対策官は、彼の記憶が流れこんで

 そのことを知ってしまった可能性がある。フェイムズ対策官は突入後に

 脳死状態になってしまったから対処の必要はないが、もう一人は健在のようだ。

 早急に会って確かめる必要がある。そこで警部はわたしと急遽面談の予定を入れ、

『自分のことを知っているか』念入りに探りを入れた。そう考えました。

 ダット氏は真面目な銀行員で裏社会と繋がりがあるようには思えませんし、

 思考同期下で、『親しい人間から合法の薬物として渡された』みたいなことを

 言っていたのはわたしも確認しました。ダット氏と警部は同い年くらいですし、

 もしかして学生時代の友人とか、ダット氏と繋がりがある可能性はあるかなと。

 まぁ、こんなところですかね」


「――、それだけか?」

 とレンドラー警部は言った。


「ここに来るまでは、それだけでした」とわたしは言った。そして続けた。

「ここまででは、わたしの仮説が正しい可能性は五割にも満たないでしょう。

 ですが、この仮説が正しかった場合、警部はダット氏が目覚める前に、

 彼を始末しに来るのではないかと考えました。

 ダット氏はわたしが精神鎮圧を行ったので、四十時間以内、つまり明日の昼くらいには明晰な状態で目覚めてしまう。そうなると、恐らく今夜中に手を打とうと、

 警部はここに来るのではないかと考えました。で、実際にこうして来られたので、

 現時点でのわたしの仮説が正しい可能性は八割くらいにはなったかと」


 わたしの言葉を聞いて、レンドラー警部は何も言わずに、ただ大きく息を吐き出した。


「なぜ、ダット氏に〈レゾ〉を渡したんですか?」

「そこまで考えているのなら」とレンドラー警部は言った。「その理由も察しが付いているのではないのかね?」

「一応何パターンかは考えました」とわたしは言った。「一つ目は、押収した薬物を横流しして小遣い稼ぎをしようと思ったから。二つ目は、警部はダット氏に恨みがあり、彼を陥れて破滅させよう思ったから。三つ目は、警部にはリム・ジェーヴァーに死んでもらいたい理由があり、ダット氏を利用してそれを果たそうと思ったから。で、四つ目が」


 わたしはレンドラー警部の眼を覗き込んだ。


「ダット氏を使って、何かをしようと思ったから」


「そうだ、それが答えだ」とレンドラー警部は言った。

「ダットに渡したのは従来の〈レゾ〉よりも、脳を思念放射状態に持っていく機能を高めるよう設計された新薬だ」

「何故そんなものを開発しているんですか?」

「わたしは思念放射を悪だと思っていない」

 とレンドラー警部は言った。

「君は? どう思う?」

「普通に考えたら社会的には悪なんじゃないですかね」とわたしは言った。「多くの人が思念放射に巻き込まれて苦しんでいます」

「それは違う。思念放射が悪なのではない、ことが悪なのだ。平静な精神状態でなら思念放射は他人に害を及ぼさない」


 そう言ってレンドラー警部はわたしの眼を覗き込んだ。


「ダットに渡した新薬も、高いレベルの思念放射機能を与えつつ、精神は極力錯乱させない、ということを目指して設計したものなのだが、彼と思考同期してみて、どうだったかね?」

「いやあ、充分錯乱していたと思いますよ」

「そうか、まだ効果には個人差があるか」


 そう言うと、レンドラー警部は少し考えこむような仕草をした。


「つまるところ」とわたしは言った。「警部は何を目的に行動しているんですか?」

「わたしは人類にテレパシー能力を与えたいと考えている」とレンドラー警部は言った。

「人類がみな、平静な精神状態のまま思念放射を行い、それによって思考を同期させ自由に意思疎通ができる。そういった社会を創りあげたいと考えている」


「――ははぁ」とわたしは言った。「言いたいことは分からなくもないですが、現在でもスマートニューロンによって似たようなことはできているのでは」

「いや、それでは不完全なのだ。SNで通信できるのは電子データに変換できる情報だけだ」とレンドラー警部は言った。「君も考えてみたまえ、人類がテレパシー能力を獲得したら社会がどのように変革するかを」


「んー、そうですねぇ」


 わたしは思考する。人類がデフォルトでテレパシー能力を獲得したら今の社会と較べて何がどう変化するだろうか。

 今と大きく変わるのは、人間の精神活動において、電子データに変換できない部分、つまり感情や、概念、ニュアンス、イメージ、そういったものをそのまま他人に伝えることが可能になるという点だろう。

 それはつまり、他者とのコミュニケーションにおいて『誤解』が生じなくなるということだ。

 受け手に左右されることなく、自身の思考をそっくりそのまま他者に伝達できる。

 完璧なコミュニケーションだ。

 こうなれば社会は大きく変わる。意思疎通の食い違いによる不和が発生しない。くだらないトラブルはこの世から消え去り、完璧に調和の取れた社会が実現する。

 正に理想世界。いかなる犠牲を払ってでも目指す価値のあるものだ。

 ダットに関しては残念だったが、彼のことは尊い犠牲として

 

――――、

 待て、

 

 

 


「まだ気が付かないのか?」


 レンドラー警部が言う。


「わたしは既にテレパシー能力を獲得している」


 きみは既に、

 わたしと思考を同期している。

 言っただろう、『効果には個人差がある』と。

 わたしは新薬によって、精神を錯乱させることなく自由意志で思念放射を行えるようになっているのだ。


 ――――――――、

 落ち着け。

 今、わたしと言っていたのは、このわたしではない。

 これが、わたしの思考だ。

 区別を、明確にする。

 これが、【わたし】の思考だ。

【わたし】は改めて状況を確認する。

 目の前にレンドラー警部が立っている。

 場所は病院の廊下、ダット氏の病室の前。それは変わっていない。

 視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。時刻表示、なし。

 確信する。【わたし】はイメージの世界にいる。


「なるほど、そのようにして自分の立ち位置を確認するのか」とレンドラー警部が言った。「上手いやり方だ」


「ありがとうございます」と【わたし】は言った。「しかし、いいのですか? 思念放射を行っては対策官がやってきますよ」


「ああ、それなら心配ない」とレンドラー警部が言った。「現在の技術では思念放射は半径が三メートルを超えないと観測が取れない。それよりは抑えて放射している」


 ――そんなことまで制御できているのか。


「勘違いしないでほしいのだが、わたしは君の精神に危害を加えるために思考を同期させているのではない。わたしは自分の考えを君に一切の誤解なく伝えるためにテレパシー能力を使用しているだけだ。なのでそのように自分の心に壁を作らないでもらいたいのだがね」


 ――【わたし】は思考する。レンドラー警部の言っていることはどこまで信頼できる?

 思考同期下で嘘をつくというのはそもそも可能なのか?

 いや、普通に考えてそれは無理だろう。

 どう考えてもそれはありえない。

 思考同期下で行われる意思疎通は全て真実だ。

 なのでもう余計なことを考えるのはやめにしよう――


 ――――待て、

 

 落ち着け、思考を巻き込まれかけている。

 

 どうにかしてこの場を切り抜けなければ――

 レンドラー警部の精神像にショックイメージを叩き込むしかないか?

 いやいや、そんなこと出来るわけがない。

 模擬戦のことを思い出せ。あれと同じことになるだけだ。

 

 死ぬだけだぞ。


 ―――――、

 落ち着け。またしても思考を巻き込まれかけている。

【わたし】はそんなにすぐ思考を停止させるタイプの人間ではない。

 何か打開策があるはずだ。気持ちを切り替えろ。

 

 必ず、何か打開策があるはずだ。

 こういうときは一度原点に立ち返って考えるべきだ。

 そもそもまず、打開する必要があるかどうかだ。

 人類にテレパシー能力を与えたいという考えはそこまで間違ったものだろうか。

 もちろん最初の内は色々と不都合が出るだろう。とはいえ社会の進歩には常にそういったことがつきまとう。

 スマートニューロンに関してもそうだ。普及した当初は、質の悪い品を組み込まれたせいで脳に大きな障害を負う人間はたくさんいた。人類全員にSNデバイスを組み込もうという動きに対する反対意見は山のようにあった。それを乗り越え、SNの組み込みがデフォルトとなったあと、今度は他人のSNをハッキングして幻覚を見せたり情報を盗み取ろうとする、いわゆる『ブレインハック』が流行し、大きな社会問題になった。

 だが法規制や通信フィルターの進歩によって、それらも今では完全に過去のものとなった。

 思念放射もそれらと全く同じだ。確かに今は問題のほうが大きい。だがいつか必ずそれは克服され、素晴らしい恩恵を受けることができるようになる。

 今、人類は新たなステージに進む過渡期に、立、っ、て


 わたしの体に電流が流れ激痛が走った。


 ――? 何が起こった? わたしは困惑を覚えた。その疑問に答えが出るより先に、わたしの背後から声が聞こえた。


「上手くいったようですね」


 テーザーガンのトリガーを引きながら、【わたし】は言った。

【わたし】はあれからずっと考えていた、模擬戦の時レンドラー警部がどのようにして【わたし】に一切の認識をさせずに大剣を突き刺したのかと。

 考えぬいた結果出た結論は、『一瞬だけ、自ら意図的に相手の思考に巻き込まれる』というものだった。

 一方の思考にもう一方が完全に巻き込まれた状態になると、そこでは彼我の区別がつけられなくなる。相手の存在が消える。それを利用してレンドラー警部は【わたし】の認識から一瞬姿を消し、姿


「で、自分にも同じことができるかと思ったのですが」


 ――――、

 わたしは自分の意識が薄れていくのを感じた。

 ――――、

 最後に、質問を、したいのだが。


 何でしょうか?


 わたしの考えはそんなに間違っているか? 

 理解を示す価値が無いものか?


 そこまでは思いません。

 警部の考えも一理あるとは思います。

 ですが、今は警部を止めることを優先させて頂きました。


 なぜ君がそこまでする?

 君はそこまで正義感が強い人間なのか?


 そういうわけではありません。

 ただ、ダット氏に危害を加えられるのが嫌だったのです。


 ――、どういうことだ?


【わたし】は思念放射犯の鎮圧にあたり、余計なダメージを与えないということに

 かなりの努力と研鑽を費やしています。

 そうして精神的に無傷で捕まえたダット氏を警部に廃人にされたりしたら、

 せっかくの苦労が水の泡になります。

 それは、なんというか、

 ちょっと、ムカつくなって。


 ――――――――――――、

 わたしは君のことを人間的にまったく面白みがない人物だと評価していたが、

 それは、撤回しよう。




 ――――――――――――――――――――――――――――――。

 ――――――――――――――――――――――――――――――。

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