1-2.七峰家

 食卓には既に家族と昨夜から泊まり込んでいる従兄の分に、十四郎の分が加えられた朝食が用意されていた。

 恐らくだが、先程七々緒を呼びに来た八千流がこの展開を予見し、母に伝えていたのだろう。幼いながらも要領のいい弟は、何かと気が回る。


 今日の朝食はおにぎり二つに梅干しが一つ添えられ、椀にはわかめと豆腐の味噌汁。食卓の真ん中に、玉子焼きの皿と昨日の夕飯の残りである肉じゃがという献立。

 七々緒と母以外の家族は、既に自分の席に着いていた。そこへ、


 「おかえり、七々緒」

 「ただいま」

 「おはざますっ、おばさん!」

 「おはよう、十四郎くん」


 台所から現れた七峰家の母は、茶瓶を手に七々緒と十四郎を優しく迎え入れる。


 「ご飯出来てますよ。さ、早く手を洗って座って」


 母の言葉に首肯し、七々緒と十四郎は入れ替わるように台所へと向かった。

 洗い場に置かれたハンドソープを使って手を洗い、傍にかけられたタオルで水気を拭うと、それぞれ空席になっていた場所へ腰を下ろす。

 全員が食卓に着いたところで、上座に座る祖父が両手を合わせた。


 「いただきます」

 「「「「「「いただきます」」」」」」


 食材や調理者への感謝。そして、不自由なく食事ができることの有難さを大切にせよ――と、掲げる祖父の教えにより、七峰家では食事時の挨拶は必須。

 例えそれが来客であろうと子供であろうと関係ない。それが七峰家のルール。

 誰しもすっかり身体に染み付いたものと、揃って食事に手を付け始める。


 「やっぱり朝ごはん食べに来たんだね、とーしろー」


 食事中、まず口火を切ったのは八千流だった。

 ちなみに食事前後の挨拶以外、特に厳しいルールは設けられていない。その為、お喋りもテレビも何ら問題はない。


 「やっぱりってなんだよ、やっぱりって」

 「だって、朝っぱらから兄ちゃんのとこ来てんだもん。春休みで浮かれるなんて、子供みたい」

 「今日から春休みだきゃほーい! さっそく七々緒んとこ遊びに行こ~! ――ってなるかァ! もう高校生だぞ俺は! 小学生じゃあるまいし!」

 「小学生でもなんないよ、そんなの。てか、遊びに来たんじゃないなら何しに来たのさ」


 子供らしからぬ呆れたような目で十四郎を見る八千流に、七々緒の隣から悔し気な唸り声が聞こえたが――七々緒はあまり気にせず、味噌汁の碗に口をつけた。


 「ふんっ。小4のお子様には刺激が強いから、内緒だ内緒」

 「なにそれ、子ども扱い? 僕もう小5だよ」

 「へっ。小5もジューブン子供だ、子供。あ、おじさん。醤油もらっていっすか?」

 「ん? あぁ、ほら」

 「あざす!」


 十四郎は中央の皿から玉子焼きをひと切れ取り、上座近くに腰を下ろしていた七々緒の父に醤油差しを取ってもらう。

 それを玉子焼きにちょんと垂らし、十四郎は説教臭い酔っ払いの如く八千流を諭し始めた。


 「大体なぁ、八千流。子供扱い子供扱いって、ぶーたれてる時点で子供なんだよ。一人で富士山ふじやまハイランドの戦慄学園入れるようになってから言えバカヤロー」

 「とーしろーだって入れないくせに」


 唇を尖らせる八千流、どや顔で玉子焼きを平らげる十四郎。

 小学生と同じ土俵で大人げない例えを繰り出す十四郎の方が子供ではなかろうか。

 二つ目のおにぎりを手にしながら、七々緒はそんな疑念を抱く。


 「八千流。十四郎くんがいて楽しいのはわかるけど、今日はお友達と出かけるんでしょ? 準備しておかなくていいの?」


 そこへやんわり間に入ったのは、台所の長である母の声だった。

 八千流は思い出したような顔で一声をもらし、十四郎の相手などしている場合ではなかったと食事へ意識を向けた。


 「なんでぇ。おめーこそ、朝から友達と遊ぶ気満々じゃねーか」


 やれやれ、と茶を一服する十四郎。すると、ちょっとばかり“むっ”とした顔の八千流が反論を立てる。


 「友達と遊ぶんじゃなくてデートだよ! デート! 今日、彼女と初デートなんだ」

 「はぁん? 今、小学生のくせして「デート」つった? 女友達と遊ぶだけでデート呼ばわりたぁ。ったく、これだからお子様は。覚えた言葉をすーぐ意味もわかんねーで使いやがって」

 「友達じゃないってば! 先月のバレンタインに告白されて、ホワイトデーに返事してさ。付き合うことになったんだよ!」


 きっぱりと言い切った八千流の態度に対し、徐々に十四郎の挙動が不審になっていく。

 焦りと呼ぶのか、動揺と呼ぶのか。表情が回転パネルのように着々と変わっていく。傍観している分には、大変痛快な絵面だ。


 「ば、ばばばばばかやろ。付き合うっておめー、い、いいい意味わかって言ってんのか? おてて繋いで遊びに行くとかそういうあれなら、俺だってもう幼稚園くらいの時に経験してっから。お、おお大人からかってんじゃねーよまったく」

 「お茶、こぼしてるよ。……ねぇ、とーしろーって、ホントに僕より年上?」

 「たりめーだァ! 何、可哀そうな人を見るような目で見てんだ八千流ゥ!」

 「だってさぁ」


 絵に描いたような動揺っぷりに、小学生の八千流ですら呆れているように見えた。ついでに、中高生も世間一般的に見れば、子供に分類される。

 他の家族からも、生暖かい笑みを向けられていることに十四郎は気付いているのだろうか。恐らく気付いていない。

 七々緒は表情一つ変えず、周囲のやり取りを観察・分析しながら、口に含んでいた梅干しの種を皿の隅に寄せ置き、徐に手を合わせる。


 「ご馳走様でした」

 「はい、お粗末様」


 母の声を耳にしつつ、空になった食器を纏め、席を立った足で食器を台所のシンクに浸け込んだ。

 ふと振り返った先で、食卓を囲む家族と十四郎のやり取りが視界に映る。まるで、ホームドラマのありふれた日常シーンのようだ。

 七々緒は思わずシンク台に腰を預け、部屋の敷居越しにそんな光景を眺めてみる。


 何度見ても、七々緒はに現実感を抱けない。

 同じ家の中に存在していたとしても、七々緒の中では【テレビの中の住人】と、【視聴者】のような感覚。


 あたたかで穏やかな家庭、美味しい食事と笑い声が広げられた食卓。

 どこにでもあり得そうで、とても恵まれた幸福しあわせな環境に自分が置かれていると理解はしている。

 しかし――


 「——何べん考えたって、ねェもんはねェんだから考えるだけ無駄なんだよ」


 唐突に振りかかった声に、徐に視線を向ける。

 そこには昨夜から七峰家に宿泊していた七々緒の従兄、半田社はんだやしろが面倒臭気な顔で立っていた。


 赤みがかった髪はいつ見てもハリネズミのように攻撃的なセットで整えられ、淡褐色のは刃のように鋭く、健康的な肌色が目立つ筋肉質な四肢と、鍛え抜かれた体躯は格闘家を彷彿させる。

 おまけに、顔面偏差値はいつ見ても俳優になれそうな美顔レベルだ。

 しかし、そんな男の手には空の食器と湯飲み。どうやら食事を終え、食器を浸け置きに来たらしい。


 「もういいんですか?」

 「あ? 朝飯なんざ、あれくらいで充分だろうが。食べ過ぎると逆に動き辛ェんだよ。横っ腹が痒くならァ」

 「そうですか。なんて言うか……流石の“半田社”も25過ぎるといよいよおっさん染みてき――痛」


 見て感じたことを口にしただけだと言うのに、半田の武骨な右手が七々緒の頭を軽く小突いた。骨と骨が当たったらしく、地味に痛い。

 小突かれた部分を軽く押さえていれば、両手を空にした半田は七々緒の隣で腕を組んでみせる。そして、


 「てめェは十年経っても変わらず、可愛げのねェ生意気なクソガキのままだ。この“オレ”に向かって、そんな口が叩けるんだからな」


 視線を七々緒に向けることなく、荒く鼻を一息鳴らして、そう吐き捨てた。

 七々緒は緩慢な動きで半田を一瞥し、ほんの少しだけ目を細めて口を開く。


 「――そりゃまぁ……貴方は俺の、“半身”ですから」


 そう言いつつ、七々緒は不意に自身の心臓辺りに手を当て、十年前の“記憶”を徐に紐解いた。


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