第3話 ヒロコさん 前編

『林さん』


 私のことをクラスの男子でそう呼んでくれるのは一人だけ。


 男子の中では私に一番身長が近くて。

 真面目で優しくて頭も良くて。

 馬鹿でクズのチビどもとは大違い。


 リョウちゃん。


 私の王子様はあなただけ。



 ******



『可哀想ね』


 私はそう言われ続けた。


『女の子でそんなに大きな足なの?』


 法事で親戚が集まるたびに、玄関の私の靴を見て大きな声で驚いたように言うのは、母方の伯母さん。


 わたしは、いつも曖昧に笑った。


『俺がデカいからなあ。お父さんに似ちゃったんだよなあ、ヒロコは』


 身長180のお父さんは、ガハハ、と笑って私の頭をいつも撫でてくれた。


『これからは女の子もなあ、デカくないとダメなんだぞ。外国の女の人なんて、もっとデカいんだからな』


 お父さんの言葉に私は心の中で頷いた。


 お父さんの言葉は正しい。

 私は、可哀想じゃない。

 他のみんながチビなだけ。



 お父さんは私のお母さんで三回目の結婚だった。


 一人目の年上の奥さんは事故で死んだ。

 同級生だった二人目の奥さんとは離婚した。

 年下のお母さんを、お父さんは三人目に選んだ。


『他の人よりも幸せな経験が出来たと思うよ』


 酒に酔うたびに、お父さんはそう語った。


『若い時は年上と付き合って、同級生と付き合って、年をとったら若い子と付き合って。俺はなんて恵まれてるんだろうな。それが一番幸せな人生だ』


 お父さんの言葉を聞いて、私は心の中で同意した。

 お父さんの言葉はいつも正しい。



 ******



 大学であの男と再会するなんて思ってもみなかった。


 小学生の頃、私のことをはるか下から見上げて巨神兵と呼んだ、クラスで一番小柄なクズ男、アキラ。


 何故だか馬鹿みたいに自信満々で私のことを見下ろしていたけど、私は嫌悪感しか感じなかった。

 リョウちゃんの手前、軽く雑談に応じたけど。

 私は早くその場から離れたくて仕方がなかった。



 アキラの噂が耳に入るようになった。

 アキラは女の子たちの中で、人気のある男のようだった。

 確かにアキラは昔から顔は良かった。チビのくせに。


『アキラ君になら遊ばれてもいいよね』


 女子トイレで誰かがそう話すのを聞いて。

 鼻で笑った。


 バカな女。

 背が高いというだけで男に群がる女たち。

 盛りのついたサルと一緒。せいぜい、ヤリ捨てされればいい。



 私は怒り始めていた。

 周囲の男たち全員に。


 大学に入ってから私より身長の高い男たちが私に向けてくる、気味の悪い笑みに。

 生ぬるい奇妙な優しさに。


 昔、私をいないように扱ったかつての少年たちが。

 馴れ馴れしく笑顔で話しかけてくる。

 あの時クラスにいた小柄でうるさくて可愛い女子を囲んでいたときと同じ。

 だらしなく口元に締まりのない笑みで。


 私はそんな男たちに囲まれていた小柄女子も嫌いだった。

 小柄なことを男子にからかわれ、でもそれが長所であることを分かった上で怒ったふりをするチビの女たち。

 ブスのチビもデブのチビもガリのチビもみんな嫌い。

 でも一番嫌いなのは、私のことを羨ましい、と言って自分を嘆くふりをする可愛いチビ女だ。

 自分が引き立つ術を心得ている。本当にしたたかで恐れ入る。

 それに鼻の下を伸ばす男たちにも虫唾が走る。


 そういうチビ女に限って私に


『リョウ君みたいな優しい彼氏がいていいよね。ヒロコがうらやましい』


 なんて言ってくる。

 心の中では、所詮自分より低身長の男としか付き合えないんだ、やっぱりデカい女は男にウケない、と私のことを見下しているくせに。


 そんな男たちも女たちも。

 みんな大嫌い。



 ******



 夏休みも終わりのころ。

 女子トイレで女の子が泣いていた。

 アキラ君が返信してくれない、無視されてる、と。

 その子は私の好きな女の子だった。私よりも低いけど、高身長の女の子だった。


 だから学食でアキラを見かけて、いつもより腹が立った。

 アキラは昔と変わらず最低な男なのだ。

 コンプレックスが消えたくせに。ちっとも進歩していない。

 私をいじめたあのころの下種げすのまま。



 それからほどなくして、アキラからメールが来たから驚いた。誰かに私のアドレスを教えてもらったのだろう。教えた相手に腹が立った。


『突然、メールを送ってごめんなさい。昔のことで話したいのですが会ってくれませんか』


 敬語が奇妙だった。むしろ気持ち悪かった。

 無視しても良かったけれど、私は指定された喫茶店に行ってやった。

 案の定、アキラは小学生の頃のことを私に謝りだした。


 何故かアキラはとても怯えていた。見たこともないオドオドとした表情で私をうかがうように見た。


 小学生の頃の私を思い出した。アキラの機嫌をうかがって、息を殺すようにして身を小さくしていた私と同じ。

 まるで、立場が逆転したよう。


 私の心の中に嗜虐心が芽生え始めた。


 そんな言葉で許されると思っているのだろうか。ふざけるな、馬鹿男。


 足りない。

 全然、足りない。

 どうせなら土下座して謝れ。これじゃ全然足りない。



『もう、随分と昔のことなのに気にしてくれていたのね。謝ってくれるなんて思わなかった。嬉しいわ』


 私は無理やり笑顔を思いっきり作ってアキラに告げた。

 アキラは驚いたように私の顔を見た。


 私はさっさと早くそこから立ち去りたくて仕方がなかった。昔のことは水に流したふりをしてもう二度とアキラに会いたくなかったのだ。


『これからは気にせずに付き合いましょう』


 席を立ちながら、早く済ませたいばかりに通例になっている社交辞令も無意識に加えて言ってしまった。


『何かあったら私も誘ってほしいな』


 そして私はアキラを残して店を出た。



 ******



 しばらくはなんだかモヤモヤしていたけれど、アキラとのことが記憶から薄れかけていたそれから数日後。


 リョウちゃんと二人でホテルにいるときだった。


 二人で仲良くした後、リョウちゃんがシャワーを浴びに行って、私はベッドに寝転び、のんびりとビールを飲んでいたら。


 ふとメールが来ているのに気付いた。

 アキラからだった。


『俺、昔からヒロコのことが好きだったんだ、て分かった。だからヒロコにあんなにひどいことしたんだ。男って、好きな子のこといじめるんだよ』


 私はビールを吹いた。


 何事?


 わけがわからなかった。

 もう一度読み直してみる。


 私は文面を反芻しながら、震えるような嬉しさが心の奥から込み上げてくるのに気付いた。


 馬鹿男が。

 本当にアキラという男は噂どおりの馬鹿男だったのだ。


 後ろからシャワーを浴びたリョウちゃんが出てきたのを感じて、私は笑いを必死でこらえようと、指を噛んだ。


 リョウちゃんにメールを見せて笑い合っても良かったけど、こんな面白いことはそうそうないと思った。

 復讐のチャンスが訪れた幸運に私はなんとも我慢できなかったのだ。



 ******



 アキラは多分ネタとして私と一発、してみたいのだろう。

 昔、見上げていた女とシテやったぜ、という征服感が欲しいのかもしれない。

 本当にムカつく男だ。

 いじめた相手にそれが可能だと、本気で考えているのだとしたらアホすぎる。

 こうなったら、なんとかして懲らしめてやりたい。


 ……さあ、でもどうしよう。

 私は当然ながらリョウちゃんとしか経験がなかった。あまりにもスムーズにリョウちゃんと二人仲良くきてしまったため、男女の駆け引き、とか。気を引くワザ? のようなものはまったく分からなかった。


 とりあえず、カタチから入ってみようか、と私は考えた。

 あいつが食いつくように、気乗りしないけど露出の多い服でも着てみるか。


 私は今まで挑戦しなかった服を着てみた。

 これが似合っていた。リョウちゃんも褒めてくれて、私は自分でも満足した。

 でも、そういう服というのは姿勢が良くないとだらしなく見える。私はいい姿勢を心がけるようにした。


 知識を得ようとして、ネットで女性向けの恋バナ記事を読んでみた。


 ……あまりの面倒くささにめまいがした。

 メールはすぐに返さない、とか。文末に?をつけるとか。

 みんな四苦八苦してこういうのを乗り越えたうえで、相手をゲットしてるのか。

 たいしたもんだ、と頭が下がった。

 良かった。私、リョウちゃんと付き合えて本当に良かった。


 合コンに行ったら勉強になるかな、なんて思って、友達に合コンに誘われたときにリョウちゃんにお伺いをたててみたけど。

 イヤだ、て言われたから素直にあきらめた。



 アキラから度々メールがきた。

 私はその度にあわあわしてネットで、自分に気がある男のメール、なんてものを調べて照らし合わせた。


『休みの日は何してるの?』

『今、何してる?』


 自分に気がある男のメール、に当てはまって……るような気がする。

 遊び目的でメールを送ってるだけかもしれないけど。


 たまに犬や猫、なんだかわからないけど子供の写真が送られてきたこともあった。


 最高に不愉快だった。

 多くの女の子はそういう可愛い小動物や子供が好きかもしれないけど。

 私はそういった小さくて愛らしいものというのは小柄な女子と一括りで大嫌いだったのだ。

 一切スルーしてやった。


 しばらくしてから。

 そういう写真を送りつけるというイタい男の行動は、恋する男の特徴だという記事をネットで読んだ。

 恋する男は分裂病患者と同じだそうで、訳のわからない行動をしてしまうのだそうだ。


 ……どうなのだろうか。

 私は訝しんだ。

 アキラは私のことを本気で好きになり始めているのだろうか。

 いやいや、アキラの方が経験豊富だし、これもワザのひとつかもしれない。もしくは本当に馬鹿なだけかもしれないし。


 そんなときにメールがきた。

 有名店のパンケーキの写真。ふかふかの生地に雪崩のようなハチミツ、たっぷりとしたクリーム。


『すごく美味しそう』


 何も考えず、私は素直にそう返信した。


『今度、一緒に食べに行かない?』


 アキラの返事に私は目を輝かせた。

 待ちに待った機会が来たと思った。

 とうとう、私はアキラを釣れたのだ――



 ******



 うまくできるだろうか。

 私はリョウちゃん以外の男と食事さえしたことなかった。他の男とろくに会話をしたこともない。

 男の気を惹きつける会話なんてできるのだろうか。

 そんなことを考えて、必死に話題を用意していったら、取り越し苦労だった。

 ひたすらアキラはハイテンションで語り続けていて、私はパンケーキを食べるのと相槌を打つだけで精一杯だった。

 最初の密会はなんだかわけがわからないうちに終わってしまった。

 失敗したな、これでもう終わりかな、なんて思っていたら意外に二回目の誘いが来た。


 今度は落ち着いて私は密会に臨んだ。

 待ち合わせて二人で街をブラブラした。

 自分より身長の高い男と行動を共にするということがなかったためか。

 胸を張って歩けるという感覚に。

 少し顔を上げないと目が合わないという、かつてない体験に。

 なんだか恐怖に似た嫌な汗をかく威圧感を感じた。

 それでも私はアキラの話に一生懸命共感する振りをしたし、大袈裟に反応もしてやった。



 三回目。

 アキラが手を握ってきた。

 予想もしていないことだったので、私は頭が真っ白になってしまい、身が竦んでしまった。


 硬直している私に、アキラが顔を近づけてキスをした。――



 帰宅して、自己嫌悪した。

 どうしてだろう。動けなかった。

 凍りついたように身体が動かなかった。


 これでは、アキラの思うツボではないか。


 私が。

 アキラに期待をもたせて。

 私が。

 アキラを手の上で転がしまくった後、振ってやるつもりだったのに。


 転がされているのは私ではないか。ルパンを翻弄する不二子ちゃんのような女に、私はどうしてもなれそうにない。無理だ。


 引き返そうか。

 このままじゃ、アキラにいいように遊ばれて終わりだ。ヤリ捨てされる女の子と同じ。

 向こうの勝ちになってしまう。


 迷って考えたけど、折角ここまで来たチャンスを不意にするのも勿体無いと思った。

 なんとかして、もう少し頑張ってみようか。



 それから何回か密会を重ねたのち。

 アキラのアパートで会った時だった。


 パニックもののDVDを二人で観ていたら。

 アキラが予兆もなく、後ろから身体を抱き締めてきた。

 私は恐怖で身体が動かなかった。――

















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