1-3.「七峰七々緒」

 七峰七々緒は、自身の記憶と感情の大部分が欠落している。


 自身を中心とした人間関係、過去を語るに欠かせない想い出や体験などは元より、生まれ育った故郷や実の親の存在すら、明確に認知できない。

 そして、ごく一般的な人間としての喜怒哀楽も、記憶と共にどこかへ消え失せた。おかげで、感情表現は酷く微かなものでしか扱えない。


 原因は十年前、家族で近所の公園に出かけた際に経験した水難事故による“臨死体験”。その際、七々緒はをした。

 ため池に落ちたはずであるのに、幼い七々緒が気付いた時には草木生い茂る山中に放り出されていたのだ。例え子供であっても、そこが今までいた公園ではないと認識できる。


 しかし、幼い七々緒にそんな戸惑いを抱き続けられる猶予は与えられなかった。


 突然、辺りに生い茂る緑を掻き分けて現れた小鬼バケモノに痛みを感じる間もなく首を噛み切られ、内臓を喰い荒らされて


 偶然その場に居合わせた【首無しの鬼バケモノ】に、命を拾われるまでは。 


 口外すれば間違いなく嘲笑われるような話だが、これは紛れもない真実である。


 喰い荒らされた血肉の穴は【首無しの鬼】の通力と血肉によって塞がれ、喰い尽くされた記憶や感情と言った精神内臓は【首無しの鬼】のものを一部移植し、生体回路を結ばれ、機能回復された。

 元の記憶や感情が戻ることはないが、首無しの鬼の記憶原本が覚えていることは、結んだモノが切れない限り忘れることはない。


 だから、【首無しの鬼】は今も七々緒の隣にいる。七峰七々緒を生かす為に。


 七々緒の従兄・半田社――それは、あの水難事故の際にため池に落ちた七々緒を救い出した人間であり、現世に現れた【首無しの鬼】の仮の姿。

 その正体は、千年以上も前に異界に下った平安時代の鬼王・酒吞童子しゅてんどうじ。そして、七峰七々緒の存在維持を握る“主”でもある。


 酒吞童子には、首から上が無い。

 しかし、【半田社】には無駄に整った顔面凶器こわもてがあるが――あれは鬼の通力の一つ、神境じんきょうによって生成された義首である。

 それを証明するように、季節問わず襟首を覆うものの下には、大きな斬首痕きずあとがつなぎ目のように存在する。


 だが、七峰家の者達はこれらの秘密を一切知らない。


 七々緒の記憶に関しては、十年前の事故による記憶障害の一種だと当時の医者が、知らぬ内に補完的役割を果たしており。半田社の存在に関しては、自身の通力によって容易く記憶を改ざんしたと聞いた。


 異界からのぼり、病院の寝台ベッドの上で目を覚ました直後の家族の悲壮な表情かおは、真っ新な記憶媒体で一番記録したせいか。十年経った今も、やたら鮮明に焼き付いている。

 だが、退院する頃には、記憶や想い出は創り直せると家族かれらは気丈に笑い、気を病むことなくこの十年――愛情をかけ、七々緒を育ててくれた。


 だから、七々緒もそんな彼らを“家族”として認識するようにしている。


 何も知らず、赤子だった弟も成長した今、七々緒を“不愛想な兄”と慕ってくれる。


 だから、七々緒も“弟”として【七峰八千流】を認識するようにした。


 情報録じょうほうろくに書き足すように、取扱説明書を読むように、七々緒じぶんが【七峰七々緒】と言う人間に見えるように――。


 「——で?」


 つい過去らしい過去に思いを馳せ、視線を半田に向けてしまった七々緒。

 そこでやたら眼力のある泡褐色の瞳が、射貫くようにこちらに向いていたことに気付く。


 「十四郎の奴、一体何の用で来やがった」


 次の瞬間、獲物を捕らえるような半田の眼光は、七峰家の家族と談笑交じりに朝食を取っている天草十四郎に向いた。途端に十四郎が身震いしたように見える。

 七々緒の淡泊な色をした瞳もつられて向かう。つい先程、本堂で繰り広げられた十四郎とのやり取りを半田に伝わる言葉で簡潔に語った。


 「——昨夜きのうことで、話があるみたいで」


 その刹那、半田の眼光が一瞬鋭さを増し――肌に吸い付くようにしている黒いタートルネックを徐に指で弾くと、不服げに舌を打った。


 「アイツ……気ィ失ってたクセして、覚えてやがったのか。面倒臭ェ。ドタマに一発入れとくべきだったな」

 「いや、全部ハッキリ覚えてるってわけではなさそうで。ハッキリ言ってきたのは、「バケモンに襲われた」ってことだったし。ただ……」

 「……? なんだ」

 「——“鬼みてーな大男”と“弁慶みたいな奴”を見た気がするって」

 「——————————————————————はぁ?」


 七々緒の言葉に、半田は狂気すら感じ得そうなほど目をかっぴらいて聞き返す。

 小さな子供が見れば、間違いなく恐れおののいて泣き出してしまう表情かおだ。


 「何だオイ? アイツ、見てたのか? え? コラ」

 「圧、圧が凄い。殺気すら感じるんですけど。と言うか、全部ハッキリ覚えてるわけじゃなさそうって、先ず言った――」

 「あン?」

 「あ、なんかすいません」


 精神内臓の回路が繋がっている為、半田と七々緒はそれぞれ多少の精神介入が出来る。記憶や感情、体験の共有と言ったものもそれの一種である。

 特に感情は、“温度”のようにして相手に伝わってくる。半田に正論を返した七々緒が即座に謝罪を口にしたのも、半田の“いかり”と言う熱を感じたからだ。

 決して、相手の感情を気取り、理解しようとしての言動ではない。

 七々緒は未だ、喜怒哀楽をなんとなく理解するだけで精一杯なのだ。


 感情ばかりは、知識や体験のように身体に覚えさせるのとは勝手が違う。


 だから、【七峰七々緒】は周囲から「不愛想でわけのわからない人間」だと認知されている。


 困りはしない。傷付きもしない。ただ、他人はそれを不安がり、不気味がる。

そして、七々緒はそれが理解できない。

 昔、とある同級生が「機械人形ロボット」と揶揄やゆした。

 言い得て妙だと思った。何故か、傍にいた悪友と呼ばれている二人の方が腹を立てていた。

 それもまた、理解が出来なかった。ただ――


 その度に自分は七峰七々緒にんげんではないと言う、実感だけが蓄積していった。


 そして、


 「チッ」

 「ん゛っ」

 「俺が近くにいる時にくっだらねェこと考えんな、っつってんだろ。距離が近ェと介入してくる情報量が多くなるって、何回言や覚えんだクソガキ」

 「ふみまへんすみません


 その度に少し乱暴な喝が入る。摘ままれた鼻が熱を発して痛んだ。

 隣で不服気な鼻息の音が鳴ったのを耳に入れつつ、解放された鼻を押さえていると、徐に食卓から十四郎が席を立つのが見えた。


 「オイ」

 「ハイ」

 「とりあえず、話は聞くだけ聞け。面倒になりそうなら処理する」

 「——了解」


 半田にもそれが見えたのだろう。気だるげにそう告げ、冷蔵庫からワンカップ酒を取り出して、半田は台所を後にした。

 そして、半田と入れ替わるように台所に入って来た十四郎。手に持った食器を浸け置きながら、視線を彷徨わせつつ口を開いた。


 「あれ? 社さんは? さっきまでいたよな?」

 「客間へやに戻ったと思う。今日あの人、仕事休みだし」

 「へー、そーなんだ」


 十四郎は気の抜けた笑い声をこぼし、徐に両手をジーンズのポケットに突っ込むと同時に深く息を吐き出す。


 「……で、さぁ? さっきの話の続き、なんだけど……」

 「ん。あぁ――じゃあ、部屋で」

 「おう」


 そう言って廊下を指すと十四郎は頷き、先に出た七々緒の後に続く。

 一般的な住宅よりも少し傾斜のある階段を上り、二階突き当りある扉を開いてやると、十四郎は「おじゃま」と慣れた足取りで部屋に足を踏み入れる。

 そして、小さなテーブルの前に置かれた座椅子に腰を下ろしたところで、一息ついた。


 「相変わらず綺麗に片付けてんなー、お前。俺の部屋なんか、母ちゃんに言わせたら足の踏み場もないゴミ部屋なんだとよ。人のこと言えた義理かっつーんだよ」

 「俺、ゲームも漫画もあんまり興味ないから」

 「だよなー。お前、変わったもんばっか興味あるし」


 七々緒の部屋にあるのは、勉強机と小さなテーブルに座椅子。それから、綺麗な和柄の襖が目につく押し入れとプラスチック製の三段チェスト。壁にはカレンダーとシンプルな掛け時計だけ。

 本棚には、寺の息子だからかと勝手に納得されがちな仏教関係の書物が多数。他に人体化学や心理学、民俗学と言った書物も存在する。


 「ここまで来ると、部屋に仏像彫刻でもある方が自然に思えてくるわ」


 小難しい仏教関係の書物に視線を向けながら、十四郎は乾いた笑みを浮かべた。


 「仏像は本堂に行けば見られるし。まぁ、あってもいいとは思うけど」

 「今時の男子高校生は仏像どころか、木彫りの熊すら部屋に置かねーと思うぜ?」

 「ふーん、そうなんだ」

 「そーなんだよ。毎朝、寺で座禅組んでる男子高校生は多分お前くらいだよ」


 勉強机に備え付けられた椅子に腰かけ、淡々とした相槌を打つ七々緒に、苦笑を浮かべていた十四郎だったが――ふと、それが途切れ、七々緒に視線を向けた。

 そして、数秒の間が広がった後。


 「——で? 昨日【バケモノ】に襲われたって話だっけ」

 「へっ!? あ、そ、そう! それ!」


 七々緒は前触れもなく、本題を切り出した。

 一瞬、十四郎が戸惑ったような反応を見せた理由は七々緒にはわからなかった。


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