思念戦線

オカダケイス

1-1

 なぜ思念放射犯罪対策官カウンターテレパスという仕事を続けているのか?

 そう質問されるとわたしはいつも答えに詰まる。

 分からないから、ではない。自分の中でその答えははっきり分かっていた。

 だがそれを他人に伝えたことは今まで一度もない。

 基本的にそう質問された場合、この仕事が自分の適性を最大限発揮できるから、とか、思念放射犯罪は深刻な社会問題でそれを解決できることに喜びを感じるから、とか、他人から見て納得しやすいであろう、お飾りの回答を差し出して済ますことにしているのだが、

 真の理由は、まったく別のものだ。



          *



 職場から帰宅したわたしは、いつものように夕食の用意にとりかかった。

 冷蔵庫を開け、必要な食材を取り出していく。大豆、アーモンド、ピーナッツ、にんじん、かぶ、そしてイワシ。

 それらをすべてまとめてミキサーへ押し込む。

 スイッチを入れ、中身が液状になるのを待つ。その間に、わたしは自身のスマートニューロンにアクセスし、登録アプリケーションの一覧を表示する。

 視界にずらっと並べられる三十個ほどのアイコン。

 その中の一つ、緑と白で描かれた人魚の像――スターバックスコーヒーのロゴマークに意識を集中させる。

『今月のおすすめ チョコラティバナナココフラペチーノ  とろけるチョコレートとローストしたバナナが織りなすデザートのような味わい』今日はこれにするか。

 停止したミキサーを開き、中身をタンブラーに移す。生臭さと青臭さをミックスした異臭が鼻を突く――わたしは購入手続きを完了したデータを開いた。テーブルに置かれたタンブラーに表示領域を重ねて、実行。

 瞬く間に異臭は消え、タンブラーに満ちたドロドロの液体は、生クリームの乗ったカフェドリンクに姿を変えた。

 タンブラーを手にとって口を付ける。チョコレートとバナナの甘い香り。トッピングの生クリームが唇に触れて淡雪のように溶ける感触。喉を通り、鼻腔へと抜けるコーヒーとミルクの風味――。

 人類が情報処理スマートデバイスを自らの脳神経ニューロンに組み込むようになって、確か今年でちょうど半世紀だったか。

 SNスマートニューロン――これによって今まで外部装置を介することでした干渉できなかった電子データを、人類は自らの脳神経内で直接処理することが可能になった。映像や音声のデータを、モニターやスピーカーを使わず直接頭の中に再生したり、キーボードを叩かずとも言語を思考するだけで文書データを作成したり、

 五感が受け取った情報は脳神経を通じてデバイスへと流れ込み、そこで電子データへと変換される。電子データは、。感覚器から得た情報をデバイスで好きなように加工した上で再度脳神経内へと戻し、そこで像を結ぶ。このシステムを組み上げることで、人類は自らの認識世界をコントロールするという新たな自由を獲得した。

 タンブラーの中身を飲み終える。わたしの認識世界において、今飲んだものはスターバックスのチョコラティバナナココフラペチーノだ。今も口の中にその後味を感じている。だが現実のわたしの肉体は、これによってナッツと根菜と青魚に含まれるビタミン、ミネラル、食物繊維、タンパク質、不飽和脂肪酸を摂取している。そして砂糖や乳脂肪やカフェインは実際には摂取していない。これほど効率のよい食事方法は他にないだろう。

 片付けを済ませると(片付けも非常に楽だ)、わたしは視線を右上に向け、視界に随時表示されている時刻情報を確認する。二◯時三七分。

 明日の起床予定時刻が◯六時◯◯分。睡眠時間を七時間確保するとして、残り二時間二十三分をどう過ごそうか。自動録画を設定しているテレビ番組がSN内にかなり溜まっているので、それを何本か消化するか、それとも――

 耳障りなブザー音がわたしの聴覚に流れた。

 同時に視界に巨大な赤文字が出現する。【緊急】の表示。本部からだ。表示に意識を集中させる。メール画面が開く。


【※緊急連絡※ 管轄内にて、思念放射が発生。先に突入した対策官一名が意識喪失により任務続行不可能。応援を要請します】



          *



 玄関を飛び出し、狭い路地を抜けて表通りに出て行くと、パトカーがけたたましいブレーキ音を立てながらわたしの目の前に停車した。運転手は――見知った顔、コル巡査だ。


「フェイムズがやられた」


 わたしが質問するより先に、コル巡査が口を開いた。


「今、管轄内で動ける思念放射犯罪対策官カウンターテレパスはあんただけだ。退勤直後って聞いてるが、いけるか?」

「今日の勤務活動は演習のみで、出動はありませんでした」


 わたしは助手席に乗り込みシートベルトを締める。


「さほど頭は疲れていません。休息なしでもいけます」


 車が加速する。わたしは本部から送られてきた情報をスマートニューロンで確認する。

 わたしの視界に、周辺の街路図が表示される。思念放射の中心点は、現在地点から北方にある郊外住宅地の一角だ。観測されている現時点の思念放射範囲は約半径五十八メートルで、毎秒数センチメートルのペースで範囲を拡大している――と。


「半径五十八メートル」わたしは呟いた。「大物だな」


「ここ最近かなり高純度の〈レゾ〉が国内のあちこちに出回っているらしい」と、コル巡査が言った。

「出どころはまだ掴めてないが、恐らく今回のもそいつを使っている可能性が高い」


〈レゾ〉は、今から十年前に開発された合成ドラッグだ。

 この錠剤を服用すると、前頭前野にある『感情や衝動の抑制』を司る部分に作用して、この機能を綺麗サッパリ消し去る。これによって内に秘めた欲望、本当の自分を解放できるという代物だ。一般的なアッパードラッグと同じく、使えば高揚感が得られる他、女性に服用させてセックスまでの道のりを大幅に短縮したり、平常時では口に出すのも憚られるような変態的なプレイに心の底から耽溺することが出来たりと、ニーズに応える商品力があり、しかも価格はそれなりに安いとあって裏社会で爆発的に流行した。

 だが、〈レゾ〉には開発者も想定していなかった副作用が存在した。

 ある規定値を超える量の〈レゾ〉を服用した人間の脳は、どういうわけか通常ではありえないレベルの強烈な脳波を発振し始める。この脳波は周囲の人間の脳波に干渉し強制的に『共鳴』、思考回路を同期させ、彼我の間で自由に意思疎通が出来る状態を作り上げる。

『テレパシー』という概念がここに現実のものとなった――といえば聞こえがいいが、アッパードラッグの過剰摂取で錯乱したジャンキーと強制的に思考を同期させられた人間は、大概の場合思考を巻き込まれ同じように精神を錯乱させられる。そして同期が切れたあとも、一度ぐちゃぐちゃにされた思考回路は容易には元に戻らず、記憶の混濁、人格の分裂、多々の精神障害を患うことになる。

 これが現在、思念放射と呼称されている現象の概要である。

 最初の思念放射事件発生から数カ月後に、その原因が〈レゾ〉にあると突き止めた警察は開発者をすぐさま逮捕、投獄し、更に大規模な麻薬取締り捜査を実施して〈レゾ〉の根絶を試みた。だが、ドラッグというのは一度広まるとレシピを分析しコピーを作る者が現れる。当然〈レゾ〉も例外ではなく、その後から現在に至るまで、裏社会で〈レゾ〉は開発と流通を続けている。そしてその使用者の内の何割かは定められた用量を守らずに〈レゾ〉を過剰摂取し、錯乱した思念波を周囲に撒き散らし続けている。

 国はこの事態に対し、『自身の思念を放射し、他者の精神を傷害すること』を犯罪とする新法を制定し、警察内部に特別の対策室を組織した。

 それが思念放射犯罪対策室。わたしの職場である。


「犯人に動きは?」

 運転しながらコル巡査が訊ねてきた。


 わたしは再度SNの情報を確認する。思念放射の中心点は先程と同じ郊外の住宅地の一角にある民家と重なっている。かなり富裕層向けの地域だが、こんなところに〈レゾ〉中毒者がいるのだろうか――観測されている現時点の思念放射範囲は約半径六十一メートル。


「いえ、先程から中心点は動いていないようです」

「となるとまだ犯人は屋内か」

「残念ながらそのようですね」


 思念放射が発生した際は、可能なかぎり迅速に思念放射犯を気絶させるなどして、その意識を奪い、思念放射を停止させることが求められる。思念放射は時間の経過によってその範囲をどんどん拡大していく。もちろんドラッグの効能が収まるにつれ思念放射も収まるのだが、そこまでに掛かる時間は平均で十八時間。とても放置しておける余裕はない。思念放射に巻き込まれた人間も、思考を強制同期させられている時間が長引くほど、あとに残る精神への障害も大きくなる。

 思念放射犯が屋外の開けた場所にいる場合、事態は簡単だ。思念放射範囲外からの麻酔銃狙撃で片が付く。だが屋内など、狙撃の不可能な位置に犯人がいた場合、事態は大きく困難になる。

 思念放射は電波や電磁波にも干渉し、それを乱す。遠隔操作で動く暴徒鎮圧用ドローンなどは思念放射の範囲内には送り込むことができない。よってそのような事態になった場合、現在想定されている解決策は一つしかない。

 誰かが自ら思念放射範囲に突入し、意図的に思考を同期させた上で、

 、というものだ。


          

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