第4話 村人たちと僕

 この国は森に覆われている。

 森は豊かさや恵みの象徴でもあり恐れやおそれの象徴でもある。泉や川のような水源もあれば狼や熊のような害獣もいる。ひとびとは森に棲む魔女や妖精のおとぎ話を語り継いでこの国の歴史を保ってきた。この国は常に森とともにあった。

 薪のために木をる――これもまたこの国の歴史の一部で、ルートヴィヒはその営みを太古から未来までずっと続いていくものと思い込んでいた。当たり前の、自然な行為で、続いていくことに何の疑問も抱いていなかった。

 まさか木を伐ることに反発するひとびとが出るとは想像だにしていなかった。


「死ね!」


 ルートヴィヒは振り下ろされる斧を呆然と見ていた。

 アグネスに連れていかれるところはどこも安全だと思っていた。今日訪れた城下近郊の村でも、村人たちに手を振って愛想よく振る舞っていれば日が暮れていくはずであった。

 アグネスとルートヴィヒを歓待していた村の女たちはいつの間にかみんなどこかへ消えていた。二人と数名の近衛騎士たちを広場の真ん中に残して、その周囲を斧やなたを手にした村の男たちが囲んだ。


 一閃いっせんが走った。

 次の時斧を持った腕が空に飛び上がった。

 赤い液体が勢いよく噴き上がってルートヴィヒの顔に降り注いだ。

 目の前にマティアスの背中が現れた。ルートヴィヒの正面に立ち、剣を構えている。彼の剣が男の腕を弾き飛ばしたのだろう。

 アグネスが悲鳴を上げた。見ると彼女は近衛騎士たちに抱えられこの場から連れ出されようとしていた。繰り返しルートヴィヒの名を呼び、腕を伸ばして暴れている。

 残った騎士たちはマティアス同様剣を抜いて村人たちに相対している。

 村人たちに囲まれている。

 ただならぬ空気を感じる――殺気だ。

 ここまでの悪意に晒されるのは初めてだ。立場上けして誰からも愛されてきたわけではないつもりだったが、それでもアグネスのもとで守られて生きてきたのを痛感した。


 腰に下げている剣へ手を伸ばした。

 だがその手は震えている。


 村人たちが襲いかかってくる。

 一人目の男が鉈を振り上げた。マティアスの剣はその肘の腱を断った。一人目の男が絶叫しながら下がった。

 間を置かずに二人目の男と三人目の男がかかってきた。マティアスはまず二人目の男の胸を突き、貫いた。剣に刺さったままの体を振るように投げて三人目の男にぶつけた。三人目の男が後ろに倒れた。

 マティアスの動きに迷いはない。剣筋はまっすぐでぶれがなかった。

 あんなふうに振る舞えるだろうか。

 自分も研鑽は積んできた。自分の身くらい自分で守れるはずだ。

 剣を抜こうとした。

 手の震えが止まらない。鞘からうまく抜けない。

 ようやく出てきた刃は、くもりも刃こぼれもひとつもない、無垢な姿をしている。

 一度も人間に対して振るったことがない。


「殿下!」


 呼ばれて顔を上げた。

 マティアスが「おやめください」と叫んだ。


「くれぐれも御自ら動かれぬよう――」


 マティアスの視線がルートヴィヒの方を向いた。

 その瞬間ある男の斧の刃がマティアスの肩に食い込んだ。

 マティアスはすぐに振り返って斧のを叩き切った。けれどその肩は深くえぐれていた。軍服の肩が赤く染まっていく。


「貴様らなぜこのような真似を!」


 アグネスを退避させ終えたのであろう、戻ってきた騎士団長がルートヴィヒのもとに駆け寄りながら怒鳴った。

 村人たちが返事をした。


「俺たちの木を売ってぬくぬくと暮らしている王族ども!」

「森が裸になっていくのに王族は次々と服を買っている」

「俺たちの森の木はいくらになった? いくらで売り飛ばしたんだ? 俺たちの命の森を!」


 男たちの叫びが上がる。


「俺たちの木を返せ!」

「その血で木の対価を支払え!」

「王族なんかのために木を伐る生活はやめだ!」


 ルートヴィヒは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 自分たちは彼らが思っているほどの豊かな暮らしはしていない。服は外国の公使が来る時のために新調するものでいくらでも買えるものではなかった。むしろアグネスなどはみすぼらしく見えぬようもっと宝飾品を買って身につけてほしいくらいだ。

 しかしすぐに思い至った。

 フリードリヒのことを言っているのだ。

 フリードリヒは湯水のごとく酒を買い、飲む。そして女たちにばらまく。それも実のところ大した金額ではなかったが――庶民の男でもやるようなことではあったが、この村で木を伐って暮らす人間には強欲で贅沢で愚昧なことに見えるのだろう。

 この森の木は薪となり、辺境伯国に送られて、鉄になる。そして異民族と戦う騎士団のための剣やよろいになる。異民族と戦うのは何のためだ――彼ら民衆を守るためだ。

 それを、分かってもらえていない。

 ルートヴィヒに向かってくる刃をその剣で受け流しつつ、騎士団長が「馬鹿者どもめが」と吐き捨てた。


「殿下、参りましょう」


 剣を右手にしたまま、左手でルートヴィヒの手首をつかむ。ルートヴィヒも剣を片手に持ったまま団長に引きずられた。


「お逃げください、お連れします、早く!」

「だが――」


 視線を正面に戻す。

 マティアスが剣を構えて立っている。左肩や、右腕や、左腿から血を流しながらも、大地を踏み締めて立っている。


「殿下!」


 マティアスが叫んだ。


「お行きください!」

「でもマティアスは――」

「俺はここに残ります! さあ早く!」


 団長はとうとうルートヴィヒの肩を抱いた。


「行きますぞ」

「マティアスが、」

「マティアスはいいのです」


 目を、丸くした。


「殿下をお守りして死ぬのならば本望でしょう、マティアスのためにもお急ぎください」


 何が正しいのか分からなくなった。

 ただ団長に連れられるがままその場を離れた。

 何も考えられなかった。

 何もできなかった。

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