第3話 マティアスと僕
刃と刃がぶつかり合う。金属の音が鳴り響く。
ルートヴィヒはさらに一歩踏み込んだ。
剣を押しつけるように横へ薙ぐ。刃が鍔元へ滑り込む。
力任せに剣を振る。
相手はルートヴィヒに押されるがまま剣を横に倒した。切っ先を下を向けた。
そして、ひざまずいた。
「参りました」
ルートヴィヒは苛立って怒鳴った。
「本気を出せマティアス! この程度で終わりではないだろう!」
「終わりです」
「もう俺が稽古をつけられる程度は超えられました。殿下はもう充分強くおなりですよ」
「まだだ、僕はまだ――」
「殿下」
そして、しみじみと息を吐くのだ。
「これ以上となれば俺も殿下を殺すつもりでやらねばならなくなります。何とぞご容赦ください」
そう言われてしまうと、ルートヴィヒも強いことを言えなくなってしまう。
剣を下ろした。
剣術の稽古のために刃を潰した模擬の剣でほぼ鉄の棒だ。斬れることはない。けれど鉄なので本気で殴れば相手を殺すことも可能だ。けして安全ではない。
どこかに甘えがあるのかもしれない。マティアスなら強いから、マティアスなら力の加減を分かっているから、マティアスならいつまでもどこまでも付き合ってくれるから――自分がマティアスに追いつく、などということは頭になかった。彼はずっと自分の前を歩いていてくれるものと思い込んでいるのだ。
ルートヴィヒが剣を下ろしたのを見て、マティアスがほっと息を吐いた。
「何を焦っておいでですか。今日の剣は少し乱れているように思いましたが」
答えなかった。
代わりに訊ねた。
「僕は、強くなっているだろうか」
マティアスは「はい」と即答した。
「自惚れかもしれませんが、俺もそこそこの騎士です。その俺がお認めするのですから、殿下にはもう並みの武人では太刀打ちできませんよ」
そして優しく微笑むのだ。
その笑みはどこかケーテに似ていた。
似たもの夫婦なのだ。
ケーテとマティアスは十代の頃から奉公に上がった者同士だ。幼いルートヴィヒを挟んで、こどものルートヴィヒには分からないところで愛を育んだ。早くに婚約して、マティアスが正式に騎士に叙任されるまで二年近くとかなり長い期間清らかな交際を続けていたそうだ。
ケーテは近郊の森に土地を持つ豪農の娘で、マティアスは城下町の豪商の息子だ。その上同い年である。きっとよく似た世界観、価値観をもっていて、同じ視点をもって暮らしをともにしているのだろう。王族でひと回り年下のルートヴィヒには分からない二人の世界があるように見える。
出会った当時は騎士見習いだったマティアスは今や近衛騎士団の幹部で、国では知らぬ者のない剣豪となった。だが、どれだけ出世しようともこうしてルートヴィヒのために時間を割き剣術の稽古をつけてくれる。
ルートヴィヒはマティアスを信頼している。彼なら何でも任せられる――ケーテのことも、だ。だから彼からケーテを奪うことは考えられなかった。せめてマティアスのようなおとなの男性になってケーテに認められればと思うのだが、どれだけ体が大きくなってもマティアスのようにうまくやれている気がしない。
「アグネス様のお話、何だったんですか?」
問われて我に返った。
顔を上げると、いつの間にか立ち上がったマティアスが、真正面からルートヴィヒを見つめて微笑んでいた。その笑みは優しく、見守られているのを感じる。
「どうしてお前が知っている?」
「妻から聞きまして」
納得して溜息をつく。この二人の間ではすべて筒抜けだ。
「アグネス様が尋常でなく思い詰めておいでのようで心配だと申しておりました」
頷いて答えた。
「僕に縁談だ」
驚いたらしい、マティアスが目をまたたかせる。
「お相手は辺境伯のゲルトラウト姫だそうだ」
「それは、まあ――」
一拍分、言い淀んだ。
「……お受けするんですか?」
「悩んでいる」
笑みを消し、心配そうな目でこちらを見つめる。
「どうも踏ん切りがつかなくて……、母上も気が進まないご様子だった」
右手に剣を握ったまま、マティアスは一人で腕組みをした。
「たぶん、結婚することにする、と思う。辺境伯ほどの軍事力があればこれ以上異民族に悩まされずに済むと思うし、民衆に対しても抑止力になるかもしれない。向こうも、まあ、うちは金は大してないし今の国王があれで申し訳ないが、歴史と格式だけはあるからな、新興の辺境伯からしたらありがたがってくれるかもしれない。誰にとっても損をする話ではないのではないか」
マティアスが唸った。
「理屈の上では、そうでしょうね」
「理屈の上では?」
「お気持ちの上では、どうなんですか」
ルートヴィヒは眉間にしわを寄せた。
「殿下は聞き分けがよすぎるのではございますまいか。何も、一から十まで我慢されなくとも。今無理してご成婚されて、殿下ご自身のお気持ちはどうなんです?」
「我慢など――」
言い掛けてやめた。マティアスの前では強がっても無駄だ。
マティアスも、ルートヴィヒがケーテに憧れていたことを知っている。
マティアスは家でのことをけして話さない。彼は妻と、あくまで仕事上の、ルートヴィヒに仕える者同士としての関係であることを強調しようとする。ルートヴィヒは二人の関係が円満なのを知っているので構わないのだが、かといってそうと直接言うのもはばかられてどうも中途半端な感じだ。
アグネスといい、マティアスといい、誰も彼も理解がありすぎる。ここまでくると本気にしていないのはもはやケーテ本人だけではないかと思う。
「王侯貴族というものは、そういうものなのではないだろうか。僕は、この国の王子である以上そうでなければならない、と、思う」
「殿下……」
「十七年間甘やかされて、大事にされて育ったのだ。母上がお求めならやむを得ない。ただ……、いつにするか。年内か、来年か、あるいは――それだけの問題だ」
そこで、だった。
「失礼します」
甘い声が響いた。
振り向くと、ケーテが立っていた。下がり眉の困った顔だ。
「あの、何か深刻なお話でしょうか。わたしには聞かせてくださいませんでしょうか、何かお手伝いできたら――」
うつむき、「もしくは、お邪魔でしたらあえて下がらせていただきますが」と付け足す。
マティアスが「仕事はどうした」と問うた。「ひと段落したところです」と答えた。
「最近、殿下も大きくなられたし、陛下も外にお出にならないので、城の女たちは手が空いてしまいがちでして。この時間はいつも裁縫などをしているのですが――今日は……」
ルートヴィヒは意識して笑顔を作った。
「心配ない。ケーテが気に病むことは何もない」
「さようですか」
「今日も昼までマティアスと剣の稽古をして過ごす。いつもどおりだ。見ていたいなら見ていればいい」
ケーテが胸を撫で下ろした。マティアスが「結局まだやるんですか」と呟いた。
そのあとは自分で言ったとおりいつもと同じだ。
ルートヴィヒが何をしてもケーテは喜ぶ。何度も「お上手です」「ご立派になられて」を繰り返した。そんな彼女を見ていると、ルートヴィヒは、自分がよくできる人間である気がしてきて満足してしまうのだ。
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