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 時刻二◯時五一分。郊外住宅地に到着。現在観測されている思念放射範囲、その境界面から二十メートルほど外側の位置にある一角に、コル巡査がパトカーを停車させた。そこから徒歩で境界面から十メートル程度の距離まで接近する。


「フェイムズさんが意識喪失したとのことですが」

 わたしは腰に専用のザイルを装着しながらコル巡査に訊ねた。

「彼女は?」


「病院に搬送した。が、あの様子だと――もう」


 フェイムズ対策官――一年ほど前に配属された新人。元は非常に明るく正義感に溢れた女性だったが、任務を重ねていくにつれみるみるうちに精神を病んでいった。ここ最近は心療内科に通いながら仕事を続けていたと聞く。そこまで弱った精神状態で、思考同期中に意識喪失レベルのダメージを受けたとなると、回復は絶望的かもしれない。


「お願いします」

 そう言ってわたしは腰に接続したザイルの端をコル巡査に手渡す。(思念放射範囲に突入した対策官が任務続行不可能な精神状態に陥った場合、素早く範囲外に引っ張りだして同期を切るために、現在このような『命綱』を用意することが推奨されている)

 わたしは本部から送信されてきている思念放射範囲の観測データを自身の視覚に三次元的に反映させた。

 実行直後、前方の道路上に青白い光の壁のようなものが姿を現す。

 この壁が境界面だ。これを越えると、放射犯の頭の中に入り込むこととなる。

 視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。二◯時五二分。


 足を踏み出す。突入まであと三歩、

 二歩、

 一歩、

 ――そこで踏み出した足が、何かにぶつかった。

 視線を足元に向ける。どうやらタンスの角につま先をぶつけてしまったようだ。


 ――――、

 タンス?

 わたしは視線を正面に向ける。

 そこは居間だった。

 タンスと、テーブルと、椅子。

 椅子には男が一人、こちらに背を向けて座っている。

 わたしは視線を右上に向けた。時刻表示、なし。

 確信する。この光景は現実ではない。思念放射犯との思考同期が確立され、向こうの脳内情報がわたしに流れ込んできた結果生じるイメージの世界だ。

 となるとあの椅子に座っている男がその思念放射犯の精神像か?

 わたしは男の正面に回りこみ、その顔を覗き込んだ。

 ――――間違いない、リム・ジェーヴァーだ。

 こうして顔を見るのは随分久しぶりだが、忘れるはずがない。

 わたしの妻を、殺した男なのだから。


 五年前、妻は急な腹痛を訴え、内科医であるジェーヴァーの診察を受けた。

“単なる食中毒ですね。三日もすれば治まるでしょう”

 その三日後、妻は死亡した。死因は急性虫垂炎が悪化しての腹膜炎。ジェーヴァーの診断は、誤診だったのだ。

 訴訟? 裁判? もちろんやろうと思えばできただろう。だが、やらなかった。人の過ちを責め立てて何になる? わたしは幼い頃からカトリック教会の信者だ。『赦し合いなさい。主があなた方を赦してくださったように』――この信仰は昔も今も変わらず、わたしの胸に宿っている。

 恨みなどない。ただ、わたしが思うのは、妻の死は避けられなかったのか? という疑問だけだ。

 だから今日、ジェーヴァーの家に押し入ったのも、殺そうと思っていたわけではない。ただ答えを知りたかっただけだ。わたしは愛用しているクレー射撃用の銃を突きつけながらジェーヴァーに質問した。


“なぜ、妻は死ななくてはならなかったのだ?”


 ジェーヴァーは言った。


“一体いつの話をしているんだ? 五年前の誤診? そんなこと覚えているわけないだろう! 何故今になって――大体あんただって苦しんでいる奥さんを三日間も放ったらかしにしてたんだろう? なぜ死んだかって? そんなのはな、あんた自身のせいだよ!”


 なぜ死んだかって? そんなのはな、あんた自身のせいだよ!

  

 ――――――――、 ―――――――――――――――――。


 なるほど、そういうことだったのか。わたしはようやく、真実に辿り着いた。

 

 主は狂っており、狂った主によって創造された人間という存在は、当然の帰結としての不良品。ただ肉が固まっただけのガラクタに過ぎず、そのガラクタが死を迎えたところで、そもそも最初から壊れていたのだからそれを気に病む必要などまったくなかったのだ。

 わたしは銃を撃ってジェーヴァーの腹を挽肉に変えた。

 こうしてジェーヴァーはただの肉のガラクタになった。

 いや、最初からだ。

 人間はみな誰しも生まれた時から死ぬまでずっとずっと肉のガラクタにすぎないのだ。

 なぜこんな簡単なことに今まで気が付かなかったのだろう。すべてを理解したわたしの心は今まさに全宇宙と一体化し恍惚たる解放感がわたしの全身を駆け巡りわたしの中のわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわたしのわ


 ――――待て、

 

 わたしはリム・ジェーヴァーという男を知らない。わたしに結婚歴はない。だから妻に死なれた経験などない。そして特定の宗教を信仰したこともない。

 

 巻き込まれかけている。


 わたしは改めて状況を確認する。

 目の前に男が座っている。

 

 男は腹部を撃たれて死んでいるようだ。

 

 人間はただの肉のガラクタにすぎない?

 

 これが、わたしの思考だ。

 区別を、明確にする。

 これが、【わたし】の思考だ。


 ――――、

【わたし】が振り向くと、そこにはもうひとり男がいた。手にはクレー射撃用の銃を握っている。


「あなたがこのイメージ世界の主ですね」と【わたし】は言った。

「おまえはなにものだ」とわたしは言った。「ここでなにをしている」

「【わたし】は思念放射犯罪対策官(カウンターテレパス)ですよ」と【わたし】は言った。

「あなたは現在思念放射犯罪を行っており、【わたし】にはあなたの精神を鎮圧する権利があります」


 思念放射犯罪対策官カウンターテレパス? どういうことだ? わたしが服用したあの薬は、〈レゾ〉だったのか? そんなことは聞いていない。彼は合法の安定剤の一種だと言っていた――


「ははぁ」と【わたし】は言った。

「あなた誰かに嵌められたのかもしれません。あなたが服用したのは間違いなく《レゾ》系のドラッグです」


 わたしが? 思念放射?

 そんな、わたしはただ、この薬を飲めば、

 自分の苦しみを解消することが出来ると――


「うーん」

【わたし】は幾らか気の毒そうな顔で目の前の男を見た。


「要するにあなた、人からもらった薬を〈レゾ〉と知らずに服用して、それで抑制が外れた結果、ジェーヴァー氏を殺してしまったのですか? そうなるとあなたは実際のところ、ジェーヴァー氏をずっと恨み続けていたわけですかね」


「だまれ」とわたしは言った。「それいじょうしゃべるな」


「だったら奥さんが亡くなられた当時に、ちゃんと訴訟を起こして決着を付けるべきだったでしょうに」と【わたし】は言った。「――それともあれですかね。ジェーヴァー氏の言ったとおり、奥さんの死は自分にも責任がある、と内心では自覚していて、それでジェーヴァー氏を恨み切ることも出来ず、その感情の板挟みに苦しんでいたわけですか?」


「だまれ!」


 苦しみ? そんなものはもう消え去った! この狂った世界で人間という存在は無価値な肉のガラクタに過ぎず苦悩という行為には何の意味もないということを悟ったのだ! 


「それなんですけどねえ」と【わたし】は言った。

「あなた、んですか?」

「――なんだと?」

「考え方は人それぞれですが、今の主張は本当にあなたの本心から導き出された結論なのですか?」

「だまれ」

「【わたし】には今のあなたの主張は、自分の本当の気持ちから必死で目を逸らそうとした結果としか思えないのですが」


「だまれええええええええええええええええええええええええ!」


 これがわたしの考えだ! これがわたしの本心、これが答えだ!

 わたしの思考は極めて明瞭でありこれほど晴れやかな気分になったことは生まれて初めてだ!

 だというのにこの男のせいでさっきから酷く気分を害されている!

 憎い! 

 この男を消し去りたい!


「そろそろかな」

 と【わたし】は呟いた。相手の思考が、【わたし】への明確な『敵意』を形成し始めている。

 他者を攻撃し、排除しようとする意思。思考同期状態で相手からそれをぶつけられた場合、精神に甚大なダメージを受ける。そうなる前に鎮圧を完了させなければ。

【わたし】は思考を集中させ、イメージを形作る。鎮圧、鎮静、無力化、意識の遮断、そういった概念を極限まで具体化して想像する。


 わたしはこの男を殺すことを想像する。そうだ、さっきジェーヴァーにしたのと同じように撃ち殺してやる。弾は撃ち尽くした? いいや撃ち尽くしてなどいない! わたしの意思が弾丸となり、愛銃に込められていくのだ!

 わたしは男に向かって銃を向ける。


「ここで――」


 引き金に力を込める。


「くたばれぇぇえええええええ!」


 弾丸が発射

 され 

 男の

 胸に

 命中【するよりも速く【わたし】は形成したショックイメージを相手の男の精神像に叩き込んでその意識を遮断させた。】


 ――――――――――――――――――――――――――――――。


【わたし】の勝ちだ。



          *



 気が付くと、わたしのいる場所は郊外住宅地の一角に戻っていた。

 視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。二◯時五三分。

 わたしはSNにアクセスし、本部から送られてきた情報を確認する。

 観測されている現時点の思念放射範囲は――放射範囲、なし。

 わたしは振り向くと、後方に待機しているコル巡査に告げた。


鎮圧カウンター、完了しました」


 コル巡査が大きく息を吐き出した。緊張が解けたのだろう。


「よくやってくれた。このあとは避難勧告と交通封鎖の解除、思念放射に巻き込まれた市民の救助要請、そして犯人の確保、だったよな? その辺のことはおれが全部手続きをしておくよ」

「ありがとうございます」

 わたしは腰に接続していたザイルを外した。

「それと、殺人課の方にも出動を要請してもらえますか?」

「殺人課?」

「犯人との思考同期で分かったことなのですが、恐らく今回の思念放射犯は《レゾ》服用後に殺人を犯しています。被害者はリム・ジェーヴァーという男性で、おそらく今回の思念放射の中心点、つまり現在犯人が気絶していると思われる場所ですが、そこがジェーヴァー氏の家だと思います」

「わ、分かった。そっちもおれが手配しておく」

「助かります」


 すぐに、近づいてくるサイレンの音が聞こえてきた。

 視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。二◯時五四分。

 さて、

 明日の起床予定時刻が◯六時◯◯分。睡眠時間を七時間確保するとして、残り二時間六分をどう過ごそうか――。

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