・第四十七話「異世界の主役は貴様等ではない! (中編)」

・第四十七話「異世界の主役は貴様等ではない! (中編)」



「おい、急に呼び出しやがって。どういう事だよ! 何で俺が……!」

「すいません、の開始に失敗しました。頑なな人というのはどうしようもなくて。話も聞いて貰えませんでしたよ、代わりにお願いします」

「……クソッ、かよ」


 後から現れた冒険者風の緑の衣を纏う青年は『情報ネット欲能チート』に怒鳴り、『情報ネット』は肩を竦めて欠片も心の籠っていない謝罪をした上で図々しく助力を依頼した。それに緑衣の青年は、苦りながらも察した。


「……」


(……事前に話を聞いていなかったのは、本当のようだ)


 怒る緑衣の青年の表情を【真竜シュムシュの眼光】で眺め、ルルヤはそう結論づけた。


(情報伝達その他の魔法や欲能チートを施されている気配も無し)


 リアラも同じく【眼光】を使いそう結論する。真意看破と不可視力感知、それそれの【眼光】の特性を用いたダブルチェック。


(つまりこいつとの交渉には『情報ネット』の罠の可能性はある程度は減じる訳だ)

(ある程度、ですけどね。日頃から方針の相談等はしてるでしょうし、今『情報ネット』が発言に若干の意味を含ませたように思います。けど、『情報ネット』本人を直接相手にするよりはまし……ここが落としどころですね)


 無論、こいつならこう答えるだろうからそれを考慮に入れて、というような計算による策略が成り立つ余地はあるだろうが、それならば出来るだけ予想外になりうる行動を取る事でその予想を裏切る等、掻い潜る手は無いでもない。


 完全に取り合わずこのままここでお引き取り願うというのも情報が無いでいる時間が増えるというリスクを考えれば最善手とも言えない以上、【真竜シュムシュの宝珠】を使った通話で、リアラとルルヤは相談し決心した。


「分かった、こいつと話す。だから……」

「はいはい、失礼しますよ、失礼しちゃうなあ、なんちゃって」


 混珠語でも成立する戯れた言い回しをしながら、『情報ネット』は踵を返し退出した。後に取り残されるのは緑衣の青年、いや……


「……新天地玩想郷ネオファンタジーチートピア十弄卿テンアドミニスターの一人。帝室顧問冒険者のゼレイル・ファーコーン。欲能チートの名前は『旗操フラグ』、で、合ってますか?」

「うええ……もうそこまでは辿り着いてるのかよ」


 リアラの言葉に『旗操フラグの欲能』ゼレイル・ファーコーンは、苦虫を噛み潰した呻き声で同意した。


「実質十弄卿テンアドミニスター内での位階以外は調べあげたのかよ。どうやってだ? こっちも色々隠してたんだけどな……」

「諸島海上の不自然な気配については確かに、観測する余裕も無かったので誰がどれとは判然とはしませんでしたが。ま、他の情報源と統合してって所です」

(ある程度その可能性はこっちでも調べてたけどさ、細かいところはぼかすかよ、可愛げのねぇ奴!)


 諸島海での十弄卿テンアドミニスター十弄卿同士の内紛。『情報ネット』が行った偽装は機能していたのだが……それ以前の連峰、砂海、そして戦後の諸島海で、各地の玩想郷チートピアの拠点を潰した後そこから得られた情報について、継続して調査を行った結果だ。リアラとルルヤだけではなく、各地で解放したり共闘したりした仲間達にも、それぞれに分析をして教えて貰った、集合知の力。


 その詳細を、情報漏れの可能性について想定していたがその度合いや流れの経路等あちこちばらまいた真竜シュムシュの護符や偽装等でこまめに妨害している情報を少しでも気取られまいと念入りに誤魔化すリアラに、ますます苦虫を噛み潰すゼレイル。


「ずっと、調べ続け、戦い方を練り続けてますからね。健やかな時も、睦む時も。懐かしい夢の中でも、何時も、心の奥底で」

「!! ……だろうな」


 ざっくばらんな口調のゼレイルに対し、一瞬リアラは恨みを一滴垂らした。当然だ。『神仰クルセイド』は堂々としていてそれどころではなかったが、『情報ネット』の出現からここまで、家族とも慕った仲間達の仇の仲間に、目の前でこうものうのうとされては心穏やかではなかなかいられない。ざわ、とゼレイルはそれを感じた。太陽めいた輝きの下にある、リアラの優しく善良という印象だけではない感情を。だがゼレイルはそれを無視した。生憎、己にも理由があるのだ、と。


「さて、お前の同僚は交渉をしようという事だったが、胡散臭くて交渉の卓に着くどころではなかった訳だが、お前はどうするんだ?」

「あー、はいはい。ええと、逆に言えば、俺とは話すって事でいいんだな?」


 そしてルルヤが鋭く問いただす。ゼレイルは嘆息し頭を掻いた。面倒事を押し付けやがって、と思うゼレイルだが、自分も相当面倒事を押し付けてはいるし……何よりこの交渉に賭ける熱意は、『情報ネット』より自分の方が大きい。『情報ネット』は自分の権勢のみを守れればいいが、ゼレイルには守らねばならぬ人達ミアスラとテルーメアがいるからだ。


 そしてゼレイルはを開始した。


「まず言っておく。『情報ネット』は名前の通り情報戦のプロだが、俺も機密維持に関しては引けはとらねえ。あいつ相手に隠し事は出来る、この場の話は奴には通さねえ。そうしている事は、もう見えてるな?」

「ええ。話しましょう。そして、見えています」


 交渉開始を是とし、リアラが周囲を【眼光】で見回し、頷いた。張り巡らされているのは『旗操フラグ』の名の所以である『運命の流れを操る力』による『この中の事を調べようとすると偶然にも失敗する』という運命。それをリアラは【眼光】の効果で確認する。逆に言えば、それ以上の悪巧みの気配も見逃さないという事だ。


(おっかねえな、全く……)


 ゼレイルは十弄卿テンアドミニスター、否、欲能行使者チーターとしては珍しい程に、そんなリアラとルルヤ、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉への恐怖の念を抱いていた。


 取神行ヘーロースとなる為の詠唱に『我こそこの世の主人公』とあるように、欲能チートの根元は生まれ変わって尚消えない極端な自我と魂のあり方、自己を絶対の主人公、世界を己の引き立て役と認識して憚らず押し通す精神性によるものだ。それ故にこそ欲能行使者チーターの中の欲能行使者である十弄卿テンアドミニスターは絶対の力を持つが、であるからこそ、どうしても隙というものが生じやすい。


 にも関わらずセレイルがある意味用心深い恐怖感を持つ事ができたのは彼の特徴的な個性と言う事が出来るだろう。


「さてそれじゃ、改めて、だ。ええと、『情報ネット』の奴は何をどこまで話した?」


 ゼレイルは問い、リアラは答えた。ルルヤは厳しく観察する。何らかの示し合わせがあれば、それを見逃さない為に……その兆候は無いようだった。


「要するに他の派閥の情報を売るから見逃してくれ、という話だったな。お試しの情報を渡しても良いという事だったが、それはまだ受け取っていない」

「成る程なあ……用心深いこって。さて、まず何から話そうか……」


 ルルヤの言葉に『旗操フラグ』は嘆息し、暫し思案すると。数秒ルルヤとリアラの顔をじっと見て、そして、決めた、という風に話し出した。


「一つ。薄々察してるとは思うが、十弄卿テンアドミニスターの数は回復した。第五位に『反逆アンチヒーロー』の奴が就いたように、他の位にも新しい奴が就いた。当然そいつら全員取神行ヘーロースになれるし、今までの連中と違って、状況を見計らって何人もで袋叩きにする気でいる。俺達は組織の勝ち負けとは別に俺達が死にたくないからこんな話をしているが、組織とお前達のどっちが勝つかは、中々厳しいんじゃないか、このままだとな」


 まずは念を押すように、そして、重圧を与える情報を開示する『旗操フラグ』。リアラとルルヤの顔色を見ながら。


 それは、和平交渉の名目ではあるが、同時に精神的な戦闘、武力に依らぬ攻撃であった。恐れ、怖じ気づき、疲弊し、怯え、現実を認め、打算的な思考になって自分達の主張を呑め、自分達と同じ側につけ、と、それは、同盟の提案であり命乞いであると見えて、脅迫であり、堕落の誘いであり、屈服の要求ですらあった。


 これはその第一撃。その成果を『旗操フラグ』ゼレイルは観測する。リアラとルルヤの表情に動揺は、内心はどうか分からないが現れなかった。くそ、と思いながらゼレイルは、己も焦りを表情に出さないようにしながら続ける。


「二つ。俺達〈帝国派〉は他の派閥を売ってもいいと思ってるが、俺と後もう一人は、最終的に俺達だけだ生き残るのなら派閥の中から生け贄を出してもいいと思っている。……この情報にオマケするとだな、俺個人としてはだ。俺と俺の手勢の何人かが生き延びられるなら、それ以外の全部を売ってもいい。それ以外は、全員殺しても良いし、俺の生存が最優先だが、他の幹部を後ろから斬ってやってもいい」


 硬軟を織り混ぜる。十弄卿テンアドミニスターが増えたという情報は、硬。俺は俺が抱えてる奴以外は全てを売っても良いという見せかけの弱腰は、軟。だが軟もまた、ある種の精神攻撃だ。それは、言わば妥協し屈服しても良いという言い訳という名の毒を塗った刃と言えた。


「現在の玩想郷チートピアは〈王国派〉の意図する方向に動いている。〈王国派〉の長、ナアロ王国国王、『交雑クロスオーバー欲能チート』エオレーツ・ナアロは強硬だ。このままじゃ大事になるぜ。詰まる所大惨事に、大戦争にだ。今度こそ、洒落にならない数の混珠こんじゅ人が死ぬ。俺達と、あるいは俺と、取引をすれば被害は少なくなる」


 そして、押しと引きもする。揺さぶりをかける。またそれは『旗操フラグ』ゼレイル自身、リアラとルルヤを見極めんとする意図と、嗜虐者を装って組織内で他者を牽制威圧し続けたのと同様、リアラとルルヤもまた威圧できるかという勝負の側面もあっての発言だった。


「大惨事になっても、いいや、大惨事にしてでもと言おうじゃないか。それでも復讐を遂げたいか? 穏健派の俺達まで余さず殺し尽くす為に犠牲や苦しみを増やしたいか。それとも、犠牲を減らしたいか。どっちだ? どっちがお前達の正義だ? 力になると悔い改めた奴まで相手取って戦禍を長引かせる事か?」


 審判を下す冥府の神オシリスのように、じっ、と『旗操フラグ』ゼレイルは視線を向け、その問いへの返答を促した。


 その問い糺しは、ゼレイル自身の意図だけではなく、交渉を妥結に導く為の圧力でもあった。復讐心で被害を増やすつもりかと問われて、面と向かってそうだと言い切れる奴などそうそういない、と。


(どうだっ? え、どうだ、この問いはよっ……?)


 『旗操フラグ』ゼレイルは内心のその意思を秘めて返答を待つ。呑めば良し、無論相手はともかくこちらが約束を守るかは状況次第、タイミングを見てだまし討ちに出来るならする可能性も十分にある〔相手が約束を反故にする事は当然ありうる事だといういかにも玩想郷チートピア的な考え方が、ある意味結果的にはこの高圧的な交渉を生んだと言えた。その事にあくまでゼレイル本人は非自覚的だったが〕。迷ってもこの後の歌による訴えは鈍り〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉勢力の拡大が失敗する可能性が増すから良し。意固地になって断るなら、〈欲能を狩る者達チートスレイヤーズ〉にそれを用い仲間割れを促せるかもしれない。犠牲を留める事を優先する一番優しい奴を操る。他の奴等の戦力は大した事は無いが、裏切る事自体が十分な戦術的効果を持つ、と。


「貴様……!!!」

 

 GFRRRRRRR……!!!


(おっかな……! だが、精々唸るがいいや。この状況なら繋がれた獣みたいなもんだ。もし鎖を千切ったとしても、こっちだって防具もありゃあ銃も撃てるし逃げりゃあ係員が駆けつけてくるようなもんさ。まして、この取引に彼女二人の命がかかってんだ。それを思えばビビッてられっかい……!)


 その打算と脅迫が入り交じった言葉に、ルルヤは激怒した。その美しい容姿は、正に猛り唸る竜の表情を帯び、喉の奥からは断じて少女のそれではない唸り声が響き、赤い瞳が爛々と発光していた。


 それが真竜シュムシュの少女の怒りである事も、その恐ろしさもゼレイルは知っていた。それが数多の欲能行使者チートを殺してきた事も。だが、知った上で堪えた。それは、この条件を突きつければ妥協に屈服させられぬ筈は無いという傲慢な自信でもあったが、ある種の勇気でもあった。内心思った例えは即物的かつ俗物的だが、自分の身に危険が及ぶ可能性を認識した上で、ゼレイルは至近距離で竜の睨みを受け止めた。


「ふうん」


 不意に睨み会う二人の横を奇妙に冷たい声音が通り抜けた。まるで太陽の無い冬フィンブルヴェトの様な、睨み会う二人が、ゼレイルもルルヤも思わずぎょっと振り向く程の。


 それはリアラの気配だった。二人が見たリアラの普段は愛らしい容姿は、ルルヤと比べて軟らかで穏やかな風貌を持つ顔であるにも関わらず、さながら丸い金属球が鎚矛の柄頭として戦場で用いられ、打ち砕かれた敵の血や脳漿、皮膚や毛髪や骨や歯の残骸に塗れているような迫力を帯びた強い無表情だった。


「つまり、君は悔い改めずとも自分の能力的な値打ちを盾に過去の罪を免れる事が出来ると考えているんだね。償うのではなく取引で罰から逃れられると。現世の打算は罪や苦しめられた人々に優ると。正に地球的で玩想郷チートピア的な、僕達が根絶しなければならない思想じゃないか。そして、僕達がその、値打ちを使った脅迫に応じずにはいられない程弱いか、あるいは、復讐や正義より人命を優先すると考えている訳だ」


 そしてリアラは、ゼレイルを睨んでそう告げた。その瞳はやはり、黄金色でありながら暗黒の穴や日蝕した陽のような禍々しい暗さを帯びていた。漆黒の黄金とでも言うべき矛盾した目の色。『惨劇グランギニョル』が死ぬ前に目撃したもの。


(ひっ……!?)


 それは先程感じながらゼレイルが無視した、リアラが倫理観と善性の下に押さえ込んでいる、単に自分達玩想郷チートピアに対してというだけではない、この世の理不尽への深く深く重く煮詰まって尚滾る莫大な量の怒りと憎しみであった。ルルヤだけではなく、リアラもまたこの交渉と言う名の精神戦に怒っていた。ある意味ルルヤ以上に。


 その怒りは理由のあるものだ。幾ら穏健派だと言っても、〈帝国派〉とて、その地位を得る為に、維持する為に、利益を得る為に、罪も無い混珠の民を殺したり富を不当に奪ったりをしている。『旗操フラグ』ゼレイルや『情報ネット』レニューの情報にある程度辿り着いている二人が、それを知らない筈は無く。そんな相手からこんな交渉を持ちかけられるというのは、周囲の被害や犠牲を考えれば本来勝ち目等度外視してでも卓を蹴り上げたい程だ。


 だがそれでも、その怒りはあまりにも激しかった。『惨劇グランギニョル欲能チート』が齎す邪神と死の恐怖すら下らないと一蹴する巨大な敵意と絶望、『神仰クルセイド欲能チート』がテロリストの素質と評した怒りと非情、『増大インフレ欲能チート』を病と毒と呪と腫瘍の沸き立ち痙攣する肉塊にして抹殺した容赦の無い害意が、纏めてむき出しになっていた。ゼレイルは今度は無視できなかった。


 そしてリアラは、相手に対する揺さぶり返しとしても余りにも剣呑な言葉を放つ。


「忘れるなよ。僕らはもう、とっくにお互い一番守りたかったものを失っているんだ。その上で、今お互いを新たな一番守りたいものとし、元々の一番守りたかったものを守りきれなかった罪深い自分の命だけじゃなく、その新たに得た一番守りたいものを危険に晒してでも、復讐を成し遂げたいと思っているんだ。……もちろん、ギリギリまで耐えに耐えて人々を守り抜く。正義の名に賭けて。けど、今更、本当に二番目に大切以降の命を惜しむとでも思う?」

「待て、待て待て待て! せせせ、正義ってのは人命を守るもんじゃないのかよ!? いいのか!? 正義の味方様がそんな事言って!? 人気が落ちるぞ!?」


 それには両掌を左右に振り、泡を食ってゼレイルは訴えた。リアラからすれば、そんな事を言って責めるのは今更、憐憫ものの遅さだった。正義が何であって何でないかなど……正義と人命がイコールではない事くらい、ルルヤさんとの修行と戦いの日々の中でとっくに知っているのに、と。


「正義の味方と人命の味方は、それぞれ別の存在さ。正義の味方がイコール人命の味方って訳じゃない。そうでなきゃ、正義の為に悪人を殺せるもんか」


 恐れ威圧され後ろににじり下がり、楽屋の椅子から転げ落ちたゼレイルをリアラは見下した。そして問うた。


「そもそも、僕達は正義の味方だと思う? 復讐者だと思う?」


 僕達の正義は、玩想郷チートピアに踏みにじられる人々を勇気づける為に掲げているものだ。逆に言えば、目的があって、手段として使っているものだと言えないかい? 武術や武器と同じだ。なら、いざって言うとき、手段と目的、どちらを優先する?そう、言外にリアラは匂わせて威圧し。


「う、う……」


 その静かな剣幕に威圧され呻いたゼレイルだったが、床に尻餅をつき、にじり下がった時に、ちゃらりと音が聞こえた。それは、アクセサリじみて細い鎖で身に付けた希少金属性の護符が鳴った音だった。それは愛するパーティメンバー、テルーメアが材料を調達し、ミアスラが作ったもので。


(……な、舐めやがって。舐め、やがって。……舐めやがってぇえっ!!)


 それがゼレイルに正気を取り戻させようとした。威圧されてたまるか、こんな事を言うような奴と違って、俺には愛する女達がいるんだ、と。


「っ、リアラ!!」「「!?」」


 直後、叫び声が響いた。悲痛な声だった。


 立ち上がろうとしたゼレイルの出鼻が挫かれた。


 リアラの呪縛めいた瞳の暗さが消えた。弾かれたようにぱっと表情に驚きと苦悩と悲しみと自己嫌悪の色が広がり、途端リアラは闇の太陽から迷える少女になった。


「……すまない、リアラ。その……」


 叫んだのはルルヤだった。と同じ悲痛で切迫した表情だった。リアラとルルヤは葛藤の視線を交わしあった。ゼレイルは混乱した。その意味が良く分からなかったからだ。……それだけではなかったかもしれないが。


「……言いたい事は良く分かった。一つ問おう。その言葉に対する返事は今すぐ必要か? それとも幾らか待てるのか? お前達にとっては命がかかっている案件についてだし、私達にとっては唐突な話だ。それをすぐ済ませられるのか? ……大体、そろそろ私達の出番だ」

「え、あ、いや、必ずすぐって訳じゃ」


 その混乱にルルヤが鋭く問うた。一瞬虚を突かれたゼレイルは反射的にそう答えてしまい、欲能チートで適当なトラブルでも起こしイベントの進行を送らせなかった事も合わせうっかりしたと内心臍を噛んだ。


「分かった。ならば、そちらが時間的に期限だと思う日付を言うか、日付を明言できないならさもなくば状況が変化しそうになったらまた交渉に来い。返事はその時までに考えておく」

「……わ、分かった。但し言っておくが、その間に俺等以外の連中が兵を動かして小競り合いになる事もあるからな、それと俺達の話は別だからな」


 とはいえ言ってしまった以上、交渉はもうこういう形で落着するしかない。ルルヤの言葉を、ゼレイルは呑んだ。



 そして。


「そうなりましたか。なあに、構いませんよ。もう少し威圧してほしかったですが、ペースをかき乱せたのであればそれだけで上々。よくやってくれました」


 退出して自分の控え室にやってきた『旗操フラグ』ゼレイルに『情報ネット』レニューは相変わらずの無表情な笑顔でそう答えた。


「元より交渉が時間切れや物別れに終わる可能性は大きいと思っていました。復讐というのは理屈じゃないですからね。威圧できれば上々でしたが、思わぬ形で混乱したのであればそれはそれで結構。あの二人の気力を削ぎその間に混乱の種が撒ければ良し、心を乱れは魔法の乱れ、あくまでこれは言葉による前哨戦、和平は出来れば儲けもの程度。撹乱して殺せればどっちにしろ我等の安泰は揺るぎません。元々、結んだとて守るか・守られるかはお互い状況しだいでしょうしね、力による強制が伴わぬ約束等平然と踏みにじるのが私達であるように。そして、撹乱までいかなくても私達が交渉したと言う事実は敵に対しても味方に対しても色々と使えます。私の欲能チートは仕込みが無くても使えますが、仕込みはあったほうがやりやすいですし。貴方も同じような事は考えていたでしょう?」

「ああ。そうか、そうだな……」


 その言葉にゼレイルは女達から貰った護符を握ると、少し安堵して呟いた。


(少しでも可能性が増せたなら、まあよし。生き残るべきは俺とあいつらだ。あの獰猛な裸の蜥蜴共じゃない。利用するにせよ、殺すにせよ、絶対に)


 その人間的な安堵と感傷の中で、それよりも何よりも強く、願いを、欲望を、決意を、悪意を煮え滾らせながら。


「さて、いきますよゼレイルさん。〈長虫バグ〉に主張をさせる訳にはいきませんからね、これからここに魔族を暴れこませなければいけませんから。最もそれはそれで〈長虫バグ〉達は活躍をアピールしようとするかもしれませんが、それへの手も打ちませんと」


 先に歩き出した『情報ネット』が『旗操フラグ』に告げる。どこまでも邪悪で冷ややかな声で。



(反省会、って雰囲気だな……)


 一方リアラは自分達の控え室の中で、そんな感想と複雑な罪悪感を抱きながらルルヤと向かい合わせに座っていた。


「リアラ」


 対面しその名を呼ぶルルヤは、怒ったようでもあり心配しているようでもある、母親や姉めいた表情だ。


「……分かってます」


 リアラはやや項垂れて、皆まで言わせず絞り出すように問われる前に答えた。


 リアラがゼレイルを脅す為に放った言葉は、一つ一つはこれまでリアラがルルヤから教わってきた言葉の断片だ。だけどもあれは、それを敵意と悪意と害意の漆喰にでたらめに並べて張り付けて最悪な解釈違いのモザイク画だ。


 そして何より、そういう最悪の解釈をしない為にこそ、ルルヤはリアラにこう言葉を授けた筈だ。〈それでも考え続ける事こそ、正義に最も近い〉と。


「じゃあ、何でだ。大体『料理グルメ欲能チート』の時も、『軍勢ミリタリー欲能チート』配下残党の話を聞いた時も、『追放ボッチ欲能チート』の時も、海嵐魔竜の時も、リアラは寧ろいつもは……」


 悪行を為さぬ欲能行使者チーターとは戦わぬし、悪ではあるが小悪党であった相手には殺すまでするか悩み、話の通じる魔物相手には説得を試みる。リアラはそういう奴だったろうと、ルルヤは重ねて尋ねた。


「あの問いは、すごく難しい問いでした。けど、難しいからが理由じゃなくて……」


 もう少し、リアラは口ごもって。


「ルルヤさんも、怒ってた。その怒ってるルルヤさんを、あいつは絡め取ろうとしていた。絡め取れると認識していた。それに、罪を償った事を許すのと、取引で罪を無かった事にするのは、絶対に、絶対に別です。そんな奴等に……」


 心からの謝罪と、謝っただろ許せよと社会的な圧力で強いるのと、クラスの大勢が平穏に暮らす為には少数が苛められるのは仕方が無いというのとは違う。それはルルヤが言った、数の大小は正義とは無関係だという言葉にも通じるし、と。リアラは、強い衝撃と、その衝撃に貫かれた心の傷と、不安と、憤りと、それでも尚大事にしている理と、抵抗しようとする心のぐちゃぐちゃに入り交じった感情を吐露して。


「ルルヤさんの怒りが馬鹿にされるのが許せなかった。だから、代わりに怒りたかった。もっと強く、少しでも」


 最後に、二重の意味のある言葉で結んだ。大好きなルルヤさんが、打算に絡め取られるのは嫌だという稚拙で潔癖だが純粋な愛慕。それとこれは言及しないが、ルルヤの怒りは、調未だにその真相を究められていない暴走じみた不安定な状態を呼ぶ事がある、だから、少しでも怒りを肩代わり出来れば、とも。


(けど、実際、僕は、僕の心の中は……)


 リアラは自己嫌悪した。その結果、自分もまたルルヤの暴走めいた事になった。しかもそれは寧ろ自分自身の悪意。良くあろうとする心の底にあるドロドロした感情、暗い前世で育んだ自分の悪性なのだ。そして、その悪意を、ある意味力にしている事を改めて認識させられた。


「……元より確かに、私達は不完全な正義だ。復讐もまた正義に近い側面を有している。悪に報いはあるのだと、悪行を為した者は復讐されるのだと満天下に示す事は法と感情という根元の違いはあっても悪行を威圧し抑止する裁きとして機能する、正しく為す事が出来れば。そう思って戦う正義の味方を目指す復讐者だ」


 そんなリアラにルルヤは穏やかな表情でそう答え、許し、労い、抱き締めた。


「……まだ時間はある。何とか、最善を尽くそう」

「……はい」


 何れにせよ、まだ何もかも終わったわけでもなければ始まったわけでもないのだから、と。時が来る迄の間暫し、二人はそう語り合い、支えあった。


 その戦略的な葛藤と思い通りになるまいとする足掻きの中で、それでも尚強く人間的な感情と善を希求する心と好意と愛の炎を守りながら。

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