・第六十九話「かたりきれない物語(3)」

・第六十九話「かたりきれない物語(3)」



(死ぬ、のか? オレは……死ぬ、のか?)


 ラトゥルハは思った。首が無くなったのに何処で考えているのだろうと一瞬疑問を抱いた。気がついた時は暗闇の中に裸で浮かんでいた。そして、すぐに首の事を考える余裕はなくなった。


(嫌、だ)


 猛烈な混乱と未練と恐怖と絶望と恨みと怨念が、その思念の中で渦巻いた。


 まだ何も分かっていない。結局何も成し遂げられなかった。理由付けられて生まれて、理由のままに生かされて、それに反抗の念を抱いたのに、結局その理由のままに戦って負けて死ぬなんて。『悪嬢アボミネーション』エノニールの仇も討てていないどころか、仇を討つ事が正しいのかも、『旗操フラグ』ゼレイルの復讐心に感じた感情は何だったのかも分からず死ぬのか。


 『文明サイエンス』に反抗し、お父様ルルヤともお母様リアラとも戦うだけの関係だった。


 死ぬのか。誰にも惜しまれないまま、一人で死ぬのか。


(嫌だ、嫌だ……嫌だ!)


 ラトゥルハは泣き叫んだ。死にたくない、まだ何も、何も無いんだと震えて、その運命を覆す力を求めた。その瞬間。


(イヤダ)(え?)


 闇が質量を持った。裸の足に、腰に、背中に、腕に、胸に、首に絡み付く。


(イヤダ!)(あああああああ!?)


 絡み付く。入ってくる。汚される。噎せる。飲み込まされる。ラトゥルハはもがきながら闇に飲み込まれる……!



「【GEO……FA】?」


 ルルヤは、手加減ままならぬラトゥルハの力と悠長に戦い続けては周囲の味方を滅ぼしてしまう状況と手加減出来ぬ己の未熟さに一瞬竜の顔でもはっきりと分かる程の沈痛と鎮魂の表情で伏せた目を、驚愕に見開いた。


 三つ首を吹き飛ばされた筈のラトゥルハの【巨躯】がぐらりと傾き……倒れぬ。


 倒れぬのだ。そして、空から声がした。


「何を驚く? しぶとさにおいて、お前達程しぶとい存在は無いだろう、真竜シュムシュ

「っ!? お前は!?」


 その声にルルヤは竜の声でも竜同士の念話でもない、元の少女としての声で答えた。【巨躯】の頭部の上に胸元までの上半身のホログラフが浮かぶ。


 その視線の先、【巨躯】の頭部よりも更に高空に君臨するその男は。


 モノトーンの服。目元を隠す仮面。欲望の力を振るう悪しき超人達の首魁の一人でありながら、信仰者である『神仰クルセイド欲能チート』ともまた違う禁欲的なまでの克己と計画性の静謐さを纏う黒髪の少年。


「『交雑クロスオーバー欲能チート』。エオレーツ・ナアロ……!」

「無論だ。私が来ないと思っていたのか? 」


 取神行ヘーロースになる事も、『増大インフレ欲能チート』のように気の力を垂れ流しにする事も無く平然と空中にある『交雑クロスオーバー』を、ルルヤは睨み上げ言葉を交わす。


「ふん、まさかな。いつ来るかと思っていたが……」

「今来たさ。そして、今にこそ勝機がある」


 ルルヤは警戒の思考を巡らせる。こいつがどのタイミングで現れるか考え続けてきた。何を仕掛ける心算かについても考え続けて来た。勝負の時間だ。『交雑クロスオーバー』は、始まりを告げるように片手を掲げた。


「ひょひょ、お任せくだされじゃ」


 VN! とSF的な効果音と共に現れるは白衣白髪、骨ばり乾燥した皺顔にぎらぎらした貪欲の炎を灯した気配の男。ナアロ王国首席国家錬術博士、『文明サイエンス欲能チート』ドシ・ファファエス。


「お前が『文明サイエンス』か。あの子をにしてしまった奴か! 罪深い事を!」


 ルルヤは、それに対して真剣に怒号した。敵だった。強敵だった。愚かで単純だったとも言えた。だがそれは若いが故だ。あの子は私とそう変わらない年のような姿をしていたし姿相応の言葉と姿相応の戦いぶりを知っていたが、それでも生まれたての命だった。そんな命に、自分で自分の命はこう使う・こういう事の為に使う命だと決めるのではなく生まれながらに目的を仕込むのは、命を生きる・生き方を選ぶ権利の侵害であり、生ける命を殺す事と並ぶかそれ以上に邪悪だと……


「あの子はああ生まれさえしなければ、成長せんとし、仲間の心を気遣い……決して悪い子ではなかった! いっそ私達よりも! それを心が出来上がるより先に目的を与え、よくも歪めた! よくも平気で兵器にしたな! 外道!」


 人は自分の命をどう使うか、何の為にどう何処で生きるかを決める事ができる。命はいつか失われるものだからこそ、最初からそのあり方と在処を奪う事は、途中から奪う自分達が言うのも何だが余りに重いと叫ぶ。


「如何にもわしは外道。存在せぬ科学の悪魔に魂を売った邪悪なる神じゃ!」


 巨竜の弾劾に、くわと目を見開き『文明サイエンス』は吠えた。


「やりたい事があったのじゃ! 何を生贄にしてでも、そう、あの子ラトゥルハを生贄にしても! あの子は実に出来が良かった、命じゃった、面白い娘じゃった! 作った甲斐があったし居ても面白い奴じゃったが、それでもわしは欲した! 欲さなければこの世には何もない! 生きる意味という意味でも、人の歴史という意味でもの!」

「貴様……!」


 その意味を知っていると、『文明サイエンス』は言う。その言葉はラトゥルハを惜しむ色があった。だがそれ以上に、ラトゥルハを犠牲にしてでも、欲した己の有様を貪らずにはおれぬ果てしない感情があった。ルルヤは呻いた。地球文明の恐るべき力の根元たる欲望の力を改めて目にした感覚に。


「そう、わしは手に入れるのじゃ。おぬしら真竜シュムシュを、そして勝利を、この混珠こんじゅにおいてだけではない更なる勝利をのう! ……地獄を作っても、ラトゥルハをまだまだ苦しめてものう! さあ見るがよい、わしの取神行ヘーロースを、わしの新たなる発明品マクガフィンを!」

「……!!」


 ルルヤの声にならない怒りの唸りが鳴る中、『文明サイエンス』のしわがれた詠唱が天地を呪った。重金属酸性霧と電磁障壁がその姿を覆い隠す!


「この手に取らん神の行い、我こそこの世の主人公!

人が獣にあらざるは、火もて獣を焼くが故。

文明文化築く余裕は、物質物資あればこそ。

惨禍と愚行を招こうと、産業軍事は手放せず。

知恵ゆえ地を焼き血を流そうと、現代の恩恵を幻想に落とせぬ。

科学・科学・科学・科学、これこそが我が現実なり!

取神行ヘーロース』、『科学万能・輝灼未来マッド・デウスエクスマキナ』!」



 その頃、連合帝国帝都エクタシフォン。


「うおおおっ!」

「ぎゃあっ!?」


 ギデドスの豪腕が剣を振るい、王神アトルマテラの魔法剣に封じられた『切断キリヒラキ欲能チート』が発動。混乱を納めんと演説中の帝龍ロガーナン妃スロレに化けていた『月光ツキカゲ欲能チート』を両断した。その欲能チートごと!


 それによって正体が露となりながら屍を晒す『月光ツキカゲ』。『情報ロキ』の欲能チートの効果が解除され惑っていた群衆は、その光景に驚愕の叫びを上げた。


 だが。


「お、おのれ! 構わん、やれっ!」


 リアラから真竜シュムシュの力を分け与えられたルマと戦いながら喚く帝龍ロガーナンギサガに化けている『太陽ダズル欲能チート』だけが残る敵ではない。


「そこだっ!」「きゃああっ!?」


 巨大な鋼の拳がルマの周囲を薙ぎ払う。真竜の力を授けられて帝龍ロガーナン家の装束を思わせる豪華なビキニアーマー姿となっているとはいえ、帝龍ロガーナン家の伝統として王神アトルマテラ流武器法を仕込まれてはいるが、実戦経験は乏しいルマは避けきれず吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられた。王神アトルマテラ法術、帝龍ロガーナン術、真竜シュムシュ術の三重の防御を持っていなければ、粉々にされて絶命していた所だ。


 その巨大な鋼の拳は皮肉にも本来帝龍ロガーナン家が所持していた力。『機操ロボモノ欲能チート』に乗っ取られた、『王神鎧』だ。


「無理するんじゃねえ、ルマ!」「ダメよ!」


 変わって『太陽ダズル』と切り結びながら、もう無理だ、下がれと叫ぶギデドスに、転げ回り、ふらつきながらも、高貴な義務ノブレス・オブリジュ負う者ならではの気丈さで尚立ち上がりルマは叫んだ。


「粗暴で知られたお兄様が立派に戦ってる、リンシア姉様も馳者達と一緒に対策に努めてた、ちっちゃなルキンも大事な情報を伝えたりアヴェンタバーナの方での指揮を頑張ってる! 私だけ何もしないままにいかないんだから!」

「さりげなく日頃の評判を思い出させてくれやがって! 糞、そんだけ生意気が言えるんなら、ああ、好きにしろ! 高い命なんだ、無駄に死なずに命を使えよ!」

「勿論っ!」


 互いに喝を入れあいつつ、共に決意の表情で、揺らぐエクタシフォンで戦う。このは自分達の国なのだから、それを背負う身なのだからと。


 だがその決意の表情に殉教・自決の色は無い。二人とも諦めてはいなかった。


(やっぱり、奴は操縦できてるけど、操縦できてるだけ! 所詮雑兵、気概も思いきりも無い!)


 ルマは見切る。『機操ロボモノ』は王神アトルマテラの血を引いていないにも関わらず『王神鎧』を完全に操縦できている。欲能チートとやらの力だ。だが、完全に活かしきれてはいない。


 そもそも『王神鎧』は操縦できるだけではダメなのだ。巧みに繊細に的確に操縦できる事よりは、勇気を以て動かす事、機体と一つになれる心、魔法を使う能力、機体の動力に供給する精神力、王神アトルマテラ信仰に相応しい良き王の心が問われる。どれほど正確に操縦しても気概無き者が扱っては、言わば馬の数が足りてない馬車、兵器を積んでいない軍艦だ。……ルマは知る由もない比喩だが、要するに『王神鎧』はロボットアニメで言えばスーパー系の機体であり、リアル系のパイロットを乗せてもぱっとせず、そして『機操ロボモノ欲能チート』はリアル系だったという事だ。


 それに加えて『機操ロボモノ』は、操縦が出来るだけの兵に過ぎない。状況が激しく錯綜しているこの段階ではルマ達も知らないが『情報ロキ』が討たれた事により指揮系統が絶たれている。だからアヴェンタバーナでの巨竜達の戦いに加わらずこんな場所でぼさっと突っ立っていたのだ。『情報ロキ』が自分が死ぬとは少しも思っていなかったせいもあって自分が全ての情報の流れを制御する形で〈帝国派〉を組織していた為、この状況で〈例えエクタシフォンを瓦礫の山にしてでも全ての敵を倒す〉という判断が出来ていない。迂闊に全火力を使用して都を灰塵に帰してもいいのかどうかの判断が出来ていない。あくまで1パイロットに過ぎないからだ。来る筈もない指揮を待たないとどれだけ暴れていいかを決められない。というか、『情報ロキ』の欲能チートの効果が解除されているのだからその死も明らかだと思うのだが、それも判断できていない。愚かなのか現実逃避なのか、欲能チートは兎も角兵としてもそう優秀とは言えない。


 そうでなければ、いかな相性の悪い乗り手による操縦とはいえ神の力だ、とっくに自分も兄も城ごと粉砕されているとルマは理解している。


「さあ、どうしたの! それに乗っててお姫様一人捕まえられないの!?」

「このぉっ!?」


 『月光ツキカゲ』も手強い相手だった。自分達では倒しきれまい。だが退くわけにもいかぬ。だから、命がけで時間を稼ぐ心算だった。ルキンが発見した古文書に記された真竜に関する情報。それとは別に、こういう時の為の儀式、というものがあった。帝龍ロガーナンの一族に伝えられた秘密の儀式。


 それは、〈不滅なるもの〉、とだけ呼ばれる名も無き意霊を呼ぶ儀式。


 混珠こんじゅ世界が生まれた時。全てが入り交じった混沌の中に混じっていた意識達。後にあるものは精霊になり、あるものは滅び魔となり、あるものは生き残り神々となった、この混珠こんじゅ世界を思い描き生成した意識。


 それが本当ならば、それは正に精霊よりも真竜シュムシュよりも神々よりも古い存在にして、この世界の法則そのものの根幹に最も近い存在。


 北の果てに籠り続け精霊にも神にもなる事無く在り続けたそれに働きかける。世界の危機に干渉する為の特別な魔法儀式。


 リンシアはそれを発動させに向かった。


(あ、まず……これは、避けきれないわね……)


 『機操ロボモノ』の精密な操縦はルマを逃がさなかった。捕まる、と、激しい機動の最中、ルマは悟った。だがそれでも、リンシアがそれを成し遂げてくれれば。


 だが、次の瞬間。


 Z Z Z N N ! ! ! ! ! !


「な」「う」「お」「わっ!?」


 不意に、直下型地震が、いや、違う。魔法的な、いや、それも正しいが。


 もっと根幹的な何か、時空が、世界が揺れたような気配に、その場にいた皆が混乱した。それによって幸い、ルマは『王神鎧』に捕まらずに済んだ。が……


「な……」


 儀式を行ったリンシアは、愕然とした。


「くそっ、間に合わない……!」「じゃが、急がねば。幾らかでも可能性を残す為にも……!」「諦めるんじゃないよ!」


 その時何事かを察しアヴェンタバーナから駆けつけんとしていた、チーム【贖】【罪】が連れてきた面々の残りの者達、何者なのかを今はかたりきれない者達が焦燥の表情を浮かべた。


 ……それは、時間の矛盾、因果の混乱、理と法則の破滅の始まりだった。



 それ故に、終わった筈の決闘の場でも、状況が再び動き出す。


「……ふぅーっ……」


 極限の精神集中からリアラは復帰した。眼前には恐怖の記憶を送りつけられ恐怖と狂気で大脳をすら破損させ、血と脳漿と脳髄の破片をぶちまけ死んた『情報ロキ』の死体と、へたりこんだ床に恐怖と混乱の余り失禁し呆然自失の『常識プレッシャー』ミアスラの姿。


「お、お……」


 静かに息を吐きながら立ち続けるリアラの背に、『旗操オシリス』の姿を失ったゼレイルは呆然と呻いた。


 十弄卿テンアドミニスターを、取神行ヘーロースを、実質三人も、唯一人で。これまではせいぜい二対二か二対一で、あくまで英雄ヒーローならざる脇役サイドキックだと思っていたのに。何て奴だ、と。


「ゼレイル。それで、君はこれからどうする」


 リアラはほんの僅か顔を傾け、横顔をゼレイルに見せて問うた。『情報ロキ』との幻影精神戦による大脳への極限負荷故、その両目からは血涙が溢れていた。


「お前……お前こそ、どうするつもりだ、一体。俺が、俺みたいな下らない人間が、面従腹背して……後ろから今刺そうとしても、お前、強いから止められるだろうけどよ。嘘ついて生き延びた先で、お前を裏切ったらどうする。どうせ俺もミアスラも野垂れ死にかもしれねえが…お前、そんな生き方で、生きていけると思ってるのか」


 ゼレイルは引き攣った声で言い訳がましい悪態をついた。悪意と恐怖と、命への未練と捨て鉢が入り交じった声で。それにリアラは、


「そう、その通り。そんな苦しい道を、歩み通せると思っているのか? 苦しくて、その実、悪と何も代わりのない道を」


「「!!!?」」


 そこに声が割り込んだ。驚愕が弾けた、ゼレイルの顔に。自失していたミアスラが声にならない悲鳴をあげてもがいた。


 そして死んだ『情報ロキ』の顔左半分が、その声とそれに反応出来ている自分が理解できずに恐怖と驚愕と混乱に見開いた目をぎょとぎょとと動かし、懸命に己の顔の右半分を何とか確認しようと空しい努力をした。そこから、めりめりと変形する音が聞こえてきたからだ。脳漿脳髄を穴という穴からぶちまけた『情報ロキ』の死体が、変形していく顔半分を見せないような姿勢で立ち上がった。


 頭脳の無い死体が立ち上がる。頭脳のない死体の顔の左半分が己の状態を理解できずに狂乱する。頭脳の無い死体の顔の右半分が、別の何かに変形していく。


 リアラはそれを、恐れず、驚かず、見据え身構えていた。修復された片手を、既に構えている。


「な、何だ。何が、私は、どうなって……!?」

「与えられた命を、何も考えずに楽しんで、さっぱりと死ねば良かったろうに。無駄に足掻くから、こんな事になる」


 混乱する『情報ロキ』に、壊れかけたミアスラに、地に伏したゼレイルに、傷だらけのルルヤに、言い聞かせるように『情報ロキ』の顔右半分だったものは言う。


「誰かを操るのは自分の専売特許だとでも思っていたか? 海棠かいどう 文丸ふみまる。お前は自分が操られていないと思っていたのか? お前の思考の半分は、こちらで作ったものだ。お前は玩想郷チートピアを程良く掻き回して管理するのに役立ってくれたが……もういい。情報を知りたかったんだろう? だから最後に真実を教えてやった。満足したろう。さあ、お前の物語は、これで終わりだ」

「あ? あ……ああああああああああああああああ!?」


 仲間の死すら演出し操った外道は、その罰として二度狂死した。狂乱し喚くその顔だった部分がぐしゃりと握り潰され、瘡蓋を剥ぐように毟り取られた。その下から現れたのは、『情報マスコミ欲能チート』レニュー・スッドの顔ではない。別の顔。『情報ロキ』の顔の右半分が変化したのと同じ顔だ。それが露になる。それをリアラが認識した瞬間。


 直後加えられた無数にして知覚不能の攻撃でリアラの両腕が切り飛ばされ、足が切断されからだが崩れ落ち、そして、首を切り落とされた。転げ落ちる首の回転する視界が、バラバラになった己と周囲の絶叫絶望狂乱、ぶちまけられる血飛沫を見ながら首が血溜まりに転がり落ち……


「!!!!!?」


 だがリアラは一瞬で正気に戻った。違う、今のは己が死んだのではない。一瞬死んだと錯覚したのだ。それほどの絶対的な力の気配。


「驚いた。気圧されていない。心砕かれていない。ショックは受けたのに、ちゃんと体を動かして私の気配を防いでる」


 そいつはそう言った。間一髪で、一瞬幻影を見ながらも同時その圧迫をリアラの心は跳ね返し、それと同時に放たれた破壊を回避・防御していたのだ。リアラの周囲に、世界が皹割れたような黒い攻撃跡が地面に刻まれていた。ゼレイルの事も、それから庇って。


 だが気配。気配を防いだといったか。攻撃したのですらない? この地面に刻まれた傷跡は、ただ視線と意思を向けただけで発生したと言うのか!?


 リアラは改めて対峙した。そこには『情報ロキ』の死体はもう無かった。そこにいたのは、ルルヤとは違う風合いの青い髪と赤い目と褐色の肌、灰色と緑の二色の装束を纏う少女だ。


 一目見て理解した。理解させられた。他の欲能行使者チーター、他の十弄卿テンアドミニスターとは格が違う。こいつが。こいつこそが。


斉賀さいが 和人かずと神永かみなが 正透まさと


 二人の転生前の名を呼ぶそいつは……新天地玩想郷ネオファンタジーチートピア十弄卿テンアドミニスター第一位、組織の首領、『全能ゴッド欲能チート』は、実体だ。『情報ロキ』がこの場と対話していたのは幻像越しの筈だったのに。帝都エクタシフォンとこの場所が、繋げられていた。



 そして激変は、ルルヤの元でも始まっていた。


 『文明サイエンス』の取神行、『科学万能・輝灼未来マッド・デウスエクスマキナ』。その姿は、無数の機械だった。大量の歯車が、配管が、電子回路が、配線が、動力が、計算機が、発電機が、画面が、ボタンが、レンズが、金属が、もっともっと沢山沢山、数えきれず巨大なものも微細なものも寄り集まった蠢く不定形、それはさながら機械で出来た巨大な粘菌だった。


 それがラトゥルハの【巨躯】と融合していた。それはめりめりと変形し、フレームを、カメラアイを、装甲を形成し……機械の三本首を初めとしてルルヤの攻撃による欠損部位を補い形成し軋みと電子音の混じったような咆哮を挙げた。ラトゥルハの体が、乗っ取られていた。


「馬鹿な」


 流石のルルヤも動揺した。【真竜シュムシュの鱗棘】は絶対の支配を許さぬ。なのに何故。


「ひょひょひょ! 覚えておるかのう? カイシャリアⅦの事を! 『否定アンチ欲能チート』が行った事を! 『経済キャピタリズム欲能チート』と『惨劇グランギニョル欲能チート』が目論んでおった事を!」


 機械竜首が『文明マキナ』の声で笑う。ルルヤは思い返す。リアラから聞いた『否定アンチ』との戦い、唯一真竜シュムシュの力が封じられかけた事例、真竜シュムシュの信仰における正しい手続きそのものを悪用して行われた手段を。そして、カイシャリアの支配者達の欲望、自分達を殺し死体から力を吸収し真竜シュムシュの力を手に入れるという野望を。


「正規の信仰による手段を取るのであれば、極めて手段は限定されるが竜術への干渉は不可能ではない! 死体にしてからならば、竜術を手に入れる事も不可能ではない! その合わせ技という訳じゃ! この手続き以外では例え全能の力を以てしても干渉は不可能であったろう堅牢さじゃが、わしはついに成し遂げた! そして……」


「うう、あああ……ああああ……!?」


 からからと笑いながら己の行いを自慢する『文明マキナ』が、意味深に一旦言葉を切った。そして直後、聞こえてきたその、悲痛な呻き声は。


「ラトゥルハ!?」

「あ、あ……何、で……オレ、どう、なって……!?」


 機械の三つ首の根本がめきめきと変化し、そこに現れたのはラトゥルハの上半身だ。幻像であるルルヤのそれと事なり、半ば機械部品に侵食されかかった生身。


「そして一度竜術を乗っ取ってしまえば……サブ電脳に【真竜シュムシュの血潮】を流し込んで、こうして再生させる事もできるという訳じゃ」


 良心の痛みを感じぬどころか楽しげな様子で機械の三つ首、『文明マキナ』は笑う。ラトゥルハの体が追加で形成された透明なキャノピーめいた外郭に覆われた。


「ラトゥルハ、おぬしわしに言ったのう。欲望で作った癖に、と。如何にもその通り。おぬしはこの為に作ったのじゃ……役に立って貰うぞ」

「っ、そうだ、オレは……あ、あ……?」


 ラトゥルハは息を呑んだ。見開いた目が震えた。『文明マキナ』の声が歪な愉悦を帯びていたからだ。幼いラトゥルハにはそれは初めての感情で、そして。


「……そこのそいつらも、私に対抗する為に、ラトゥルハを使結果か」


 ルルヤが指摘するそれもまた、奇妙にラトゥルハを怯えさせた。


 『文明マキナ』の機械仕掛けの三つ首の周囲に、『文明マキナ』出現時と同じように転移し出現した、ラトゥルハが初めて姿を現した時と同じように大きめのフードつきローブですっぽりと姿を覆い隠した謎めいた存在達ミステリアスパートナーズが、炎や雷等、様々な属性のエネルギーで出来た翼を展開して浮遊していた。


「ラトゥルハ。お主の欲能チートはお主の人格という形でなければ形成できなかった、とは言うたが」


 そして、ルルヤの問いに答える形で『文明マキナ』の、ラトゥルハの心に対する飄々とした死刑宣告が告げられた。


「お主の欲能チートの効果だけをコピーする別の欲能チートを他に複数作れないとも、その人格がお前と同じ形になるとも一言もわしは言っておらんかったからのう。となれば、量産が文明の帰結という訳じゃ。これぞ真竜兵器シュムシュウェポン正式量産型プロダクションモデル、『竜機兵ドラグーン』じゃ!」


 ローブが脱ぎ去られた。そこにはラトゥルハが何体もいた。否、厳密には完全に同一ではない。機械の手足やビキニアーマーは構造が大分違い、恐らく材料として使用した魔法武器の質と量の差だろう、幾らか簡略化されていた。腰回りの鎧が小さくなり《水銀瞳》の搭載はなくなっていたし、肩鎧は頭蓋骨を象った構造ではなく正面に顎門を象った【息吹】発射口が付けられ、装填式攻撃魔法機械指機関砲マルチマジカルマシンカノンも【息吹】を指先から発射出来るような開閉式の竜頭を象った鉤爪指に改められ、脚部からパイルバンカーが外された代わりにダッシュローラーが大型化しパズソーめいたエッジが施されていた。


 容姿も獰猛だが生気のあったラトゥルハと違い最低限それぞれ個別の特徴を持ちながらも人形めいて無機質で、髪も、赤、ルルヤのそれと違う紺や群青に近い青、金、緑、黒、褐色等、髪色も違えば髪型もそれぞれ違う。容姿と竜術の性質から合わせて考えると恐らく【息吹】の属性によって違うのだろう。


 しかしどうみてもそれはラトゥルハと同じ人造欲能行使者アンドロイドチーター真竜兵器シュムシュウェポン達だった。


「さては貴様等の狙いは……!」

「如何にも。さあ、清算の時だ、真竜シュムシュよ、世界への怒りよ、怒りそのものとなるが良い。世界を滅びという形に正すのだ。常にそこに住む人々の中に、こんな世界ではいきられないと死ぬ者を作り出し続け、こんな世界滅んでしまえと呪われ尽くした世界を正しい形たる滅びに導くがいい、世界に滅ぼされた恨みの化身として!」

「『交雑クロスオーバー』が退治した最初の魔竜ラハルムから始まった研究もこれにて集大成じゃ。お主等もあるいはある程度察しておるかもしれんが、魔竜ラハルム真竜シュムシュの恨みから生まれたという説はほぼ正しい。じゃがこれは知っておるかの? 正確に言えば真竜シュムシュの恨みはそれだけではない。恨みは真竜シュムシュそのもののなかにも残り、真竜シュムシュ信徒の、なかでも宗家の者に強く浮かび出る。稀にその心中に、強い怒りが吹き上がるという形でな。じゃがそれはまず魔竜ラハルムとなる事が基本で、それでも溢れる分が真竜シュムシュ教徒全体の中に拡散される。故に本来はそれが人格に影響を及ぼすという事は無いのじゃ、が!」


 朗々と唱えるがごとく『交雑クロスオーバー』が謎めいて己の計画の成就を宣言し、『文明マキナ』は誇る。己の発見を、知恵を、その悪用を。


「なら真竜シュムシュ信徒と魔竜ラハルムの数が減ばどうなる? 真竜シュムシュの恨みは薄く希釈される事無く全て宗家の者に注ぎ込まれる。魔竜ラハルムを狩ったは『反逆アンチヒーロー』の材料でもあったがこの為でもある! 『反逆アンチヒーロー』を作った分を数えても相対的に掛かる恨みの量は増大! そして『反逆アンチヒーロー』が敗れ絶望すれば、他を害し食らう事で恨みを晴らすのとは逆の、己が境遇と世界への恨みを再生産する炉となる! それを操れば真竜シュムシュそのものの怨念と共に特定の対象に収束させ注ぎ込む事も可能じゃ! お主が竜術の使い手を増やしたのは少々面倒じゃが、量産型を増やした上で戦いに投入し、そちらの増えた使い手と戦い合わせその苦痛と死を更なる恨みとして増やせば良い。本来はこいつらはお主が恨みの力で暴走してから使う予定だったが、転ばぬ先の杖じゃて!」

「な……!?」


 ラトゥルハは愕然とした。そこに一つの意図を嗅ぎ取ったからだ。それでは、つまり、自分は……


「オレは……オレの戦いは茶番だったのか!? オレは最初から敗北して怨念になる為に作られたのか!?」

「どっちでも良かったという事じゃよ。勝てばそれはそれで真竜シュムシュの敗北が引き金になるように動いておったからな。最後の真竜シュムシュが敗北の無念から暴走してもよし、最後まで暴走せずに死んでも、真竜シュムシュそのものの無念と子孫を絶たれた恨みを死体から噴出させる手段も兼ねておったからのう、この手は。もっともどちらにせよ、あくまで兵器としての真竜シュムシュの量産とは別に純粋な真竜シュムシュの暴走が必要で、欲能チートで再現されたお主はどのみち試作品として噛ませ犬になるか追い込んで暴走させる為の道具になるか、どちらかしか無かった訳なのじゃがな……そら、苦しむがよい!」

「あ、ああああああああああああああああああ!?」


 勝っても負けても良かったと言い切られた。それは正に己の存在も戦いも無意味な茶番で、勝っていれば少しは満足できていたとしても、勝利しても別の展開でもどのみちその尊厳は失墜していたのだというとどめに他ならず、さらにその体に苦痛を呼ぶ魔力と電流を流され、ラトゥルハは機械に固定された体を揺すぶって絶叫した。


「く、ぬうっ……!?」


 ルルヤも、意識と表情を表す【巨躯】頭上の幻像をぶれさせて呻いた。竜の肉体の赤い目が激しく光を明滅させ血涙を流し、【巨躯】のあちこちから黒く揺らめく【息吹】を暴走させ噴出しながら、流れ込んでくる増幅された真竜シュムシュの怨念とラトゥルハの絶望の感情と苦痛に苦悶した。そして『交雑クロスオーバー』が叫ぶ。宣言する。


「さあ! 〈TR計画〉、最終段階の始まりだ!」

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