・第七十九話「〈不在の月〉へ……(後編)」

・第七十九話「〈不在の月ちきゅう〉へ……(後編)」



 それは、静かな力の発動であった。


「ほう?」「始まったか」


 中天に立ちはだかる、輝く真竜シュムシュの紋章。それに対して『全能ゴッド欲能チート』は興味深げな表情を浮かべ、『交雑マルドゥク』はにぃと笑った。


 共に様々な力を用い先を読み謀略を重ねてきた二者。『交雑マルドゥク』の願いの到達点としてのルルヤの限界突破暴走と【真竜シュムシュの世界】の発動。その時が来たか、と。


「いや……」


 だが一瞬後自ら違うと『交雑マルドゥク』は悟り呟く。光を担う者はルルヤでは無い。ルルヤの【巨躯】からも、【真竜シュムシュの世界】の、それも恐らくは『交雑マルドゥク』が望んだものと同一か近い形の前兆と思しき魔法的エネルギーが溢れつつあったが、その光はそれを押し包み、浄化するように打ち消す形で発動していた。そしてその中心は。


「リ、アラ……!」


 くぐもった獣めいた声で、ルルヤが驚き呟く。自らの前に浮遊し、運命からルルヤを庇い立ちはだかるように【真竜シュムシュの世界】を展開するリアラの姿を見て。


 大仰な詠唱も、紋章の展開以外の目に見える世界の激変も無い。攻撃的な何らかの作用も見えない。立ちはだかるリアラの表情は静かだった。


「それは、何だ。お前、どうやって……」


 『交雑マルドゥク』が唸る。知恵を得る力があってもそれを使うのは唯人の知恵に過ぎないと言われたとはいえ、ここまで何度もシミュレーションを行っている。【真竜シュムシュの世界】は【真竜シュムシュの巨躯】と並ぶ竜術の奥義。土壇場でほいほい使いこなせるようになるものではない。【巨躯】を欲能チートで言わば違法取得した『反逆アンチヒーロー』ラトゥルハから見て会得する形でルルヤが取得したように切っ掛けが必要だ。


 過去の真竜に関する【真竜シュムシュの宝珠】の記録からこれまで会得できずにいた以上、リアラは会得できぬと。会得出来るとするならば、暴走の瀬戸際、過去の真竜シュムシュの記憶により深く侵食されているという契機を有するルルヤであり、そして、これまでに見せた恐るべき土壇場の踏ん張りからも、ルルヤは会得すると、敵ながら信頼していた。だというのに、まさかのリアラとは、と。


「僕達はゲームのキャラクターじゃない。経験値ポイントを貯めればスキルがぽんっと生えてくる訳じゃない……!」


 それに対するリアラの返答は、奇しくも『交雑マルドゥク』の分析とある程度合致して。


「ならその力、どこから!」「皆からです!」


 静けさの中からの、傷だらけでも尚凛とした叫び。


 しかしその返答の根幹は『交雑マルドゥク』の想定の外を行くものだった。


「土壇場の覚醒なんて……ルルヤさんから貰った【宝珠】の知識で足りないなら! 研究を続けてくれてた書学国のロド先生の研究結果を足して! 譲って貰った帝龍ロガーナン家秘伝の情報も加えて! お前達が無駄死にと言ったけど僕達も知らない所で彼ら自身の物語を続けていた〈浄化監理局〉の伝言も加えて! ほんの少し物語でこういう力を使う時どうするかという僕の地球の知識を加えて……間に合わせただけです!」


 望む覚醒を強いようとした『交雑マルドゥク』に対し、小さな可能性を拾い集め続け、多少胡乱な自分自身の解釈も足し、覚醒や奇跡に頼らず辿りついたとリアラは叫ぶ。


「ちいっ……!」


 『交雑マルドゥク』は舌打ちし『神定む天命の書板トゥプシマティ』を展開。リアラの【真竜シュムシュの世界】の効果を見定めんとする。それは『全能ゴッド』も同じで、小首を傾げ、その様子を見た。その視線に複数の欲能チートの効果を乗せながら。


 静かで脅威が感じられない筈の力を、それでもなぜか無意識に警戒せざるを得ないと感じて。


 その隙に、リアラとルルヤは言葉と思いを交わした。



「リアラ、お前、私は後は頼むと言って……!」

「分かって、ます!」


 感情の詰まった、張り裂けそうな思いを詰めた声で、リアラは短く答えた。……過去の感情が甦る。【真竜シュムシュの宝珠】で、それを初めて知った時の記憶。



((嫌です、そんなの嫌です、絶対に嫌です! やめて、やめて下さい!?))


 《大仕切直》直後、大量に押し寄せた情報。その中にあったルルヤからの連絡。


 俯いて、傍目には表情を見せないながら、リアラの心は切り刻まれ、苦悶し、絶叫していた。何度も何度も、嫌だ、やめて、と、【真竜シュムシュの宝珠】による通信でルルヤ宛に送信した。


((そうは言ってもな。もう、やってしまったのだ……すまない、見捨てられなかったんだ、仕方がなかった……))


 だが、ルルヤからの返事はこうだった。


 怒れる事ではなかった。戦える事でもなかった。否定できる事でもなかった。見捨てられないのは正しいし、既にもう行われてしまった事は戻らない。


((だから、後を頼む))


 だからそれに、リアラは分かりましたと答える事しか出来なくて。



「『交雑マルドゥク』相手に覚悟したような事言ってただろ!? 何でこんな無茶……!?」

「それでもです!!」


 ルルヤの詰問にリアラは感情を爆発させた。頬を伝うは血か涙か。


「それでも嫌に決まってるって! 助けられたら助けたいって! ルルヤさんに言われたから我慢したけどホントはやだって! 言ったでしょう!!」

「リアラ……」

「だから言います。あの時はまだ手が無かった。けど平行してずっと考え続けてました。今、その可能性を掴みました!」


 哀切を込めてリアラは訴えた。


「助けさせて下さい……駄目だなんて言わないで下さい! 僕にとってルルヤさんは、世界と同じ位大切です! どっちも! 助けて! 見せます!」


 世界と愛する人、どちらを助ける? という問いが、しばしば物語で語られる。


 だがこう考えられないだろうか。愛する人を犠牲にせねば守れない世界には守るだけの値打ちが無い。愛する人だけ助けても、世界がなければ愛する人をいかせない。この二択、本来両方助ける以外有り得ないのだと。故にリアラはそう叫んだ。


 ルルヤは、僅かな沈黙の後。


「全く。ラトゥルハを助けたのは、私が怨念に呑まれ自我を失った時、リアラが私を助け出せるかというテストでもあり、それに成功したから、きっとリアラも出来る、大丈夫だ、と、励ます心算だったんだがな」

「えっ」

「そこまで伝える暇がそこから今までの間に無かったのは悪かった」

「……(////赤面)」


 そう言って苦笑した。そこまでルルヤの意図が深いものだとは理解出来ていなかったリアラは、勢い込んでいた事の気恥ずかしさに少し赤面した。我ながらよくもまあ赤面するだけの血の気が残っているものだと思いながら。


「勿論、ラトゥルハ、お前を助けたかったのも事実だ。だが、そこから先はお前次第だ。忘れるなよ……!」

「……ああ、全く、大した夫婦だぜ……分かってるさ、やった事も、やる事もな」


 参ったぜ、御馳走様、そして、覚悟はしていると。そんな光景を見てラトゥルハは答えを返した。



「いい加減にしろ!!」


 二人の空間+αとラトゥルハに割り込んで『交雑マルドゥク』が吠える。『全能ゴッド』が次の手を打とうとする。共に、リアラの【真竜シュムシュの世界】の効果が如何なるものか、分析を終えたのだ。


 リアラの【世界】。それは、竜術の奥義というには一見すると余りにもささやかなものだった。世界に対して己の法則を付与する、その掟はただ一つ。


 【この竜術を展開して自分が加わる戦闘で周囲の仲間に被害を出さない】。確かに、この力ならば『全能ゴッド』の文字通り神の如き、世界を一息に滅ぼす事も容易い力から、仲間を守る事が出来る。だが、そして、その実態はそれだけではなく、故に儚く弱いものでは断じて無い。


「『永遠エターナル』!!」「分かったとも」


 『全能ゴッド』が叫んだ。直後『永遠エターナル欲能チート』は己が剣の柄に手を掛け……刹那!


 ZANFINITY!


「「「「「「「「「うわああああああああっ!?」」」」」」」」」」


 瞬間、世界が眩く輝いた。周囲に展開する『竜機兵ドラグーン』の残骸を焼き終えた兵士達が悲鳴をあげた。それは、世界を満たす斬撃……即ち一瞬にして無数の距離を無視した太刀筋、周囲全体への攻撃であった。


「……確かに」

「「「「「「「「「「……あれ? こ、これは……まさか……」」」」」」」」」」


 だがそれは唯の確認だ。見よ、何も傷ついてはおらぬ。『全能ゴッド』の世界洗脳にも惑わされず、兵士達は自分達を襲った攻撃が自分達を傷つけなかった事に驚き、不思議がり、そして、天に輝く者を見上げた。


「リアラちゃん……!」「リアラさん……」「リアラ……」


 〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉もまた見上げる。呟いた、その名を持つ真竜の少女の一人を。それは【陽の息吹よ守護の祝福たれフォトンブレス・バリアー】を完全上位互換する、世界を救う静かな守り。


 ……いや。


「くッ……」


 その斬撃で唯一人傷ついた者がいた。それはリアラ自身だ。自分自身に対してのみ限定して使用した【陽の息吹よ守護の祝福たれフォトンブレス・バリアー】が砕け散り、血が一筋滴った。


「リアラッ!?」

「確かに、完全ではない」


 ルルヤが叫んだ。『全能ゴッド』から声を介さず伝えられていたか阿吽の呼吸で察していたか、『永遠エターナル』がうっすらと笑った。


 それはリアラの切なる傷ついた救済への祈り。積み重ねた痛みがあればこその救い。その力は、ルルヤの身を蝕んでいた真竜の力の反動たる怨念からすらルルヤの身を守っていた。だが、その痛みの形故に、それはリアラ本人を守りはしない。


 それは世界のあり方を愛し、それを害する【エゴを阻止するというエゴ】を持つ、己自身の心や魂についての評価が控えめな魂が使う【世界に己の心象による法則を付与する力】とはどういう形になるだろうか、という形の答え。静かでささやかで、だが堅固で少し歪で、しかし。


「問題ないな。要はお前から先に仕留めればいいだけの事」


 分析を終えて『交雑マルドゥク』は武器を構え直す。この程度、どうと言う事は無い。改めてリアラを殺せば、ルルヤの心を汚染し望んだ【世界】の形を引きずり出す事が出来る、そしてどのみちリアラを生かしておく心算も無い、と。


「哀れなこと」


 『全能ゴッド』は嘲笑した。世界を支配できるかもしれない力を、ただ、他人より先に自分が攻撃対象にされて死ぬだけの力としてしか発現できなかったなんて。この子も、殺し、救ってやらねばと。


 しかしそれは、侮りを招く程に静かな力だが、ルルヤは。


「リアラ、お前って奴は……」

「すいません……」


 そう、呟いて。それに。リアラはややしゅんとして。


「いや、すまないな、それはこちらの言葉。改めてそんなお前の在り方について考えた上で、それでもいい、それがいい、それでいい。そう言いたかったんだ」


 そんなリアラをルルヤの今や回復した麗しい少女の声が励ました。リアラの顔が、ぱっと明るくなって俯きから跳ね上がった。


 リアラのその【世界】は、静かで小さく堅固で歪で、だけど優しく。故に、更に大きな力を呼び、世界をより大きく動かすのだ。


「……何だい、それは」「……」


 『全能ゴッド』が不快げな表情を浮かべた。もともと感じていた地球ではない世界への己の力の行使の妨害に対する不快感を堪えていた所に、更なる不愉快を突きつけられ許容値を越えたと言うように。


 『交雑マルドゥク』が微かに目を細め眉間に皺を寄せた。不快な胸騒ぎを感じたと認めず。


「傷の形の心を、それでも傷を受け止めて形にするのは大変だったろう。その勇気、私は敬意を表する。再起してもなお心の傷や揺らぎを忘れない事も、私は肯定する。それこそが、私達を制御するのだからな。故に多少歪でも、そんなもの後から何とかしていけばいい。私は、それが世界の敵との闘いと世界の統合への抱擁と言う二面を持つ真竜シュムシュという名の物語だと私の名の元に言おう。その物語の名の元に、お前を励まし、そして救う」


 対してルルヤの表情は晴れやかだ。その【巨躯】の頭部の上に、再びルルヤの幻像が復帰する。ルルヤはその少女の貌で、リアラに強く優しく微笑んだ。リアラは、そんなルルヤに、ぐちゃぐちゃな表情を笑わせてみせた。人は物語の力で強くなれる。それは、断じて『全能ゴッド』がこの末世唯一の救いと豪語する異世界転生だけのものではないのだと。


「だからお前達、特に『交雑マルドゥク』、こう言おう。そうはいかん、とな。やはり私のリアラは可愛いし、最高だし、私の心に勇気をくれる」


 至極真顔で言うルルヤの声に、力が漲った。


「後からだと? 何を……大体、この局面で何をノロケ話を!」

「言ったろう、私も勇気を出す為さ!」


 『交雑マルドゥク』の言葉にたからかとルルヤは吼える。その声はいつしか、少女の瑞々しさを取り戻していた。リアラの【真竜シュムシュの世界】の効果だ。


「【真竜シュムシュの祖たるナナよ! 裔たるルルヤが問い訴える! 答えよ!】」「「「何!?」」」


 吼える。【真竜シュムシュの咆哮】。敵を威圧し、語りかけえぬものへ語りかける力。後者の力の対象としてリアラが語りかけたのは……信仰対象としての真竜シュムシュそのもの!


 流石の敵達も驚かざるを得ない。計算をどれ程積み重ねても、真竜シュムシュは秩序にして混沌、世界の間を吹き渡る運命の嵐なのだ!


(勇気ってそういう……!?)(ああ! その通りだ!)


 何しろ身内のリアラすら驚く程の大胆さだ。確かに勇気、勇者の所業。肯定しルルヤは言葉を天に放つ。


 OOOOOOOO……!


 そしてそれは空念仏ではない。夜空になりつつある空が、奇妙にうねった。水満ちる宇宙に浮かぶ泡の中の世界である混珠。言わばその泡の表面が波打ったのだ。


「あれは、確かに……! ルルヤさんの竜術がここまで至り、可能にしたか!」


 必然驚愕する周囲の兵達の中、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉の一人に加わっている、書学国のロド先生が吹き荒ぶ嵐に乱れる書物を繰りながら、過去の歴史を紐解いて確認した。それは紛れもなく、歴史上数少ないが存在した神霊的存在との交渉の印。ルルヤの竜術の高まりが、【真竜シュムシュの咆哮】にそれを可能とさせていた。


「【私達の信徒が、私に怨念に呑まれるなと、生きろと言っている!皆に生きろと言えと私達に願っている!私達はそれに値すると!】」


 続くルルヤの言葉。リアラの至った境地を寿ぎ、リアラが与えてくれる信頼を喜び、それを以て天に訴える。


「貴様!」「させません!」「させんのはお前に対してだ!」「それもです!」


 それを阻止せんとする『交雑マルドゥク』をリアラが【真竜シュムシュの世界】で食い止め、受け止めるリアラを『交雑マルドゥク』が殺さんとし、その攻撃をリアラが防御する。


「【その意気に答えずして何が真竜シュムシュか! 我らに付き従う怨念に、我らの行いに、答えよ真竜シュムシュ! 我等は生きるに値するか、我等の流した血に比べ 】」

「不完全さをごまかす気か!? 混珠こんじゅ!」


 『全能ゴッド』と『永遠エターナル』が攻撃に加わる。『交雑マルドゥク』との光線を警戒してやや慎重な遠距離からの攻撃だが、【月影天盾イルゴラギチイド】で、再生しつつある【巨躯】で、ルルヤはリアラへのそれを防ぐ。しかしそれが同時にリアラの【世界】の法則干渉の現段階での限界を暴き出す。『全能ゴッド』と『永遠エターナル』の攻撃と、ルルヤの防御が激突する。リアラの言わば世界を庇う力は、リアラ自身を更に庇う行為とは矛盾するのだ。


「ごまかさぬ! 押し通す! 【我等が生きるに値するというなら答えよ! 諸神諸霊に共に担わせ、我等に降りか狩る怨念を晴らさせよ! リアラに、私に、ラトゥルハに、成長の余地を与えよ! 肯んぜぬなら、今ここで私を天罰で殺せ!】」


 だが構わずルルヤは叫んだ。リアラへのこぶと……己の信仰対象への叩きつけるが如き暴挙めいた要求を!



「な、なんて事……!」


 非難ではなく寧ろ感嘆の混じった驚きを感じるユカハ。仮に手段があっても自分には絶対にアレは出来ない。神に等しい存在に、あんな要求をぶつけるなんて。


「しかもあれ、考えられてるよね。この局面で断るのは、たとえ真竜シュムシュそのものだってリスクがでかすぎる」


 ミレミが傭兵らしい分析で苦笑した。断って天罰を下せば、混珠こんじゅ真竜シュムシュも共倒れである。それを知った上で通す為にやるんだから、傭兵顔負けの図々しさだ。


 そして、ルルヤがそれを吼えた理由も何となく分かった。これは、うまく言えないが、良き転生者や外の世界の人間達の為に、混珠こんじゅ人自らがせねばならぬ事だ。この戦いは混珠の自尊自立を守る為のものだが、それはともかくとして、だ。


「生臭宗家、信仰を道具とするか!」「前にも第一章で言ったが義理は果たしてる、信仰が人と共にあるなら信仰対象も人と共に努力せよと言う事だ!」「そんな道が通る等!」「腹の立つ、世界だ」「僕は自分は兎も角ルルヤさんは肯定する! 守る!」


 敵味方の叫びに攻防が交錯する。嵐となって渦を巻く。混乱、激烈、相互必死に伯仲し、故に混沌。そして。


「【ったく、しょーがないわねー……んなら、気張りなさいよ、子孫っ……】」


 どこからか、飄々として生意気な、少女の声が聞こえた気がした。金褐色の髪をした、世界に抗う勝ち気な、けど普通の少女。それは真竜シュムシュの祖ナナの気配。


 大昔に冒険の旅を繰り広げ世界を救っただろう、単純明快に世界を許せないから世界と殴りあった、シンプルだった昔の時代の少女ヒロインからの、今から明日へと進もうとするルルヤヒロインへの応援エール


「ど、どうなった……?」「な、何も起こってない、よね?」「つまり……」


 そう、天は鳴動した。だが、天罰は無かった。魔法がある世界において、何も起こらなかった事が即ち奇跡の証明となる逆説。ルルヤの全身から、瘴気めいた気配が消えた。即ち、言わばここに新約は成ったのだ。


 ZDGAM! BAOOOOM!!


 しかし感慨に耽る暇等無し。即座に連続して戦況は動く!


「おのれぇえっ! こんな事で!止まるものかよぉおおおおっ!」


 『交雑マルドゥク』が叫ぶ。〈越界の扉〉が鳴動し、皹割れ砕け散った。崩壊ではない。その内から、次元の狭間めいた奇妙な紫と橙の歪みが嵐めいて溢れ出る。その次元歪曲奔流を、『交雑マルドゥク』が複数の特殊能力を束ね操る! 指揮者めいて大きく打ち振る腕に乗って、氾濫めいて襲いかかる! どころか、大地が鳴動しはじめる!


「今更何を……!」


 リアラは叫ぶ。新約は成った。ルルヤは最早暴走する事は無い。『交雑マルドゥク』の望み、地球の完全な消滅は、魂の消去というルルヤを利用して行う筈だった部分が破綻したではないか、と。


「諦めるものかよ! 諦める位なら最初から生まれ変わらない! 俺達は改心なんざしないのさ! ……お前達が世界を歪めるなら俺も歪める! 魂まで殺す術は後からでもいい! 地球もこの混珠こんじゅも! 激突して砕け散れぇっ!」


 血反吐を吐きながら『交雑マルドゥク』は叫んだ。取神行ヘーロース化した肉体の更にその上の限界性能の行使。それを躊躇なく選択した。リアラの【世界】とぶつかり合って、次元歪曲奔流が周囲に広がる事は避けられる。しかし次元歪曲奔流は、そのまま、混珠こんじゅと地球を激突させんと引き寄せはじめる!


(何て、無茶苦茶!)(だが……!)


 それは人の手による天変地異、否、世界崩壊の危機。それは世界そのものを己が為に浪費する欲能チートの究極的極致にして、人が世界を食らい人をも虐げる地球の理の極致だ。だが、リアラもルルヤも引かぬ。絶対に防がねばならぬ破局であるだけでなく、この度の最初から、そんな地球げんじつの理と戦いづ付けてきたのだ。今改めて地球そのものと戦う事すら、覚悟の上!


(ふん……!?)


 しかし『全能ゴッド』は見抜いていた。確かにこのままだと地球と混珠こんじゅは激突する。だが、それをリアラとルルヤは防ごうとするだろうし、それは『交雑マルドゥク』も承知の上だ。その真の狙いは地球への諸共の転移……まだ『交雑マルドゥク』は諦めていない。


「防がないと!」「ああ!その為には、やむをえんか!」


 リアラとルルヤもそれを察している。【宝珠】や通信魔法を交えて考えを共有している為声に出す部分は断片的だが。


「「うおおおおおおおおおおおおおお!!」」


 二人揃っての絶叫。【陽の息吹よ守護の祝福たれフォトンブレス・バリアー】、【月影天盾イルゴラギチイド】、リアラの【真竜シュムシュの世界】、それを後押しするルルヤのまだ未完成の【世界】、二人の勇気、そしてルルヤの叫びによって再び使用可能になった【真竜シュムシュの地脈】!!


「う、うおおおお!?」「リアラ!?」「ルルヤ!?」


 光と闇と歪みが、激突し、跳ね回り、絡み合い……天に届く柱の如き巨大なエネルギーの竜巻と化した! 人々の驚愕の叫び、祈りの言葉がそれに向かって響く。


「すまん! 皆! 暫しの別れだ! だが……! 」「きっと! ……きっと、世界を!」


 その中、リアラとルルヤは必死に皆に言葉を伝えた。二人は『交雑マルドゥク』『全能ゴッド』と共に奔流に巻かれ、混珠こんじゅの外に吸い出されながらも言葉を伝える。


「決着は地球でか、いいだろう! 思い知りなさい物語! 現実の重さを!」


 『全能ゴッド』もまた叫ぶ。己そのものである地球、そこに引きずり込んで倒す、余裕綽々と見えてその実先の覚醒が危険であると見切り、それによる逆転勝利の気配を断ち切るべく動いていた。


「『永遠エターナル』!」「ああ」「!?」


 その叫びは命令だ。『全能ゴッド』が言葉を伝えたのは、次元奔流を切り裂き混珠こんじゅ世界に脱出する『永遠エターナル』に対してだ。 リアラは混珠こんじゅの外に出つつある……戦場が分断される……混珠こんじゅがリアラの【真竜シュムシュの世界】の守護から外れる、そのタイミングで。


「私が地球でこいつらを消している間に混珠こんじゅを皆殺しにしろ!」「いいだろう!」

「なっ!?」


 1ミリも単独行動する主君の危機を感じる事も無い、と言わんばかりの平然にして超然とした微笑を浮かべ、白面の転生者デルリク・ボルニキラドは即答した。リアラは今度は逆に驚愕させられた。それでは、手が、折角の【真竜シュムシュの世界】が届かない。十弄卿テンアドミニスターの中でも最強格の一人が野放しになっては、混珠は。


「ライトファンタジーの者共、思い知るがいい。ダークファンタジーの暗き手が、如何にお前達を凄絶に蹂躙するかを。如何にお前達の流れを絶ち、暗い運命の嘆きを被虐的な喜びとさせるかを! 」


 『永遠エターナル』は抜く手も見せずに切り払う事も可能な魔剣『災禍を呼ぶ者テンペストコーザー』を態々と抜き払って高く掲げ宣言した。雷を孕んだ嵐の暗雲より更に不安を呼ぶ程暗くしかし同時に目を刺す様に眩い灰色の光、という矛盾した要素を見る者に認識させる、健全な世界には存在しない病んだ超自然の汚染光が剣から迸った。


「この手に取らん神の行い、我こそこの世の主人公!

古は偉大なり

今に良いものは無し

偉大なるものは何時も既にあり

挑む者は要らず

意味無し忌むべし、之こそが我が現実なり!

取神行ヘーロース、『過去無限・現在夢幻イモータル・ズルワーン』!!」


 そして詠唱! 取神行ヘーロース』化! 『永遠ズルワーン』ボルリク・デルニキラドの周囲を無数の時計の幻影が、時間の乱流が取り巻いた。それが消えた後に現れるのは……複数の、微妙に異なる姿をしたデルリク・ボルニキラドであった。特殊取神行パラクセノスヘーロース! 元々の姿から帽子ではなく冠付きの兜を被りより王侯じみた装束となった者、緋色の装束を纏う者、やや現代的な装束でより冷酷な容姿のもの、まるでデルリクの妹の様なより若い少女の姿の者……!


「さあ、終わりの時だ!」「ッ……!」「リアラ!」


 それらが周囲目掛け襲いかかる! リアラの心が乱れかけた。それが『全能ゴッド』の狙いだ。抗える苦難には抗うだろう。だが手の届かぬ場での悲劇は、善良な者に対しては倍響く。直接『永遠ズルワーン』に殴らせるのと同等以上に心の力を消耗させる。


 そしてそもそも混珠こんじゅが滅ぶのであれば、更に心が枯れるだけでなく真竜シュムシュの力もまた枯れるだろう。だが対して名無ナナシが叫んだ。


「構うな! 行け!」「でも!」


 それは一人の人間が下せる決断ではないという事を、名無ナナシは躊躇しなかった。リアラの為に、己の為に叫んだ。それでも、それが己の信じる正しい世界の在り方の為であると信じて。そうして踏み出さねばならぬと。


「俺達から戦う自由を奪うな!」「ッ……! !」


 それは刹那故に短く、端的で、故に鋭かった。


 戦う自由、生きる尊厳。それを命賭けて自分達は貫いている。だから玩想郷チートピアに抗っている。俺達は共に戦っている。保護されているんじゃない。だからこいつは引き受ける、戦って死ぬ自由の権利を奪うなと。


「分かったっ!」


 自由と尊厳を奪うは玩想郷チートピアと同じ。リアラは意図を悟り精神を集中した。そう、これは戦いだ、皆は既に力を得ている、知恵もある。負けはしないと信じて。


「なら死ね」「ッ……!?」


 それら全てを無視して『永遠ズルワーン』の分身の一体が持つ『災禍を呼ぶ者テンペストコーザー』が名無ナナシの腹を貫いた。まるで時間をすっ飛ばしたような速度。魔法通信でそれを世界の外から知覚しリアラが絶叫した。『永遠ズルワーン』が見下し嘲笑う中、名無ナナシは膝を震わせ、だが崩れ落ちなかった。魔法通信に、返事を、声を伝えた。


「……大丈夫、大丈夫だ。世界が滅びそうなピンチでも、世界が優しくなんて無くても、リアラとルルヤ二人ならきっと何とか出来る。これまでも二人は、世界を守ってきたんだ!あのでかい玩想郷チートピアだって、もう実質滅んだようなもおだ!あとはもう三人だけだ、リアラ、お前だってこの位の怪我、何度も……大丈夫だ、心配ない!」


 血を噛み締めたしかめっ面から、無理に絞り出した微笑を滲ませた声で、名無ナナシはリアルタイム故の音声での通信魔法越しにリアラを励ました。俺は言いから頑張れと。悪しき世界を正す真竜シュムシュの力を持っているからじゃなく。二人のこれまでの戦いは既に世界を守ってきたのだと、玩想郷チートピアに俺達は勝ちつつある、あと少しだ、そしてその闘いはこれまでと変わりはない、と。自分よりリアラ達を心配して。


「……いつも、ありがとう。皆が居なきゃ僕達は、きっと何度も死んでる。何て、お礼をしたらいいか」

「何、まだ忙しいんだ。報酬は後でいいぜ。さ、お互いもう一仕事だ、さっさと行きな」


 涙声でリアラは感謝し、笑って名無ナナシは答え、通信を切った。これ以上涙声を悪化させる訳には行かないからだ。急がないと。時間がない。


「っ……さぁて……!」

「ふん、真竜シュムシュの加護はまだあるか。『災禍を呼ぶ者テンペストコーザー』で魂を奪えないとは。」


 名無ナナシは一人呟き傷口を押さえ『永遠ズルワーン』から跳び下がると、血の気の失せた顔で奥歯を噛み締め『永遠ズルワーン』を睨んだ。『永遠ズルワーン』は不快げに、あるいは勝手が違うとでもいうように美貌の眉を潜めた。びたびたと名無の足元に血が溢れ毀れる。間一髪背骨を避け、横に薙ぎ払われて臓物をぶちまけられる前に飛び下がって刀を抜いた。とはいえリアラから貰った【鱗棘】等の魔法防御がなければ胴の上下が真っ二つとなっていただろう。いや、『永遠ズルワーン』の言からすれば、それすらもままならぬ即死より酷い何か宇宙的恐怖じみた最後を遂げていただろう。


 生きた以上、名無ナナシは思う。ならば自分はあの子に、この世界に何を残してやれる。やれるだけの事をやらねば。名無ナナシは呼び掛けた。周囲の兵の混乱に。ミレミの悲鳴に、フェリアーラの絶叫に、ユカハの泣き声に。


「皆、仕事だぜ。〈この世界で最後の傭兵になる為に〉……さ、やろうか!」

「っ……ああ!」「隊長を援護しろ!」「今回復を……」「リアラ!ルルヤ!ここが私達が!」「任せて行け!」「負けるなよ!」「負けないから!」


 至近距離に迫る『永遠ズルワーン』の笑いを睨み名無ナナシは宣言した。戦災孤児傭兵団〈無謀なる逸れ者団〉の合言葉を。致命傷を与えた程度で、命に手をかけた程度で、俺の魂を、混珠こんじゅを、屈服させられると思うなと。そしてそれに皆が加わった。名無ナナシを支え、リアラに、ルルヤに口々に応援の言葉を叫びながら『永遠ズルワーン』に挑む。


「う、お、おおおおおおおおっ!!!!!」「ぬうううああああああっ!!!」


 その思いを受けリアラは吼え、次元奔流を全力で押さえ込む。ルルヤも吼える。ガタガタの【巨躯】を再構築しリアラを守る。再構築も『交雑マルドゥク』も『全能ゴッド』の攻撃も、この段階で尚現在進行形だ。


(分かった、頑張る!君達のお陰で生きる、戦う勝つ!)(だから死ぬなよ!)


 リアラとルルヤ、共に魔法で皆に今は一先ず最後となる言葉を送る。皆の思いに答えると。皆の思いを担い背負うと。……この思いを思えば、己のふがいなさなど嘆いている暇はない。唯、全力を尽くすのみ。お前は愛されているのだと言われたのなら、お前達も愛されているのだと返す事に全力を尽くすのみ。この思い、この救いの形は、転生になんて負けはしないと。『交雑マルドゥク』の次元歪曲奔流は一刻も早く混珠こんじゅから遠ざけなければ、混珠こんじゅを既にこの段階で破壊しかねない。まだ先を目指しているのは事実だが、追い詰められて自棄になっているのも事実だ。故に、一心に飛ぶ!


「負けるものかあああああああっ!!!」「あはははははははははは!」


 それに足掻く『交雑マルドゥク』の絶叫と『全能ゴッド』の哄笑が激突する。笑い。思えば、『情報マスコミ』に、『旗操フラグ』ゼレイルに、様々な敵対的な笑いをぶつけられて来たが。


(それでも、と。たとえどうあれ、この物語を僕は担い続ける!)


 リアラは今それを受け止めきって進む。それでも尚己と同じ物語を生きる皆を救う為に、その物語の一人であり続ける。


 リアラの戦いもまたそうであるように、人は生きるだけで他者を傷つける生き物かもしれない。発言が思わぬ方向に響く事もあれば、事故を起こす可能性は常に付きまとい、唯生きている事で救わず変えなかった事が理由で平行して貧困や諍いで死んでいく人々がいるように。


 だが、同時に生きるだけで他者を救う生き物でもあるのだ。何気ない呟きが生み出した笑いが誰かの心を明るくさせ自殺を阻止することもあり、生計を得る手段が誰かの為になり、綴った物語の続きを読みたいから生きる人がいるかもしれず、楽しんだ物語への感想がその物語を書いた人の生きる理由となり、ただ生きるだけで経済が回り買った物を売っていた人々が糧を得る。


 リアラにも、戦いの結果で救い共に戦う皆が教えてくれたように。


 故にリアラは生きる。己は生きる理由があると、生きるに値すると信じる。心を奮い立たせ戦いの真の最終局面に立ち向かう。


 現実で満ちた青き星、〈不在の月ちきゅう〉に立ち向かう!



 逆襲物語ネイキッド・ブレイド、まだ、いま少し未完おわらず。最終第四章に続く!

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