・第五十九話「この美しくも醜い世界(後編)」

・第五十九話「この美しくも醜い世界(後編)」



 二刀のコピシュに鮮血が散った。だが『旗操オシリス』の怒気は晴れぬ。


「手前ェ……何故、死なねぇっ!」

「く、ぐ、うっ……!!」


 嗜虐と怒りの入り交じった両目狙いの眼球串刺脳髄撹拌残虐殺をせんとしたその刃を、リアラは辛うじて両手で掴んで止めていた。本来ならば相手の腕を掴んで止めたかったところだが、位置関係と彼我の身長差等の状況によって出来なかったのだ。このままでは指を切り落とされ貫かれてしまう絶体絶命危機の中、掌と指から滴る血を顔に散らすリアラを、『旗操オシリス』は憤怒に燃える狗頭の眼光で尚も呪った。


「幸せに平和に暮らす者を殺す人でなしは! 殺されるべきなんじゃねえのか!? お前らは! そうして! 来たんだろうがぁっ!!」


 混珠こんじゅの魔法は信仰や誓いを守る事で使えるようになり世界と接続し改変する許可を得る力で〔世界の法則に自らの力で接続する錬術れんじゅつは、言わば世界法則を観測する事故の知性を信仰し理性に従う事を契約していると言える〕、その上で対価として気力と体力を魔法力として消費する事で力となる。


 魂の歪みが直接周囲の物理法則を歪める欲能チートよりも魔法は繊細で間接的な力だが、欲能チートが自己の在り方の絶対性を信じれば信じる程強くなり、それゆえに己の欲望に周囲をどれだけ従えたかの度合いとしての地位や勢力が十弄卿テンアドミニスターとなる基準であるように、魔法にもそれと似ている所もある。


 信仰契約即ち自己が歩むべきと定めた道を歩んでいるという事、気力即ちその上で振り絞れる精神力。自己のみで力となる欲能チートと違い自他の承認が介在するという違いはあるが、意思の力であるという一転において二つの力の理は重なる。


 ならばお前の力は失われる筈だと『旗操オシリス』は呪う。その正義を血で汚し、その復讐の情を今持つのはこの俺だ、最早お前の心に力はない、ならば魔法も無く、故にお前は竜でも無く、ここで討たれるのだ、と。


「う、う! ううーっ……!!」


 リアラの心は、未だ衝撃と混乱と罪悪感に乱れていた。わなわなと震える手は指を切り落とされないようにするのがやっとで、じわじわと切っ先が苦悶と苦悩に曇る瞳に迫る。


 リアラの心は本来桁違いに強い。物語を強く愛するが故に虐められ暴力を振るわれて尚苛めを行う人間を軽蔑し、それでも尚守るべき人の為に戦うことを厭わず、強く悪を嫌い理想を求めるその精神性は生きる理由があるが故に生きるという在り方を齎し、故に苦痛も死も狂気も恐れはしない。狂気なる邪神の威圧も跳ね返し、戦っては絶対に勝てぬ相手にハッタリと騙しを通す。リアラの心は敵に対しては決して負ける事は無い。


 敵に対しては。


 今リアラの胸を苛んでいるのは己の心の内から沸き上がるものだ。『旗操オシリス』の言葉は、それを増幅しているに過ぎない。


 憎悪と殺意の切っ先が迫る中……


 不意に天空で、滅びが炸裂した。



 KGIIIIIIIIIIIIIIII!!!!


 甲高く、切り裂くというより切削する様な音。炎の赤に禍々しい青い光が混じった様な歪で不自然な紫の妖火が、一瞬昼の如く帝都を照らしながら空をつんざき炸裂した。その射線上に一瞬出現した黒い月が砕け散った。


 これは攻撃者ラトゥルハ攻撃対象ルルヤの位置関係の故であったが、不幸中の幸い、光は町の上空を通過していた。もしもこれが地球であれば、超高層ビルを次々と輪切りにしていたかもしれない。


 だがそれでも尚、その攻撃は、天地を揺るがす恐怖そのものだった。


 GG……!!


 光は帝都上空を横切り、郊外の小高い丘めいた里山に着弾した。山に突き刺さった場所とその反対側が光った。山火事の光では無かった。溶岩の光だった。巨大で灼熱した鉄串が砂糖の山に突き刺されたかのように、山の土砂が焦げ熔けたのだ。そしてその切っ先は、山向こうの湖にまで及んだ。


 GZGZDOOOOOONNNN……!!!!


 その射線上にあった全ては、灼熱し、炎上し、焼き切られ、破壊され、爆発した。大気は爆ぜ、轟音が夜を暴いた。帝都の建物の幾つもの屋根が吹っ飛び、硝子という硝子、瓦という瓦、タイルというタイルは全て砕け散った。そして、そして……!



 汚嗚悍悪OOOO……!!


「手ッ、前ェ……この上、足掻きやがるかっ……!」


 天の凶兆を見向きもせず、片手で片目を抑え、もう片方の手でコピシュを一振り構えながら、『旗操オシリス』は呻いた。


「足掻くよ! 僕の命どころじゃない! あれは、まさかっ……!」


 同じく天の凶兆が轟いた隙を突き『旗操オシリス』の攻撃から脱出したリアラ。真竜シュムシュの戦士との迂闊な長時間の鍔迫り合いや組み討ちは口からの発射を本来とする【真竜シュムシュの息吹】による攻撃を招く。咄嗟に『旗操オシリス』の片目を【息吹】で穿ち、窮地より脱出したリアラだったが。


「あああああああああっっっ!? !? 」

「っルルヤさんっ!? 」


 天の凶兆に驚愕と悲痛で顔を歪めた直後、ルルヤが墜落してきたのだ。リアラは血塗れの手でルルヤを抱き止め……きれず、諸共に転倒した。


「ぐ、っ、……すまんリアラ、助けに来るつもりが……! だが、あれは……あれは何だ、リアラ、あの禍々しさは……!」

「る、ルルヤさん、手……手が……!? 」


 だがリアラに代わり、ルルヤが即座に跳ね起きて身構える。しかし構えたのは片手だけだ。……左手の肘から先が手甲が吹き飛び殆ど炭化めいて黒焦げになっていた。リアラは涙ぐみ声を震わせ表情を引き攣らせた。


 新たな力である攻撃反射、それすら通じぬと【真竜シュムシュの宝珠】による思考加速で咄嗟に理解した。即座に全力で【月影天盾イルゴラギチイド】を張りながら回避した。ドッグファイトの結果帝都に直撃しない角度だったのは不幸中の幸いだったが、それでも尚、かすっただけで【月影天盾イルゴラギチイド】は砕け散り、熱による大気の爆発だけでルルヤは全身を叩かれ天から叩き落とされていた。そしてかわしきれなかった腕はこの様だ。


「私は、いい! (リアラ、くそっ、よくも……よくも……!)」


 『増大インフレ欲能チート』の破壊力と似て非なる邪悪な気配。ルルヤは苦痛に白い肌を脂汗で濡らし表情を歪めながら尚、リアラの震え声にリアラがそこまで心を痛め付けられたことに己の傷より怒りながら叱咤激励し、庇う様に立ちはだかり続けた。


 炎と羽ばたきの音を立てながらゆっくりと『旗操オシリス』の後方上空に位置取ったラトゥルハの【真竜シュムシュの息吹】が齎した大災害に。


 その象徴たる天の凶兆、禍々しく巨大な奇形の毒茸じみた天地貫く雲の柱に。


 そして転生者ならばおよそどのような者でも恐怖を抱かずにはおれないそれを知りながらも尚己が憤怒と憎悪に比べればどうでもよいと一切無視してリアラを睨み鈍い続ける『旗操オシリス』に対して。


「オレの【真竜シュムシュの息吹】の属性は【核】。この混珠にはこれまで無かった力な所為か、喉が暖まるまで単純な熱しか出力できなくて、唯の炎になっててな。これまで最大出力は見せた事が無かったが……これがオレの、本当の【息吹】だ」


 豪語するラトゥルハ。ルルヤには理解出来ない言葉。それにリアラの、今まで聞いたこともない程震え乱れた声が補足説明を加える。


「地球の混珠こんじゅよりもずっと邪悪に発展した兵器の中でも禁じ手にされてる三種。毒の空気をばらまくもの、前に前世で『神仰クルセイド』が使った事を説明した人工的に疫病を蔓延させる物……それらとは比べ物にならない禁忌とされてる最後の一つ。物質の根元的な構造を崩壊させる事で発生させる、都市一つを丸ごと焼き尽くす程の破壊力を持ち、即死しなくても重症に浴びた者の肉体を蝕み殺す毒の炎です……!」


 それでもリアラがルルヤにも分かるよう噛み砕いて説明したそれは、混珠こんじゅに持ち込まれてしまった、核兵器の力であった。


「地球は地獄か!? その地獄を、混珠こんじゅに持ち込んだのか、貴様等ッ!!」

「それよりルルヤさん! 体は、放射線障害は……!」

「何、ハハハ、安心しな、これで終わっちゃつまんないからな!」


 混珠こんじゅ界を思うルルヤの怒号に、ルルヤの命を案じるリアラの悲鳴に、ラトゥルハは魔竜ラハルムよりも巨大な茸雲を背景に、二匹の下僕を左右に降下させつつ宣言した。安心等させるつもりもない、念を押すような嗜虐的な口調で。


「竜術の【血潮】や混珠こんじゅの回復・浄化魔法は、銃弾やミサイルといった混珠こんじゅに存在しなかった武器を強化する魔法が無いのと違って、あくまで元々この世界に存在する人体や自然が対象のせいか、効果はあるみたいだぜ? 『文明サイエンス』の爺がやった生体・人体実験の結果だがな。それに大量破壊・大量殺戮については、【地脈】の事を考えると、皆越押しにしちまってもダメだからな……ま、尤も。必要で可能なタイミングならやっても構わないって事だから、つまりコレで死ぬ時ぁ一瞬だし、一緒に死ぬ仲間にも事欠かないから一人ぼっちじゃないから寂しくも無い訳だ!」


 余裕綽々といった態度だが、同時に遂に発動した己の最大の力に、酔うような高揚も入り交じった口調でラトゥルハは朗々と語った。その伸びゆきつつも未だ若い自我が、与えられた力の方向性に迸っていた。


 だが同時に、彼女自身が自らをそう称した存在である核兵器の様な意外と冷徹な打算を口にするラトゥルハ。


 リアラとルルヤの【地脈】使用を制限しているのは、ラトゥルハと同時に使用しては周囲の人間から生命力や精神力を魔法力として吸い上げすぎる事による人死にが出かねないから、である。つまり生きている人間を人質にしているに近い。


 ここでその場にいる全員を皆殺しにしてしまえばどうなるか。自分で殺した死者の無念でさえ、ラトゥルハは魔法力にする事ができる。だが、既に死んだ人間の無念であれば、ラトゥルハと同時に魔法力としてもリアラとルルヤがそれを使用しても人死には出ない。酷薄な話だがその場合既に死んでしまっているから。寧ろリソースの早食い競争めいた躊躇無い相互使用となって、その場合下手をすればかえって彼我のパワーバランスを不利にする事になりかねない。実際今の一発で、山と湖の自然の精霊が絶叫し悲嘆の怨念を積み重ねるのを、ルルヤもリアラも感じていた。それは使用可能な【真竜シュムシュの地脈】の力となる。その内幾らかはラトゥルハが強奪するだろうが、リアラとルルヤの使える魔法力が二人の心に重い罪悪感を与えるのと引き換えに増えたのは事実だ。仮にこの状態からラトゥルハが帝都を巻き込む形で第二射を行えば、その魔法力の量は更に増す事になるだろう。


 つまり【地脈】封じはあくまで生きている人間がいないと成立しない戦術であり、この強力極まりない【息吹】はそれと両立せぬ故に皮肉にも本物の核兵器同様最初の時以外は威嚇としてしか使用できない……という、訳ではない。


 皮肉にもこれも核兵器とある意味同じだが、二発目の攻撃で相手が完全に打倒され戦いが終わるのであれば、蓄積されたリソースを使われる暇もない。核抑止がなければ止める必要は無い。即ち、次の一発でリアラとルルヤを纏めて仕留められるのであれば、核のボタンは押されてしまう。


「そういう訳だ、お父様ルルヤお母様リアラ。この口付けキス葬送曲レクイエムだ。恨みの為とやらで、あの世に逝って貰うぜ」


 ちゅ、と、軽く口づけめいて唇をならし、全力魔法攻撃体勢を取った〈碧血〉〈光芒〉を従えてラトゥルハは笑った。その口腔内に再び恐るべき死の光!


 その光景に『旗操オシリス』は舌打ちして唸った。狂犬めいて涎の泡を溢す程ばりばりと牙を噛み鳴らしながら。獣の様に吠え狂い猛り続けた様に、その怒りは際限も無ければ収まりも無い。何処までも一辺倒に、一方的に。


「畜生、糞、もっと苦しめてぇが仕方無ぇ! もう殺す、苦しんで死ね!」


 そして猛り狂いながらも『旗操オシリス』は素早く打算した。ここで憎いリアラが殺される可能性があるなら、己も攻撃しこの手で殺さねばと。そこに至るまでに一瞬様々な葛藤が心中渦巻いたが、少なくとも、『反逆アンチヒーロー』ラトゥルハに邪魔をするなと殴りかかりはしなかった。『反逆アンチヒーロー』と並び『旗操オシリス』も、錬術れんじゅつ欲能チートを全開に、だが巻き込まれないように間合いを取りながら同時攻撃の構えを取る!



 ルルヤはそれらの様々を、窮地故の加速極まった思考、どろどろと伸びた主観時間の中で認識していた。彼女の心を追い詰める要素は、それだけでは無かった。


 更に同期、対峙する敵達だけではなくその向こうですら、戦況への追撃が発生していた。半壊した帝宮が鳴動した。眼前に突きつけられた死に、それに驚愕したり戦慄したりする余裕すら無いが、しかしそこに展開されつつあったのは混珠こんじゅ界の理を崩しかねない程の驚天動地の事件だった。


 半壊どころではない。壮麗な帝宮が完全に崩れていく。


 巨大な何かが帝宮を内側から破壊して出現、否、立ち上がろうとしていた。


「ははははは! ははははははははは!」


 呪わしい程冒涜敵で愚弄敵な、『情報ロキ』の嘲笑が響き渡る。そして帝宮から立ち上がったのは、勇壮に飾り立てられた巨大な鋼の鎧めいた巨人……より詳細に描写するならば、リアラの様な転生者ならばそれを見たら巨大ロボット、それもスーパーロボットと呼ぶだろう存在だった。そして、それが声を発した。


 ……大いなる、途方もない欺瞞を垂れ流しはじめていた。


「連合帝国政府布告。連合帝国政府は四代目魔王、〈真竜シュムシュを騙りし魔竜ラハルム〉の存在と出現を確認しました。同魔王は辺境諸国、諸島海政府、鉱易砂海の使節団団員の一部を洗脳し、双都が一エクタシフォンにおいて破壊活動を実施しました。これに関しましては被害に遭われ消息不明となられました各国使節団の方々に連合帝国は深く憂慮しその救出を約束すると共に、これがあくまで各国と連合帝国の間における問題にいかなる形でもなり得ない事、各国と協調し使節団員の救出に当たる事をここに宣言させていただきます。多数の魔族が暴れ、ビーボモイータ治爵をはじめとする多数の死傷者が発生。鎮定に当たったマシナ・ミム・カタ宮廷岸団長が痛ましくも民を守って戦死なさいましたが、帝族様方々はご無事であります。また四代目魔王の出現に伴う先頭に関しましては、現在帝龍ロガーナン陛下が正規軍の指揮を執り、筆頭大臣閣下が宮廷騎士団の指揮を代行し、対応なされております。この事態に連合帝国政府は、王神アトルマテラ様より受け継がれし遺産である《王神鎧》の使用を決断いたしました。《王神鎧》とは即ち、王神アトルマテラ様が古の魔神大戦において力を使いつくし物質世界から去られた時に残された神としての肉体。帝龍一族が二代目魔王との戦い以降長年に渡って再稼働に尽力してこられた、人の手によって動かす事が可能な力です。先の帝宮の一部崩落は、《王神鎧》の急遽の起動によるものであり、その直前に四代目魔王による破壊工作も行われてしまいましたが、人的被害はそれによるものですが帝宮の崩壊はそれに対応してもやむをえずのものであり、敵の攻撃の威力によるものではなく、ご安心ください。繰り返します……」


 巨大な鋼が巨大だが落ち着いてしかし圧倒的に響き渡る放送を発する。欺瞞! 圧倒的欺瞞! その欺瞞の力で、これまで身を挺して守ってきた帝都の民の心が有する此方へのイメージが塗り替えられ押し潰され、敵意で満たさんとされ、あの時歌と情報で訴えた主張を共有した感覚と時間の全てが、ただただ公的で巨大だというだけの主張で非公式と貶められ潰されていくのを、帝都の人間一人一人の不安の表情が、不安からの解放を願うという当たり前の人間心理を悪用されて、色染みが出来るようにじわじわと影響を受けていくのを、『情報ロキ』の邪悪な意図を、幻視めいてルルヤは知覚していた。それは汚物を塗りたくられるが如き嫌悪感であった。


 そしてそれに加えその巨大な鋼が何なのかを、ルルヤは本能で理解していた。自分のそれではない記憶、理屈づけるならば【真竜シュムシュの宝珠】のデータベースの奥底の更に奥底に隠された、真竜シュムシュの祖たるナナの記憶断片が流入してきているのだ。


 《王神鎧》。かつて真竜祖ナナが【真竜シュムシュの巨躯】に変じて戦った、神々がかつて有していた実体、魔獣亜獣法獣よりも遥かに強力な神の肉体。二代目魔王断章第三話参照が魔神の屍を再利用し作成した《魔神躯》と類似した存在。それは懐かしく苦く呪わしい背の君の記憶……王神と私が共にあった、今と同じ位世界が荒れ果てていた頃……戦いが終わらない苦悩……炎と鋼に責め苛まれる命の嘆き……今と同じ人のあり方そのものへの怒り……


 ルルヤは声も出ず、衝撃と怒りに圧倒された。自分以外の記憶が流入してくる感覚。それが一際強くなった。過去だけではない。燃える山と煮え滾った湖で潰えていった命達の嘆きすら伝わってきている。


 その中でも尚辛いのは、それら失われた命達の嘆きを束ねても尚、この局面を打開するには力が足りないという事だった。


(許さない。認めない)


 絶体絶命。苦痛と、それが世界からすればどうでもよい事として扱われてしまうという屈辱。そんな世界が許され罷り通ろうとしている。それが必然だと言う如く。だが、ルルヤの心は痛みも苦しみも感じてはいなかった。屈辱もどうでもよかった。


 正確には感じていないわけではなかった。ルルヤは流石に自分を少し不思議に思った。『増大インフレ』に殺されかけた時は、流石に死を身近に感じたのに。


(憎い)


 何処からか聞こえてくる自分の声。それを聞いてルルヤはその理由を悟った。自分の苦痛なら耐えられる。あるいは自分の死なら仕方がない。だが。


(リアラ)


 瞠目した。傷だらけのリアラの見た事も無い表情。断片的にそれに至った理由は見聞していた。だがそんな事はどうでもいい。そう思う程それを見た瞬間のルルヤは怒っていた。道理も正義も善悪もどうでもいい。私のリアラにあんな顔をさせた以上、事の是非も正義も放棄してでも殺してやりたい。復讐者だ、私は復讐者なのだ。たとえどれほど堕ちようとも、こんな世界……



「ルルヤさん!」


 その時リアラが叫んだ。呼び止めた。初めて出会った時と同じ様に。はっとして、ルルヤは瞬いた。ルルヤの瞳から攻撃色が去った。追い詰められたルルヤが全身から発していた、暗黒のエネルギーが去った。狂おしい想いに流されそうになるルルヤをリアラが踏み止まらせねばと動けた理由は……



(脱出だ! 撤退だ!)


 魔法による〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉の通信網に、名無ナナシの叫びが流れていた。


(太子さん達を逃がす! 俺達はもう帝宮を出る! だから!)


 暗黒街を、戦場を、乏しい力に知恵と執念を加え鍛え直し続ける事で行き続けてきた少年兵のタフな判断。最低限の目的は果たした以上、ここでこれ以上戦棋板の上にいる必要は無い。仕切り直し、よりマシな戦況での戦闘再開を図るべきだと。


 そしてその内容以上に、その通信の切迫感がまたリアラを動かした。鼻っ柱の強い名無ナナシがいの一番に撤退を叫ぶという時点で既に異常であるだけでなく、その通信が行われた時間は、帝宮が崩壊するより少し前だった。果たして、脱出に成功したのか?


 それを不安に思わせる通信はそれだけではなかった。それに加え内容そのものが危険を伝える情報を含んでいた、第四帝龍ロガーナン太子ルマが【真竜シュムシュの宝珠】に下記連ね続けた、あの書き付けに記された真竜の秘密もだ。


(怒り憎む事で、怒りを受け憎まれる事で、真竜シュムシュは強く燃え上がる。それによって真竜は力を増大させる。だが同時に、それによって真竜シュムシュは滅ぶ。古の祖先の心ならざる争いと死もそれに由来する。その理由は)


 文章はそこで不吉にも途切れていた。ルマは、一体どうなったのか。


(駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!)


 それは恐るべき内容、過去の暴走から感じた危惧を裏付ける不吉な予言。故にリアラは走った。自分の罪咎穢れは仕方がない。だがルルヤは駄目だ。たとえ穢れた自分が死んでもルルヤの事は救わねばと思った。月と太陽。鏡写しの二人。


「ッ……!!」


 ここまで、実際には極々僅かな一瞬でしかなかった。ラトゥルハの狂奔とゼレイルの復讐心にルルヤの憎悪がぶつかり合い……拮抗した一瞬。



 ZZZDOOOOOOMM!!


 瞬間ルルヤは、声にならない叫びと共に残った全エネルギーを【真竜シュムシュの息吹】に込め、それを足元に叩きつけた。複雑に発展した帝都には先に『退廃エログロ欲能チート』が悪用した様に相応の地下空間があり、それが崩壊し、そして、爆裂した。瞬間、その場に最大級の間欠泉めいて水と瓦礫が吹き上がり覆い隠す!


「てめっ……!? 」


 ルルヤとリアラの姿が消える。それに、『旗操オシリス』ゼレイルが叫んだ。一瞬遅く攻撃。爆発。道路の地上部分の石畳が、土が、深々と抉られ垂直に吹き上がるが……舞い上がった瓦礫の類の中に、ルルヤの姿もリアラの姿も無い。


「っ……糞がぁあっ!!」

「ふん……」


 ゼレイルは絶叫し地団駄を踏んだ。咄嗟に探知錬術を使ったが最後の力でリアラが対錬術れんじゅつに特化させた妨害白魔術で撹乱を行い、痕跡をごまかしていた。


 欲能チートを使えば強引に追いかけてでも遭遇する可能性を作れるかもしれないが、流石にここまでに力を使い過ぎた。ゼレイルの欲能チートはリソースを消費するタイプだ。


 それはラトゥルハも同じであり、ぱくりと口を閉じてガチと歯をならした。口腔に宿っていた死の光は消えていた。


 遠くから『情報ロキ』レニューの声が聞こえていた。内容は、敵が逃走した以上勝利であるというおためごかしと、朝が来る、市民が騒いでいる、『機操ロボモノ欲能チート』が《王神鎧》の起動に成功した以上、太子達を逃がしても『太陽ダズル欲能チート』と『月光ヒカゲ欲能チート』の力を使えば政権の掌握自体は可能だ、後は狩りたてるだけだからどうとでもなると。一応は、派閥の有力者の判断である。従うに妥当な判断でもある。


 その情報はゼレイルにもラトゥルハにも、聞こえはしたし従いもしたが、二人の心にはさっぱり入ってこなかった。


 それは〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉の初めての敗走であった。だが。


「……追い払っただけだからなのか。案外楽しくないな」


 仏頂面で、ラトゥルハはぼそりと呟いた。


 そして帰還せんとするゼレイルは、無言で酷い嵐を胸の内に抱えていた。復讐心だけではない。ルトアを奪われた事だけでもない。事の次第を、残った伴侶たるミアスラにどう伝えればという事だけでもない。


 あの一瞬、ルルヤの凄まじい憎悪を恐れた事……だけでもない。


「う、う……」


 ゼレイルはそれを聞いたからだ。その呻き声を。そしてそれを、揺れ動く瓦礫とその中の小さな影を見たからだ。


(あいつ、め)


 ゼレイルはそれを見聞きし、しかし同時に本当の意味では見聞きしていなかった。その心は、その光景の原因となった、先ほどのルルヤの無様と見えた足掻きに塗り潰されていた。


「生きて、る? 大、丈夫……? 」

「痛い、よぉ……えう……」

(偽善者、め)


 周囲の建物の残骸の中に。ゼレイルが降らせた隕石の爆撃範囲の中に。


 リアラが、必死に手を掲げ術を操って自分と共に守った、二人の子供がいた。大災害に巻き込まれた被災者めいてボロボロの姿で。だけど、二人とも生きていた。


 己の女の仇が、憎むべき相手が、人殺しが、守った命があった。


 それが酷く、ゼレイルを苛立たせた。ゼレイルは拳を握った。

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