九章 遺物に宿る

 深夜にもなれば、遺物発掘の荒野はまったくの無音となる。

 遺物堀たちの作業音などとうになく、森に住まう夜鳴虫の声もここまでは届かない。


 かつて荒野が森であった頃、周囲の木々は一つながりの仲間だった。地上に降り注ぐ光の一切をたち切り、樹木の頂上にばかり葉を茂らせたそれは〝昏き森〟と呼ばれていた。残された森の一部は、今もそう呼ばれている。


 その名残がなんらかの形で残されているのか、今や月を隠す雲のない空の下でも、荒野は闇の只中にあった。


 ヘンベの谷を作る山々が月明かりを遮るためなのか、はたまた神が匙を刺したというこの地が不可思議な力に満ちているのかは判然としない。ただ星々の動きを考慮すれば、この広大な大地が常に暗闇とともにあるのはいかにも奇妙で、後者のほうがより真実の可能性を孕んでいると言えなくもない。


 いずれにせよ、それを解明するのは、枢都に住まう学者様の仕事だ。成人を迎えてから十二年間遺物堀を続けてきたザキム・バタンにとっては、至極どうでもいいことである。


 そんなことよりも彼にはなさねばならない仕事があった。

 無論、それは遺物堀の正式な業務ではなかったが。


「ヒヒッ、遺物は俺のもんだ……」


 目的は昼間発見された巨大遺物を盗むことだった。


 今、ザキムの背後には取り巻きの二人もいない。


 盗むと言っても、あれだけ巨大なものを一人で運搬するなど不可能だ。完全な状態での運搬は諦め、分解してしまうしかなかった。


 破損した遺物を、コレクターは欲しがらない。ゆえに取引相手は溶鋼職人ということになる。分け前を配ってやるだけの報酬は期待できない。草や水の見返りしか求めない三頭の驢馬だけが、今の彼の仲間だった。


 日中、アオスゴルに新たなヨトゥミリスが現れたという。その際の戦いで、なんと十名ちかい魔法使いが命を落としたそうだ。昨夜、三名亡くなったばかりだというのに、立て続けに十名の魔法使いが死亡したのである。


 一部の学者の間には、近年、ヨトゥミリスの出現頻度は上昇傾向にあると言われている。奴らがエブンジュナの森にまで侵入してくるのは稀だが、そう遠くない未来にアオスゴルは陥落し、クルゲの里も人の住める土地でなくなるだろうとザキムは踏んでいた。


 クソ巨人の鉄臭い手で握り潰されるのは、ごめんだ。間抜けな親父は奴らの所為で死んだ。母親はその時のショックで錯乱して川へ飛びこみ、二度と戻ってこなかった。


 惨めな二人のあとを追うつもりはない。そうなる前に西へ逃れるのが、賢明な判断というものだ。


 枢都へ行ければ最高だろう。そうでなくとも、防区をでて枢区のどこかでひっそりと暮らせれば充分だ。西の土地ではヨトゥミリスなどという理不尽な脅威に怯えずとも済むのだから。


 ザキムを乗せた驢馬の荷車が巨大遺物の許へ到着する。


 クルゲの里の住人に気付かれないため光魔法を行使せずここまで来たが、ザキムも驢馬も慣れ親しんだ道に難儀しなかった。事を起こそうと思えば、いつでも起こせるのだ。防区の人間にとって、人間はさほど脅威でないと思われている。要するに防区の連中は『団結』を謳い、人を疑うことを忘れたアホどもだ。


「さすがにここまで来りゃあ……」


 ザキムは詠唱なしで「リョース」の魔法を唱え、拳に眩い光をまとわせた。魔法名のみで発動したため、やや目に痛いが、直視しなければ作業にも支障はない。


「辛気臭い森での生活も、そろそろ飽きあきしてた頃だ。お前のおかげで、新天地へ旅立つことができるぜ」


 穴の中に鎮座する遺物は、光魔法の明かりを反射して鈍い輝きを放っていた。

 光沢を持っているにもかかわらず、表面がどこに位置しているのか判然としない漆黒。見ているだけで意識を呑み込まれてしまいそうな荘厳な重圧を感じさせる。


 これまで発掘されてきた遺物よりただ大きいというだけではなさそうだ。これにはおそらくそれ以上の価値があるに違いない。


 遺物コレクターに売りさばけば、目も眩むような額になっただろう。分解しなければ持ち運べないのは少々惜しい気持ちがした。


「……それでも大金は手に入るさ」


 ザキムは薄ら笑いを浮かべ、馬車から降りると、遺物の表面に触れた。指に吸い付くような滑らかさ。死と安寧の神ヘロウのつくりだした世界――冥府ニヴァルタルヘダの氷を想起させる冷たさだった。

 

 これが大金の感触か。


 ザキムはほくそ笑み、堪らず頬を押しつけた。ヘロウにそっと愛撫されるような快感と畏怖が胸を震わせる。


 静謐に満ちた世界には、それだけがあった。自分と遺物とだけが存在しているように感じられた。自らを支える大地も、空間を染め上げる夜も、なにもかもが消えてなくなってしまったようだった。


 しかし夢というものは、束の間に晴れゆくものである。


「セイタイジョウホウヲカクニンシマシタ」

「ひゃあぁッ!」


 不意に静寂を打ち破った女性の声に、ザキムは跳びあがった。たちまち心臓が早鐘のように打ちはじめ、縮まった肝が震えた。


 女性の声は、そんなザキムの心情を斟酌せず続ける。


「カコノトウロクデータトイッチスルセイタイジョウホウヲカクニンデキマセンデシタ。サイシュウトウロクシャノゲノムデータヲサンショウシ、アナタノ――」


 ザキムはそわそわと辺りを見渡した。


 ところが、声の主らしき影はどこにも見当たらず、なおも声は続いた。言っていることもてんで理解できず、抑揚なく話す所為で、余計に気味が悪い。


「まさか、ゴーストじゃあるめぇな……!」


 そんなことはありえない。

 ザキムは心中で何度もそう言い聞かせた。


 しかし謎の声は、その姿を現すことなく絶えず喋り続けている。


「ケツエンカンケイガショウメイサレナカッタバアイハ、シジニシタガイトウロクヲカンリョウサセテクダサイ。シンキトウロクヲオノゾミデナイバアイハ、タンマツカラテヲオハナシクダサイ」


 まるで会話が成立しない。そもそも会話をしようという気概が感じられない。

 やはりゴーストか。一方的に生者を呪い殺すという死者の恨みや嫉みの具象体なのか。


 女性の声がやみ、ようやく動き出したザキムは、恐るおそる遺物から手を離した。執拗に辺りを見回しながら、腰に収められた短刀の柄に指を這わせる。

 

 すると――。


「シンキトウロクアンナイヲシュウリョウシマス。オツカレサマデシタ」


 またも抑揚のない女性の声が響き渡った。


 ザキムは振り返り、短刀を抜いた。光魔法を反射した刀身が暗闇を追い払いながらギラギラと煌めいた。


 彼の目は、怯えて足を踏み鳴らす驢馬たちの姿しか見出すことができなかった。巨人族の亡霊の如くそびれる遠方の山々は、風を受けて木々の体毛をそよそよと揺らすばかり。その音がこんなところにまで届くはずはなく、まして女性の声のように聞こえるはずもない。


 幻聴だったのか。

 それにしてははっきりと聞こえてきたように思うが――。

 笑う膝に拳を叩きつけ、束の間、恐怖を振り払ったザキムは、遺物へと視線を戻す。


「……ッ!」


 そして息を止めた。心臓をゴーストに鷲掴まれたような心地がした。


 遺物の上に一つの像が結ばれようとしていたのだ。

 それは遺物から湯気が立ち上ったようにゆらりと現れ、徐々に輪郭を紡ぎだしてゆく青白い光だった。


「偽りの人格に恐れをなすとは情けない」


 やがて青の光が一つところにおさまった時、それは歪な老爺を形作った。

 腰が曲がっているにもかかわらず、その背丈はザキムより二頭身以上も高かった。片目は潰れたように白く染まり、編み込まれた髪の間から覗く耳は潰れて楔のように尖っていた。足許にまで伸びた髭の根をしごく音は、藁を編むような喧しさ。


 あまりの恐怖に一時は声も出せずにいた。


 だが徐々に状況が理解できてくると、胸の内ではち切れんばかりの恐怖は、ザキムの理性をかすめとり、声という声をしぼりだした。


「ぎゃあああああああぁッ!」


 恐慌に駆られたザキムは、老爺に向かって短刀を閃かせた。業物というにはあまりに粗雑な刃物だが、人肌を裂くくらい容易にできる代物だ。老いた身体にこんなものが掠めれば、大怪我は免れない。最悪死んでしまうかもしれなかった。


 ところがザキムの斬撃は、老爺にかすり傷一つつけることはできなかった。


 それどころか、老爺に触れることさえできなかったのである。


 青白い光を発する老爺の身体は、短刀が突き出されるのと同時、霞を掻いたように揺れるだけだった。いきおい余って遺物の上にまで踏み出したザキムは、そのまま老爺の残滓を通り抜け、転がるように倒れた。


 冷たい金属の上に頬がさらされると、雨水したたる森の中で迷子になった小鹿のようにぶるぶると震えあがった。


 その背後で青白い光が収斂し、老爺の姿は元へ戻っていた。冷たく眇められた目が、遺物堀の禿げた後頭部を見下ろした。


「セイタイジョウホウヲカクニンシマシタ。カコノトウロクデータトイッチスルジョウホウヲカクニンデキマセンデシタ。サイシュウトウロクシャノゲノムデータヲサンショウシ――」


「た、頼む! 呪わないでくれよっ! 悪さなんてしねぇから、頼む、頼むよぉ!」


 すっかり肝を冷やしたザキムは、甲高い悲鳴を上げ、慌てて立ち上がると、すぐさま身を翻した。

 震える足でつんのめりながら駆けた。荷馬車や驢馬のことなどもう念頭になかった。


 穴を這い上がっていこうとする遺物堀の禿頭が、光魔法を受けて闇の中でちらちらと円弧を描いていた。

 老爺はその情けない姿を眺めながら、深い嘆息を漏らした。


「ようやく光を見られたと思ったら……。こんなくだらんショーを見ることになるとはな……」


 闇を灯す馬鹿げた光を目の当たりにした老爺は、肩をすくませ独りごちた。


 抑揚のない女性の声が答えるように言った。


「シンキトウロクアンナイヲシュウリョウシマス。オツカレサマデシタ」

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