・第二十三話「古の航海図(前編)」

・第二十三話「古の航海図オールド・シート(前編)」



「籠るぞ♪」「暴くぞ♪」「籠るぞ♪」「暴くぞ♪」「籠るぞ♪」「暴くぞ♪」「籠るぞ♪」「暴くぞ♪」「無ー茶はいーかげんにしろー♪」「やーだやーだ逃っがっさんっ♪」


 港の宿屋の舞台付大食堂の上で、二人の露出度の高い装束の上から薄絹を幾重にも絡めた鉱易砂海からこの諸島海に来たという踊り子が、その薄絹を脱がしあいながら軽やかに面白可笑しくかつ色っぽく絡み合いながら可愛く歌い踊っていた。


 〈蝦蟇の魔法使いトードナ割断の王ワレボー〉、狂気的に魔術と錬術れんじゅつを研究し様々な魔法道具を宝と蓄える〈蝦蟇の魔法使いトードナ〉が突破不能な程の恐ろしい地下迷宮を作り立て籠るのを、宝を狙う破天荒で無茶苦茶で人の悪い〈割断の王ワレボー〉が、ある時は燻り出し、ある時は粉塵爆破し、ある時は兵糧攻めにし、ある時は丸ごと露天掘りし、またある時には水没させた上で水ごと中身を流出させと、迷宮に仕掛けた錬術れんじゅつ兵や使い魔や謎かけや罠を悉く無視する方法で強行突破し宝を奪うが、怒る〈蝦蟇の魔法使いトードナ〉は脱出し新たな迷宮にその前に行われた強行突破が通じない仕掛けを施しそれに再び〈割断の王ワレボー〉が更なる無軌道強行突破を目論むいたちごっこの伝承を基にした舞踏だ。


 他の宝を奪っても最大の宝であった《不死の護符》を奪えなかった〈割断の王ワレボー〉が老衰死した後、張り合いが無くなり気力を失った〈蝦蟇の魔法使いトードナ〉が自ら《不死の護符》を破壊し消滅。二人のいたちごっこの結果、後に残ったのは搦め手に対するあらゆる防御を備えたがそれを優先した結果迷宮の構造そのものは通常手段での突破が比較的用意になった地下迷宮だけだった、という、教訓と解釈の余地のあるお伽噺を基にした舞踊の、諸島海ではなく鉱易砂海風のアレンジが施されたものだ。


「……偶々今の時間ああいう演目だったわけだけど、女の目からして、ああいう砂海風の女の色っぽい踊りを男が見るのってどう感じるんだ、ハレーディン船長」


 〈蝦蟇の魔法使いトードナ割断の王ワレボー〉は大抵は宴会の余興で男同士が行い滑稽さを楽しむものだが、砂海風の女同士でやるこれは男性目線からすれば実に煌びやかで艶やかになるのだなと感心し……ちょっと通俗絵草紙イラストつき小説本歌取女性化英雄譚歴史上の英雄の性別を変えた物語私家版絵草紙どうじんし男子浪漫おいろけじみたあれこれを脳裏によぎらせながら……獣度の高い大猩々ゴリラの獣人である男は決定的な話題に踏み込むタイミングをつい避けてしまい、若干微妙な話題だと割れながら思いながらもそう訪ねた。そういう欲望に対して自罰的な、いかにも律儀で真面目で繊細で気遣いの多そうな様子で。


 諸島海は交易関係上同じく混珠こんじゅにおいて南方に位置する鉱易砂海と縁が深いが、価値観風俗において砂海風の自由な気風に馴染む者もいれば、もちろん馴染まぬ者もいる。辺境諸国とも交易をしている為もあるし、個々人の気質にもよる。彼はそんな、真面目な諸島人の典型だった。


「ボルゾン君、それは各自次第だとは思うけど、ハリハルラさんは気にしないよ。昔砂海の奴らに聞いた話だけど、個人個人の感性に難癖をつけるのは、魚に砂漠で空気を吸って生きろって言うようなもんだろ、ってね。それは博愛が足りないだろ? 女が好きな男も、男が好きな女も、女が好きな女も、男が好きな男も、直接隣人と付き合うより舞台上の相手に熱狂するのが好きな奴も、他の人間と交流するより物語を読み聞く事が大好きな奴も、皆平等さ。咎められたくないならお互い様にしなきゃダメだと思う、ってね。無論、そう思わないのもまた個人の自由だが、自由ってのは、強制をしないからこそ自由、だからね」


 話をふらつかせるかっちりした装飾的な軍服を纏うボルゾン・ボーン・ボロワーに対し、軽やかな薄着で海草の様に波打ち南洋たる諸島海の魚の様な濃蒼という希少な髪をした女、ハリハルラ・ハンテ・ハレーティンは、海森亜人シーエルフの特徴的な耳をひくつかせ、リアラとルルヤも砂海で聞いただろう話に、自由、平等、博愛という単語を加えて語り微笑した。誠実で知的だが柔和な印象をより強く与えるボルゾンと、アルコールで灯した炎や港の猫の様に気まぐれに揺らぐ彼女はどこまでも好対称。体格的にも1ザカレ2メートルを超える長身のボルゾンと3ミイイ150cm無い小柄なハリハルラである。


 海森亜人シーエルフはその名の通り、元々地球で言うマングローブの様な海岸林に生息していた南方の森亜人エルフが航漁の民と合流し、ジャイアントケルプの様な海中林の周辺に船を連ねた浮き島を連ね海洋民族化した種族である。航漁神と採探神を共に崇め、海棲哺乳類並みの肺活量と、通常の森亜人エルフが一本に長く尖った耳をしているのに比べ、耳朶と耳介が共に長く尖り、魚の尾鰭の様な耳をしているのが特徴だ。


「それで、ボルゾン君。話ってのは何だい?」


 火香枝〔諸島海で産する、樹皮に樹脂分を多く含み香りを嗅ぐと摂取すると気が散る感じや苛立ちを抑え爽快感と鎮痛を齎す香木。樹皮を剥いで乾かした物を銜香炉というパイプや煙管の様な物に詰め煙草の様に吸う〕を吹かし、ハリハルラは問うた。


「……質問をするのは僕だ、ハレーディン船長。君は今の現状をどう思っている」

「絶体絶命。だね。他の連中が相手だったら海戦になる。だけど、あいつは別だ。ガゴビス・ジャンデオジン。あれが相手じゃ、戦にもなりゃしない。海底火山の噴火に殴りかかるようなもんだ。いや、もっと酷いかも」


 ハリハルラは、嘆息した。そして回想する。これまでの戦いを。



 混珠こんじゅの海戦における主力軍艦である城艦は、地球人が見ればガレーあるいはデュロモイ船に前弩級戦艦の要素を混合したような姿をしているように見えるだろう。交易等に用いる普通の船は一般的に縦帆横帆を組み合わせ風力のみで航行する帆船が基本で竜骨を持つ船体はよほど速度が必要な例外を除けば積載量の為太く作られるが、軍艦は縦帆横帆を巡航に使うだけではなく、戦闘機動をより機敏に行う為に櫓櫂を備え、速度を求め良く鍛えた剣のような頑健で鋭い船体を持つ。左右に櫂、船尾に舵と干渉しない範囲で櫓を備え、帆や舵と併せそれらの推進力を一致団結して操作することで機動性を、そして櫓櫂の据え付け場所に比較的生産容易な《労働倍力》の魔法護符を刻む事で速度を得、その推進力は地球の蒸気軍艦に勝るとも劣らず。魔法強化の施された木材の上、水の影響が少なくかつ重要な部位に防錆加工を施した金属薄板を張り巡らせて船体を構築している。そして船体中央やや前、メインマスト根本にメガホンと伝声管で櫓櫂室、舵手、帆手に命令を行う装甲天蓋・防盾付きの低い艦橋。前方甲板と広報甲板サブマストさらに後ろに一台づつ大型の倍力魔法付与旋回式防盾付連装投石砲。側面のそれより狭い空間に防盾付弩砲数機と魔方陣張出櫓を設置。これらは艦橋にも幾らか設置されている。それに加え、武装水兵と訓練を受け乗り込み戦闘も熟す漕ぎ手、艦首衝角を備え、遠近両用の戦闘が可能な主力兵器だ。


 それに加えまた別に、港艦という艦種が存在する。投石機の代わりに梃子と人力で動くクレーンとスロープを内蔵した箱作りの櫓が甲板の大半を覆う構造となっており、側弦弩砲や魔方陣張出櫓はあるが城艦より火力で劣る。これは城艦であれば投石機で発車する投射物を積載している甲板装甲下区画まで貫通する格納庫・厩舎となっており、水騎と呼ばれる大海狼〔家畜化亜獣。水陸両用の水性哺乳類で、水中適応した狼の近似種、大型馬程のサイズで足がアシカ並みかそれ以上に歩行脚としての機能もかなり残している事をのぞけばプリオサウルスに収斂進化したような姿をしている〕とそれに牽かせ水上を疾走する小型艦を艦載している。地球で言えば水雷挺母艦のような艦種である。ちなみに、地球で言う航空母艦のような飛行戦力格納を専門とする艦は存在しない。これは飛行魔法が高度であり使い手の数が少ないこと、飛行魔法装備は高額で希少である事、家畜化した飛行亜獣とその機種も地球で言う戦象程に希少である事、法獣霊獣などと契約した機種はさらに少数であること、加えて少数の飛行可能戦力や段着観測用飼鷹や使魔つかいまであれば小さいものなら通常の城艦に、大きなものでも港艦の厩舎区画に収納可能である為だ。


 そんな軍船や、それに近い構造を持つ鯨や竜鮪〔混珠こんじゅ諸島海固有種。鎧状の鱗を持つ鯨程のサイズのマグロ〕や巨人鳥〔混珠こんじゅ諸島海固有種。鯨程のサイズのペンギン〕を取る闘漁船や急ぎの荷を最速で届ける為の高速船、大陸から遠い荒海まで出る為の頑丈な遠洋船を城艦や港艦に近い形に改造した海賊船による海戦は、投石砲と弩砲と魔法による砲撃戦から始まり、水騎が走り回り敵の投石砲や弩砲等の火点を潰そうと試み、水騎を弩砲や魔法や対抗する水騎、水兵の弓矢が迎撃し、そして衝角戦、乗込白兵戦に移行し、それまでの砲撃戦による損耗、双方の戦力と戦術、その結果がそれに反映され、勝敗が決定する。海賊による襲撃の場合より小規模だが、基本的な方式は変わらない。ジャンデオジン海賊団との海戦も基本的にそのように行われたが、その戦いの形式その物は変わらなくても、そこには幾つもの、質の悪いズルのような力の介入があった。


 ジャンデオジン海賊団、何処からともなくこの地に現れた数人のならず者が、あっという間に、まるで病毒の如くその力を増した。見たことも無い亜獣とも魔獣ともつかぬバケモノの増大、法術や霊術による《浄化》の効かない屍鬼リビングデッドの出現、そして、欲望を肥大化させ堕落しそれに比例するかのように体の様々な部位が肥大化したならず者たちの異形化。皆、熱病に罹ったかのように、それまでそこまでの外道で無かった者達が悪心を肥大させ雪崩を打って加わっていった。


 それらを束ね結成されたジャンデオジン海賊団は手強く、瞬く間に勢力を拡大した。それに抵抗したのが、眼前のボルゾン率いる諸島海連合政府海軍と……ジャンデオジン海賊団以外の真っ当な海賊団だ。敵は手強いし、未知だ。あの《浄化》できない屍鬼リビングデッドを浄化しようとして、何人もの徳高く慈悲深き高位神官や精霊使いが死んでいった様に、性質たちの悪いイカサマで金を巻き上げるように、奴等は命を巻き上げていった。だがそれでも何とか、怪物共とも、怪物使い共とも、渡り合ってきた。必死に……文字通り必死に、命を代価に。戦士を募り、現れる戦士もあり、辛うじて、戦えた。だが、ガゴビス・ジャンデオジンは。


「…………」


 艦隊を、丸ごと吹き飛ばす爆裂を、ハリハルラは思い返した。それまでの彼女の努力も、彼女に付き従った皆の奮闘も、無意味と踏みにじるような光を。


(だが。……あの男は)


 それでも、ハリハルラは一人の男を思う。その男の猛き不屈の抵抗を回想する。仲間に加わった中でも最強の男を。



「うぉおおおっ!!」


 筋力! 筋力である! その男は、力づくで《浄化》不能の動屍アンデッドを破壊したのだ!


「獣と生きた俺には分かる。〈これ〉には魂も怨念も無い! 《浄化》は無効だ!」


 《浄化》の出来ない屍鬼リビングデッド相手に、多くの神官が必死に《浄化》を試み食い殺された。今もまた師に続き殺められんとしていた若き船付神官の前に、男は立ちはだかり、恐れずに屍鬼リビングデッドを粉砕したのだ。


「こいつ等にあるのは唯の自己増殖衝動のみ、獣にある程度の感情も無い、虫や黴と同じだ! ……魔ではない! 屍鬼リビングデッドでもない! 言わば、死んでいないだけの、動き害を成すだけの死体……動屍アンデッドだ! 見ろ!」


 屍鬼リビングデッドは魔の中でも特に恨み強く、《浄化》や類似した魔法を付与した攻撃や特定の儀式的攻撃でなければ完全に死に返す事は出来ず、それ以外の手段で無理に破壊をすると呪い等様々な災いを残す。故に《浄化》にすら抵抗するのでは余程恐るべき祟りがあろうと、数多の神官が必死に《浄化》を試み死んだ。


 男もこれが通常の屍鬼リビングデッドであれば呪いを受けたであろうが、その筋肉質な体は無傷だ。それを誇示し……この動屍アンデッド共は屍鬼リビングデッドに対する認識を逆手に取り、高位神官を騙し殺す罠だと喝破したのだ。


「……この世には、唯の悪にも勝る醜悪がある。力と違い人を助けるためにも使えよう智慧を悪用し、戦いの尊厳を踏みにじり一方的に勝ちを盗む者共。俺はそれを思い知った。思い知らされた。……だが、だからこそ、俺はそれを許せぬ!」


 北から訪れた男は、そう吠えた。



(……あの男は、死んでも諦めないだろう、ね)


 そして、それは。


「何を言う心算なのかは想像がつくよ、ボルゾン君。つまり君はこう言いたいのだろう? 降伏しよう、と」

「っ……そうだ。最早勝ち目は無い。これ以上戦っても死ぬだけだ。政府海軍として、人命は守らなければならない。だから、」

「ハリハルラさんは、降参しないよ」


 自分も同じだ、と。意図を察されて尚、表情から、口調から、それにハリハルラが同意すまい事を察しながらもそれでも必死に言い募るボルゾンに対し、ハリハルラはゆるゆると首を振った。


「何故だ!? ……いや済まない、ハレーディン船長。貴方の海賊としての信念の篤さは、分かっている。長い付き合いだ、だが……」


 ボルゾンは机を叩いた。膂力に長けたボルゾンの掌は、それだけでテーブルに皹を入れ……声を荒げ力を振るった事を恥じて手を引っ込めるボルゾンに、ハリハルラは複雑な表情を浮かべて。


「そう、ボルゾン君も分かってるじゃないか。この諸島海は、大陸の諸勢力との間のバランス、それと一丸となって交渉し島に秩序を齎す為の各島の有力者の連合である政府とその為の力である海軍とそれに対抗し大陸からの干渉や島の秩序が民に過剰に干渉を行う事に抗い異議を申し立てる為の力である民が有する武力である海賊とのバランス、その二つのバランスで成り立ってきた。そして海賊が尊ぶべき掟は三つだよ。。この〈古の航海図おきて〉を守らない奴は諸島海の海賊じゃない。海賊は、そんな奴らを許してはいけない。そして、ジャンデオジン海賊団は、海賊団を自称しているが、海賊じゃない。唯の、賊の群れだ。だから、諸島海の海賊団は、アイツらと戦わないと行けない」


 過去にも告げた事をもう一度言う。双方にとって自明の、砂海の厳しい環境と歴史故の個々の点在とは違う、日常感覚で交流が緊密な故の島の連合と、そうであるが故の表裏に均衡を齎す為に定着した制度としての海賊、その理念を。それに対し、ボルゾンは、歯を食いしばって呻いた。そして、また机を叩いて身を乗り出そうになり……必死に堪えて反論した。


「海賊団全員が死んでもか。諸島海の民が沢山死んでもか。君が死んでもか?」

「この掟が諸島海を守ってきた。なら、諸島海も掟を守らなきゃいけないだろ?」


 それに対してハリハルラは、海の様に謎めいて揺らぐ表情で、そう答えて。


「……何故、私が言う事は予想できる癖に……」

「ボルゾン君。君はどうする?」


 俯くボルゾンに対して、試すような口調でハリハルラは問い。


「……」「ボルゾン、君」


 顔を上げた。その表情には、悲痛な決意があった。それに対しハリハルラは、悲しみの表情を浮かべた。


「ハレーディン船長。海軍として、君を逮捕する。諸島海政府は既にジャンデオジン海賊団への服従を決定した。これから諸島海の秩序と法は彼等となる」


 GATAGATAGATA! BAN!


 そうボルゾンが宣言すると同時に、食堂に居た客の全てが立ち上がり、更に外から人がなだれ込んだ。雪崩れ込んだ者と、立ち上がった客の内の数人は海軍兵であった。だが、立ち上がった者の大半は……!


「AAAAAAAAGH」「AAAAAAAAGH」「AAAAAAAAGH」


 南無残ナム・ムザン! たった今まで生者と見えた者が辺り一面で急速腐敗化し、蠢くとしか言いようのない動きでハリハルラを包囲する! これは紛れも無く動屍アンデッド


「ボルゾン!!」「……動屍アンデッド達は制御されている! 殺される事は無い! 死ぬ事は無いんだ、ハリハルラ!」


 怒号に近いレベルの大声を発したハリハルラだったが、その声、その表情には、むしろ強い悲しみと慨嘆、理解を請う。叱責するように叫ぶボルゾンだったが、その声、その表情には、必死に、懸命に、思いを伝えようとして伝えられないもどかしさがあった。そこには……長く共に過ごした者だけの言外の意思のやりとりがあった。共に、呼び捨てに、剥き出しに相手の名を呼んでいた。



 その、次の瞬間!


「うぉおおおおっ!! ハリハルラぁっ!!」


 DBAN!!!


 窓が砕け散った。室内に硝子が舞い散る。テーブルが砕け散った。動屍アンデッドが数体、頭部を熟した瓜を落としたように爆ぜさせた。再びテーブルが砕け散り、窓が砕け散った……最初の窓とは逆の方向、屋外目掛けて硝子を巻き散らかしながら。


「う」「お」「あ」「……あい、つは!?」


 攻撃の対象に……せいぜい邪魔な位置にいた奴、ハリハルラの体につかみかかりそうだった奴が突き倒された程度で……されなかった海軍水兵達が、そしてボルゾンが叫んだ。そいつの姿を見て。


 そいつは、正に筋肉だった。ジャンデオジン海賊団の団員の様な、アンバランスな異形に肥大化した肉体ではない。ガゴビス・ジャンデオジンも、その筋肉で顔が引きつり体表に異形じみた文様ができる程の筋肉だが、それともまた違う、強靭で堅牢だが健全な筋肉を全身に付けた屈強な大男の戦士だった。霊術の護符を織り込んだ獣の爪牙の装身具、獣皮の腰布とそれに加えての急所を覆う防具、かつて折られ失った槍の代わりにその手に掴むははこの諸島海で産する鉄と同等の硬度と尚水に浮かぶ程度の重さを持つ代わりに火に弱い浮鉄木を逆に火に強い火殺漆を塗り重ねて強化した櫂槍。翻る波打つ長髪に縁取られた顔は、戦士の心を砕かれた嘗て真竜シュムシュの女達に晒した醜態ともそれ以前の過去とも違う、峻厳で哲学的ですらある戦士の信念と明確な反骨の戦意を織り交ぜて鍛造した表情だった。ハリハルラの回想に出てきた、動屍アンデッドの欺瞞を暴いた男だった。


 即ち、かつて『軍勢ミリタリー欲能チート』が持ち込んだ銃に敗れリアラとルルヤの居た宿泊地を自棄になって襲った狩闘の民、虎羆のトーテムを掲げる一族の蛮人戦士。名をガルン・バワド・ドラン。


 その男が今、十重二十重に囲まれたハリハルラを片手で抱き、一跳びに彼女を救出していた。もんどりうって倒れる動屍アンデッドのうち最初に倒した一体の懐から、硫黄禁輸から辛うじて残った黒色火薬と弾丸が装填された燧石銃フリントロックが転がり落ちた。そいつが他の動屍アンデッドより知性に勝りそれを扱える事、硫黄止めによる火薬の払底でそいつだけがそれを所持している事を飛び込む前に察知し、故に一番にそいつを仕留めたのだ。それは、明朗明快なるその男の戦士としての再起再生と再鍛錬を示していて。


「っ、お、追えっ!」「は、はい!」


 ボルゾンとその指揮下の水兵達が慌てて追って。


「…………あ、あいつは」

「…………あ、あの時の人、ですよね」


 誰もいなくなった食堂で、踊り子二人がそれに反応したのは、あまりに驚いたのでその後漸くだった。そう、この一連の騒ぎの中、驚きもせずさり気無く一連の騒ぎの外から様子を伺っていた、を靡かせる踊り子と、を躍動させる踊り子、即ち。


「って、いかん、出遅れた! 追うぞリアラっ!!」

「はい、ルルヤさんっ!!」


 即ち砂海で仕込んだ新たな舞を披露しながら諸島海の情勢を探っていた〈最後の真竜シュムシュの継嗣〉ルルヤ・マーナ・シュム・アマトと、〈最新の真竜シュムシュの信徒〉リアラ・ソアフ・シュム・パロンに他ならなかった! 流石に単にハリハルラが窮地というのであればその【真竜シュムシュの宝珠】による神経加速により過たず飛び出していただろうが、予想外の闖入者に驚き、一拍遅れながらも駆け出した。


 これが、〈欲能を殺す者達チートスレイヤーズ〉とジャンデオジン海賊団の、戦いの開幕であった。

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