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[昨夜二◯時頃、北区の住宅街で思念放射事件が発生した。駆け付けた思念放射犯罪対策官によって犯人への精神鎮圧が行われ、二◯時五三分に放射が停止された。思念放射の中心点は、市内で内科医を営むリム・ジェーヴァー氏(四十三歳・男性)の自宅で、事件後、警察はジェーヴァー宅の室内で昏睡状態で倒れていた、大手都市銀行に務めているフィーロゥ・ダット氏(三十七歳・男性)の身柄を確保した。発見時、ダット氏は手にクレー射撃用の銃を握っており、そのすぐ近くで、ジェーヴァー氏が腹部を撃たれて死亡している状態で発見された。警察は、ダット氏の昏睡は精神鎮圧を受けた影響によるものであり、意識を回復させ次第、思念放射及び麻薬所持及び殺人の容疑で逮捕する方針であると発表している]
今朝、出勤前に職場から届いたメールをもう一度確認する。
『人事教育部のサペード・レンドラー警部から貴官と面談を行いたいとの申し出が入りました。本日九時に警察署内五階のミーティングルームに集合してくだい』
人事教育部。――何故そんな部署から急に面談の申し出があったのだろう?
わたしは視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。◯八時五九分――◯九時◯◯分。
「失礼します」
ミーティングルームのドアをノックする。「どうぞ」という声が返った。
ドアを開ける。長机と椅子二脚だけの小さい部屋だ。椅子には男性が一人座っている。年齢は三十代後半くらい。背が高く、精悍な印象を受ける。
「人事教育部のレンドラーだ」
と男性が言った。
「突然の呼び出しになり、すまない。君は昨夜、思念放射事件の鎮圧にあたっていたということで、疲れているとは思うが少し時間を頂きたい」
「ええ、構いません」
と言って、わたしはレンドラー警部の正面に座った。
「――、君とは以前どこかで顔を合わせたことがあったかな?」
「? いえ、初対面かと」
レンドラー警部の顔をまじまじと見てみる。過去に会った記憶は――ない。SN内に記録されている知人一覧の顔写真データと照合――したが、やはり該当はなかった。
「そうか、失礼。この仕事をしていると色々な人物と会うものでね。気のせいだったようだ」
とレンドラー警部が咳払いをした。
「本題に入ろう。君も承知しているとは思うが、現在思念放射犯罪対策室はかなり深刻な人手不足に悩まされている。採用募集を掛けても人はなかなか集まらないし、入った人間もすぐに辞めていく」
「そうですね」
確か今年上半期のデータによると、
世の中には多種多様な仕事があり、精神的にきつい仕事というのも沢山有ることだろうが、
「だが、そうした中で――、君の勤続年数は既に六年を超えているな?」
「はい」
「そして勤続当初から六年間、定期精神カウンセリングの結果で常に“一切の異常なし”を維持している」
「そうです」
「これは極めて異例だ。君が何故こんなに安定して
「秘訣、ですか」
「そうだ。ああ、会話をSNに録音したいのだが構わないかね」
「それはもちろん構いません」とわたしは言った。「ただ秘訣と言われてもこれといったものは、特には」
「何かあるだろう、日々心がけていることとか」
「なるべく脳に良いとされている食べ物を摂取することは心がけています。ナッツ類や根菜、青魚など。あとなるべく毎日七時間は睡眠を取るようにしています」
「なるほど、他には?」
「他には特にないですね、これだけです」
「これだけ?」とレンドラー警部は言った。「本当に?」
「はい、これだけです」
わたしの言葉を聞いて、レンドラー警部は少し考えこむような仕草をした。
「そういえば君は支給されている精神強化薬の使用履歴が一度もないようだが」
「そうですね、一度も使ってはいません」
「それは何故だ?」
精神強化薬――三年前から
「あれを用いると、『薬を使っている時』と『薬を使っていない時』で、精神状態に落差が生じてしまいます。わたしはそれが嫌でして」
「と言うと?」
「精神強化薬を使うと通常より強い精神状態を作り出せますが、そうなると元に戻った時、『強いときの自分』との精神的落差を認識して相対的な無力感に襲われ、精神のバランスを崩す可能性があります。実際そのような流れで精神を病んで退職していった対策官を、わたしは何人か知っています」
「なるほど」
とレンドラー警部は言った。
「確かに起こりうるリスクだ」
「わたしとしてはこの仕事で大事なのは常に一定の精神状態、平常心を維持することだと考えています。なるべく常日頃から気分に波を作らないことを心がけて――と、そういえばこれも心がけていることに含まれますね」
「なるほど、よく分かった。回答に感謝する」
そう言ってレンドラー警部は立ち上がった。
「それともう一つ頼みがあるのだが」
「何でしょうか?」
「わたしと模擬戦を行ってもらいたいのだが」
模擬戦――
「優秀な対策官が思考同期下でどのように動いているのか、データを取らせてもらいたい。構わないかね?」
「それはもちろん構いませんが」とわたしは言った。「しかし警部は、その」
「わたしは過去に思念放射犯罪対策官(カウンターテレパス)の業務に携わっていた経験がある」
わたしが質問するよりも先にレンドラー警部が回答した。
「対策室が組織された初期の頃にな。期間は一年間ほどだったが、実際に思念放射犯の精神鎮圧を行ったこともある」
「そうでしたか、失礼しました」
そういえば思念放射犯罪対策室が発足した当初、対策官は現職の警官から選ばれた者が務めていたのだった。その結果、あまりに故障者が続出したため、現在では事務職員などと同じように、警官試験とは異なる独自の採用形態が設けられるようになったそうだが。
わたしも立ち上がった。「でしたら問題ありません。始めましょう」
SNにアクセスし、模擬戦用のプログラムを実行させる。通信接続対象を、サペード・レンドラー警部に設定――
視界に広がる空間が変転する。白い天井と白い床だけの何もない空間に、3メートルほどの距離をおいて、わたしの精神像とレンドラー警部の精神像が向い合って対峙している。
「では、よろしくお願いします」
そう言って、わたしは思考を集中させ、イメージを形作る。鎮圧、鎮静、無力化、意識の遮断、そういった概念を極限まで具体化して想像する。
もちろん、『イメージの強さ』というものは電子データでは再現できない。模擬戦では、モニタリングされた脳の動きの活発さの度合いなどから逆算して大雑把に再現しているだけらしい。とはいえ技術が進歩しているおかげなのか、最新の模擬戦プログラムは、実際の思考同期下とかなり近い感覚で動けるというのは実感としてある。今もこうして、イメージが武器の形をとってわたしの手の中に実像を結んでいく。
「――、それは何かね?」
わたしの手の中に出現したものを見て、レンドラー警部が訊ねた。
「テーザーガンです」とわたしは答えた。
テーザーガンとは拳銃のような形の武器で、銃口からは弾丸ではなくワイヤーを伴った電極が発射される。この電極が相手の体に吸着した後にワイヤーを通して電撃を加え、対象を気絶させるというものだ。
「随分と珍しいタイプのショックイメージだな」
「『最小限のダメージで意識を遮断させる』というイメージに一番合致するのが、これかと思いまして」
ここで注意しなければならないのが、あまりに強いショックを与えてしまうと犯人の精神や脳機能に甚大な障害を残してしまう危険性があることだ。もちろん、そうなったところで対策官が罪に問われるということはない。手加減した結果意識を奪いきれなかった、ということになればそちらの方が問題になる。しかし、犯人が廃人や植物状態になってしまってはその後の取り調べも裁判も行えず多々の不都合が発生する。可能な限り余計なダメージは与えないことが望まれる。
わたしとしてもそこはかなりこだわっている部分で、長く研鑽を重ねて今のショックイメージを形成させた。ここ二年間で、わたしが鎮圧した対象に重度精神障害や脳機能障害が発生したケースは一件もない。全員が鎮圧後に意識を取り戻し、取り調べを受けられる状態まで回復している。意識を取り戻すまでにかかる時間も、ここ最近は四十時間を超えたこ、と、は
わたしの胸に大剣が突き刺さっていた。
――いつ、刺さったのだ? わたしは困惑を覚えた。その疑問に答えが出るより先に、オペレーティングアナウンスがわたしの耳に流れた。
“相手のショックイメージによって1863ポイント相当の精神ダメージを受けました。実際の任務においてこのレベルのダメージを受けた場合、任務続行不可能な状態になると考えられます”
「ご苦労だったな」
と後ろから声がした。
振り返ると、わたしの背後にレンドラー警部の精神像が立っていた。
そこで通信接続が切れ、周囲の空間は元いた手狭なミーティングルームに戻っていった。
「貴重なデータを取らせてもらった。協力に感謝する」
そう告げて、レンドラー警部は足早にミーティングルームを出て行った。
わたしはしばらくの間その場に立ち尽くした。
模擬戦において、実際に精神ダメージを受けることは、もちろんない。ショックイメージが叩きこまれた場合も、実際に与えるであろうダメージの強さを数値的に算出するだけで終わる。
このプログラムによると、意識遮断に必要なレベルのダメージは500ポイント以上とされる。これが600を越えると精神に何らかの障害が出始め、900を越えると脳機能及び身体機能にまで影響が発生するとされる。
そして、1500ポイントを超えるダメージを受けた場合、精神が極大の負荷によって崩壊し、『即死する』と言われている。
1863ポイント。
わたしはしばらくの間、その場に立ち尽くした。
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