・第六十六話「竜の帰還(後編)」

・第六十六話「竜の帰還(後編)」



 さていよいよ、〈もう一組の長虫バグ〉とは何だったのか、という事を語らねばならない時が来た。


 ララ・ララリラとキーカという少女がいる。リアラとルルヤの物語においてはごく端役というべき存在だ。カイシャリアⅦに潜入する時に、たまたま借金を抱えていてリアラとルルヤに姿が似ていたからという理由で、二人が身代わりを買って出てカイシャリアに潜入する時にその名義を借りた、その位の縁の存在だ。その潜入工作事態は敵に見切られていたので、それほど決定的な影響を状況に与えた訳ではない、と、軽く思い返しただけでは思うかもしれない。


 だがそれは、カイシャリアⅦの内実を知れば、二人にとっては正に地獄行きを肩代わりしてくれた上に地獄を粉砕してくれたに等しい行為だった。


 そしてそれはリアラとルルヤに、そして混珠こんじゅにも大きな影響を与えている。変装して潜入と言う手を選び、それに対してカイシャリア側が罠を張り巡らせて絡め取ろうとしたからこそ、リアラはミシーヤと出会い、対話する事ができる時間があった。その対話と対決が二人の和解の切っ掛けとなり、それが【真竜シュムシュの地脈】の発動を助け、カイシャリアに虐げられていた人々の蜂起を生み、後顧の憂いなくルルヤとリアラが戦える土台を作り、勝利へと繋がった。


 これほど、因果と縁というものは複雑かつ玄妙に繋がり、思いもよらぬ巨大な力となるものである。


 ララ・ルルリラとキーカは、不本意にも逆境に鍛えられた、といってもあくまで少々生存に長けた程度の、この不幸な時代の一市民二人に過ぎない。


 しかしその物語は、リアラとルルヤの運命だけではなく、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉としての物語に、再び合流していた断章第八話参照


 吟遊詩人による偽情報の流布を調査していた屠竜騎士ドラゴンスレイヤーフェリアーラの探索行で、宿屋で働いていた時に、彼女達は出会った。


 それはあくまで偶然であった。ララ・ルルリラとキーカが、恩義を忘れていなかった事も、友情を力にこの不幸な時代を生き抜いてきた二人が善性と義侠心を持っていた事も、たまたま話を聞き付けた事も、吟遊詩人の偽情報に対する義憤をフェリアーラと共有した事も。


 だが同時に必然も又あった。どこに行っても逃げられない程荒れた時代、混珠こんじゅの歴史が育んだ倫理感、リアラとルルヤがこれまでの戦いの中で出来るだけ善を成そうと人を救おうとしてきた事、一介の村長だったオンジャルム・カンセメンニがそうであったように〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉に協力を申し出たもの達はララとキーカが接しうる程多数居た事、オンジャルムが築いた村長のネットワーク即ち平凡な信徒達の言葉が積もり積もって〈最大神殿〉を動かした事、リアラが白魔術の腕前をどんどん上げていった事、そしてリアラが気力を取り戻した事、その時にその上昇した白魔術の腕前と〈最大神殿〉の持宝がその場にあった事、いや、そもそもルルヤがリアラと出会った事自体も……偶然と必然が複雑に絡みあっていた。


 その結果何が起こったか?


 〈最大神殿〉の持宝の中には、大量の魔法力を蓄積し、それを使用者に分け与え、大規模魔法を行使可能とするものがあった。これは【真竜シュムシュの地脈】が戦闘中にその場の敵への恨みを魔法力に変えるのと違い、使用を許可された場合戦闘の準備段階でそれと同等に近い魔法力を行使できるという事である。


 これまでリアラは【真竜シュムシュの鱗棘】を護符化し、致命的な欲能の行使から身を守る力として、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉に与えてきた。


 ならば。


 大量の魔法力を行使できるのであれば、【鱗棘】ではなくフルセット、リアラが行使できる竜術と白魔術すべてを護符として貸し与える事が出来るのではないか? 無論〈最大神殿〉の持宝を使用可能であるという、【真竜シュムシュの地脈】の使用が制限された状態でも使用可能でありかつ戦闘前の準備段階の儀式で使用するのが適切なリソースを大量に取得したという限定的な状況故ではあるが……そしてそれは出来たのだ。


 無論、魔法的な身体能力強化のカタログスペックと対欲能チート防御が同等となっただけだ。【真竜シュムシュの武練】を会得していない事を思えば、その力は遥かに劣る。


 しかし撹乱に使うのなら、それで十分。光学迷彩、光速の狙撃、高度な飛行能力、生存能力、防御力。撃って逃げるだけなら十分……否、十分どころではない。


 長虫バグ十弄卿テンアドミニスターをも倒しうる存在=ビキニアーマーという図式が頭に焼き付いた一般欲能行使者チーター達が、吸収後飛んでいくビキニアーマー相手に隊伍を整え防戦するのではなく急いで追撃しようとするだろうか? その襲撃自体が玩想郷チートピアを撹乱しないという事があろうか?


 更に言えば『情報ロキ』を撹乱せしめたのはキーカとララだが、加わったのは彼女達だけではない。無論似ている二人が一番撹乱効果は高いのだが、ビキニアーマーである段階で、他にそんな格好をしている者がいなかったのだから十分似ている。撹乱としても戦力増加としても、正に状況をひっくり返しうる一手だ。


 だが危険度は高い。一般欲能行使者チーターの中でも強力な者と接触すれば使用者の腕前次第だがフェリアーラやユカハのような騎士であるなら兎も角、喧嘩慣れした村娘程度であるキーカ達には致命傷になりかねず、ましてや十弄卿テンアドミニスター相手ではフェリアーラが真竜シュムシュの力を得ていても危ない。


 重ねて言うが、これは過去のルルヤとリアラの人々を守り救う為の戦い、そしてアヴェンタバーナに接触を持った状態でのリアラの憔悴を補う二人の活動を支援すると決めた者達の言葉、そしてこの戦いに手を貸してくれる皆の勇気と絆があればこそ通る無茶で。


 即ち。今罪を背負い戦うリアラと、皆がそれでも思いを重ね、心を重ねているが故でもあった。



「ぶざっ……ふざっけるな!」


 そのリアラの戦場で。治癒錬術れんじゅつで顎を嵌め直し、『旗操オシリス』ゼレイルは反論した。


「手前等だって玩想郷チートピアの血の上にのさばってやがる癖に!」

「だから言いました。僕も又殺めた身だからこそ、と。罪を思わず咲く愛に、と。罪を思えばいいものではないにしても、僕は僕の罪を知っている。貴方は、貴方の罪を知っているか。先に僕達の血をぶちまけたのは貴方達だ。それが無ければ、貴方達が世界を踏みにじらなければ、僕が貴方の愛する人を殺める事は無かった」


 その反論は無駄だ、もう言った、と、リアラはそれを跳ね返し、そして、重ねてゼレイルに、お前もまた逃げられない、と告げた。


「知るか、知るかよ! やったのは『必勝クリティカル欲能チート』や『複製コピペ欲能チート』だろうが!」


 お前を踏みにじったのは俺じゃない、俺を踏みにじったのはお前だが、と、尚も反論するゼレイル。


「カコン・アグヤ。ラーサー・グアン。コルニ・フィアマル。ガッスロー・レウ。ルーゲラ。キカキザ……他にも、沢山の人が居た」


 リアラは淡々と名前を揚げた。最初、ゼレイルは、突然何の呪文だ、とでも言うように、それが名前だという事すら一瞬気づかなかった様子だった。


「知らない人が大半ですが、冒険者として聞いた名前もあります。かつての僕達と同じ冒険者として。貴方が運命を歪めて殺した冒険者達。立派な人が沢山居た。偶々彼らがそうじゃ無かっただけで、その内の誰かが今ここに立っていてもおかしく無かった。彼らを知る冒険者の中で僕達を手助けしてくれる人もいる」


 それは、ゼレイル・ファーコーンが、己の都合で殺めた冒険者達の名であった。告げられた瞬間、初めてゼレイルはぞっとした。


「人を殺して成り上がった貴方の存在が玩想郷チートピア隆盛の一助になり、それが僕の仲間達を殺し、僕に貴方達を殺させた。……僕と一緒に貴方が殺したんだ。貴方の愛する人を。貴方を害する僕という貴方にとっての悪は、貴方自身が産み出した」


 悪が悪を産み出す。それは復讐の連鎖と因果応報の双方が根元だ。悪を産み出す事の恐れを以て悪を為す誘惑に本来抗わねばならぬという戒めであると同時に、為された悪に対しての応報と、応報は確かにあるのだという世に生きる人の心への救いでもある。


 では、復讐の連鎖と因果応報にそれでも違いはあるのか。あるとしたら何か。


「貴方はそれでも胸を張って己は生きるに値すると言い張るなら。それを通せるかは、もう、勝負でしょう。僕は僕が産み出した貴方の怒りをこの身に刻んだ。貴方にも、同じ事をしてもらいます」


「ひ、ヒ、結局、力づくかぁ?」


 己の血を流す傷口を指でなぞるリアラは、ひきつった笑みを溢すゼレイルに。


「否定はしない。力づくで世界を蹂躙してきた君達玩想郷チートピアに、君達がした力づくを返しているのだとしても、同じである事は変わらないかもしれない。それでも」


 それはそちらが先にした事がそちらに返っただけだと答えつつ、自分の行いがそれに似ている部分もあるかもしれないと認め、だが、と、その上で言う。


「血まみれでも泥まみれでも罪まみれでも、それでも僕は人を守り人を助けたいと思った。その手段が戦う事でしかなくても、それでも僕はそうすると決めた。そうしていいと自分に言う。そうしていいと言ってくれた人がいる。それを否定する相手と戦うと、一緒に戦ってくれると。例え貴方にもそういう人がいるとしても」


 リアラは傷をものともせずいう。背筋を伸ばして、悲壮だけれど勇気を宿す瞳で、血まみれの拳を殴る為に握りしめながらも。


 大きなものを担う竜の力を宿す、だがあくまでも小さな人間。


 それでも、立つ。罪深くも、強く優しく。


 ひゅん、ひゅんと、そんなリアラの背後、青空に流星が幾つもよぎっていく。いや、それは流星ではない。流星ではない事を欲能行使者チーター達は知覚した。


「恩返し、出来ました!」「見たかい、やってやったよ!」


 ルルヤとリアラにどこか似ているが違う、しかしよく知らぬ者であれば勘違いする事もあろう勝ち気そうな少女。彼女達は影武者であり、派手に戦う存在ではないが、それだけではない。


「私にも、出来る!」「リアラ、こちらは任せろ!」「翼がある……今、助けにいける!」「危ない!」「来た! お願い! 私にも力を!」


 数多の戦士が空を飛ぶ。それは流星ならぬ竜星。リアラの竜術を受けた者達だ。


 村人がいた。傭兵がいた。冒険者がいた。森亜人エルフがいた。狩山亜人ワイルドドワーフがいた。没落騎士がいた。海賊がいた。旅芸人がいた。敗残兵がいた。


 かつて生き延びる事が精一杯で荒んでいた者がいた。血で血を洗う凄惨な報復をしていた者がいた。為す術もなく敗北し多くの命をむざむざ失った敗北者がいた。すれ違いあい争いあっていた者がいた。


 それぞれの過去を抱えていた。罪だと思う事を抱えている者もいた。


 それでも、それでも人を救おうとして良いんだと叫ぶリアラと共に、混珠こんじゅ世界の為に戦っていた。


 流石に全員ではない。数人だ。だが、限定的にだが真竜の力を与えられた竜の子らが空を翔る。それが戦況を激震させる事は、嫌でも分かった。これこそが、この土壇場を覆す為のリアラの一手だった。彼ら彼女らは、それぞれに各地で戦う。



「馬鹿な……!」


 エクタシフォンで『情報ロキ』は唖然とした。何故己の欲能チートで気づけなかったと。



「そう来た、か」

「申し訳ございません……私の力が至らぬばかりに……」


 そして遥か彼方で、『交雑クロスオーバー』が苦い表情を浮かべた。傍ら、『予知ネタバレ欲能チート』が平伏し嘆き謝罪した。【真竜シュムシュの鱗棘】は正々堂々の戦い以外の悪しき干渉を受け付けない。そして予知能力や完全監視による運命の確定は、必中や必殺の呪詛と同じ運命の確定に等しいと言える。それ故に、いや恐らくは単にその効果だけではなく護符作成の儀式を行う場全体に【鱗棘】を付与して防御結界とした事で、『予知ネタバレ』の力が及ばなかったのだ。『情報マスコミ』がこれを知覚出来なかったのもその為だ。


「だが、あの程度ならば、まだやりようはある」


 『予知ネタバレ』の謝罪を無視し、『交雑クロスオーバー』は思考を巡らせる、だけではない。


「『文明サイエンス』、準備を」


 最後の戦いに、動き出す。



 だが、今はまだリアラは眼前の敵に向かい合わねばならぬ。


「し、信者共め!」


 『常識プレッシャー』ミアスラ・ポースキーズはひきつれた声で顔を歪めて叫んだ。


「信者! 信者! 信者! 狂ったように称える狂信者ぁっ!」


 狂ったように連呼した。『常識プレッシャー』に操られる『傲慢ルシファー』と『栄光ヒーロー』が、空を舞う竜の子らを打ち落とそうと狂ったように攻撃を放つ。自分達が復讐する側なのだと。哀れな存在なのだと。相手は虐げた側なのだと。そんな相手に味方する奴は、理非なくそいつを盲信する狂信者なのだと。


「……助けられたら、そりゃ助けるだろ。なあおい、あんな肌も露な格好で守るべき人の盾になる奴に、まして自分の恩人を、つまり人が恩義と感じるような事を頑張ってる奴相手にさ、一回手の伸ばし方をしくじったからって、掌返して石を投げるクソ市民になれるか?」


 直後、『傲慢ルシファー』と『栄光ヒーロー』の首が飛んだ。竜の翼で空を飛ぶのはビキニアーマーの美女美少女達だけではない。神話時代に存在した男性の真竜シュムシュ信徒の戦士の様に、常の装備である革防衣レザーアーマーの上着を脱いだ上半身裸の諸肌脱ぎで、露な背中から羽を生やして飛来した名前を持たない少年傭兵ジョン・ドゥ・マーセナリー・サノバビッチの手によってだ。


「常識的に考えろやっ!」「きいああああああああっ!?」


 名無ナナシが幻像の『常識プレッシャー』目掛け叫ぶ。己が欲能チートの名を使った皮肉で精神を殴られ『常識プレッシャー』は絶叫した。リアラはゼレイルと対峙したまま『情報ロキ』に告げる。


「僕を意識しすぎたね……〈帝国派〉、これで残り何人?」

「おのれぇええっ!」


 あくまで全体の一局面、と認識していた。だがそう意識的に認識していた割には、『情報ロキ』はあまりにもリアラに集中してしまっていた。無理もない。二大目標の内一つが自分から窮地に飛び込むと言ってきたのだから、それを迎撃する準備を敷かねばならないだろう……他の手を同時に売っている事を調べる暇もなく。リアラは最初から、己に敵の目を引き付ける心算だったのだ。


 尤も、同時に『情報ロキ』自身が、必ず奴等を貶めて殺してやろうと熱くなっていたせいもある。何より袋叩きにしようという局面でこれだけの数しか集められなかったという点も、この局面を作ることに無理して固執した結果とも言えた。


 一時は最大派閥を誇った〈帝国派〉の欲能行使者チーター達が、後は連合帝国の詐取を維持するのに必要な『太陽ダズル』『月光ツキカゲ』『機操ロボモノ』を除けばこの場にいただけなのだ。これもまた、悪意が己に報いたと言えよう。人を呪えば穴二つ。


「ありがとよ、リアラちゃん! おかげでミレミも助けに行けた! はは、ミレミの奴、やっぱ似合ってたぜ、竜の格好ビキニアーマー!」


 ずっと心配していた相手を救いにいけた事を、皆は大丈夫だと、晴れ晴れとした表情で名無ナナシは告げた。


「分かったよ! ありがとう! 助かった! だからここは僕に任せて!」


 それはリアラの心も溶かす。最早後顧の憂い無し。すれ違い様『傲慢ルシファー』『栄光ヒーロー』の首を落とし飛翔し続ける名無ナナシにリアラはそう告げた。今ここは一人でやると。


「っ……分かったっ!」


 そうリアラが決めていた事は事前に名無ナナシは聞いて悟っていた。それが単純な贖罪という訳ではなく、こうして敵を撹乱してのけているように死ぬ心算ではなく生きて勝つ心算でやっている戦いであるという事を。名無ナナシは一瞬後、生やしたての翼を羽ばたかせ空中で旋回した。リアラは頷いた。視線による無言の対話があった。


「テメェ!」「待たせたね!」


 それはゼレイルの激怒を誘った。多少こちらの数を減らした程度で、多対一で勝てるつもりかと。俺の怒りを舐めるなと。そんな心算は微塵もなくただこの僕以外誰と戦いたいわけでもないだろうと因果を清算せんとするリアラへの、劣等感を押し隠す為にも怒った。


「ぶっ殺してやるぁあああああっ!」

「言っておくよ!戦う以上……!!」


 そしてリアラとゼレイルは激突した。ゼレイルは腕を振り上げ錬術れんじゅつで武器を作成しようとした。リアラは突っ込んだ。腕を振り上げたゼレイルはそのまま腕を振り下ろした。武器作成は間に合わぬ。何より間合いが近すぎる。元々その可能性を考え武器作成と振りかぶりを同時に行ったのだ。素手のまま腕を叩きつけにいく!


 BKII! 「ぎげっ!?」「因縁と容赦の有無は別だっ!!」


 そしてゼレイルは叫んだ。保険的なぬるい思考で放たれたモンゴリアンチョップめいた両手振り下ろしを、リアラは迎撃した。掌底で指を穿ち、折った指を取り、更に捻り、相手の爪と肉の隙間に自分の爪を捻り食い込ませる組手。ゼレイルの両手を封じた状態からの前蹴り、再度鳩尾。


「がぁっ!」


 反射的に繰り出されるゼレイルの蹴りを素早くリアラは脚で防御。身体能力と幸運頼りのゼレイルとは武術の基礎が違う。そのまま踏み込んで……


「ぐおおおっ!」


 BAMBAMBAM!


 ゼレイルが吠える。無詠唱による錬術れんじゅつ連続使用を、欲能チートで強引に成功させる。ゼロ距離から機関銃で撃つ如く、無数の攻撃錬術れんじゅつがリアラを穿つ。熱が、金属が、刃が鉄杭が鋸が鑢が。酸が。毒が。爆発が。だが。


「ぎっ!?」


 リアラの踏み込みは止まらなかった。痛烈かつ的確、一瞬だけ【真竜シュムシュの翼鰭】を使い威力を上げた鋭い踏みつけが、ゼレイルの足指を粉砕する。


(痛ぇ!? 痛ぇ痛ぇ痛ぇ!?)


 ゼレイルは心中絶叫した。痛い。痛すぎる。超神たる取神行ヘーロースの肉体をして、何だこの猛烈な痛みは、という程の強烈な痛みが、ゼレイルの心をがりがりと削る。


(痛い、痛み、こいつは……!?)


 己を攻撃し続ける傷だらけのリアラを見る。リアラは何故止まらない。リアラの【鱗棘】が成長により固さを増し、【血潮】による高い再生能力を得ているのもある。そしてまた組打ちを選ぶ事により落雷や隕石等の派手な技やチャージした大威力錬術れんじゅつを封じているのもあるが、それでも全身傷だらけなのだ。何故、何故と混乱しながらも、己を襲う苦痛の理由にゼレイルは気づいた。リアラの攻撃、【真竜シュムシュの武練】がえげつないを通り越して邪悪に近い肉体破壊技術なのに加え、白魔術《復讐》。それを使って、リアラは自分の感じている苦痛を攻撃に上乗せしているのだと。威力を上昇させるより苦痛を与える方向に《復讐》の効果を意図して片寄らせている。


「こ、この野郎ォ!?(こいつは何故怯まねぇ!? 何故苦しまねぇ!? 痛覚を麻痺させてやがるのか!? いやそうじゃねえ、そんな魔法は戦闘中使うには効率が悪いし《復讐》はあくまで自分の受けたダメージを相手に与える魔法だ、そうだったらこっちの苦痛を増加させられる訳がねぇ!?)」


 ゼレイルもまた鬼手殺手を繰り出していた。攻撃錬術れんじゅつの連射を怯ませるべく顔面に、弱点であるビキニアーマーの下の竜術防御が作用していない部分を穿つべく乳房にと、えげつない部位に狙いを集中させ続ける。


 信仰を持たない玩想郷チートピアの人間が欲能チート以外に魔法を使うのであれば魔術か錬術れんじゅつと読んでいたリアラがそれに絞った防御魔法を取得している為効果は大幅に下がっているが、それでも欲能チートで精度を強化して可能とした規格外の連射である。


 頬に傷走り、額が鉢金ごと割れ、金色の片目は潰れていた。ビキニアーマーのブラ部分も吹き飛んでいるが、色気を感じるどころではない。


 だがそれは傷だけが理由ではない。残る片目に宿る戦意故だ。


(竜……!?)


 なりは美少女だが、正に竜の目だった。ゼレイルは一瞬己もまた超神の怪物と化している事実を忘れた。生身の人間が裸一貫で竜に至近距離から睨まれている感覚を味わった。だが同時にリアラの戦意には、狂奔ではない武があった。


「ぶつけて、こい!」


 リアラが叫んだ。この身を抉れ、この身を焼けと、その憎悪と復讐心を理解している。己の行いの結果を受け止める、と。


「君から命を一つ奪った! だから一度命を預ける! 僕だけに挑むなら! 来い!」

(我慢比べで、俺を制する心算か!?)


 戦意はあるが殺意がない。冷静な強さがそこにはあった。苦痛を与え続ける事で復讐心より苦痛を逃れたいという思いを強くさせて自分から後退させる事で、復讐より自分を優先させたと事故認識させる事でこちらの戦意を折って制圧する心算なのだとゼレイルは気づいた。少女の肉体には余りに不器用で武骨な償いとして、こちらから今回は殺しはせぬ、復讐と復讐をぶつけ合い比べ合おうと言っている。


「くたばりやがれ!」


 だがそれはある意味殺されるよりも完全な精神的完敗を意味する。だからこそそんな事させるものかとゼレイルは猛然と攻撃を繰り出した。攻撃錬術れんじゅつを更に連射する。それをリアラが致命的部位への直撃だけを防ぐ、その僅かな隙にねじ込むようにリアラの手を振り解き拳を振り下ろす。前蹴りを繰り出す。リアラより遥かに長身の巨体。【真竜シュムシュの膂力】を使っているとはいえリアラにパワー負けはせぬ。単純な打撃でも砲撃めいた蹴りをリアラの腹にめり込ませるが、それだけではない。両手両足に、スカラベの頭や腕のようなギザギザした金属をズタズタの傷が出来るように敵意と悪意を込めて殴りあいを続けながら錬術で形成、リアラの防具を、肌を切り刻む。殺す為の一撃の隙を抉じ開けにかかる。


 ゼレイルは思う。自分は『常識プレッシャー』の支援を受けている、肉体はじわじわ回復していく、苦痛さえ我慢すれば。リアラの胸鎧は砕けた。乳房に誑かされる程女日照りではないし力に驕り力に狂い戦いを欲し相手を嬲り続けて逆襲された『増大インフレ』みたいな低能でもない。胸をぶちぬき心臓を抉り、再生力の高さに止めを刺す為ぶち込んだ腕で攻撃錬術れんじゅつを発動、胸から爆破し上半身ごと首を吹っ飛ばしてやると。


(まだか、痛い、まだか、痛い、痛い痛ぇまだかまだかまだかぁあああっ!?)


 何故倒れん。何故殴り合い続けられる。圧倒敵対格差から考えればリアラがするのは正気と思えぬ正面からの打撃戦。一発殴る毎にリアラも必ず殴り返してくる。倒れない。怯まない。苦痛を感じている筈なのに此方に苦痛を伝えてくる。何時相手は消耗する、何時隙を抉じ開けられる、何時までこの苦痛に耐えればいい、いや、耐え切れるのか?ゼレイルの心は乱れ、堪えた悲鳴でパンパンになり。


(っ、いっ、まっ、だぁああっ!)


 リアラの上半身が揺らいだ。ガードが乱れ、攻撃目標である胸部に隙が出来た。ついにリアラが苦痛に屈したと、ゼレイルはそこを狙い、全力の一撃を繰り出……


「あぎぃっ!?」


 全力の一撃を繰り出そうとしたゼレイルは悲鳴を上げた。涙と涎と鼻水を噴いた。白目を剥いた。股間から陰惨残酷な水音が響いた。


 リアラの膝が、大振りの攻撃を繰り出そうと踏み出して間の開いたゼレイルの股間を粉砕していた。上半身が揺れたのも、防御が乱れたのも、この攻撃の予備動作にして同時にゼレイルの攻撃を誘うフェイント。リアラの表情は、痛苦を堪えきっていた。己の罪悪感ではない、敵が与える苦痛や恐怖に、リアラは絶対に屈しない。ゼレイルは、『常識プレッシャー』の支援の効果でショック死はしなかった。ショック死はしなかったが。


 そこから更に脛蹴り。膝皿砕き。肋骨折り。股間を砕かれた結果前屈みになった顔面へリアラの手指が襲いかかる。


「~~~~~~~~~~っっっ!!!???」


 喉笛。片目。鼻。片耳。黒犬獣の顔面が滅茶苦茶に破壊される。最早悲鳴もあげられぬ獣の顎がぱくぱくと開閉して血反吐と泡を吐く。


「……これが僕達がいつもしてる事。この苦痛より酷い事、死が、これが僕と君が殺した相手にいつもされている事。僕も、君も」


 噛み締めるようにリアラが呟いた。


 ゼレイルは膝を屈した。背丈が逆転する。リアラを見上げる。雷の檻の逆光で影になったリアラの顔。隻眼が隻眼を睨む。リアラの鎧と体は竜術でじわじわと再生していく。黒鉄のビキニアーマーはルルヤの竜鱗のビキニアーマーよりは防御力が低いが竜術で生成したものなので再構成速度はずっと早い。だが回復は『常識プレッシャー』の支援を受けているゼレイルも同じ事だ。まだ死んではいない。折れ千切れた指も潰された片方の眼球と共に再生していく。まだ戦える。戦おうと思えば戦える。復讐の誓いが胸にあるならば。己の苦痛より仲間への感情が大事ならば。まだ戦える。逆に言えば戦い続けなければならない。復讐をするつもりがまだあるというのであれば、戦い続けなければならない。苦痛を受け続けなければならない。リアラは攻撃を暗いながらも苦痛を堪え死ぬまで此方にも苦痛を綾得てくる。戦うなら、更に、苦痛を。


「……【SYLLLLLL】」


 リアラが唸った。腕を振り上げた。ゼレイルが戦うなら、防がねば。


「あ、ぎっ、ひいいいいいいいいいいっ!!??」


 ゼレイルは壊れた汽笛のような悲鳴を上げた。リアラの背後に自分が殺してきた無数の冒険者達が見えた気がした。泳ぐ様にもがき、リアラに背中を向けた。折れたが再生しつつある足が地を蹴り、もつれ、転んだ。手を敵を殴るのではなく地面を引っ掻いて這いずってでも少しでもリアラから遠ざかる為に使った。


 ミアスラの声はもう聞こえていなかった。


 リアラは隻眼から涙を溢した。血と混じった桃色の涙を。


 報復リベンジ逆襲アヴェンジが激突し、報復リベンジが砕け散った。これしか出来る事を思い付かなかった。だが。


 あらゆる異世界人に成り代わって叫びたかった。上から目線してるんじゃねえと。その代弁の仕方がこれというのが、我ながら如何にも浅ましく情けなかったが……


 それでも、ルルヤはそれに耐えるだろう。あの強く美しい人は。ならば己も耐える。リアラはそう己を律した。



「っんなろぉおおおっ……!!」


 同時、落下した時に巻き込んで破壊したナアロ軍自律多脚戦車の残骸の中、唸りながらラトゥルハは地面に倒れた半身を起こし上を向いた。場所は諸部族領・連合帝国国境間際。最後の決戦が今行われようとしている戦場だ。


 天に翼を広げたルルヤ。ラトゥルハは見上げる。その名の通りの反逆の視線で。


(こういう視線は、慣れんが)


 ルルヤは内心愚痴る。ラトゥルハの表情は今や必死な挑戦者で、それはルルヤが優勢を取った証ではあるのだが。


 カイシャリアⅦでは校舎屋上の『惨劇グランギニョル』『経済キャピタル』を校庭から見上げていた。


 砂海では正面から『神仰クルセイド』とぶつかりあった。諸島海では怒り叫び『増大インフレ』に食らいつこうと上昇飛翔した。


 常に挑む側、仰ぎ見る側だった。この世界を見下させはしないと。だからの、少しの違和感。だが、力関係は常に変化し、そしてまた力を持つ者同士は変化させようと動き続ける。違う立場になって初めて見える事があるもの。そして。


「「「「「っ……」」」」」


 集中する視線。ルルヤとラトゥルハが戦いながら辿り着いた場所は正に、希望と警戒の入り交じった強烈な緊張感が沸き立つ坩堝だった。


 戦場ではナアロの軍と諸部族軍残党、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉の北方集団が激突していた。諸部族軍を圧倒するナアロ軍、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉の介入は諸部族軍の損害を提言しナアロ軍を撹乱していたが、それでも尚ナアロ軍の優勢は揺らがなかった。その天秤を揺らしたのが、リアラが用意した真竜シュムシュの力を受け取った者達だ。その力はナアロの通常軍相手に打撃を与えるには十分。しかし。


「GRRRRRRRR……!!」

「GHOOOOOOO……!!」

「SYAAAAAAA……!!」


 身長1~3ミエペワ50~150mもあろうかという巨大な獣達が唸る。唯大きいだけの獣ではない。圧倒的に逞しく、唯の獣と事なりその肉体は猛々しく芸術的に誇張されつつもどこか人じみた立ち姿で、しかしそれは入り混じった異形というには余りにも神々しい。だがその肉体には、拘束するように機械が纏わりついている。


 『動屍神アンゴッド』。諸部族が崇める《狩闘の神々ジャリタンハ》が魔神戦争で地上を去った時に残された肉体の残骸を改造した兵器。その主な目的は諸部族の心を砕く事だが……腐っても神々の肉体だ。リアラに力を分け与えられた者達でもこれは如何ともし難い。


 それは無念であり不本意である。命を懸ける為に自ら戦場まで来た誇りを持つ者は当然そう思う。


 だが、もし『動屍神アンゴッド』を何とか出来る者がいるとしたら、それはかつて荒ぶる精霊達を神々へと封じた真竜シュムシュ、その末裔たるルルヤ・マーナ・シュム・アマトだろうと。今も十弄卿を打ち落としながら現れたルルヤは希望なのだ。


(皆の希望を担うと決めた以上、担わねばな)


 ルルヤは背筋を伸ばす。リアラの理解どおりに。玩想郷チートピアに抗う者がいるという希望になろうと決めた。その為に、能うる限り正義であろうとした。皆の希望が、世界が絶望せず抗い続けているという事が、一人ではないという事が己を生かすからだ。一人で戦う気安い自分勝手で一人で散る自己満足で勝てる程甘い戦ではない。


「勝ちたいから、負けたくないから、勝たねばならぬから、負けるわけにいかぬからで勝てる程勝負は甘くないと言う者もいるが。それ一つで決まるわけではなくとも力の要素の一つと私は言おう。そしてどうやら、勝ちたいよりは負ける訳にはいかないの方が少し強いようだ。今、私とお前の戦いを私の方に傾ける程度には」


 ルルヤはラトゥルハに告げる。これで終わりではあるまい、というように。だが同時に、どこか教え諭すように。


「どうする。ラトゥルハ・ソアフ・シュム・アマト!」

「……こうするさ、お父様ルルヤ!」


 壊れた両腕から火花を散らしながら、ラトゥルハは吼えた。その周囲に渦巻く力を、ルルヤは感じ取る事が出来た。見えない力の流れを見る【真竜シュムシュの眼光】を持つリアラと違い、感じとる事に出来る力と感じとる事の出来ない力が入り交じっているが、それで十分。理解する事が出来た。


 感じ取れるのは自分と同じ真竜シュムシュの力。それが別の力と入り混じり、ラトゥルハの周囲に壁となり展開された。感じ取れない力が何かは、これまでに知っていた。


「この手に取らん神の行い、我こそこの世の主人公!

愛するからこそ抗いたい、貴方のあらゆるものが欲しい!

偉大なるものに挑みたい、いつも人はそう思い抱く!

上を目指して上回りたい、飢えに近く呻く程に!

得たいのだ大いなるものを、永遠にそう思ってる。

怨念にも似て重く重く、此こそが我が現実なり!

取神行ヘーロース』、『要求凌駕・暴竜憑餓バーサーク・アナト』!!」


 特殊取神行パラクセノスヘーロース。『神仰クルセイド』の自分と別の体を形成する物や『悪嬢アボミネーション』の自分と下僕に力を分割するのとは違う形の。


 大地が揺れ、閃光が瞬き、炎が舞い上がった。そして炎が、『動屍神アンゴッド』達と同等以上の巨大さに膨れ上がっていく。そう、これは欲能チートと竜術の複合した取神行ヘーロースだ。


 取神行ヘーロースであると同時にそれは竜術の二大奥義の一つ【真竜シュムシュの巨躯】だった。正確に言えば欲能チートでもって竜術の奥義を使えるようにする取神行ヘーロースであると言うべきか。


「成る程。漸く、分かった」


 それを見て、ルルヤは。得心の表情を浮かべた。


 【真竜シュムシュの宝珠】や書学国や連合帝国で得た情報を元に、今まで何度かそれを行おうとして、上手く出来なかったが。実践を目の前で見て漸くコツが掴めた、と。


お父様ルルヤ、さては!)

(何、あるいは……と、可能性として想定していた程度さ)


 こちらの【真竜シュムシュの巨躯】を見て会得する心算だったのか!? と思うラトゥルハに、可能性として考えていただけさ、と、僅かに微笑を返し。


 ルルヤの変身が始まる。神話の戦いが始まる。竜が、帰還する。

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