スピン・オフ
或る雨の日の話
バッテリーが三十パーセント。ため息をついて、携帯電話の電源を切った。
放課後で教室には部活をさぼっている連中と帰宅する用意に手間取っている数人の女子しかいなかった。窓の外に視線を向ける。今週ずっと雨が降っていて、天気予報は今日晴れあがる予定だった。
ただの予定は、予定のままで現にまだ雨は踊るように地面に落ちる。俺の席に陣取る千成は自分の折り畳み傘を忘れたことに気が付き不機嫌だった。千成は友人、というには相応しくないかもしれないけどほかに言いようがないから友人ということにしといてくれ。控えめに笑うのが印象的だったが、それは外面だけで誰かの背景に溶け込むために作り出したことだと最近わかった。千成はそんな人間じゃなかった。教室にいる連中は知らない。千成が雨ごときでもかなり機嫌が悪くなることを。俺に対しては放棄してしまっているがそれを悟られまいと素振りしたり演技したりしていることを。
「天気予報のせいだ」
机に寄り掛かった千成はイラつきながら呟いた。深いため息をついて長いまつげを下げ窓越しの世界を見上げていた。その目に映る景色はどんなものなのだろう。俺はそんな千成をみて、千成とは違う意味でため息がこぼれる。
「傘、かしてやるよ。二本あるし」
「真也の傘なんて」
「濡れるよりはましだろ」
それでも機嫌が悪い千成。
さぼり組がひらひらと手を振って「じゃーなー」と千成に挨拶して通り過ぎる。さっきとは真逆の表情で「明日なー」とにこやかに返す。彼らが通り過ぎると、冷めきった無表情。いつも不思議に思うのが自分の感情のスイッチをかちかちと切り替えることができるのだろうということ。めまぐるしく切り変わる表情に時々どちらが本心なのか分からなくなる。
「その顔がお前の素なのか」
雨が窓をたたく音のせいで、千成には俺の声は聞こえていなかった。
「帰る」
机の上から鞄をひったくるように取ると、あとに残った女子に「おっさきにー」とさわやかに言って教室を出る。俺も千成にならい、続いて教室から出た。あの女子たちには千成はどのように映ったのだろうか。
「寒い」
隣から聞こえる声に今日の最低気温はなんだっけ、と考えながら帰路につく。雨がざらざら落ちてきた。雨に濡れている猫はとぼとぼと車に撥ねられる泥に身を濡らしていた。
「傘持ってきてよかったな」
「俺は持ってきてなかった」
「俺のかしてやっただろう」
隣に居ながら目を合わせてくれない彼は傘をくるりと回した。ぽろぽろと傘の先から雨粒が零れ落ちる。
「真也、ちょっとどっかで雨宿りいかねぇ?」
「え、あぁ、いいよ」
冷たい雨に、はねる水。汚泥に浸されたような不快感だけが自分の中で湧き上がっていた。カバンの角やスニーカーがもう雨に浸食されて、手足の先は冷たいとすら感じなくなっていた。同時に安易に了解の言葉を述べた「雨宿り」という単語を反芻してそれも悪くはないと思う。
「ファミレスとかさ」
「いいけど」
街下りの大きな坂を下りる。本当は早く家に帰ってあっついお茶でも飲もうと思っていたが、千世から誘うことなんて珍しい。ほんの少し気が緩み笑ってしまった。ちらりと千世が俺に視線を配り「なに笑ってんだよ」と呟くから今度は苦笑で「別に」と返す。雨なんてって、悲観的に考えていたが案外悪くないかもしれない。なんて。
近くのファミレスに足を運ぶ。大通りに出るためには数か所の角を曲がるのだが、突き当りに出るたびに千成はくしゃみをしていた。風邪でもひくんじゃないかと思いつつ、ざっくり切ってある千成の細い髪は湿気のせいで重く垂れてしんなりとしていた。いまにも前のめりに倒れそうな気をまとった千成は傘をくるりと回して「ついた」と言った。味気ない看板のファミレスは着くなり席に案内された。雨のおかげなのか店内は余り混雑してはいなかった。ただ湿度の高い重怠い空気がかび臭いと感じる。
チェーン店のファミレスにしては、おしゃれ気があんまりない店で、メニューは安いもので取り揃えられている。千成はメニュー表をぱらぱとめくり見終わると俺に差し出す。俺がまだ見終わっていない間に、店員を呼んでメニューを告げる。
「ドリンクバーふたつ。あとなんかある?」
「まだ見てねぇーよ」
「じゃあ、以上で」
俺の発言を無視して店員に告げる。千成は目を擦りながら湿気った制服の上着を脱いだ。店員が立ち去ると千成は微睡む瞳を俺に向け、何か言いかけてそのままテーブルに突っ伏した。くしゃくしゃの髪の毛に水滴がついて、ぽたりとテーブルに落ちる。
「寝るために来たのかよ」
なにか飲み物をと思い席を立つ。透明なグラスではなく、できれば温かいものをと白いカップに手をかけた。珈琲に紅茶、抹茶にココアと一通り飲み物を見てよく帰りに買って飲むココアのよく知るその味を想像しながらボタンを押して注いだ。
席に戻ると千成は伏せて眠りに身をゆだねている。
一杯のカップが空になるころ周りの会話が耳に入ってきた。雑音。掃き溜めにありそうな言葉を使い女性同士は会話をしている。彼氏から電話がないとか、メールが粗末だとかそのような内容を大声で吐き散らかしていた。耳にするたび少しだけ憂鬱にさせる。
ならない電話。電源を切ってしまった繋がりが何一つない鉄の塊をテーブルに出して放置する。この小さい電話にどれだけ人がすがって、どれだけの人が振り回されているんだろう、と考えるだけで単純な人々と思えて仕方がない。
「携帯電話なんて、」
ぽつりと言葉に出すと、また自分もこの端末に振り回されていることがよくわかる。クラスメイトや両親、ネットの知り合いだって全部この小さい機械の箱で関係性が成り立っているようなものだ。遊びの約束だって勉強の話だって時間割のことだって、全部この箱に問いかければ端末先に居る人間が答えてくれるのだ。
「なんて」
千成は俺が言った最後の三文字を拾っていた。伏せた姿から腕と髪の毛の間から千成の瞳がのぞく。
「起きてたのか」
「独り言だったのか」
気だるげに質問を質問で返す。俺は「別に」と反射で返してしまった。
「携帯は便利だと思うよ。便利だけど、便利と豊かさはイコールじゃない」
「千成はこの文明機器が嫌いなのか」
「いや、嫌いじゃないけど。でもこれがあるからいまは誰も孤独じゃない」
千成の口から聞くことはないと思っていた「孤独」という言葉に少し驚いた。千成は体勢を変えて頬杖をついた。
「それに持っていない人の方が少ない。そもそも携帯電話なんて、連絡を取るだけのツールなのにどうしてこんなものにすがろうと思えるんだろう。これはただのツールだよ。そこに生身の人間が使わなくちゃ意味がない」
「確かに。相手あっての道具だ」
「だろ」
千成はそう言って席を立った。それから数分してメロンソーダをグラスに注いで持ってきた。グラスをテーブルに置くと氷が二個、コロンと音を立てて上下に動いた。
「で真也はどう思う」
「なにが」
「なんて、の続きは何を言いかけたんだよ」
ため息を吐くように千成は訊ねる。その顔には興味はまるで無いように見える。
「あぁ、携帯電話なんて無きゃいいのにな」
ちりりりりっと着信音。俺の電話ではない。千成が鞄から自分の携帯電話を出した。カチッと画面を開いて、かこかこと文字を入力して閉じた。
「誰からだった」
「弟」
「え」
「すぐ帰ってこいって。まぁ、いいよ。真也は気にしなくてもいい」
千成はメロンソーダを啜った。透明度の高い黄緑色の液体に炭酸の気泡がゆっくり上り消えていく。
「……確かになきゃいいかもな」
そう言って止みかけた雨を窓越しに観ながら小さく笑った。自傷気味に取れるその笑みにどんな感情を抱いているのか、わからない。俺も肘をついて窓の外をけんぶつしていると、同じ学校の奴らや通行人がみんな電話やメールをしながら歩いていた。そのままどこに向かっているのか、目の前の画面でわからなくなってはしないのだろうか。それだけ疑問に思いながら千成のグラスが空っぽになるまで雨空と道路を眺めていた。
「じゃ俺帰るわ」
テーブルに小銭が転がる音を聞いた。音の方を見ると俺が「おう」と返事する前に千成は控えめに手を振って「会計よろしく」と言って立ち去ってしまった。
俺も帰ろう荷物をもってレジを通り会計をすます。窓の外を見るとすでに雨は上がっていた。千成の置いてった傘と俺の傘で二本分を持ち帰る。
帰路についてなんとなく携帯電話に電源を入れた。メールが一件届いていて、開くと千成からだった。
「傘、ありがとう。雨の日もたまには許せる」
画面はそれだけ黒い文字でぽつりと書いていた。
俺はすぐに返信を打って、無くてもいいけどあった方が便利だと千成も言った便利という言葉を使った。この一文だけに一喜一憂している自分がいることに気が付いて止んだ曇り空を見て苦笑した。この機械の向こうで文字を打つより、口で言ってほしかったなぁと少し欲張った思いが湧いてきたが携帯電話を閉じて思考を止めた。
「つか、たまには許せるってなんだよ。素直じゃねぇーの」
冷たくなった空気に毒吐いてみたり。なんて。
おわり
ひとりぼっち 天霧朱雀 @44230000
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