1-1.トラブルメーカー
高校入学前の春休み、二日目。
一体の
そうすることで自然と呼吸は深くなり、酸素に交じって自然エネルギーが身体中に循環していくのを感じる。
例えるのなら、時計のネジを巻き直すような感覚。そうして七々緒の一日は始まる。
暫し静寂が七々緒を包み、やがてゆるりと七々緒の瞼が上がりかけた時。
三門の外から、けたたましい自転車のブレーキ音が飛んでくる。聞き慣れたとは言え、決して耳心地のいい音ではない。
七々緒はつい溜息をこぼし、本堂から縁側に出ると。
「なぁぁぁなぁぁぁぁおおぉぉぉぁぁぁぁ!!!!」
猪突猛進してきた幼馴染みの「シロ」こと天草十四郎に、重いタックルをかまされ、そのまま体制を崩して腰を強打。ついでに後頭部も軽く打った気がした。
「………………痛」
「っ、わ、悪い……止まるタイミングミスった……ッ」
同年代の男に押し倒されると言う状況に、七々緒は既視感を覚える。
あれは去年の夏。「受験勉強とは名ばかりの納涼百物語大会」にて、十四郎を含めた友人達が宿坊に泊まりに来た時に見た光景と同じ。
怪談話で恐怖を植え付けられた十四郎が、頑なに友人の一人を放そうとせず、結局そのまましがみつかれた友人と十四郎は、同じ布団で一夜を明かした――。
友人曰く、その夏一番の恐怖事件。半年と少し間を置いて、七々緒自身が似通った「恐怖体験」とやらを味わうことになるとは。
七々緒は自分の腹の上に見えた金色の頭を見やり、再び溜息を吐き出すと。
「……とりあえず、はよどけ」
「あだァッ‼」
視線の先の金色に綺麗な手刀を一発くれてやった。
その威力を証明するように、十四郎は脳天の痛みに悶えながら縁側でのた打ち回っている。
大袈裟、ともらすと、涙目の茶瞳が勢いよく七々緒に向いた。
「お前ェ! 朝っぱらからチャリ飛ばして駈け込んで来た幼馴染みに、ウエルカム脳天チョップ繰り出すかっ!? フツー?!」
「元はと言えば、シロが突っ込んできたからでしょ。あと、フツーの奴は朝っぱらから人の家に無遠慮に押しかけない」
「そーだけどそーじゃねんだよっ! こんな時間から押しかけるほどの事情があるから、チャリかっ飛ばして来たんだよ!」
「へぇ、そう」
「頼むから話聞いて‼ 興味なさげにしないで! 七々緒にしか頼めないお願いがあんのォ!」
【お願い】と言うフレーズに、七々緒は面倒事の気配を察知する。
この男――天草十四郎が「話を聞いてくれ」から始め「お願い」とつく言葉で締め括る時、のちに厄介事にならなかったことは一度もない。
直近で言うなら、高校受験の時。
勉強を教えてくれと家に泊り込まれ、不安と緊張で眠れない彼を寝かしつけ、早朝学習に付き合い、緊張型腹痛に苛まれる彼に淡々と声をかけながら試験会場に赴いた。
もう少し遡るなら、小学5年生の夏休み。
学校からの帰り道にある大型犬を飼っている家の門扉前に、家の鍵を落としたと泣きつかれ――結局、門扉越しに人懐っこい大型犬に舐め回されながら、鍵を回収。
正直言って、思い返せばキリがない。
内心、次に起こるであろう面倒事を想定している七々緒のことなど気付かず。
脳天チョップで冷静さを取り戻した十四郎は、頭を押さえながらその場に鎮座し、ふと神妙な面持ちになると。
「実は俺さ……昨日、バケモンに襲われたんだよ‼」
仰々しい雰囲気を漂わせながら、真剣な眼差しで七々緒に告げた。
七々緒は一度瞬くほどの時間を置いて、淡々とした声で返す。
「——それは今朝見た夢の話?」
「バッカちっげーよ! 誰がわざわざ夢の話しに朝っぱらから来るかァ! 夢占いでもしてくれんのか!? 吉凶占ってくれるってか!?」
「いや、しないけど。つまり何? どういうこと?」
「言葉通り、バケモンに襲われたんだって! 何て言うかこう……白くて粉塗れの、油で揚げる前の肉みたいな見た目で! でも、腐った肉? 的な臭いがしてさ! 人間の肌みたいな質感なんだけど、底なし沼みてーにずぶずぶ呑まれていくような感じで、でもあれ生きてる感じで! つまり! 形崩れしただるだるのぜい肉の腹みたいな感じのバケモンに襲われたの‼」
「うん。何言ってるのか、全然わからん」
「俺も言っててわかんねーよ!」
自分自身にツッコミを入れるように膝を叩き、両肩が目に見えて上下するほど、興奮気味に荒い息をこぼす十四郎。
七々緒は癖のある色素の薄い髪を軽く梳くように頭を掻き、小さく息をついた。
この“天草十四郎”と言う男は、何かあると血の繋がった親きょうだいを差し置いて、何故か七々緒の元へやって来る。大抵それは“面倒事”と言う類のものだが。
幼い頃から一先ず話を聞いて、諸々の処理をしている内に、妙に厚い信頼を抱かれるようになってしまった。
七々緒が戸惑いを隠せていない十四郎の姿を目視し、口を開きかけた時。
「昨日だってさぁ! 俺、そのバケモンに襲われた後、どーやってウチ帰ったのか覚えてねーんだよ! 帰ったら帰ったで、俺見つけた母ちゃんに「玄関前で何、飲んだくれみたいに座りこんどるんじゃアホンダラァ! ご近所さんに見られたら恥ずかしいから早くウチ入れ!」とか言われてシバかれたし! てか、普通息子が玄関先で座り込んでたら心配しない!? するよねフツー!? もーこれ呪われてんじゃねーの俺!? “鬼”みてーな男とか“弁慶”みたいな奴とかも見た気がするしよぉ! ゲームのやり過ぎかチックショー! あぁぁぁぁぁぁ段々言ってて意味わかんなくなってきたし、何言っちゃってんの俺ぇぇ! 祟られた!? 呪われてんの!? もぉぉぉやだぁぁぁぁッ‼」
半ばパニック状態で早口に言葉を吐き散らかした十四郎の勢いに、反射的に唇を噤む。
そして次の瞬間、
「だからさだからさ! これ、お前の父ちゃんにお祓いとかしてもらっ――――」
「
三門の方から飛んできた七々緒の弟・
そう言えば、普段ならとっくに自宅に戻って、朝食を取っている頃。母親あたりに頼まれて、声をかけにきたのだろう。
七々緒が三門付近に見えた小さな人影に向かって「もう戻る」と返せば、「早くしてよー」と言い残し、八千流はさっさと立ち去っていった。七峰家の食卓は、出来うる限り家族そろってが決まりである。
七々緒はコントのように体勢を崩した十四郎を見やって、声をかけた。
「——とりあえず、朝飯だから家戻っていい?」
「…………ウン……まぁ、そんな時間だもんね、仕方ない……ウン」
慣れた手付きで本堂の戸締りをし、階段のそばに寄せ置いていた靴を履き、さして急ぐ様子もなく三門を出ようとする七々緒の後ろを、十四郎もとぼとぼとついていく。
それに気付いた七々緒は振り返って口を開いた。
「ついてくる気?」
「ウン。起きて歯ァ磨いて、着替えてきただけだし。ぶっちゃけ、まだ話足りてない。全然整理つかない。夢なら夢だと誰かにハッキリ言ってもらいたい」
「ふーん」
「で、最悪の場合はお祓いとかしてもらいたい。お守りとかお
「うちの寺、そういうのやってないと思うけど」
「マジかよ。もう俺、厄除け魔除けなんでも縋りたいんですけど。地獄先生とか紹介してほしいぐらいなんですけど」
「何、地獄先生って」
「え、お前知らねーの? あの懐かしのアニメを。夏休みの朝とか毎日放送してたじゃん。あ。とりあえず、チャリから親戚の畑で採れたトマトと春キャベ、持ってくるわ。母ちゃんに持ってけって持たされた」
「どーも」
七々緒は背後に十四郎の気配を感じつつ、日輪寺の隣に建つ二階建ての一軒家へ歩を進める。
そこは【七峰】の表札が掲げられた――七峰七々緒の生家だ。
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