第8話 ゲルトラウトと僕

 国境を越えてすぐにある町に辿り着いた。

 辺境とはこういうことを言うのだと、ルートヴィヒは思った。

 木の生えておらぬ赤い肌が露出した山々、高い煙突がいくつも立ち並ぶ郊外、活気のない市街地――いくら山間やまあいの小さな町とはいえ、二国間をつなぐ街道の宿場町としては悲しすぎやしないか。


 出迎えた――というより迎撃に現れた少女は、そのみどりの瞳をぎらぎらと輝かせていた。結い上げられた髪は赤く燃えるようでまるでこの国の象徴のようだ。

 彼女からほとばしる生気はルートヴィヒを激しく揺さぶる。目を、離せない。


「いつになさいますか」


 町の高台にある展望台で二人きりになった。一応アグネスが周囲に二人きりになるよう勧めたという格好にしてもらってあるが、ルートヴィヒが望んだことだった。

 彼女と話をしたかった。

 この赤い国を離れて自分のもとに嫁いでくる娘がいったいどんな人間なのか、この目で見て、この耳で聞いて、直接確認したかったのだ。

 ゲルトラウトの言い方はまるで決闘の日取りの話をしているかのようだ。


「私はいつでも結構です。ルートヴィヒ様のご都合の良いように」


 ルートヴィヒは苦笑した。


「不安はないのか? 生まれ育った国を離れる、ご両親ともほとんど会えなくなる。それに君は僕の国が本当はどんな国か知らないだろう。由緒正しい王家の、歴史と伝統ある森と泉の国――そう言われるのは光栄なことではあるが、必ずしも実情と一致しているわけではない」

「存じ上げております」


 翠の瞳が、挑んでくる。


「貴方様のお母上は国王を酒浸りにして政治をほしいままにしているそうではございませんか。先ほどお会いした時は伺っていたより理知的なお方だと思いましたが、いずれにせよ貴方様が即位されてもあのお方が女王として君臨なさるおつもりでしょう」


 一歩踏み込み、迫ってくる。


「この私が貴方様の御世を傀儡かいらい政権にはさせません。私は王妃として見事に切り回し国を建て直してご覧に入れます」

「なるほど」


 この国ではルートヴィヒが思っていたのとはだいぶ違うことを吹聴されているようだが、ゲルトラウトの発想自体は面白く、頼もしい。


「私がやってみせます。この私が」


 その声は力強い。

 だが、その肩は華奢だ。

 ルートヴィヒより年少の、まだ幼さも残した大きな瞳の少女なのだ。


「あまり力を入れすぎると途中で疲れてしまう」


 アグネスのように、とは、ルートヴィヒには言えなかった。自分が弁明したところで信憑性はあるまい。嫁いでくればいずれ知ることだ。今は彼女の思うがままにさせておこうと思った。


「僕が君に望んでいるのは、僕の傍でも安心して暮らしてくれることだけだが」

「甘いです」


 彼女の瞳も、森の木々のような色をしているというのに、どうも燃えているかのようだ。


「そのようなことでこの世界を生き抜いていけるとお思いなのですか」


 彼女の世界は、そんなことでは生き抜いていけない世界なのだ。

 ルートヴィヒは自分を恥じた。

 自分より年下の姫君というだけで、何となく、弱くて守ってあげなければならない小さな少女を想像していた。きっと同盟国とはいえ異国によこされることを嘆き悲しんでいると思い込んでいたのだ。それなのに自分は彼女を政治の道具として貰ってこようとしている――酷い男だと思っていた。

 真の意味では、彼女の人格を尊重していなかったのかもしれない。勝手に彼女の気持ちを決めつけ、自分にとって都合のいい女の子像を組み立てていたのかもしれない。彼女の思想、彼女の意志を、まったく考えていなかった。

 話ができてよかった。

 彼女の世界はつらく厳しく、そして狭い。だがルートヴィヒが知る中では誰より生きる気力に満ちている。彼女はこれからも強く大きく成長していくだろう。

 王妃という立場は、もしかしたら、彼女にとって足枷になるかもしれない。今はその立場をとても素晴らしいものだと思い込んでいるようだが、いつか壁にぶち当たりそうだ。

 その時の彼女を受け止めるのも、きっと、自分の務めなのだろう。

 彼女はきっとルートヴィヒの隣に並んで矢面に立ち続けることをよしとしてくれるはずだ。


「いつにしようか」


 ルートヴィヒが微笑むと、ゲルトラウトは眉間にしわを寄せた。


「……ご気分を害されましたか」

「どうしてそう思う?」

「私が面倒臭くなると皆そのように笑うのです」


 今度は声を上げて笑った。


「なぜ笑うのですか」

「いや、可愛いなと思って」


 彼女の頬が朱に染まった。一歩下がった。


「……私も」


 先ほどまでの覇気はどこへ行ったのかと思うほど小さな声で、


「話に聞いていたより、ずっと、貴方様がしっかりなさっているような気がして。少し、安心しているところです」

「ありがとう」


 やっていけるかもしれない、と思った。

 見たところ彼女のからだは平らだ。ケーテのように豊満な胸や尻はない。まだ十五歳だからかもしれない、これから豊かになっていくかもしれない――もしかしたらそうでもないかもしれない。

 それでも愛せると思う。

 ルートヴィヒは知っている。女性は体型ではないのだ。


 帰ったらマティアスとケーテにたくさんゲルトラウトの話をしよう、と思った。彼女がいかに勇ましく、いかに猛々しく、いかに可愛らしいか、たくさん語り聞かせてあの二人に安心してもらおう。


「君が十六になったら迎えに来る。それまで、君の生まれ育った、自分の国の良いところをたくさん見ておいてくれ」


 ゲルトラウトが澄ました顔で「承知いたしました」と答えた。


「覚悟して待っていてください」


 これからの人生、楽しくなりそうだった。

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ルートヴィヒ少年の決断 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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