二十三章 地下世界
『……一度、休憩しようか』
そう言うとミラを見下ろした小人は、周りの小人たちに何か話しかけ始めた。それも翻訳され、なんとなく言葉として伝わってくるのだが、ミラにはそれを処理する気力がなかった。気を失っていた時に、食料は摂取されたのか空腹こそ感じられないが、十や二十の憎悪の目に見下ろされるストレスは、無意識に彼女の心身を蝕んでいたのだ。
やがて質問役の小人が、小部屋から有象無象を掃きだすと、ミラはその小人と二人きりになった。疲れた目で見上げた天井にはランプが灯っていて、その陰鬱な明かりがこの小部屋を彩るすべてだった。あの滝の奥の洞穴から地続きに繋がっているのであろうこの場所もまた、岩を掘り出して作られているのだ。
『腹は減っていないか?』
ふいに小人が訊ねた。
ミラは視線だけを動かして彼を見返し、緩やかにかぶりを振った。
『そうか。大勢ですまなかったな』
これにもミラは同じ反応を返した。
すると小人は、初めてその髭に覆われた口許を綻ばせた。
『子どもと言っていたが、ミラ、君は賢いな。自分の状況をよく理解している』
「いえ、理解はできてません……。どうすることもできないから、正直に答えてるだけで」
『どうすることできない。それを理解しているだけで充分だ。君は拘束された。我々にとって人族は、恐ろしい存在だからだ』
ミラは、大勢の小人の目を思い起こし、かすかに震えた。
「だからあんな目を……?」
『そうだ。我々は人を恐怖し、恨んでもいる』
「どうして……?」
訊ねると小人は、重い吐息で髭を揺らした。
『……我々ドワーフは、元々ミズィガオロスのあらゆるところに頒布していた。〝古の大戦〟が終わり、一つの時代に幕が下りたことで、この島から敵は失われたからだ』
ミラには、その言葉の大半が理解できなかった。スラム育ちの少女にとっては〝古の大戦〟に関する情報も曖昧だったからだ。しかし小人の憂う眼差しを見ていると、話を遮る気にはなれなかった。
『……そう、思われていた。しかし奴らは壊滅していなかった。光あるところに影は生まれ、それは無数の夜と手をとりあい、少しずつ大きくなっていったのだ。そして当時の人々が気付いた頃には、もう手をつけられないほどに、この島は膿んでいた。焔神の麓に金色の塔が建てられ、ドワーフの失踪事件が相次いだ』
「ドワーフの失踪事件……?」
『奴らはドワーフをさらうのだ』
小人は身震いし、太い二の腕をさすった。
ミラは我慢ならず訊ねた。
「ごめんなさい。奴らっていうのは、何者なんですか?」
小人は目を伏せる。
『ログボザ。忌まわしき神を奉る狂信者どものことだ』
ログボザ。
そういえば彼は言っていた。『忌々しい狂信者どもから逃れてきたのだ』と。
小人は恨みを吐き捨てるように続ける。
『我々の祖先が東の地を去り、この〝陰〟に住まうようになった頃、すでに奴らは神々の歴史を排し、新時代の床に横たわっていた』
小人の言葉は難しく、要領を得ない。あるいはミラが無知なだけかもしれない。いずれにしても、容易に理解できるものでないのは確かだ。とりあえず、ここが〝陰〟と呼ばれるところなのは、かろうじて理解できたが。
『君のような、なにも知らぬ子どもも大勢いるのだろう。あるいは大人でさえ、あれの邪悪を知らぬままいるのかもしれん。奴らは人々から知恵と希望を奪ったのだ。その上でさきも言ったとおり、奴らはドワーフをさらった。今も、それは続いているのだ』
ミラは愕然として小人を見返した。
「ログボザが、ドワーフを……?」
『そうだ。奴らは今なお我々を狙っている。だからこそ我々は人を恐れ、恨むのだ』
「みんながみんなログボザの信徒じゃないわ」
『解っているさ。私は君に出逢った。多くの文献に目を通し、ミズィガオロスの歴史についても触れてきた。だが、ドワーフのすべてがそうというわけではないのだ。ログボザが……人がドワーフをさらう。その事実だけをとり上げ、人族を悪と考える者が、ここには大勢いる』
ミラは改めて彼らの眼差しを思い起こした。そして今度こそ深く理解した。なぜ、自分があのような憎悪を受けねばならなかったのかを。
その上で、ミラは小人の言葉を咀嚼する。
『……君を信じるのは早計だ』
小人は不意にそう言うと、ミラの手首を繋ぎとめた枷の錠を解いた。
「え、なにを」
『しかし我々の目的は平穏無事に生きる。それだけだ。ログボザを拘束し処刑するのは、奴らから逃れるためにやむを得ぬこと。闇雲に人を殺すのが、我々の本性ではない。私は君をログボザではないと判断する。確証的なことなど何もないが、君の目を見ていれば判る。その上、君は無知だし、たしかにこれまで観測してきたログボザの信徒よりも小さな身体をしている』
怒るべきなのかもしれなかったが、それ以上に当惑が勝っていた。
小人はさらに足の錠を解いて立ち上がった。
『ここにいれば、遅かれ早かれ殺されることになるだろう。君はそれを望むか?』
「イ、イヤ……」
『ならば逃げるぞ』
小人はミラに手を差しだす。ごつごつとした大きな手を。
やはり現状は理解しがたいことの繰り返しだ。
ミラは、人を恐れ、人に裏切られ、人に助けられた。この手は人族のものでなく小人族――ドワーフのものだが、彼が心をもった存在であることは確かだ。彼の存在自体が、また自分を絶望の沼へと沈めてしまうかもしれない。
それでもミラに頼れるのは彼しかいなかった。そして自分を信じようとする彼を、ミラもまた信じたかった。
少女は小人の手をとり、立ちあがった。
『これを着て、背を屈めて歩け』
小人はそう言って麻のローブを寄越した。ミラの身長でも小さなローブだった。だが身を屈めていれば、一先ず人族の体格を隠すには充分だった。
「ねぇ、ここを出る前にひとつだけ教えて」
ミラはベルトを締めながら言った。
『なんだ?』
「あなたの名前は?」
小人は怜悧な眼差しで少女を見つめる。そしてベッドのわきに置かれた黒い箱を懐に忍ばせた。
『私の名はガルバだ』
◆◆◆◆◆
ミラとガルバの二人は、ランプの明かりが示す道のうえを歩いている。そこはミラが連れて来られた洞穴の道によく似ていたが、まったく違っているようにも見えた。
何故なら周囲の壁には無数の穴が穿たれており、岩を削って階段のようなものまで設けられていたからだ。
『なにが不思議なのか解らんが』
ガルバによれば、穴はそれ一つひとつがドワーフの家らしい。尋問をおこなう先の小部屋や技師の作業場くらいにしか、ドアに類するものは設けられていないのだという。
「ドワーフは仲が良いんだね」
『身内同士で争う必要などあるまい』
道中にはドワーフたちが忙しなく行き来している。一見して、個人差のようなものは見られない。皆、同じ顔をしているように映る。一方で外套の色は個性的で、黒や紺のような地味な色から赤やピンクのような派手な色まであった。腕を剥きだしている者などは、紋様めいた刺青を刻んでいる。
『刺青は所属を表す。商人なのか技師なのか。あるいは役人なのか。様々だ。ちなみに私は技師だ。今向かっているのは、技師の工房だな』
翻訳機から発せられる音声で、二人の会話は成り立っている。発声者の声が小さければ、それだけ翻訳機の音声も小さくなるようで、ガルバの発言はほとんど聞きとれなかった。おまけに内容も複雑で、ミラにはよく解らない。
だが大きな声で、あれやこれやと質問するわけにもいかない。ドワーフの住処で翻訳機など本来必要のないものだし、ドワーフの常識をいちいち訊ねるのも不審に思われる原因となりかねない。できるだけ口をつぐんで行動する。それがミラに求められる態度なのだった。
そうして沈黙をうけいれ幾らか歩いていると、やがて二人の周囲から穴は塞がれていった。無数のドアが乱立するようになり、行きかうドワーフの姿にも違いがでてくる。
二人のようにローブを身につけた者や、下着のようなシャツやズボンで歩く者は、もうほとんど見ることができなかった。この一帯では厚着の革製品が好まれているようだ。ベルトも二重、三重と巻かれている。大きな手をつつむ手袋も革だ。おまけに目許まで、全体を眼鏡めいたものに覆われていた。
『技師の仕事は危険だ。ひとつ判断を誤れば、四肢をもっていかれる。目を融かされる』
「溶鋼職人みたいなもの?」
『溶鋼……まあ解らんが、おそらく似たようなものだろう。あれを見ろ』
そう言ってガルバが指さした先には、得体の知れない怪物がいた。
「え、なにあれ……?」
それは黒鉄の怪物だった。筒状の巨大な頭があって、その首は間断なく上下し白煙を噴きだしている。胴や腕に類する部位はなく、虫めいた十本もの足がかたく地を掴んでいるようだった。
『ふむ。人の世にはないのか。あれは気体を圧縮する機械だ』
「気体を圧縮……?」
『解らなければ気にする必要はない』
決して歩は止めず、ミラは怪物を眺めつづけた。彼女にとってそれは怪物以外の何ものでもなく恐怖の対象だったが、ガルバも他のドワーフもまったく恐れる様子がない。それどころか、一人のドワーフが足に近づいて、その一本を外した。背中に負っていた足と取り換えると、そのドワーフは何食わぬ顔で去っていく。
さらに怪物の横を通りすぎ道を進んでいくと、いつの間にか天井は蛇が群れを成したような鋼鉄の網に覆われていた。先の怪物とは比べ物にならない新たな威容が、三十フィートはあろうかという天井に口づけし、ドワーフの手許には物々しい鋼鉄の杖、剣――そのどれでもない、謎めいて角ばったものが握られている。
極めつけは、道の向こうから歩いてくる巨大なシルエットだ。
「あ、あれ……!」
『〝
巨大な人型のそれは、ミラを連行する際に現れた鎧と同じ形状だった。
「マナ……なんとかって何なの?」
『我々の力には限界がある。石ころを拾うことができても、巌を持ちあげることはできない。それを可能にするのが〝黒鉄の化身〟だ。運搬や掘削など、それぞれの役割に応じて改良をほどこし運用する』
要するに生身の肉体ではできない力仕事をさせるための道具ということだろう。強力な荷車――とでも考えればいいのだろうか。
「すごい……。ドワーフは物を作るのが得意なんだね」
『だからこそログボザに狙われている。奴らは我々の技術が欲しいのだ』
ガルバは平然と言ったが、ミラは深い哀しみを覚えた。ガルバが言ったように、身内同士で争う必要などないという思想があれば、こんな苦しい現実に囚われることなどないのではないか。そう思えたのだ。
だが同時にミラが感じたのは、ドワーフの住むこの世界が豊かだという事実だった。枢都に大きな貧富の差があったように、ここにも貧しい者がいれば『身内同士で争う必要などない』とは、とても言えないのではないだろうか。少なくともスラムで育ってきたミラは、スリの相手が同じスラム出身の人間であっても、そうしなければ生きてこられなかった。
ミラにとって、ドワーフの世界は理想郷のように美しく見えた。一方で外の世界は悪意にみちた醜いところのように思えた。
しかし隣を歩くガルバ、煙霧に満ちた道のりを行き交うドワーフたちを見ていたら、それも違うのだと思い知らされる。
彼らは時折、空を見上げるのだ。岩盤に塞がれた空を。
それは紛れもなく彼らの憧憬であり、決して届かぬ理想だった。彼らは理想の世界に住んでいるのはなく、理想から遠ざかってここに住んでいる。彼らもまた、外の悪意にさらされながら生き、ときには人族を連行し尋問し殺すのだ。
誰もがそんな暗部を抱えながら生きている。
だからこそミラは、ここを逃れなければならない。
屈む背中がいたみ、足が鉄のように強張り始めたときだった。ランプと煙霧に薄ぼんやりと赤らんでいた洞穴に、突如、白んだ明かりがさし込んだのだ。
それは洞穴の遥か向こう側にあった。終わりがないようにさえ思われた地下の世界に、針めいた小さな明かりが見える。
そしてその明かりを遮るようにして、一つの小さな影が歩みよってきた。
二人は挑むように、その人影と対峙した。
「あ……」
ミラはその顔立ちに違いを見出すことはできなかったが、不機嫌に歪んだ相貌、滲みだす苛立ちに覚えがあった。
『相変わらず勘の良い男だな、デイバ』
それはミラを連行する際に、武器を突きつけたあのドワーフに相違なかった。
「……ガルバ」
デイバと呼ばれたドワーフは、胃の腑を震わすような声で、仲間の名を呼んだ。そして人族の少女を睨みつけると、懐に抱えた筒状の鋼鉄をもちあげた。その暗いくらい穴が、少女の胸をまっすぐに捉えた。
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