エピローグ


「やあ、調子はどうかね」

「お陰様で、最近は記憶が飛ぶようなこともなくなりました」

 医者がいつもの微笑みを投げかけてくる。

「それはよかった。で、奥さんの方は」

「良くなっているとは思います。この前、一緒に泣きました」

「ほう、それは良い兆候です。泣けたならほぼ完治ですよ、無哀症は」

 僕の妻はどこか感情が欠落していた。初めはそれが魅力的にも感じていたが、自分の親が死んでも涙一つ見せない妻に、徐々に違和感が生まれていった。そういえば、出会ってから一度も彼女の涙を見たことがない。妻に最後はいつ泣いたのとさりげなく聞くと「覚えていない」と言う。

 顔なじみの医者に相談すると、妻は先天性の無哀症ではないかということだった。悲しみがわからない病気。感情のはけ口を潰してしまい、喜怒哀楽のバランスが崩れて終いには心を蝕んでいってしまうという。治療方法は、自分がどんな人間かを自分ではっきりと理解させることだと医者は言った。感情を解放するには、自分自身を知ることが必要なのだと。

「あなたが慟哭症になった時はどうなることかと思いましたがね」

 医者はたるんだ顎をさすりながら笑った。

「自分もどうしようかと。ふと気付いたら泣いているんですから」

 悲しいという感情がわからない妻と生活するうちに、知らず知らずのうちに僕は無理をしていたようだ。このままでは妻の心はいつか壊れてしまう。でも、他人がいくら口で言ったところで、逆に心の閉口を促進させてしまう可能性がある。人間は、他人の指摘を受け入れがたい生き物だから。

 最近は不安を悟られないように、妻によく笑いかけていた。自分がしっかりしなければと思っていた。そして、気付いたら泣いていた。

「まあ、二人とも壁を超えましたかね。結果オーライでしたが。やっぱり夫婦愛には勝てないですな」

「いやあ、なんというか、お互いの気持ちを再確認できた感じです」

 診察室の窓からは、正午の太陽がさんさんと輝いているのが見える。妻は今頃布団を干しながらお昼の献立を考えていることだろう。

「でも、大切なのはこれからです。心は弱いものですからね。無理に強くあろうとしてはいけません」

 医者の言う通り、心は弱く、脆い。本当の心の強さとは、心の弱さを認められることなのかもしれない。

「そうですね。変れるよう頑張ります」

「いや、頑張りすぎたら駄目ですよ」

「わかっています。ほどよくいきますから。二人でね」 

 満足げに頷いた医者に礼を言って、僕は病院を後にした。心地よい風に伸びをする。澄み渡った空を眺めながら帰路を歩いた。

 坂に差し掛かると携帯の着信音が鳴った。見ると妻から「前」とメールが届いていた。

 坂の下に妻がいた。遠くてよくは見えないが、不安そうな顔をしているのがわかった。どうやら僕を心配して来たようだ。

 僕は頭の上に両手で大きく丸を作った。

 妻の泣き笑いが見えた。それは妻の変化の証だった。

 そうだ。僕と、僕の愛する妻は変わっていかなければいけない。最後の時まで、二人が変わらない生活を送ってくために。

 僕は、妻の元へ真っすぐ歩き出した。

            『慟哭症』  終

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慟哭症 髙木ヒラク @tkghiraku

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