第7話 家臣団と僕

 玉座の間にしつらえられた二つの椅子のうち片方は空いていた。片側――王妃のための座には長い髪をきっちりと結い上げ完璧な化粧を施したアグネスがついているが、その隣は空席になっていた。


 部屋の中央、玉座の前に並んでいる面子メンツは結構な顔ぶれだ。今回の騒動の火消しに奔走しているのであろう、宰相、各大臣、騎士団幹部たち――都にいてアグネスがいつでも呼べるお偉方えらがたはみんな集まっているように思える。


「殿下?」


 宰相が食えぬ笑顔で「どうかなさいましたかな?」と問い掛けてきた。この頭の切れる好々爺こうこうやはルートヴィヒの祖父の代からこの宮廷に仕えている男だ。ひょうひょうとしてつかみどころはないが、政治的には敵ではない――はずだ。


「下がりなさい、ルートヴィヒ」


 アグネスが、凛とした、冷静な声で告げた。


「大事な話をしているところです。わたくしはお前に入室を許可したおぼえはありません」


 ルートヴィヒはすぐに返事をした。


「その大事な話に僕を交ぜていただけませんか」

「何を言っているのです」

「僕にもかかわりのあることです。僕も把握しているべきだと思いました」


 一歩、また一歩と、玉座に近づいていく。


「いえ、違います」


 母のすぐ隣で、王の座るべき椅子が空いている。


「僕がやるべきことです。僕が中心になって話をすべきだと僕は思ったのです」


 その椅子に、手を伸ばした。

 アグネスが目を丸く見開いた。

 背もたれの金の細工をつかんだ。

 位置を確かめながら、ゆっくり、腰を下ろした。

 初めて座る玉座は柔らかく体が沈んで受け入れられているのを感じた。

 家臣団がざわめいた。

 ルートヴィヒはひるまなかった。


「続きを。僕の前で続きを話せ」


 宰相が「どういうおつもりで?」と目を細める。


「その椅子がいかな意味をもつかご存知ないわけではございますまいに」

「分かっている。僕は僕の意志をもってして今ここでこうしている」

「本気ですかな」


 だがルートヴィヒには分かるのだ。


「それは、場合によっては謀反ととられかねませんぞ」


 この好々爺はこの状況をきっと楽しんでいる。

 ルートヴィヒは笑って頷いた。


「必要ならば僕は剣を取ろう。王冠を手にするために戦う」


 アグネスが喉を詰まらせたような息をした。

 見ると彼女は人前にもかかわらず血の気の失せた顔を引きつらせていた。女王にはふさわしくない、恐れに色を失ったただの女の顔だった。


「なんということを言うのですルートヴィヒ……! お前は自分がどれだけ恐ろしいことを言っているのか分からないのですか」

「ですが母上、ご覧ください」


 正面に並ぶ家臣団の方を指し示した。


「誰か反対している人間はいますか」


 皆こうべを垂れて黙ってルートヴィヒの言葉を聞いていた。


「王として振る舞う僕に対して異を唱える人間とはいったい、父上以外の誰が考えられますか」


 「時が来たのです」と断言した。


「民に示さなければならない。僕がやる。僕が説明責任を果たす」


 眼裏まなうらにはただケーテとマティアスの笑顔が映っている。

 いつの日かきっとここにとても多くの人々の姿が追加されることだろう。

 ルートヴィヒは近々その光景を見にいく。


「誰が父上の語る言葉を聞きますか。もしかしたら息子の僕の話も聞かないかもしれませんが、父上よりはいくらかマシでしょう。少なくとも僕には語る覚悟がある。民は語る王を求めているはずだ――真実を語る真摯で誠実な王を」


 アグネスが声を裏返しながら「お前は甘い」と怒鳴った。


「民は言って聞かせて分かる者たちではありません! またお前の身が害されるようなことがあれば――」


 「それが施政者の口にする言葉ですか」とたしなめた。


「このように多くの者たちの前で。彼らが聞いていますよ、まずは彼らの信頼から得るべきではないのですか」


 アグネスは唇を引き結んだ。

 ルートヴィヒは彼女に手を伸ばした。

 母はすぐ手が届く距離にいた。それは本来王と王妃の距離であるべきだが――アグネスの手を握り締めたのはルートヴィヒだった。


「母上が、僕を守るために、いろいろと策を練ってくれていたこと。僕は存じ上げております」


 アグネスが華奢な肩を震わせた。


「今度は僕が矢面に立つ番です、母上。僕をおとなのおとことして認めてくださいませんか」


 歯を食いしばり、無言で涙をこぼした。


「いかがいたしましょうね」


 宰相が弾む声で問う。


「まずは何からいたしましょうか。貴方様の戴冠の道のりはご想像以上に長いですぞ。何からなさるべきだと考えておいでですかね」


 ルートヴィヒは「覚悟はしている」と答えて頷いた。


「まずは、結婚だ」


 もう、決めたのだ。


「辺境伯のゲルトラウト姫と結婚し、彼女を妃として迎えると約束する。そして僕の名で辺境伯国と同盟関係を結び、辺境伯の後ろ盾を得る」


 家臣団がまたどよめいた。

 しかしルートヴィヒの声に曇りはない。


「僕はもう迷わない。この国を強くする。そのための結婚だ」


 宰相が「ようございますな」と笑った。


「ではさっそくそのように手配いたしましょうか」


 誰かが呟くように言った。


「ルートヴィヒ王万歳」


 その言葉が波紋のように広がった。


「ルートヴィヒ王万歳!」


 腕を伸ばして、母の肩をつかんだ。

 華奢で、頼りない肩だった。


「大きくなりましたね」


 呟いた母に、囁いた。


「今までありがとうございました」

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