第一頭 悪食暴食

プロローグ

 天草十四郎あまくさとうしろう、十五歳。この春から境阪きょうさか市内にある河神かわかみ高校に進学予定。

ちなみに、生まれてから現在まで彼女はいたことがない。


 そんなごく普通の男子高校生(仮)は、今日から楽しい春休みを開始させた。


 朝。

 適当に朝飯を平らげ、近所に住む幼馴染みの元へ、けたたましいブレーキ音が目印チャームポイント愛車ママチャリに跨り突撃。

 今日から春休みだぜ? 遊びに行くっきゃねぇ! と爽やかな誘いをかければ、辛辣で冷めた視線が全身に刺さる。

 だが、そんなもの慣れたもんだと、愛想の薄い幼馴染みを有無を言わさず外に連れ出した。


 しかし、昼。

 学生の財布に優しいファストフード店で食事中、幼馴染みのスマホが鳴り、急用が出来たと放置される。

 薄情者! と本人がいなくなったところで愚痴を飛ばすも、うちに帰る気にもなれなくて。

 駅近くのスーパーの中にあるゲームコーナーで、時間を潰すことにした。


 そして、夕方。

 空腹を訴えるように腹が鳴り、財布の中で八人兄弟だった野口英世も何人か出ていっていたことに気付き、仕方なく帰路についた。

 そこまではいつもと何ら変わりない――はずだった。


 (ウソだろウソだろウソだろ。なんで? ねぇなんで!? なんでこーなった!?)


 今日一日の行動を思い返しつつ、十四郎は自然と歩むスピードを上げる。

 頭のどこかでさっさと全速力で走り出せ、と指摘する自分もいるくせに。駆け出した瞬間、もっと恐ろしい思いをしてしまうような気もするのだ。

 十四郎の脳内は、何かしらの理由を見つけようとしていた。


 だって、理由がなければ納得がいかない。どうして自分がこんな目に。


 半ばパニック状態の頭を回転させ、十四郎は脳内タイムリープを再開させる。


 確か、スーパーを出たのが十八時頃。

 帰り道の駅前でアルバイトの面接帰りだと言った、中学時代のクラスメイトと偶然会い、家まで送り届けた。

 三月の夕暮れ時。空は薄暗く、女子一人では物騒だと格好をつけたのだ。

 別段、いい雰囲気にもならなかったが――お礼にと、コンビニで買ったばかりのチョコレートをもらった。

 それから間もなく、ついでとばかりにその近所にある友人宅に立ち寄ってみた。

 貸していたCDを返してもらうだけのつもりが、三十分ほどくだらない話に花を咲かせ――十四郎は現在進行形で、“三十分前の自分”を思い切りラリアットしてやりたい衝動に駆られていた。


 三十分。それだけあれば、余裕で帰宅していた。ついでに、十八時半から放送しているアニメも見れた。

 ちなみに、今日が最終回だったことを思い出したのもつい今しがただ。


 こんなことなら、早々に家に帰ってTwitterで最終回実況しながらリアルタイムでテレビにかじりつけばよかった!


 そうしていれば、こんな風に――に後を尾行つけられるなんてこと、なかったのだ。


 (~~~~っ! まだいるしィィィィ!)


 何気なく背後に視線を向け、すぐに正面に戻す。いた。まだいた。

 見た目はどこにでもいそうなサラリーマン。だが、その眼つきが異様で、ずっとこちらを見ている気がした。

 霞んだ月明かりがより一層、不安を掻き立てるのかもしれない。

 せめて煌々と夜を照らす満月なら心強かったものを、と十四郎は無茶な恨み言を唱える。


 いつだ。いつから、あいつはいた?


 必死で記憶を巻き戻してみるが、恐ろしいことに何も思い出せない。

 昼に食べたファストフードのやたら長いセットメニューの名前なら、つらつらと出てくるのに。


 十四郎とて、最初はただの偶然だと思ったのだ。

 不審に感じたのは、十四郎がスマートフォンに届いたメッセージの返信をしようと、道端に寄った時。


 誰かが一度、十四郎を追い抜いたことは何となく覚えている。

 しかし、十四郎が再び歩き出して暫くすると、背後にまた誰かの姿があった。

 姿形はよく覚えていないのに――なんとなく、先程追い抜いていった“誰か”と同じように感じたのである。


 違和感を感じた十四郎は、つい歩調を早めたり緩めたりしてみた。しかし、“誰か”はピタリと同じ距離を保ってついて来る。


 十四郎は悪寒を感じ、足早に家路に着こうとした。

 もう少しすれば、大きな車道沿いの道に出る。何かあったとしても、きっと誰かが気付いてくれる。


 だが、そんな時。十四郎は、ふと先日テレビで流れていたニュースを思い出す。

 仕事帰りの若い女性が、見知らぬ男に家まで後をつけられていたことに気付かず、危うく家に上がり込まれて襲われそうになった事件。


 テレビを見つつ、おっかねーと他人事のようにぼやいていたが――ネガティブ思考に囚われていた十四郎は、現状とニュースをリンクさせ、“もし、このまま家まであいつがついてきたら……”と思わず自宅から遠回りになる道を進んでしまった。


 (ってアホか俺はァァァァ! なんで住宅地入ってんの!? 馬鹿なの!? ねぇ!? どアホで大馬鹿野郎なの!? つーか、誰も通らねーしっ! てか、なんで俺ーーーーーーーーーっっ!!!!)


 世間一般的に考えて、男は女よりも力が強く、身体も大きい。男が“か弱き者”として世間に見られることは、そう多くない。


 しかし、何にでも例外はある。現にこの有り様だ。


 妥当に金銭目的か、憂さ晴らしの暴行目的か、はたまた見境のない変態行為目的か。皆目見当もつかないし、つけたくもない。特に三番目は、色んな意味で考えたくない。


 とにかく十四郎は無事に家に帰りたい。その一心のみ。

 家までつけられたらどうしよう、などと考える余裕も凄まじい勢いでなくなってきた。


 もう脇目も振らず、全速力で走ろう。後のことなど、おとなに任せればいい。


 覚悟を決めるように唾を飲み込み、斜め掛けにしたショルダーバッグのベルトを胸の前で掴み、空いた片手でスマートフォンを握り締める。

 背後の気配を感じつつ、十四郎は卒然そつぜんと駆け出した。そして、


 「っ――――いっ、ででででででででででェッ‼」


 100メートルほど距離を稼いだところで、思い切り足がつる。

 突然走った激痛に勢いよくバランスを崩し、アスファルトの上にダイブ。おまけに、勢いでスマートフォンも乾いた音を立てて滑り飛んだ。

 直後、反射的に筋肉を伸ばそうと試みる十四郎。しかし、スニーカーが邪魔で足先がうまく引き寄せられない。その間も痛みは続き、寧ろ酷くなる。

 だから、無我夢中でスニーカーを片方脱ぎ捨て、足先を摘まんで身体の方へと引き寄せた。

 そうして、ゆっくりと足裏とふくらはぎを伸ばせば、痛みは徐々に和らぎ、三十秒もしない内に息が零れ――はっと振り返る。

 男はいつの間にか、どこにも見えなくなっていた。


 「…………ぁ、れ……?」


 疑い深い目で周囲を見回すも、相変わらず無機質に玄関灯がついている住宅地は、人通りもなく。二、三軒間隔に設置された街灯も、誰もいないアスファルトを照らしているだけ。

 もしや、先程の大声で人が来ると思い、逃げ去ったのだろうか。多分きっと、そうに違いない。

 十四郎は安堵の息を漏らした。


 「__大丈夫、かい?」


 直後、揚げ物を揚げた時のような油の匂いと共に、温和そうな声が響く。

 思わず強張った表情のまま、声の方へと向いた。恰幅のいい、しかし優し気な目をした中年の男性が十四郎の背後にいた。


 「――――あ」

 「こ、転んだのかい? それとも気分が悪いのかい? そ、そんなところに座り込んで」

 「え、あ……と……ちょ、ちょっと、転んで……」


 思いがけない男性の登場に、ついたどたどしい返しになってしまう。

 男性はそれに一瞬目を丸くしたかと思えば、スニーカーが片方ない十四郎の足元と30センチ程離れた場所で転がっていたもう片方のスニーカーに気付き、それを拾い上げた。


 「き、きみの?」

 「すっ、すんません。あざす……」


 差し出されたスニーカーを受け取り、何とも言えない苦笑顔でそれを履き直す十四郎。

 妙に居た堪れない気持ちのまま、スニーカーのタンを引き出していると――目の前にふっくらとした手が差し出される。


 「た、立てるかい?」


 たどたどしい言葉をかけながら、人の良さそうな笑みを浮かべる男性に、十四郎の緊張は八割方解けていた。

 緩んだ表情筋で気抜けした笑みを返し、男性の手を取った時である。


 「————え」


 突如、十四郎の右手に妙な光景と感覚が広がった。


 右手が、


 いや、手の平を模っていた肉が、十四郎の右手を包み込んでいた。

 あり得ない光景に、目玉が零れ落ちそうになる。声を上げたくとも、恐怖のあまり空気が掠れ出ていくような音しか出せない。


 「やっと――――つかまえた――――」


 そして、次の瞬間。腐った肉のような悪臭が十四郎の鼻につき、強烈な吐き気が沸き上がる。思わず空いた左手で鼻と口を押えた。

 視界は滲む涙で歪み始め、目の前にいたはずの男性の顔さえ、“白んだのっぺらぼう”のように見えた。


 『ア――嗚呼嗚呼嗚呼——腹――減った――そ、それ――ちょうだい――お、おおおおおでに――全部――ちょうだいいいいいい――』


 男でも女でもない。不気味で異質な声が、すぐ近くから聞こえた。だが、それが何なのか、今の十四郎に確かめるすべも気力も残っていない。

 視界を歪める涙は恐怖のあまり止め処なく溢れ、左手で覆い隠しても鼻につく悪臭、鳩尾みぞおち辺りから沸き上がる吐き気、肉塊に捕らわれ動かせない右手。立たない足腰、生まれ立ての小鹿よりも震える身体。


 ――怖ぇ! 怖い怖い怖い怖い怖い! 死にたくない死にたくない死にたくない! 助けて! 誰でもいい誰か助けて――!!


 我が身に起きた現実を受け止め切れず、暴走する十四郎の感情と防衛本能。

 白んだ塊が、歪んだ視界いっぱいに広がった時――。


 「見ィ、つけ――たァ‼」

 『っ!?』


 雄渾ゆうこんな声が耳に飛び込み、右手が解放されたと同時に軽い衝撃が伝わり、身体は後ろへと何かに引き寄せられていた。


 (――――…………助かっ……た?)


 誰かの胸の中に身体が収まっている。それだけは、極限状態の十四郎でも理解できた。

 遠のいていく意識の中で感じたのは、どこかで嗅いだことのあるほのかに甘い香り、誰かの胸板らしき硬い感触。それから、


 (鈴……?)


 耳に心地のいい鈴のような金属音。

 締め付けるような恐怖感が僅かに緩み、十四郎の意識は血の気が引くように遠のいていく。そんな中で、聴覚だけが状況把握をしようと働いた。


 「——チッ……気配が遠のいた……。蹴り飛ばされたのをいいことに逃げやがったな。あの野郎」


 乾いた舌打ちがして、聞き覚えのあるような男の声。次いで、アスファルトと小石がすり潰されるような音がする。


 「“”の方でも捕捉不可。消失しました。と言うか、寧ろ首領かしらが逃がし――痛」

 「どたまカチ割られてェのか、クソガキ」

 「殴ってから言わんでください」


 先程聞こえた男のものより、若い男の声だ。心なしか、これにも聞き覚えがある気がした。寧ろ、

 十四郎はぼんやりする頭でどうにか視覚を働かせようと、若い男の胸元らしき場所から辺りを窺う。

 そこには、街灯に照らされた二人の男の姿が微かに見えた。


 「……酒も切れた。今夜はもう追えねェ。引き上げんぞ」


 十四郎を抱える若い男の正面に立つ男は、逆光で顔は見えにくいが額の辺りにのようなモノが見えた気がする。

 人間に角なんて、あるはずもないのに。


 「了解です。あ……【シロ】、どうします」

 「あ? その辺に引っかけとけ」

 「人間引っかけるものはその辺にないです。あ、そこ。スマホ落ちてます」

 「——チッ。写真でも撮ったんじゃねェだろうな……んだコレ。わけのわからん写真ばっかじゃねェか……オイ。コレ、そいつのか?」

 「はい。あと、写真じゃなくてそれ、スマホゲームの「スクショ」ってやつだと思います。よく虹回転がどうたら言いながらカシャカシャやってるやつ」

 「すく……――あぁ、くそ! よくわからんがそいつもコレも、後で騒ぎの種になっても面倒だ。帰りにそいつンの前に置き捨てろ」

 「——了解」


 十四郎を【シロ】と呼ぶ人間は、そう多くない。幼馴染みともう一人、悪友トリオのイケメン担当メガネだけ。

 そして、街灯が透けて見えそうなほど、色素の薄い猫っ毛頭で、いつも何を考えているのかわからないような顔をしているのは――。


 「…………七々緒ななお…………?」


 幼馴染みの、七峰七々緒ななみねななおだけだ。


 「——————!」


 天草十四郎は、知らなかった。


 いつだって不愛想な幼馴染みが、微かに見開いた瞳を十四郎に向けた理由を。


 飾り気のない無地の私服か、寝巻の甚平くらいしか身に着けているところを見たことがない幼馴染みが、歴史ゲームに出てくる武蔵坊弁慶のような恰好をしている理由を。

 

 ずっと一緒に馬鹿やって来た幼馴染みが、とんでもないを抱えている理由を――意識の薄れゆく十四郎はこの時、何も知らなかった。


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