十章 空
たった今、ガンズから今日の作業内容について指示が出たところだ。
巨大遺物の前で横一列に整列した一同を見渡したガンズは、虚ろな眼差しの遺物堀に目を留め、忌々しげに唾を吐き捨てるとこう言った。
「ビル、今度サボりやがったら、骨の一本や二本は犠牲になると思っときやがれ」
ビルは何故か肩で息をしていた。ボロボロの麻の作業着に手のひらをこすりつけ汗を拭っている。口許には卑屈な笑みがあった。
「ええ、承知してやすよ。今日も頑張らせていただきます」
「けっ、口の減らねぇ野郎だ」
ガンズは牙を剥きだし獰猛な笑みを浮かべた。
巨大遺物の件で、どうやら機嫌がいいらしい。そもそもガンズは、案外、このサボり魔のことが嫌いでないのかもしれない。そうでなければ、こんな男をいつまでも雇っておくはずもないだろう。
ところがその表情は、驟雨の訪れを告げる暗雲の如く、突如にして翳りを帯びた。
「ところで、ザキムの野郎はどうした?」
取り巻きの二人へ威圧的な眼差しを向けると、二人は顔を見合わせ肩をすくめた。
「それが出発ギリギリになっても来やしなかったんです。アイツあれでも皆勤だったんですがね」
弱い者いじめのためだろ、とヴァニは大つるはしの柄を撫でながら心中で毒づいた。
「まあいい。次来たら痛い目見てもらうまでだ。それじゃおめぇら、今日こそあのバカでけぇ遺物ほり出すぞ!」
「「「応っ!」」」
号令一下、遺物堀たちは動き出した。ある者はスコップを、ある者は鍬を、またある者は縦穴での作業を続行するためつるはしを手にした。
今回はビルも地上での作業に参加するようだ。堂々とガンズの正面を横切り、巨大遺物へと歩み寄っていくふてぶてしさには、呆れを通りこしてむしろ感心する。
ヴァニが傍らに立つと、彼は早速ポケットをまさぐり、パイプを取り出そうとした。ところがヴァニの顔を見るなり大仰に肩をすくめ、ひらひらと手を振ってみせた。
「おっと、危ないところだったぜ。お前は煙を吸うと頭がイカれるんだったな」
ヴァニはスコップを突き入れ、恨めしげにビルを一瞥した。
「だから、葉っぱにはもう慣れてるって。それより仕事中だってことに注意しろよ」
「そりゃ無理な話だぜ。仕事中に吸うのが一番うめぇんだからよ。それに、こんな土塊とガラクタしかねぇ場所じゃ息が詰まっちまう。仕事しながら花畑や蝶と喋れる。最高だろうが?」
「そういうことは、せめて仕事してから言えよ。ホントに骨折られても助けてやらないからな」
「結構だ。お前がザキムたちに殴られてる間、ニヤニヤしながら見てたからよ。助けてもらえなくても仕方ねぇさ」
言ってやりたいことは山ほどあるが、ヴァニはそれ以上返答しなかった。無駄口を叩いて、こっちまでガンズに殴られるのはごめんだ。昨日のリンチで身体中が痛んでいるのに、あの太い腕で殴られたら三日は飯も食えなくなるだろう。
一方ビルは、辺りを見渡しガンズが縦穴の中へ消えていったのを認めるや否や鍬を放り出した。
今度こそパイプを取り出し詠唱すると、躊躇なく煙を吹かし始める。
「あんた、やっぱり骨折られたほうがいいぜ」
「もう何度も折られた。ガンズの野郎、本気で殴りやがるんだ。正気を疑うぜ」
「なら、そろそろ懲りろよ……。ていうか、正気じゃないのはあんたのほうだろ」
「お前が思ってる以上に〝エブンジュナの夢〟はうめぇんだよ。ところでお前、今朝は馬に乗って来られたか?」
「え? まあ、そりゃあ乗ってきたけど」
突然、奇妙なことを訊ねてくるものだから、つい手を止めてしまった。どうやら本当に正気を失っているようだ。
馬車のメンバーは、日毎に異なる。各々が所定の場所へ集い、先着順で乗りこんでゆくからだ。
「よかったな、ハッピーボーイ。俺は走ってきたぜ。パーズとフラット、それにシュリ、あと一人若いのと一緒にな。まったく死ぬかと思った。遅刻までしたらマジで殺されかねん」
どこまで真実なのか疑わしくもあったが、焦点がこちらに向いているところを見ると、どうやら事実らしいと解った。
「……ええっ? なんでそんなことになってんだ?」
当然、馬車は遺物堀全員が乗りこめるだけ用意されている。
ガンズの制裁――というわけではないだろう。ビルに関しては制裁を受けても文句は言えないが、名前の出た三人に関する悪い噂は聞いたことがない。そもそもガンズならば、そんな回りくどいことをするより、まず拳がとんでくるはずだった。
「それがよ、馬車の一つがここに放置されてたんだ。しかも驢馬が三頭も繋いであったんだと」
「昨日の作業のあと置いてったってわけではなさそうだな。馬の管理は厳しいし、仮に置いてったとしたら、ビルたちみたいに走って帰った奴がいることになる。そんなおかしなことする奴はいないよな」
「答えなんて決まってるじゃねぇか」
それはヴァニにも見当がついていた。
「昨夜、誰かがここに来て馬車を乗り捨てていったってことか」
「たぶんな」
ヴァニは手を止め、首を傾げた。
「でも、なんのために?」
「知らん。だが、犯人の見当はつくぜ」
「まあ、ザキムだよな」
このタイミングで皆勤のザキムが無断欠勤だ。犯人は私ですと言っているようなものである。
「ああ。あの野郎、おそらくこれを盗もうとしたんだぜ」
ビルはパイプをくわえたまま、ようやく鍬で土を掻きはじめた。
「盗む? こんなでけぇもんを、どうやって?」
「そりゃあ、ぶっ壊して少しずつ運ぶんだろ。とても全部は盗みだせねぇだろうが、一部を売りさばくだけでも結構な金になるだろうぜ。組合にしょっ引かれないんだからよ」
「なるほど。でもザキムは遺物を壊してもいないってか。おかしな話だな」
「まったくだ」
それきり会話は途切れた。ビルが葉の酩酊に溺れ始めたからだった。
昼休憩まで、ヴァニは作業に勤しんだ。
◆◆◆◆◆
事件が起きたのは、昼休憩が終わろうという頃だった。
その時ヴァニは、穴の縁に腰かけ例の巨大遺物を眺めていた。ビルは葉っぱでよほど気分がよくなったのか、他の連中とパイプを回し吸いしており、ヴァニは一人だった。他に話せる仲間もいるが、今は遺物の観察に努めたかった。あの声のことが未だ気にかかっていたからだ。
「昨日のは幻聴だったのか? 教えてくれよ、お前」
「……」
無論、遺物がこたえるはずもない。
しかしその時、
「……ん?」
遺物の一点に目を奪われた。
磨き上げられた水晶のような滑らかな光沢。その微かな白以外は意識を呑み込まれるような果てない漆黒。
一見してそれは昨日と変わりなかったが、ほんの一点だけが赤錆色に汚れていた。
ヴァニはポケットから手拭いを取り出し、穴へ下りた。
汚れがあるのは外縁部に近い部分だ。ヴァニの短い手足では身体をのり出さなくてはならない。
だが遺物の表面に素手で触れるのはご法度だ。人の脂は一度付着すると完全に取り除くことはできない。これを取引相手の許まで運搬できるかは定かでないにしても、取引を考慮して細かな点にまで気を遣わなければならなかった。
ヴァニはもう一方のポケットに突っ込んだ手袋を着用する。遺物の表面に片手をつき、身をのり出しながら汚れを拭き取った。
すると、それはたちまち錆のようにボロボロと崩れていった。
「待てよ、これって……」
血痕?
気付いた途端、血の気がひいた。
ほんの少量ではあったが、昨夜、ここでなにか恐ろしいことがあったのではないか、とヴァニの想像力はオーバーヒートした。
「あっぐ……!」
思わず体勢を崩し、遺物へ寝そべる形となった。頬が僅かに遺物の冷たさを捉えた。
しまった……!
ガンズの太ましい腕と吊りあがった松の眉が脳裏にひらめき、きゅっと胃が縮まった、その時だった。
「セイタイジョウホウヲカクニンシマシタ」
「うわぁ!」
突如、耳もとから声が響き渡ったのだ。
ヴァニは驚きに跳びあがり、雷鳴を聞いた猫のように、バタバタと遺物から離れた。
これを聞きつけた遺物堀たちの何人かが穴を覗きこんできた。
遺物堀たちが一斉に息を呑んだ。何人かは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、後ずさりまでした。
ヴァニの恐怖が伝播したのではない。
黒々とした巨大遺物の上に、いつの間にやら青白い光を放つ老爺が佇んでいたからだ。
ヴァニもまたその姿を認め、息を止めた。
恐ろしく大きな老爺だった。腰がやや曲がっているにもかかわらず、その背丈は、おそらく七フィート以上ある。片目は潰れているのか白く濁り、耳は奇妙に尖っていた。深いしわを刻み老いているが、その顔立ちは完璧に整えられた彫刻のようだった。
老爺は遺物堀を順々に
「シンキトウロクアンナイヲシュウリョウシマス。オツカレサマデシタ」
老爺から発せられたとは思われない声に、一同恐怖するより当惑した。
老爺は重そうな瞼を眇め、たっぷりと髭を蓄えた口をもごもごと動かして言った。
「儂を掘り起こしたのは貴様だな?」
しわがれた声は、今度こそ老爺から発せられたものに違いなかった。
老爺の目は真っ直ぐに少年を見据え、決してそこから離れなかった。
ヴァニは辺りを見渡したが、周りにあるのは土くれだけだ。唾を飲んで、ゆっくりとかぶりを振る。
「……えっと、じいさん、言ってる意味が解らないぜ。あんた、土の中から出てきたわけじゃないだろ?」
引きつった笑みを浮かべた少年を見つめた老爺は、さも面倒そうに息を吐いた。
「儂は土の中から出てきたんじゃよ。なにせ、儂の身体はこれなのじゃからな」
そう言うと、ローブの中からするりと姿を現した脚が、遺物へと打ちつけられた。不思議と音は鳴らなかった。
穴を見下ろしていた遺物堀たちが、互いに顔を見合わせどよめいた。
「ちょっと待ってくれ。とすると、あんた遺物なのか?」
老爺の一方の眉が吊りあがる。
「なるほど。貴様らはこれを遺物と呼んでいるのか。ならば、それが正しかろう。儂は遺物。名をオルディバルという」
そこへガンズが駆けつけてきた。オルディバルと名乗る老爺を見たガンズは目を剥き、愕然とした表情を浮かべた。
「光る爺さんが出てきたなんて聞いたからとんできてみりゃ、本当にこの爺さん光ってやがるじゃねぇか」
恐るおそる穴へと降りてきたガンズが、ヴァニの傍らに立った。その腰は低く沈められ、片手は腰に収められたナイフの柄に添えられていた。
「爺さん、あんた何者だ?」
ガンズのドスの利いた声が穴の中で反響した。
老爺はそれに怯むことなくぐるぐると目を回し呆れた様子を見せた。
「同じことを何度も言わせるな。儂は貴様らが遺物と呼んでいるものだ」
ガンズは低く笑った。
「おいおい、爺さん耄碌しちまってるのか? 遺物が喋るわけねぇし、あんたには身体があるじゃねぇか」
言われてみればそうだ。老爺には老爺の実体がある。遺物はあくまでその足許にあるものだ。
しかし老爺は、否定するように深く息を吐いた。
「実体などない。儂には意思こそあれど肉体はない。あるとするならば、これだけだ」
老爺は再び足許の遺物を踏みつけた。やはりなんの音もしなかった。
「儂の言葉が嘘だと思うのなら、この老いぼれに触れてみるがよかろう」
ガンズが難色を示した。ナイフを握る指に白むほど力がこもった。
ヴァニがようやく立ち上がった。
「ガンズさん、俺がたしかめに行きます」
鋭い一瞥が飛んだ。その威圧感に、ヴァニは思わず肩をすくませた。
「やめとけ、ヴァニ。あの爺さんは俺たちを誘導して危害を加えるつもりかもしれん」
その考えを肯定する余地もあったが、ヴァニは間髪入れずこうまくし立てた。
「そうだとしたら、俺たちはすでに皆殺しにされてるはずです。俺はずっと遺物を観察してましたけど、あのじいさんの姿はどこにもなかった。突然、現れたんです。そんなの魔法の力がなくちゃできるはずない。でも、そんな魔法見たことも聞いたこともない。あのじいさんは、きっと俺たちの知らない高度な魔法を使えるんですよ」
「そんな……いや、そうだとしても――」
ガンズが言い淀んだ。
その隙にヴァニは、偉丈夫の傍らを通り過ぎた。
ガンズが慌てて「待て!」と制止したが聞かなかった。
遺物の上を歩き、老爺の前に立った。
遺物堀たちの息を呑む気配が伝わってきた。
「あんたが俺に行くなって言ったんだろ?」
ヴァニは老爺に囁いた。
すると訝しむような視線で小柄な遺物堀を見下ろした老爺は、はたと思い出したように僅かに目頭を持ち上げた。
「……ようやく風を感じられたと思ったら、どこかへ旅立つようなことを言い出したのでな」
その言葉が聞けてヴァニは嬉しくなった。老爺への警戒心が途端に薄れ、笑顔さえ浮かんだ。
対して老爺は、終始不機嫌そうに眉をしかめていた。
「それじゃ、ちょっと失礼するぜ」
ヴァニは老爺の肩にそっと手を置こうとした。
「あっ……」
ところが、感触がない。
肩へ置こうとした手が沈む。光の海の中を泳ぐように。身体をすり抜け、決して捉えることができなかった。
遺物堀たちが悲鳴を上げた。
「化け物だ」、「ゴーストだ!」と。
老爺は「遺物だ」と呟いた。その声音はどこか乾ききって哀しげですらあった。
「……なるほど。俺はあんたが遺物だって信じるよ。その上でどうしたらいい? 俺たちはあんたを掘り起こすつもりでいるんだけど」
「いいや、その前に聞かせてくれ」
話に割り込んだのはガンズだった。彼はまだ老爺のことを警戒しているのか、一歩も距離を詰めようとはせず、手もナイフに添えたままだった。
「なんだ?」
「あんたは、なんのために作り出されたんだ? 遺物は、〝古の時代〟の道具だったらしいが」
「〝古の時代〟……。儂らが使われた時代はそう呼ばれておるのか。遺物という呼び名からしても、どうやら長い時が経ったようだな」
老爺は腕を組み沈思黙考した。
やがてその腕が解かれると、彼は寝言でも呟くようにぼそぼそと言った。
「儂は兵器だった。ヨトゥミリスを滅ぼすためのな」
ヴァニは足許を見下ろし半球形の遺物を見た。
ガンズや他の遺物堀たちも、巨大な遺物に目を留め、思い出したように老爺へ視線を戻した。
ヨトゥミリスを滅ぼす兵器。
それはヨトゥミリスの脅威に怯える東の民にとって魅力的な響きだった。
しかし老爺はその期待を裏切るように、こう続けた。
「だが儂は、もう兵器として力を使うことはできん。今はただ、こうして言葉を話すだけの爺よ」
さらに老爺は卑屈に笑い、吸い込まれるような晴天を眩しそうに見上げた。
「どうか儂のことは放っておいてくれまいか。途方もない時の中、暗闇に抱かれ息苦しい日々を過ごしてきた。今しばらくは、この明るい地上を見ていたいのだ。頼む、今を生きる者たちよ」
◆◆◆◆◆
未知には常に好奇と恐怖が付随するものだ。
最初、遺物が発掘された際も、それは未知だった。人々は遺物に好奇と畏怖の眼差しを向け、ある者はその解明に努め、ある者は見て見ぬふりをした。
遺物の解析は遅々として進まなかった。対して未知に対する恐怖は、日常の中へ融け薄れていった。未知であることに変わりなくとも、人々は長い時の中で無害であったものを、これからも無害と思いこむ力に長けていた。
人々の心から恐怖が薄れてゆくと、遺物には資源としての価値が生まれた。
遺物は金属の塊として認識されるようになったのだ。
しかしそれが一度声を発し、力あることを示した時、人族の理解はまた異なる方向へと進み始めた。
遺物堀たちは巨大遺物の採掘を取りやめた。
単に不気味なだけでなく、オルディバルを名乗る老爺が現れ、哀れましい言葉を発すれば、気も滅入るというものだ。
遺物堀は巨大遺物を放置し、これまでの縦穴作業に戻った。小さな遺物を回収しては、それを売りさばく日常へと戻った。
だが彼らの価値観は、そう簡単に日常へと還ってはくれなかった。一度思い起こされた遺物への「未知の力」は、彼らの心に忘れられていた好奇と畏怖を呼び覚ましたのだ。
ある遺物堀は、遺物を見るたび言い知れぬ不安を覚えた。
これがなにに用いられていたものなのか。我々にとって無害なものと言えるのか。
手のひらの上に乗る細々として土に汚れた遺物が、途轍もない危険な可能性を秘めたもののように思えるのだった。
一方、ヴァニ・アントスなどは、好奇に芽生えた者だった。彼は休憩時間になると縦穴から出て、老爺の許を訪ねていった。
しかし老爺は少年を快く思っていないようだった。巨大遺物に触れ、女性の抑揚ない声とともに長躯が浮かび上がる度、彼は決まって顔をしかめ目を逸らすのだった。
「どうだい、オルディバルさん。高い空を見上げるのは気持ちいいかい?」
「放っておいてくれ。そう言ったはずだ」
ヴァニはまったく相手にされなかった。それ以上なにを話しても無視されてしまうのだ。
それでも遺物堀の少年は、毎日かれの許を訪ね、傍らで弁当を食べた。なにを話すわけでなくとも、共にいるだけでその心には亢進があった。
未知に対する好奇だけがそうさせるのではない。彼の中に揺蕩う祖父の幻影が、老爺の輪郭とぴたりと重なって見えたのだ。
時にはヴァニとともにビルもやって来た。彼はヴァニのようにしつこく話しかけたりはしないが、かと言って、老爺に遠慮があるわけでもないらしかった。彼は普段通りパイプに葉を詰め、魔法を行使して煙を吸っていた。
そんな日々が五日も続いた頃。
ひどく空の曇った日だった。
巨大な錆びた鉄蓋をかぶせたような赤っぽい曇天が、雷雨の訪れを報せていた。
いつものようにヴァニは遺物の傍らに腰かけ、ビルはパイプを吹かしていた。
そこへ意外なことに、老爺のほうからこう訊ねてきたのである。
「……ヨトゥミリスどもは、まだ生きているのか?」
ヴァニは老爺から話しかけられたことに、さしたる驚きを見せなかった。ビルは内心意外に思ったが、煙で頭がクラクラしてきたので表情は虚ろだった。
「……生きてるさ。五日か六日ほど前も、十人近い魔法使いがやられたらしい。その前日には三人。魔法使いはしょっちゅう死ぬんだ」
「やはり滅ぼすことはできなんだか」
老爺の肩が投げ出されたように大きく沈んだ。
「やっぱり、オルディバルさんはなんか知ってるのか? 古い時代のこと」
老爺が沢山の毛に覆われた頭を抱えてかぶりを振った。
「残念ながら、ほとんどなにも憶えておらん。かつて大きな戦があり、ヨトゥミリスを殲滅しようとしたことは、はっきりと頭にあるが、それだけだ。詳しいことは、土の中にいる間に忘れたようだ」
「あんたも吸うかい?」
不意にビルが煙の立ち昇るパイプを差し出した。
オルディバルは片頬を吊り上げて自嘲的な笑みで返した。
「儂は景色を見て、音を聞くことはできる。だが、匂いを感じることはできんし、息を吸うこともない。気持ちだけで充分じゃ」
「そうか、悪かったな」
その時、不意に赤錆の空が二つに割れた。雷鳴が大気をばりばりと喰らい、土塊が微かに震えた。
一つ、二つと雨粒が落ちた。
それがたちまち盥をひっくり返したような土砂降りへと変わる。
老爺の輪郭が雨を透過して乱れ、ぞわぞわと揺れた。
「嫌な空だったが、本当に来たな!」
ビルが毒づくと、頭の中をシェイクするように金属を打つ音が轟いた。誰かが鍋を叩いている。撤収の合図だ。
遺物堀たちは手際よく穴にシートを被せ、それを固定すると、尻に帆をかけて荷馬車へと駆け出していった。
「オルディバルさん! 俺たちも行かなくちゃ!」
ヴァニは老爺を一人ここに取り残してしまうことに憐憫の情を催し、すぐさま穴をでるのに躊躇した。
しかし老爺は小さく頷き、薄暗いシートの中で、微笑を浮かべた。
「行くがいいさ。儂にとっては久しぶりの雷雨。却って気持ちが良いだろうよ」
「ごめん! また来るから!」
ヴァニたちがシートの隙間から這い出すと、その背中はすぐに見えなくなった。
オルディバルは独りになった。
孤独には慣れたものだ。果てしない時を、土の中で生きてきたのだから。寂寥などとうに忘れた。
ただ雷が喧しく、温感を失ったはずの身体に、湿った空気が冷たく沁みるようだった。
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