・第十九話「白昼の真唯一神(後編)」

・第十九話「白昼の真唯一神エルオン(後編)」



「ではまず最初の公案だ。これは何とかいう西洋人が考えた、実に底意地の悪い奴だ。そもさん! 暴走トロッコが線路の上を走っている。お前は二股に別れる線路の切り替えスイッチの前にいる。このままでは五人がいる所に直撃する。切り替えれば一人がいる方へトロッコは行く。四人救うとも、一人殺すとも言える。どうする?」


 混珠こんじゅ世界の魔法の理と、相互の戦力と、互いの目論見・都合と……それと日本への誤解が入り交じった結果始まった異世界禅問答。その最初の公案は正に異世界というか異次元というか、わざとか誤解か、倫理学思考実験からの出題だった。


「色々誤解が……いやまあ、禅問答という用語に拘らなければ、互いの倫理観を問うには問題ないから、それでいいです。ルルヤさん、答えるときは一応せっぱと言ってあげてください」


 わざとか誤解か、冗談か大真面目か、判然とさせない『神仰クルセイド欲能チート』の黒覆面。面食らいながらも、そうルルヤに説明するリアラだが。


「セッパ。呆れるほどに簡単な問題ではないか。そんなもの、トロッコをぶん殴って破壊すれば全員救えるだろう」

「「ぶはっ!?」」


 真面目と冗談、わざとと誤解が渾然となったぶっとんだ禅問答に対するルルヤの回答は、真面目と誤解が噛み合った予想外の代物で。リアラと『神仰クルセイド』は〔敵同士でありながら! 〕、『神仰クルセイド』がこんな状況を意図して私とお前は似ていると言った筈は無いのだがそっくりな反応で吹き出し笑った。


「何だ、何か可笑しい事を私は言ったか!? リアラ、酷いぞそいつと一緒の反応リアクションとは! さっきからお前私より鋭敏にこいつの言葉に反応してるし、〈不在の月ちきゅう〉の人間にしか分からない何かなのか!?」


 あるあるネタが一人だけ分からなかったような疎外感に可愛らしくむくれ牙を剥いて叫ぶルルヤ。リアラは腹を抱えて体をくの字に折り曲げたまま必死に頭を下げた。地球の人間では絶対思い付かない、しかし紛れもなくルルヤなら可能であろう、本来の出題意図をガン無視した暴論でありながらあまりにも痛快な回答を、憤然ルルヤが真顔で言ったのが、不覚にもツボに嵌まってしまったのだ。


「い、いや、私もまだまだ地球の常識に囚われてるな。た、確かにお前がその場にいるならそれが正しい。こいつは虚弱貧弱無知無能な地球人の為の問題だからな」


 どうも同じくツボに嵌まったらしく、目元を拭いながら『神仰クルセイド』はそう答え……その答えは、リアラをぎくりとさせた。


(僕も、そう思った)


 二人は一緒に笑い、そして、『神仰クルセイド』が返した言葉は、リアラが正にルルヤに言わんとしていた言葉だった。お堅い人間なら笑わず地球の現実はそうじゃないんだと否定したり、これこれこういう倫理学的意図によるものでと説明したり、或いは卑小な人間ならば〈為そうと思えば救いを成せる〉ファンタジーの力を持つルルヤや混珠こんじゅを妬んだかもしれない。だけど、『神仰クルセイド』はルルヤのその言葉をむしろ称えるような口調だった。物語を愛し混珠こんじゅを愛するリアラと同じように。


「ええと、つまり、この問題は、ごく普通の人、攻撃魔法とか強化魔法とか使えない人にも広く問う問題ですから……といっても」


 ……お前は私に似ている。『神仰クルセイド』の言葉が、不吉な予感と共に呪いか毒蛇の様にするりと絡み付いてくる錯覚を覚えながらも、リアラは説明を補足し。


「前提の無視といえば、僕も最初に聞いた時細かい前提を知る切替を動かす以外は出来ないと知る前思ったんですよね。暴走トロッコだ! 逃げろ!って叫べばいいじゃないか、そうすれば両方の線路の人が逃げられるんじゃないか? って。叫んでも間に合わない速度で突っ込んで来る場合そもそもトロッコの路線切り替えも間に合わないんじゃないかとも。あくまで倫理学の思考実験で神経哲学や道徳心理学とかの話でそれが主題じゃないというのは重々承知なんですが、聞いてて何となくムカつくというか、意地悪な話です」


 ……地球で初めてこの問題を聞いた時の、ヘルマン・ヘッセの小説の様な何とも言えない、強いて言えば〈正しさが悪用され嫌らしさになる事への嫌悪〉とでもいうような感情を思いだしながら、復讐者としてそういう嫌な存在にはなるまいと自戒しながらも、少し思い出し笑いならぬ思い出し怒りして。


「路線を切り替えるのではなく人を突き落として止める場合どうかという派生問題から考えて、このトロッコ特大のデブを蹴落とせば止める事が出来るっぽいので、地球にいた頃の僕だったら、「暴走トロッコだ、逃げろ!」って叫びながら線路に飛び込みますね。自分は死にますが、減速されて六人が避ける余裕が出来る事に賭けます……いえ、ルルヤさん、大丈夫ですよ、別に今ならそういう事はしませんから」


 僕の体格だと止める事は無理そうだけど遅れさせるくらいなら、と、地球での自分を思い、あの頃の自分ならそうしたかもしれないな、と呟いた言葉に、眉値を寄せて腕を掴み止めろと言わんばありの表情を浮かべるルルヤに、そう答えるリアラ。


 だがルルヤは、手は離すが、不安の表情は和らげど収まりきりはせず。


「ははは。その言い方では、力が及ばない状況ならば命を捨てる、と取られてしまうぞ、日本人。それでは古の竜シュムシュは不安なままだろう」


 それを、『神仰クルセイド』はそう指摘した。……鋭い指摘だった。もしも、己が死ぬ事でルルヤが助かるならば、リアラはそうしたろうから。


 故に一瞬、あっと詰まるリアラに対し、ルルヤは変わって前に出た。己の不安など振り捨てて。


「話がそれたな。本題に戻ろう。……そういう話ならば、仮定の問題には私は答えん。己がどうするかなら兎も角、その無力な一個人がどんな判断をしようと、そこまでの極限状況でどちらを選んでもそれが両親から発した結果であれば罪に問うべきではないし、その者も後悔する必要はない。何よりそもそもトロッコを暴走させたやつかトロッコが暴走しうる環境を是正しなかった者に責任を問うべきだ……少し問題の趣旨からすればピントがずれているのだろうが『神仰クルセイド』、お前がこの問答を仕掛けた意図としては、此方がこういう問題に対しどう思うかを問い、以て此方を知ると同時に此方にそれで揺らぐ余地があればその思想の揺らぎを叩く。そういう勝負の問答だろう? これは。問答に応じず退いたら退いたで、逃げた、という思いが気力を損なう。そしてそれは法術を用いるお前の気力を強化する事にも繋がるだろう。そういう訳にはいかん以上、受けて立つ」

「うむ、如何にもその通りだ。その上で重ねて問おう。その答えは例えそのトロッコが、お前の愛する人を轢いたとしてもか? それでもお前は、故意に暴走させた者あるいは暴走しうる環境を是正しなかった者のみを憎み、切り替え点にいたもの等は恨まない事が、本当にできるのか? ……玩想郷チートピアの全てを憎むお前達が」

「む……」


 そいつが切り替えたとしても、あるいは切り替えなかったとしてもその場合、根本的な原因でなくともそいつは一部関わったと言えるのではないか。それは、自分の身内を殺した奴以外の玩想郷チートピア構成員を殺しているお前が言えるのか? 言えるとすればそれは矛盾ではないのか? 鋭く、『神仰クルセイド』は言葉で切り込む。


「……玩想郷チートピアと戦うのは……お前達が現在進行形で害を為し続け、私の同類を作り続けているからだ。この切り替え地点にいる無力な人間とは違う。そして……心の整理に時間は必要だろうが、私は己の心をのりこなしてみせるし、何より……私が心許す大事な人ならば、無力な人間を恨みはしないと私は信じる」


 ……一息、ルルヤは悩み苦しみ、噛み締めるように、振り絞る様にそう答えた。それは手強い問いに答える事が出来たと言えるが……考え続け己を制御し続けるというルルヤ流の正義論にも適うとはいえ、辛うじて、という要素は拭いきれない答えで。


「ならば同意だ、。ちなみに、私ならそもそもこの問いを発した奴をぶん殴る、と此方からも答えておこう。汝神を試すなかれ、良心も試すなかれ。神と良心を試し分析しようとする行為は、結局、こういう理屈だから仕方ない、仕方ないからいいだろうという抜け穴を探す卑しい屁理屈根性の溝鼠を産み増やすだけだ」


 ……それを指摘するように念押しすると、『神仰クルセイド』は考え続けるルルヤの正義とはまた違う正義を語った。それは絶対性。正義を疑わせない事こそが最も重大な正義であるという極論。極論だが、一切の迷い無き論。


「現代的な人間の言いたい事等分かっている。それは知性や理性の否定であり、知性や理性があるからこそ人は文明を発展させより多くの幸福を作り不幸を少なくしてきたのだ、とな。だが、結局のところこうも言えるのではないか。転生者である私が言うのも何だが、知恵により人は増え、科学を知り、文明を発達させた結果、文明に浴する事の出来る者と出来ぬ者という新たな格差を、即ち不幸と怨恨を生んだ。人が増えるという事そのものが、人が感じる不幸の総量、不幸な人間の総量を増やす行為でもある。幸せな人間が増える旅に不幸な人間が増えるのであれば、その幸せに意味はあるか? もっと言えば人は、幸せである事に意味があるのかとすら疑えるようになってしまった。科学は宗教を虚偽と暴きたて、人は死ねば消えるのだと告げた。日本人、貴様は己の死を恐れぬ勇者だが、大半の人間はそうではない。馬鹿以外の文明人は、敬虔な中世の人間より遥かに死に怯える羽目になった。結局の所、不幸の総量は増えたのではないか? 故にあえて言おう。ならぬものはならぬ、に対し屁理屈を言う賢しらが知性だというなら、そんな知性は不要だ」


 言いかけるリアラの反論を、先回って『神仰クルセイド』は迎撃した。それに続けようとする言葉もあったが、主張の端緒は正にその通りの内容であったため、リアラは出鼻をくじかれた。そんな考え方は間違っている、とは思うが、少なくとも想定した方向性の話では、この確信は崩せまい。


「科学が人間から死の覚悟を奪い、死は恐怖となって君臨する、科学は人を豊かにしても救いはしない、と? ……『神仰クルセイド』、貴方、〈JJジャーニー〉で一番気に入っている登場人物、第六部のラスボス、ペリー牧師でしょう」

「よく分かったな。やはり、私と君はよく似ている。……悪役に憧れてもいではないか。悪役というのは、世を変えようという志を持っている者が数多居る。正義の味方に、守護者と言えば聞こえは言いが、単に現状維持をしているだけの者が数多居る程度にはな。さて、一段落したようだ。では……」


 辛うじて、お前の主張はお前が好きな漫画の悪役に似ているぞ、と、皮肉を刺すが、むしろその通りと、『神仰クルセイド』はびくともしなかった。


 そして『神仰クルセイド』は、第二の考案を放つ。


「そもさん! 全知全能の神は、自分が持ち上げる事の出来ぬ岩を作る事が出来るか? この問いについて、どう思い、どう考える?」


 今度の問題は、所謂全能の逆説パラドックスという奴だ。地球では既に研究され色々な回答が作られている問題だが、それは問う『神仰クルセイド』も承知の上、その上で既存のどの答えをどのような理由で選ぶのか、それを問うているのだ。ただ混珠こんじゅは多神教世界で全知全能の唯一神という概念は一般的ではないため、ルルヤはまずそれを巧くイメージする事から始めなければならず、答えるのには時間がかかる。


「せっぱ。可能です。僕が考え納得する範囲で二つの考え方があります。ひとつはその問いの条件を満たすだけの考え方で、もうひとつはもっと根本的な考え方で」


 故にリアラがそう答えた。全知全能の唯一神を奉じる男がこれを問うという事は、通り一遍の否定を跳ね返す答えを眼前の男は己の内に有していようし、何よりこの問題についてリアラは昔知って考えた事があり、その上で納得し選んだ答えは肯定であった。故に、ここはその方向で答えを紡いでいくしかない。


「その心は?」

(そ、その言葉も禅問答とは違うんだけどなあ)


 明確な回答を持つ自信ある即座の答に『神仰クルセイド』は、お前は元々この問題について持論を持っているのかと、興味津々といった様子で食いつかんばかりに身を乗り出し先をせがんだ。それは謎かけだ、という突っ込みを今は省略してリアラは答える。


「前者はこうです。全知全能の神が自分で持ち上げられない岩をつくったら、全知全能の神様ではなく、それが出来ないんだから全知(全-1)能の神様になります。けどそれ以外の事は全て出来る訳ですから、当然〈全知全能の神様でも持ち上げられない岩を持ち上げる事〉は出来なくても〈全知全能の神様でも持ち上げられない岩を持ち上げられるスーパー全知全能の神様にレベルアップする〉事は出来る訳です。両社は同一ではないので、それはそれ、これはこれと。つまりこの問いには、時間経過という点で抜け道がある、と僕は考えます。多分、全知全能の神様の名前を言うのが良くない事とされてたり、別名の美称が沢山あるのは、スーパーウルトラグレートデラックスなんちゃらとかこの方法でレベルアップしまくった結果なんでしょう、なんて、冗談をいってみたりして。あるいは岩じゃなくて世界の方をずらして結果的に岩が動いたと同じ事にするというのもありますけど、それは、なにか姑息ですし」

「はは、確かに。少し『増大インフレ欲能チート』めいた理屈だが、それは如何にも神の力の強大さを示す表現だ。この段階で十分面白いな! それで、もう一つの考え方とは?」


 リアラの言葉に『神仰クルセイド』は政敵の名を出しながらもそれはあくまで比喩か、楽しげにからからと笑った。それは〈全能とは常に全能である事とイコールではない〉という既存の理論の一種であるが、あとから岩の重さを操作するより余程神々しい、と。そして、重ねて続きを問う。


「時間経過という抜け道を潰すような質問、つまり、全知全能の神は、未来永劫過去永劫どれ程変化成長改名しても自分を含む誰をもが持ち上げる事の出来ぬ岩を作る事が出来るか? というような質問をされた場合の考え方です」


 それに対するリアラの言葉は、ある意味律儀とすら言えた。問う相手が尚も徹底的に全知全能の神の矛盾を証明しようとした場合どうするか、別に全知全能の神を信じても帰依してもいないのに態々全知全能の神を弁護しようと想定を重ねるというのは、正に律儀と言える。


 例えそれが、好きな物語をそんなの現実にはありえないと言われたら嫌な気分になる様に、信仰を理屈で否定されたらそれを信仰している人は嫌な気分になるだろうなあと、過去にふと思って反論の余地がないだろうかと考えてみた結果だとしても。


「真に全知全能の神なら、〈絶対に持ち上げられない〉という状態を維持したまま〈不可能を不可能なまま成し遂げ、かつそれらが一切矛盾していない状況を作る〉事が可能なはずです。そしてそれがどういう状態なのかを人に説明し理解させる事もできるでしょう。ただ僕自身は全知全能の神様じゃないのでそれがどういう状態なのかを理解したり説明したりする事はできませんが。……ここまでは所謂〈全能は論理的不可能を行いうる〉という既存の観点にすぎませんし、それを理性や論理をバカにする行いでそういう事を言う奴は相手にするに値しないと言う人もいましたが、それはそれで理性や論理を神様ぜったいにしているだけという反論をしてもいいと僕は思います」


 大体チャックノリスファクトでも同じネタがあるんです、神様がそれをやって何が悪いんですか、と、冗談を挟んで、そして出題に対する回答だけではなくリアラはおマケをつけてみせた。


「ついでに言えば、全知全能で善なる神様がいる世界に悪がありうるのかについても同じ事が言えると思います。全知全能の善なる神様は、悪がもたらす反省だの克己だのが人々を成長させたあとで、悪が与えた悪影響をぱっと消す事だってできるから、悪がいても問題ないとお考えなんでしょう。それがつまり黙示録とか世界が終わる日に行われるから、今、悪はある。……試練で得る成長を最初から付与したほうがいいんじゃないかという事については、道Aを通って場所Cに行っても道Bを通って場所Cに行っても歩く距離が同じならどっちを選ぶかは気まぐれで決めても問題ないようにそこまで全知全能であればどっちでもいいとなる、と」

「……良いな。中々に良い。やはり、私とお前はよく似ている」


 そして、その律儀が生んだ論は、どうやら『神仰クルセイド』にとっては、是とするに足る答えだったようだ。返答するその口調は、実に楽しげで。……だがそれは、再びリアラに、お前はこの『神仰クルセイド』に似ているぞという不吉な呪詛を吹き付ける。


「ああ、そうだ。全知全能の神とはそういうものだ。人の小賢しい論理だの言語だのを超越した存在。そういう存在であって初めて……信じるに値するようになる」


 噛み締める様に、『神仰クルセイド』はそう呟き、そして。


「私がこの世界の転生し、初めて魔法を見た時。未だ玩想郷チートピアの存在も、欲能チートの存在も知らなかった日。あの日、どれ程私が感動したか……恐らく、古き竜、お前にはわかるまいが、お前には解る筈だ、日本人」


 二人に次の公案を以て挑むのではなく、思いが高ぶり溢れる様に『神仰クルセイド』はリアラに熱心な口調で語る。


「……分かります。分かって、しまいます」


 その言葉を、リアラは肯定するしかなかった。否定すれば、ソティアとの、ハウラとの日々を否定する事になるからだ。二人の魔法を初めて見た時の輝く記憶を、忘れる事なんて出来ないからだ。


「そうだろう。ここには神秘が、奇跡がある。ここはあの凍える程に冷徹な物理法則と現実が支配する腐った泥玉ちきゅう等ではない! それがどれ程素晴らしいか、お前には分かる筈だ、日本人! 神などいない、己を救い加護してくれる神等一度も感じたことは無かったと言い切ったお前ならば! 地球の全ては物理法則という何れ全てが滅ぶ事を定めた無機質な運命の歯車にいずれ轢き潰されていく錯覚幻影に過ぎん。地球には、神も救いも天国も正義もない。それがどれ程の寒さか、絶望か……私やお前のような人間には正確に知覚できる。そうだろう、日本人」


 もの狂おしい程の『神仰クルセイド』の慨嘆に、リアラは、嗚呼、と心中呻いた。


 分かりはじめてしまう。『神仰クルセイド』が、何故、似ている、と言ったのかを。


「かつて私は医者であった。貧困国の紛争地帯を駆け回り、業病と戦乱から零れ落ちる命を止め続けた。それが先進国にすむ現代人としての善であり法と理性と人道に適う正義であると信じた。……私の患者達を無人機の誤爆が粉砕するまでは」


 『神仰クルセイド』は語り始めた。地球での己の人生を。


「感じたのは怒りではなく馬鹿馬鹿しさだ。あの無人機を飛ばした者達も、漫画のような悪党ではなく、テロと戦うという正義や法の為だったのだろう。それが私の患者達を殺したのであれば……生命も人道も正義も、何ともバカらしく無意味なものだと、私は興ざめしたのだ。あるいは、発狂したのかもしれんな、そこで」


 それは、現実というものが、己の敵だと感じる隔意。現実というものを穢らわしいと見下してしまう、醜いが、潔癖と辛さと悲しみと怒りがいり混じりどうしても抱いてしまう感情。それは、リアラが嘆く己の醜悪と、同じ。


「職を辞し諸国を流離い、それまで熱心な信者どころか自分が何教徒なのかすらもまともに考えていなかったのに、かつて戦乱を生む者と嫌悪していた原理主義者と交流を持った。命も近代的人道もバカらしい幻だと思えば、それを踏み躙る彼らへの嫌悪も失せた。彼らは神のために戦うといった。もしそれが成就するのならば、それは神の存在証明、即ち穢らわしい現実への勝利なのではないか? 故に女だったかつての私は男装しテロリストとなった。そう、当時の私にとって、Hi-Luckeyのテクニカルは正に、タフでありながら分厚い装甲や卑劣な距離の臆病さのない、戦士の為の車だった事よ。あれを駆った日々は、地球での数少ない今も懐かしい記憶だ」

KSカリフステイトとは違う、と言ったのでは……?」

「正確に言えば袂を別った、という所だな」


 ついに明らかになっていく正体。事前の言葉と違う、というリアラの指摘に、『神仰クルセイド』は違わないわけではないのだ、と肩をすくめた。


「途中まではあの場カリフステイトに居た。尤も奴等はすぐにどうしようもない屑だとわかった。僅かな勝利で瞬く間に堕落し支配と奴隷買いに夢中になった。丁度、玩想郷チートピアの中にも数多居る屑共と変わりなくな。全く、何で力を得た奴等はああも奴隷が好きなのやら。今にして思えば、力を手にした神無き世界の人間等そんなものだ。挙句毎度同じ様な上空からの一方的な爆撃に駆逐されていく阿呆共から去り、私は単独犯となり己の組織を立ち上げた。当時の私はまだ諦めていなかったのだ」


 遠い目をして、『神仰クルセイド』は己の彷徨を、そして悪名を歌った。


「改めて名乗らせてもらおう、日本人。地球での私の名前は……一番分かりやすくとおった名は、これだろう。〈地獄ジャハナム〉」

「…………!!」


 それは、リアラ神永 正透が生きていた地球では、911テロ、KSと並ぶ衝撃事件の名だった。生前見たニュースの記憶がよみがえる。激性出血熱のパンデミック・バイオテロ、史上最悪のローンウルフ型テロリスト。アフリカで採取した出血熱を、不完全な治療薬を悪用した短時間だけ無症候性キャリアとなる独自手法を編み出しシンパに服用させ、鎌振るい踊る病の死神ダンス・マカブルが如く、死を振り撒いた存在。


「疫病を人為的に蔓延させただと!? 貴様は魔王か!? まさか混珠こんじゅでも……!!」

「案じるな。あんな事、もうする理由も必要もない」


 その情報をリアラから【真竜シュムシュの宝玉】により即座に受け取り警戒の視線と共に叫ぶルルヤに対し、『神仰クルセイド』は断言した。


「人は何故テロをする? それは私の見た限りではな、テロ組織を維持運営することで利得を得る奴等が若者を洗脳して死なせる場合を除けば、動機は様々だが、手段を選ぶ理由は……それくらいしか出来る事が無いからだよ」


 そして断言の理由を語る。それは同時に、かつてそうした理由でもあった。テロリストの絶望。地球の絶望。


「そうだ。高々民間人を数十数百人、自分の命を粉微塵にして、出来るのは敵でもない奴を殺すだけ。それが現代の一般的な地球人の限界だ。もしも漫画のようなスーパーパワーがあったなら、彼らとて世界を変えたかったろうさ。あるいはもしも中世ならば、正々堂々武装蜂起しただろうよ。現代ではそれすらできん。手に手に武器をとって蜂起しても、戦えるのは憎い相手に与する同族だけ。肝心の憎い相手は空の上から一方的に爆撃してくる。最早人間は堂々と戦う事すら出来なくなってしまった。その本質は中世の民衆十字軍と同じままだというのにな。ままならぬ現実に対する暴発。故にこそ自嘲と自戒を刻んで、我が欲能チートの名はクルセイドなのだ」


 リアラは沈黙しながらそれを聞き、ルルヤに引き続き【宝玉】を通じて適宜その内容の内混珠こんじゅ人からすれば理解しがたい部分を、翻訳し続けた。


「結局私も同じだ。死んだ私の体の上をドローンが飛ぶのを、私の干からびていく目が見上げていたのを今も覚えている。心の底から絶望しながら、私は死んだ。嗚呼、この世に神は居ないのだ、と。故に私は、唯の背教者カーフィルとして死に、転生者となった。それに比べ混珠こんじゅは素晴らしい。命と命が平等に戦うという人間の尊厳の根元を破壊する科学兵器が無い。堂々と戦う事ができる。弓矢で剣で、誇りと名誉があった祖先の如く。まして今の私には法術がある。何故バイオテロ等する必要がある」


 『神仰クルセイド』は語り終えた。成る程、真実かどうかはともかく、理屈は分かる。だが、と、リアラは思った。そもそも、そうならば何故、と。


「……それならば何故、混珠こんじゅを害するのですか! 涙流れる程感動した混珠こんじゅを!」

「不完全だからだ!」


 リアラの叫びに、『神仰クルセイド』もまた叫び返した。その目には初めて激しい感情が……『神仰クルセイド』が恐らくは常に胸に秘め続けていたのであろう怒りが乗っていた。


 まるで、ここからが本気だと言うように。


「続きは続く二つの公案に答えたなら話そう! そもさん! 日本人、地球に居た時愛する人がいたとして、それが殺されたとしよう。地球では復讐は違法だ、司法に委ねるが合法だ。お前は今復讐者だが、地球ではどうする? 復讐をするか? せぬか?」

「っ………………・、す、る、と、思います。例え違法でも。地球での死に際、友人を守るために、人を、殺してでもと思って凶器で殴りましたし……もし助けられずに生き延びてしまったら、やっぱり僕は同じように思い、同じように二組、同じように行動した筈です。混珠こんじゅと違い魔法がないから、返り討ちに殺されるとしても……」


そして『神仰クルセイド』は、リアラ一人を指名し、更なる問答を仕掛けた。……そしてそれは、リアラを酷く動揺させた。お前がしている行為は地球では非合法だが、地球でそれをしなかった保証があるか、お前は地球で犯罪者になった可能性があるのではないか、『神仰クルセイド』が地球でテロリストであったのと同じように、という問いの衝撃。そしてそれに対し……自分の胸の内を探り己に問うたところ、見つかった答えが、それでも復讐をするだろうというものだった衝撃。


「そもさん! ならば逆に、愛着するに値せぬ世界に生きていたとしよう。その世界で玩想郷チートピアのような侵略者が出現した時、それでもお前は、悪は悪だと戦えるか!?」

「っ、それは……」

「守るに値せぬ者は守るまい。守れまい。それは当然で必然だ。我ら玩想郷チートピアに与した混珠こんじゅ人ともお前達が戦うのと同じだからな。だがそれは我々が混珠こんじゅを己が望むままに改変してよいと判断したのと、何が違う?」


 更に続けられた言葉に、リアラは遂に言葉に詰まった。自分が戦うのは、愛する仲間を殺した奴等への復讐であり、愛する世界を守るためだ。……その愛を、神仰は自分達と同じだと突き刺す。『否定アンチ欲能チート』の言葉は、単なる否定だから否定し返すことができた。敵ならば殺せばいい。犠牲を生みながら何も生み出さず、ただ他者の足掻きを否定するだけの存在にいかなる慈悲も無用。だが、これは。


「そうだ。それが、お前が私と似ている理由であり、私が玩想郷チートピアではなくこの世界に戦いを挑む理由だ。お前はこの世界が救うに値すると思っているから我らと戦っているだけで、別にこの世界が救うに値しなかったら救おうとはしなかっただろう? そして、死者の復讐の為に殺すという事は即ち、お前の中の怒りと死者への思いが人の命に勝ると判断しているからだ。無論それ以外に、今目の前で殺されつつある命を守るためという事もあろうが、救う為に殺すのであれば、混珠こんじゅに統一をもたらす事で死者の総数を減らす事を願う我らとどう違う。尊いと思うモノの為に、数多の人間を蹴散らかすが如く殺せる。その点で、私とお前は良く似た存在だ。……これは否定アンチでも引き摺り落としジェラシーでもない。我等は同志だという意味で言っている。抗うなと。我等は共に〈そう言うんならそうなんだろう、お前の中ではな〉と冷笑する者の顔面をぐちゃぐちゃになるまで殴り、〈貴方の言う事が正しいと心の底から認めます、だから命ばかりはお許しください〉と言わせるか殺す存在だ。そしてそれを過ちではなく正義だと世界に勝つ存在ではないか。〈理想主義者は糞だと言う奴等リアリスト〉等、所詮〈理想主義者が糞だとされる社会を理想とする入子構造糞野郎ファッキン・マトリョーシカ〉に過ぎん。だろう?」


 これは、俺達もお前達も戦っている時点で屑だ、故により邪悪な俺達が勝つという浅薄な『否定』の言葉では無い。戦う動機を、正義を掲げる思いを理解した上で、他の玩想郷チートピアの連中とは違い私はそれを理解する、そして、私とお前達は同じ存在であり、であるが故に戦う理由は無いのだ、と語る言葉だ。


 だが……それを語る存在が、理想を否定する事を蔑み理想を称揚する在り方が余りに苛烈すぎて理想を掲げる事そのものを恐れさせる程に凶悪な存在であったという事、それが己と類似していると言う事が、想定外の角度からメタフィジカルな方向からリアラを切り刻むのだ。闇雲な否定者よりも遥かに怖ろしい、己の最も凶悪な写し鏡。最早言葉もないリアラに、朗々と『神仰クルセイド』は説法するが如く語る。


(っ、そうか……貴方は、最初から……)

(そういう事だ)


 視線を交わし、リアラは理解する。『神仰クルセイド』は最初から己がリアラの写し鏡である事とリアラが己と違い自分の一部の面に自己嫌悪を持っていることを承知の上で、類似しながら己が一切を力強く是とする自らの在り方をぶつける事でその心にダメージを与え、以て魔法力を挫き戦いを有利とする心算だったのだと。そしてそれに『神仰クルセイド』は肯定の視線を返す。思想、心理、精神の激突もまた戦いであり、これも戦いに置ける一つの攻防の内に過ぎぬ、これも戦の内、そして理想を掲げるという事はこういう事であり、これに耐えられぬのならば屈するが良いと『神仰クルセイド』はリアラに叩き付ける。その為に、此処までの問答を進めてきたのだ。


「この世界の神話を知った時、私は天国から地獄に突き落とされた思いだったよ。輝いて見えた世界が、一気に色褪せ綿塵の灰色に見える様になった。なんと……不完全なのだ、と。それを最も体現しているのは、自覚し、嫌悪しなければならないのは、お前ではないのか? 古の竜よ」

「何……!?」


 そしてリアラに対し言い募る『神仰クルセイド』にリアラが精神的に追い詰められていると見てルルヤが割って入ろうとした瞬間、勢い良く『神仰クルセイド』はそのルルヤに向き直った。


「古の竜は、諸霊を束ね、神々に封じ、諸族の戦いを終わらせた。……それで神々の上に古の竜が君臨し続けていれば、その上で魔と対峙していたのなら。それは一神教ではないが、一つの明確な統一された正義と信仰のある世界だ。私は、百歩譲ってという程の事もなく数歩譲るだけでそれを認め、それに帰依し、お前達の仲間となって玩想郷チートピアと戦っただろう」


 更に向き直ったルルヤに対し、又も予想外の言葉をぶつけた。お前達の側に立っても良かったかも知れなかったのだと、流石にそう言われればルルヤも驚く。


「だが、違った。古の竜は討たれ、魔に対する考え方も、正義も悪も統一されず、ばらばらになった。不完全な正義、不完全な神話、不完全な古の竜よ。そんなものが、何で信じるに値しようか!」

「むっ……!」


 私がこうして新宗教を立ち上げたのは、お前の信じる真竜シュムシュが不完全だったからだ、と言われ、ルルヤは怒る。怒るが……言い返す事が、できなかった。不完全。王神アトルマテラに殺され世界が複数の国家に分割された事は事実。それはこの世界の前提だ。それをそう言われては、どう言葉を返せと言うのか……


「日本人よ。お前はカイシャリアⅦで、この世界と地球は違うと吠えたな。……私には同じにしか見えぬ。魔法があり、神々が実在し、それゆえに人々が地球より強く己を律し美しくあろうとも、神々が神々である限りな」

「……どういう、意味ですか」


 辛うじて、リアラが言葉を発した。それに対し『神仰クルセイド』は、今こそ、その思想の最大の根元を発する。


「自然と対立し自然を否定し文明を築いて以来、地球人類の歴史は対立と否定の歴史だ。他の人種を否定し、他の民族を否定し、他の国家を否定し、他の宗教を否定し、他のイデオロギーを否定し、それら全てと対立し、争い、殺しあい、憎みあってきた。進歩し乗り越えてきた? 真逆まさか。それらの対立は全て現代に残っているし、人は対立の数を増やしてきた。国家や民族や人種は階級と政治派閥に、宗教は宗派に、分裂する事は統一する事に勝り、また一旦統一されても、容易く脱退がそれを砕き、益々激しく相互否定しあう。左派は右派をナチと罵り、右派は左派をお花畑と否定し、貧者は富者を搾取者と否定し、富者は貧者を自分達が福祉を支えるのを食い潰し尚立ち直らぬ愚かな無駄飯喰らいと否定し、他民族に優しくあろうとする者はその為に自民族の弱者を他民族より軽んじ、その逆は他民族を否定し虐げ、対話と投票でより良い道を選ぶ筈だった民主主義は単なる相互罵倒と分断と対立に姿を変える。当然だ、大半の人間は対話をより良い結論を構築する為の手段ではなく、己の意見が正しいと信じそれを通そうとして行うのだからな。多数がそれなら民主主義が衆愚対立に陥るは必然。議論は無く拒否と揚げ足取りと醜聞スキャンダル探しのみがあり、選挙が終わっても罵倒あって協力なし、最早民主主義とは分断の同義語となろう。菜食主義者が家畜肉食者を、家畜肉食者が特定の動物を食う者を否定し、後者は前者を形を変えた差別主義者と怒る。女は男を差別者よ弾圧者よ強姦者よと罵り男は女を都合のいい時だけ弱者面する寄生虫と恨む。老人は若者を愚者と見下し若者は老人を失敗した社会を作った罪人・穀潰しと蔑み、陽気な者と陰気な者、異性にもてる者ともてない者、人気の有る者と人気の無い者、外見の美醜ですら分断の種となる。日本人よ、それが地球だ。古き竜よ、これが地球なのだ」


 それは、途方もなく深く強い現実への怒りと失望。そして。


混珠こんじゅにおける複数の神々の存在は、言わば複数の善悪の基準があるという事だ。それ即ち、地球化の予兆だ。この理屈によれば正義だからそちらの正義に反していても良いという発想は、正義を理非を言わず従うものではなくこうだから従う事になるのだと説く理屈に貶める。そうすれば屁理屈を以て善悪を捩じ曲げ隙間を通り抜ける者が現れる。それは全ての堕落と退廃、正義の陳腐化と不正義の横行の母だ」


 それは、彼が唯一の神を求め混珠こんじゅを否定する理由。


「複数の正義が生む相対主義は、我も正義、汝も正義、故に平等と言うだろう。それは制御されていない平等だ。人間が武器を自由に所持して良いと言われればそれを殺す為に使い、自由に表現をして良いと言えば他社を侮辱し他者が好み愛する者を馬鹿にし人の心を傷つける為に用いる様に、自由と同じ様に人は平等も悪用する。私もあいつも平等なのに、何故あいつは人気がある? なぜあいつは美しいと言われる? なぜあいつは優れている? なぜあいつはあんなにも純真無垢なのだ? 平等はそれらを許せなくする。平等は、輝ける者を穢れた者が引きずり落とし貶め溝泥の中で辱しめる行為の土壌だ。どうせ平等が富者や権力者の横暴から弱者を守れる度合い等、たかが知れているというのに。……美しい者、富める者が存在する事は、それが平等と組み合わされば唯それだけで憎しみと争いを生むのだ。故に、あの町は攻め落とさなければならん。美しさと富を削ぎ、制御された平等を齎さねばならん」


 そして明確な、マルマルの町への宣戦布告であり……


「……全ては、一つの明確な統一された揺るがぬ正しさを定義するものが無いが故だ。誰も彼もが、己らが正しいと思い、異なる者は間違っていると言う。人は、ばらばらである限り際限なく争い会う。滅びるその時まで。いずれ戦争か環境かで破綻するあの薄汚れた泥玉ちきゅうから逃れられた我ら転生者は全く僥倖かと言えば、否、だ」


 混珠こんじゅへの否定であった。それも『経済キャピタル欲能チート』等のこれまでの敵の行った先入観によるものではなく、過去の混珠こんじゅの歴史、今の混珠こんじゅの在り方、そもそも玩想郷チートピアの暗躍を許す理由をもし適しての、より強い否定を、『神仰クルセイド』は放つ。


「日本人よ、古き竜よ、同じだ。この世界も同じだ。古き竜が廃され、神々が複数存在し、諸国諸民族が別れている。例え魔法があり奇跡があり確固たる信仰があれども、否、あればこそ。それが複数存在する事それそのものが人を際限ない争いへと駆り立て、恨みが溜まり際限なく魔王は代を重ね、そして、その中で暗躍する玩想郷チートピアの勝利を確定する。王神アトルマテラ、それ以外の神々、精霊、魔、錬術れんじゅつ、複数の基準の存在があればこそ、傭兵や山賊といった玩想郷チートピアに組する屑共が発生し得る余地がある。地球と同じだ。除け者の居ない多様で優しい世界は、この世に長続きはしない。その世界を排そうとする存在すら許容してしまうが故に。良き世界を守るためには、その良き世界を害そうとする者全てを皆殺しにする絶対強者の絶対的な基準が必要なのだ。混珠こんじゅは美しいが弱い。今の混珠こんじゅでは玩想郷チートピアには勝てぬ! それを断ち切る術は一つしかない。唯一の神、唯一の正義による世界の統一。それ以外、この世界の何をも変える心算もない。それ以外、この世界を救う手段はない。故に、私は我が教団を以てこの世界に覇を唱える。世界を一つにする為に。……それを求めてきた。それだけを求めてきたのだ。唯一つの神、唯一つの正義。疑いも対立も空虚もない世界。信じるに値するもの、それだけを。この、この世に対する、この世を醜悪と断じ否定する怒りを、お前は否定できぬ筈だ日本人。穢土を厭離し浄土を欣求し、物語を守り現実と戦うお前には。お前と私の違いは極僅か、何処までを忌むべき現実とするかの度合いだけだ」


 絞り出すように、『神仰クルセイド』は告げた。その魂の形、死してもなお忘れず、世界の全てより優先する絶対的な思い。欲能チートの根元たる魂の形を。叩きつける。リアラとルルヤに。貴様らにこれが砕けるかと。砕けるものかと。


「だがまあ、案じるな。私にここでお前たちが敗れようとも、一つとなった世界、私の理想郷を作り守る為に、玩想郷チートピアは必ず私が滅ぼそう。お前達としても、お前達に私が勝ったのであれば、それはお前達より強かった私のほうがそれを成せる可能性が高いという結論に至れるだろう。安心して負けるがいい。無論逆もまた然りだが、私は負ける心算はない。最も、それはそちらもだろうが……だが、実際問題、一度聞きたいと思っていた。お前達は、自分達の勝算をどの程度に見積もっている?」

「何だと?」


 叩き付けた上で尚、『神仰クルセイド』は追撃を怠らなかった。リアラの心に畳み掛けた倫理的挑戦に加え、度量を見せつけた上で今度は現実的戦力問題を問う。先の王神アトルマテラに関する指摘もまた、お前達は断じて無敵ではないという事の提示でもあったのだ。


「端から見ている者は英雄視し、脅威視しようとも、お前たち自身は分かっていよう。【真竜シュムシュの地脈】無くば十弄卿テンアドミニスター相手は勝てる勝負ではなく、【地脈】の効果、その場で集められる魔法力の量は状況による。薄氷の勝利だと」


 ……その指摘は、事実だ。【地脈】の力を一旦使い尽くしたケリトナ・スピオコス連峰を、ナアロ王国の追撃の可能性を警戒し守っていた時第十五話は、次の一戦で死すかもしれぬという強烈な覚悟があった。


「言っておくが、私も、そして私を含む今いる十弄卿テンアドミニスターの過半数も、お前たちが倒した『経済キャピタル欲能チート』『惨劇グランギニョル欲能チート』より強いぞ。まあ、今回は前回と違い其方からすれば二対一だが、生憎、私の『取神行ヘーロース』は、一対二が数の不利にはならんタイプだ。その薄氷の勝利はいつまで続く?」


 その上で『神仰クルセイド』は、玩想郷チートピアの力関係を明かす。その口調、その表情、やはり嘘はないとルルヤの【眼光】は告げている。……『否定』も最後は現実的な力が全てだと言ったが、これは単純な主張ではない、冷静な戦略上の討論だ。


「……加えて言えば。十人倒せば終わりだとは思わない方がいい。十弄卿テンアドミニスターはあくまで魂の歪みの度合いが激しい順に上から十人が『取神行ヘーロース』を得る、魂の歪みが世界を歪める欲能チートの原理に付随した現象だ。その確定にはタイムラグがあるが……一定の間隔で補充されるのだ。そもそも、転生者自体まるで雑草か雨粒のように次々と出てくる。雨を止める事は出来るかな? 私には出来るぞ。私の『取神行ヘーロース』は、信仰を増やせば全知全能の神に至る。さすれば、それが出来る。己の魂の歪みは誰より己で把握している。これは本能的な理解だ」


 事実の重みに潰れてしまえ、際限のない絶望に屈するがいい。無限を担う事が出来るのは、全知全能の神だけだ、と言う様に、『神仰クルセイド』は玩想郷チートピアの仲で知られている転生に関する事実を告げ。そして、それ以外の、リアラとルルヤが知る由も無かった事実を更に告げた。


「……〈浄化監理局〉という奴等がいた。この世界には、地球と混珠こんじゅ以外にも様々な世界があるらしくてな、それぞれの世界から、それぞれの冒険を終え、他の世界も救おうと集まった英雄共だ、そいつらは、我々が滅ぼした。この混珠こんじゅは、助けもない孤独の世界だ」

「……その者達の善性には敬意を払おう。その者達の死には哀悼を示そう。だが、私はこうも言おう。自存自衛してこその独立だ、と。混珠こんじゅは、自存自衛し独立する。他からの助けを当てにはしない!」


 その言葉にルルヤは決然言い返した。『神仰クルセイド』はそれ自体には驚いたが……


「良かろう、見上げた覚悟だ。だが、できるかどうかは別の話だぞ。お前達の竜術が欲能チートに抵抗しうる理由についてどこまで知っている? それが旧世界の法則であり現世界の法則への支配の影響外にある事、それと、その力を特に強く持つのが複数の世界法則に跨がる存在である事くらいか。……それに近い特性を持つものが、〈浄化監理局〉に本当に一人もいなかったとでも?」


 勝てはせんよ、と、『神仰クルセイド』は言い、そして。


「そして億の奇跡の果て兆が一我らを打倒したとしても。私による統一を阻んだ後に残るのは、転生者達に良い様に操られ、争いあい、絡み合った因縁によって憎悪の連鎖で汚染された、地球と変わらぬ世界だ」


 奇跡が起きたとしても、戦後にお前たちが守りたかった古き良き混珠こんじゅは残らない、と告げて。そして『神仰クルセイド』は迫り、重々しく言葉を放った。試す様に、挑む様に、そして叩き潰そうとする様に、最後の言葉を。試す様に。


「その世界を救う理が、お前たちにはあるのか。無いのならば道を譲れ。この世界は、私が、私の真にして唯一の神が救う。故に、帰依せよ、私は何度でもそう言おう。例え戦いの決着がつく時であろうとも、帰依するのならば受けよう。私の問いへの答えも、戦うその時でも構わん。……抗う答え、出せるものなら出してみよ」


 この言葉を以て、『神仰クルセイド』は立ちはだかる。これより始まる決戦において、リアラとルルヤは、この言葉に挑む。

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