・第六話(誤字ではない)「僕、ビキニアーマーになりました(後編)」

第六話誤字ではない「僕、ビキニアーマーになりました(後編)」



 ……どうして、と、故郷の古いネットスラング風に思ったリアラだったが。


(まあさっきも思ったように、分かってるっていうか自分達で決めたんだけどさ)


 それはあくまでここに至るまでに対してで。リアラの思いは続く。


「♪剣を取ろう、それでいいの? 誰が死ぬかが、変わるだけじゃない? ♪」


 ルルヤさんが歌い踊る。ステップを踏み、回り、手足を翻す。今こうして、ルルヤさんと一緒に歌い踊っている事は、あくまで嬉しく愛おしい。踊るルルヤさんのステップは、そのしなやかに引き締まった体は、正直あれだ。〈美女は三日で飽きる、醜女は三日で慣れる〉というが、とりあえず僕の場合は自分がビキニアーマーを自分で着るのは三日で恥ずかしくなくなって、むしろルルヤさんから教わった竜術で自分用のビキニアーマーを作る事になって〈分解可能で、裏地と繋ぎ紐だけを変えれば清潔に使用できる上に、竜術の【真竜シュムシュの鱗棘】は暑さ寒さも遮断するから、取り換える小さな裏地と繋ぎ紐だけ幾つか用意すれば着替えの量を凄く少なくできる〉とか、意外な実践上のビキニアーマー豆知識に感嘆したりするほうに意識が行ったくらいだが、自分のビキニアーマーに慣れても、彼女の美しさに飽きる事を僕は知らない。静かに佇めば神聖な女神、怒れば磨き抜かれた刃のように凛烈にして凶暴なぞくぞくとする蠱惑、だけどこうして歌い踊る時は生命力で内側から輝かんばかりに溌剌としていて。その歌声は……。


(ああ、あの日聞いたように美しくて、あの日とは全然違う)


 ……彼女の歌を初めて聞いた日を、また一瞬思い出す。彼女と初めて出会い、『必勝クリティカル』を打倒し、燃え落ちるルトアの王城から脱出した夜。……死線上の緊張と奇跡の降臨から我に返って。僕は泣いた。泣いて泣いた。大事な仲間の死が心を切り刻んで、心が痛くて痛くて。そんな僕を慰める為、ルルヤさんが歌ってくれた。彼女も平和だった故郷を亡くしたのに。真竜シュムシュへ捧げる信仰歌、死せる真竜シュムシュの死の眠りへの子守歌を。


 死せる者に、この世の素晴らしきは貴方が生きて為してくれた事で出来ている、だから私達があり私達が貴方を愛している、故安心して眠ってほしい、貴方に私達が愛の毛布をかける、貴方と共に私達も眠り、目覚め貴方の様に生きる、死を忘れずされど臥所を伴にして死を恐れまい、死せる貴方の為より良く生きると語る、星座の弦を月の弓が奏でる様な美しく神聖で天上を思わせる声で歌ったのだ。


「♪勿論良くない、愛しい真竜ひとよ。抗う姿で、世界を変えよう♪」


 今はそれとはまた別の歌に答えるように僕も歌い、踊る。ステップを踏み、回り、手足を翻す。鳴り響くのは、アイテムを媒介して魔を制御する隠秘術から改めて真竜シュムシュの信徒となる事を受け入れることで真竜シュムシュの力で魔を御す事が可能となり白魔術となった元々僕が会得していた術による《作音》の術による音楽と、竜術のうち真竜シュムシュの骨は硬き金属であるという力に因む竜術【真竜シュムシュの骨幹】の鍛錬で自分用のビキニアーマーと同じように僕が生成した、ルルヤさんの故郷で真竜シュムシュに捧げる舞踊、いわば真竜シュムシュ神楽で鳴らしていた鳴り物だ。腕を振りステップを踏む事に、対応して鳴るだけでなく、バネとゼンマイと歯車が、引き金を引くと一定の時間の後に音を出したり連打したりする、中々凝った代物。


((竜術には向き不向きがある。全十六種リ・スベバ・ムマヒの竜の力のうち武である【真竜シュムシュの武練】を抜いた十五種リ・グダ・バの術のうち私自身も得意も不得手もあるし、全部を使えるわけでもないが。リアラは細かい制御が得意みたいだな。懐かしい‥私にはこれは無理だ))


 ルルヤさんがそう褒めてくれたのは嬉しかったけど、それでもまだまだ僕は未熟。こうして歌い踊るのも、実はこれがルルヤさんの会得している武術、【真竜シュムシュの武練】の鍛錬にもなっているから。音を鳴らし掌を合わせ、ステップを踏み足を絡め、時にお互いの胸や腰に手を這わせるのは、その度にお客が沸くように端から見るとセクシーアピールにも見えるけど、地球のカポエイラにおけるダンスやクラヴ・マガにおけるエアロビクスの様な訓練の一環、中国武術における組手・スパーリングとしての散打のように武器操作の前提にもなる隙を探り守りを潜り抜け相手の体に打ち込む徒手打撃と組技のエッセンスを抽出し肉体に覚え込ませるトレーニング。今日まであの日から幾つかの実戦と毎日の鍛錬を重ねてきたけど、まだまだ頑張らないと。


「ヒューッ! 見ろよあの体を……まるで宝石みてえだ! こいつはたまらねえ……」

「まじだぜ。こいつぁかなわねえ。……そら嬢ちゃん、触られまくってるぞー!」

「がんばれ、触り返せ! いやでもそのほうが色っぽいから今のままでいいかも!?」


 お客さんには大好評で、四肢が踊り絡むたびに観客がわいわいと沸く。とはいえ娼婦に対するようなどろっとした感情ではなく、あくまでさばさばとした歓声だ。エロアニメとお色気アニメ程にも違う。それもある意味ビキニアーマーのお蔭だろうと、リアラは思う。ビキニアーマーというものはそれ単体では存外エロくないと。何故ならこれ以上脱げないからだ。チラリズムも脱衣も破れも濡れ透けもパンティも無い、さらっとした素肌。これ以上剥いたらR18だから、そうならない時のビキニアーマーをむしろ強固に〈ライトな色気〉にとどめていると。


(前回の……『色欲アスモデウス欲能チート』と戦った時は、危なかったなあ)


 それに留まれないかもしれなかった前回の戦いを思い出しながら、もっともっと鍛錬しなければ、と、踊る手足に力を籠める。腕前の差からすれば当たり前なのだが、リアラが繰り出した手も足も、全部ルルヤに絡めとられている。せめて、いつか一発くらいは返したいものだが。


((武とは、可能性だ))


 教えを始めるに当たって、ルルヤさんが言ったことを忘れまい。他者を躊躇なく傷つける屑を忌み、故に暴力を嫌い、結果的に無力であったリアラに、彼女は告げた。


((娘一人が暮らす家に賊が入り込んだとしよう。娘に武無くば、賊の好きにされてしまうだろう。だが娘に少しの武があれば、賊に抗うことができるやもしれん。ある程度の武があれば、返り討ちにも出来よう。手加減しても問題ないほど賊を上回る武を持っていれば殺さず召し捕る事も出来るだろうし、無論。手加減せずに討つ事も選べる。更にそれ以上の武を持っていれば賊を召し捕り仲間を吐かせその仲間達をも成敗できようし、極まれば威風だけで相手を平伏改心せしめられよう))


 武が害するものか守るものかは心得次第、あくまで道具であり手段。己の心を己が良し正しとするよう保ち続けられるならば、他人の心や武に負けぬように、手段を確保し可能性を広げておくことは悪いことじゃない、と、ルルヤは教えてくれた。


((可能性を増やそう。暴力からお前の心を、守るべき者達を守れるように))


 そして、これは世界の統合を夢見た真竜シュムシュの教えと一見矛盾するかもしれないが、そうではないぞと言い置いた上で、ルルヤは武の奥儀を告げた。


((全てが争いあう古い世界のあり方と真竜シュムシュは戦った。真竜シュムシュは優しい世界を創ろうとし、ある程度成功し、少し失敗した。それにより世界は昔より優しくなったが、それでもしばしば世界は傲慢に服従を求め、生贄を要求し、犠牲を強い、人の魂を踏み躙る。まして今は玩想郷チートピアがますます世界を残虐にしている。世界が間違っている時、その横柄な横っ面を張り飛ばして調子に乗るなと言ってやる為に、世界の残虐から心の優しさを守るために、世界を変え世界に変えられないために、真竜シュムシュは強くなければならぬ。無論、強さだけを心の支えにしてはだめだがな))


 心を誇りを尊厳を貫く意地の為の力として、お前自身の心のために必要な事だと言うルルヤの言葉に、蒙は啓かれた。故に、日々リアラの舞は切れを増してゆく。


(それにしても何でその評価は一致するんだよ。ルルヤさん凄い綺麗じゃないか!)


 自分の方が色気があるという客の感想に、リアラは困惑しルルヤはむくれた。((美しいのとエロいのは別だ。あっちの方が美しいが、お前のほうがエロい))と、同じ様な事をこの間倒した『色欲アスモデウス欲能チート』までもが言っていただけに。


((色目で見られるのは寧ろ嫌だが、それはそれこれはこれで何となく腹が立つ))


 そんなルルヤの欲情されるのは嫌だが女の魅力に欠けると言うのも許さんという大分我儘な怒りに共感するあたり、僕もすっかり女の子になったという事だろうか? と、リアラは思った。


「わっはっは、色っぽい王神アトルマテラじゃなあ!」

「いや、いいだろ、色っぽい王神アトルマテラ。むしろそっちのほうが良かった! そうすりゃ真竜シュムシュさんとの仲もいいままだったんじゃねえか!?」

「はは、かもしれねえな!」


 この歌は、ハウラから聞いた物に更にルルヤからの知識を加えた混珠こんじゅの神話を題材にしている。かつて王神アトルマテラ真竜シュムシュが共に世界平和の為奮闘していた時代の。


 ……故あって冒険者ではなく旅芸人として生計を立てる事になった時、彼女の歌がそのためになると、リアラはその美しさを知るが故に提案した。だがそのままではルルヤの歌は旅芸人としてはあまりに荘厳すぎるので、ルルヤが覚え易い古典を基に、音楽はリアラが作った。


((任せてください。白魔術の《作音》を使えば伴奏をつけられますし、こう見えても物語を書くことは不得手でしたけど、昔作曲の真似事を囓った事はあるんです。僕が昔居た地球界には、っていう楽譜通りに人間みたいな声で歌ってくれる楽器みたいなものがあって、まあそれを少々……作った曲の人気は、その、Hな隠喩を限界まで捩じ込んだ冗談猥歌の百分の一程だったんで、ルルヤさんの歌声の足手纏いにしかならないかもですけど))

((はは。何処の世界でも男は色を好むからな、それは仕方が無いさ))


 昔とった杵柄を持ち出しつつ杵柄への自信は無くて言い出してから凹むリアラを、ルルヤはからりと笑って、構わない、それは私にはできないことだ、一緒に頑張ろうと答えた。


 ……ちなみにリアラが転生者であることは即日ルルヤにバレていた。最初、((立ち居振舞いや話し方、認識の仕方の癖で解る))と言って、後から((嘘だ、実は竜術【真竜シュムシュの角鬣】で遠距離からお前と『必勝クリティカル』直前の会話を知覚していたのだ))と冗談を交えルルヤは告げた上で。


((隠す事は無い。お前の血筋とお前の人格は全くの別だ。お前の仲間達もあるいは薄々気づいていたかもしれんが、お前が転生者である事を理由に憎みはすまい、私も同じだ。転生者が転生者であるというだけで憎めば、混珠こんじゅの人間を全員見下す玩想郷チートピアの連中と同じだ。そうなるのは断じて御免被るし、お前に仲間になってほしいと言ったのは私じゃないか。……だからまた泣くんじゃない、もう))


 ……そんな風にリアラを優しく受け入れてくれたルルヤのようにこの世界は美しいが、しかし勿論完璧というわけではない。様々な入り組んだ過去とそれが齎す因縁と悲劇があった、神話時代の記憶だ。実際、王神アトルマテラが男神でなければ真竜シュムシュとの関係が変化し史実より良い結果になったのでは、という話は。興味深くリアラは聞いた。熱心に歌いながら、過去に続き神話を思う。


 ……混珠こんじゅ界は、地球がある虚空の宇宙とは全然違う、霊的な原初の水で満ち満ちた青い宇宙、宙海の中に浮かぶ泡の中にある。天文と神託で混珠こんじゅの人たちはそれを知り、そういう泡の世界、地球でいうところの星に相当するそれを泡界と呼んでいる。だからこの世を、宙海世混珠こんじゅ泡界、即ち略して世界と称する、らしい。転生者の認識においてこの世界の言葉は翻訳されているので、原語でどうなっているのかは、ずっと研究しているけど、まだ完全には分からないけど。


 いずれにせよ、この世界の空は泡の外の海の色だ。泡の中の海が、泡の中を巡る太陽と月に従って昼は青く夜は暗いように、宙海も、昼は青く夜は暗い……宙海のどこかに宙海を照らし明滅する宙海太陽があるのか宙海自身が時を刻んでいるのか、その理由は定かではないが。だがそれを映して昼と夜が生じ、そして、夜の空に見える星は他の泡界なのだと言われている。それはこの世界の天文学で観測され確認された事柄であり、故にそんな世界のありようと並行して語り継がれている神話は、地球の神話と異なり、現実に起きた事象、〈神様が地上に実体をもって存在していた時代やそれ以前の歴史〉だ。歴史の如く事実であり、歴史の如く不完全だ。


 神話は語る。宙海も泡界も、在り、包むだけで何事も為さぬ。原初の混珠こんじゅは全てが入り混じり停滞していた。それを変えたのが、混じり合う全ての中に在った要素、意識である。〈全て〉が混じり合っていたがゆえに、そこには意識もあったのだ。


 意識は世界が入り混じった中でも己を思い世界を思い己と世界を作り変える事が出来る力。後に精霊、神となるもの。意識は世界と一体のままに様々に思いを巡らせた。世界と一体であるが故に、意識が思うたびに世界は形を変え、思いを巡らせるたび、好きと嫌いが別れるように、思いは次々と分化し、思いが別れるたびに、思いと一緒に固まっていた混珠こんじゅは分かれていった。こうなりたい、こういう風なものがあったほうが善い、あれことこれは違う、と。


 そうして世界と生命と人が形作られ、意識はそれぞれに独立し、己が気に入った宿る要素をそれが象徴する事象やトーテムの獣や指導開祖たる人に宿り嘉する精霊となった。人は世界と精霊を己の意思で捉え、精霊と崇拝という形で結びつき発展していった。採探の民、狩闘の民、牧騎の民、耕拓の民、航漁の民、他にも居り、また細かい分派もあり、様々な民が各々精霊を崇め……そして、様々に分かれたが故に、争った。農耕の場を広げようとすれば狩猟や牧畜の場は減り、獣への接し方で牧畜と狩猟は異なり、民同士の間で力の強弱もあった。そして、信仰される事で彼ら民と深く結び付いていた精霊は、宿る実体を失っても滅ばぬが己が崇める民が滅びれば共に滅んだ。故に精霊は己が民に己が有する霊的に世界を動かす力を分け与え盛り立てた。魔法の始まりであった。争いは激化し、更に二つの勢力が争いに加わる。


 戦の時代に適応して金属の秘密を解き明かし、狩りの道具や開拓の道具の応用ではない剣等の武器と錬術れんじゅつを生み出した鋳鍛の民。


 そして死せる民と死せる精霊の怨念の化身、この世に恨みを抱いて死んだ人間の魂や悪を為した者の魂を被害者の怨念が歪め輪廻転生させた存在である魔族魔獣。悪人は魔族魔獣の間でも虐げられる下級魔に、恨む魂は恨みを晴らすまで止まらぬ上級魔に生まれ変わる歪んだ怨念の因果応報。


 そう、混珠こんじゅの死生観は輪廻転生を基本としており、それぞれの精霊や神を崇め良く生きた者はその元に生まれ変わる事も安寧の天国に行く事も自在だが、人と精霊の争いが、そこに魔という歪みを生んでしまった。この輪廻転生に地球の魂が紛れ込むのが、転生者という存在だとも言われているが。何れにせよ、鋳鍛の民はその力で争いを終わらせんとし、結果更なる激しい戦を招いてしまった。


 そんな鋳鍛の民と文明への怒りから、文明に対し抑制的な信仰をする者の中から森亜人エルフ山亜人ドワーフや獣人等の亜人が生まれたのもこの頃である。


 そして魔はこの世の否定者であり、しかし同時に浅ましく愚かしいことにこの世の悪しき理の体現者に成り果てた存在であった。蹂躙された者の、蹂躙し返したいという欲望の具現であった。故に魔は恨みで異形の種族となり、あらゆる命に対する敵対者となった。


 混珠こんじゅが地獄と化そうとしていた、その時。真竜シュムシュが現れた。争いを止めようとする祈りが生んだ、統合の存在、全ての獣の相を併せ持つ者であり、山であり、川であり、海であり、地であり、空であり、智恵であり、母であり、剣であり、それら全てを包み込む世界である、統合するもの、あらゆる精霊の力を宿しうる器。真竜シュムシュは時に諭し慈しみ、時に怒り闘い、争い合う者達を罰し、魔から世界を守り、そこから善と悪を知り、善悪を精霊たちと民たちに教えた。精霊たちは恵みと災いを司り祈りに答えるだけではなく善悪の掟を知る者となり、神々となった。


 一部の精霊たちは、善悪を知りそれを尊ぶ事にしつつも様々な理由から精霊のままであり続けることを選んだが、いずれにせよ、諸々の民の争いは治められ、魔の大半は討たれ、世界は平和に向かったが……そうはならなかった。


 鋳鍛の民より生まれ諸民の知識を束ね都市と文明と国を興した諸神の主導者、神々全員の母たる真竜シュムシュと夫婦の如き仲だったとされる王神アトルマテラが、真竜シュムシュを弑したのだ。


((真竜シュムシュは魔に魅入られ寝返った。故に余が討った。地には真竜シュムシュが魔と交わって生まれた悪しき魔竜ラハルムが新たな脅威として生まれた。だが我々は勝利する。まだ心正しかった頃の真竜シュムシュとの間に生まれた我が子、人の身なる竜、帝龍ロガーナンを皆に授ける。帝龍ロガーナンの血統は諸王の王、帝である。皆帝龍ロガーナンに従い、秩序と統一を成し遂げよ))


 王神アトルマテラはそう宣言したという。それに従った者もいたが、統合の象徴である真竜シュムシュを失ったが故に、あるいは真竜シュムシュの堕落を見てそもそも統一統合を信じられぬとして、王神アトルマテラに従わず離脱した者達もいた。王神アトルマテラの国、〈人類国家〉は割れた。コレが、国々の始まり、歴史の始まりであった。


 その後の〈魔神大戦〉で神々が後の魔王を上回る魔を統合する魔神を倒す代償に実体を失い霊的存在となっても尚信仰する人々に加護を与え続けている様に、この一件で真竜シュムシュが死しても尚その加護と信仰を受け継いだ者達が極少数存在し、それが奥地の高原に隠棲していたルルヤ達の一族だったのだが。いずれにせよ辺境諸族の中には疑う者が多く真相は異なるのではと口伝を残し続けたように、この王神アトルマテラの言葉の真相は異なっていたとルルヤ達の里では伝わっていた。それまで夫婦同然の中で同じ志を持ち共闘していた二柱であるが、魔を滅ぼすべしと主張する王神アトルマテラと魔をも救わんとした真竜シュムシュとが対立し。王神アトルマテラを諭そうとする真竜シュムシュを、真竜シュムシュに従い続けることを拒んだ王神アトルマテラが、真竜シュムシュを臥所にて弑したとルルヤの里では言われていたのだ。


((それなのに、下界の人達を守るのですか?))

((それだからこそ、だ。そもそも我らの伝承が完全な真実だという保証もないし、それに。我等の伝承において真竜シュムシュは死ぬ日まで皆を愛していた。死ぬ時に、あるいは恨んだやもしれぬ。それが魔竜ラハルムが生まれた理由やもしれぬ。だが、〈本音〉と〈本質〉は別のものだと、私は思う))


 その歴史を知り問うたリアラに、ルルヤは毅然と憮然の混じった表情で答えた。


((憎いと思ったのが真竜シュムシュの〈本音〉だとしても、〈本音〉というのはついカッとなってその場で吐き出してしまったような反射的なものも含むものだ。本人がかくありたいと願い、一時の直情のあとに立ち返る〈本質〉的な目指すところとは違う。私にそう思わせてくれたのは、己自身の悲しみと憎しみと怒りの地獄のなかで尚私に良く在れと言ったお前だ、リアラ。未だそれをしかと把握していないのならば、きちんと把握してもらわねばならん))


 眉をひそめてつんと頬を指でつついてルルヤは言った。お前はそれをもう知っている、己の中で明文化していないだけだ、と。


 そうだったとしても、それを改めて告げてくれる事が。武の話にしても、自分が地球で悶々と悩んでいた事を形にしてくれる彼女と、((大体我等の里の伝承が完全な真実であるという保証も無し、信じ守るに値すると判断した真竜シュムシュの言葉を守る事のほうが大事だ))と彼女が謙虚に語る真竜シュムシュの教え故に、リアラは真竜シュムシュの信徒となり竜術を使えるようになった。地球での生前から宗教への馴染みが薄く、この混珠こんじゅ界の生まれでないこともありソティアのように法術や白魔術を使えなかった事を、ソティアは((きっとそれは、意味があっての事ですよ。将来貴方が、心の底から納得できる教えに会える時の為の))と励ましたが、それが成就した。


 そのように、心身共にリアラに修行をつけるルルヤであったが。


「ぷはーっ! あっはっはーのーはー! はい、お代わりもらい! アタシのお尻の値段、まだまだこんなもんじゃないぞー! 腕に覚えの奴はいないかー!」

「よおおっし次は俺だぁっ! 成功したらそっちの子にも挑んでいいダブルチャンスにゃ酒と飯両方賭けろ、だったな!?」

「アタシの竜卵虎の子、触らしゃしないよ! 報酬だけ纏めていただきっ! ♪」


 ……ひとしきりの踊りが終わった今は、お客さんに一緒に踊って触れたら触って良し、一曲終わる迄の間に触れなかったら料理か酒を一品奢り、という勝負で次々と勝ちまくり、行商達が旅人相手に輸送する食品の一部を売り食わす為ちょっとした即席屋台街となる〈旅の泉〉を、思う存分堪能していた。


 ちなみに、え、お前誰? というくらい口調が変わっているのは、初めてリアラ達の前に姿を表した時は混珠こんじゅ界において古語めいた故郷の言葉で話していたので転生者特有の言語理解能力があのように翻訳し認識させていたもので、実は下界の標準語を話すのはルルヤはややたどたどしく、それでこんな雑な口調になってしまうらしい。だがそれと同じくらい、日数経過がリアラから引っ込み思案や内罰的思考や気弱さをある程度和らげたように、山間の高地で精進潔斎し信仰生活していた潔癖に思い詰めたルルヤが下界の活気に触れたことで大分開放的になった事は、旅芸人生活にはプラスだった。何しろ彼女の故郷ウルカディク山は、下界とは数の数え方すら違う〔古代の真竜シュムシュ信徒達が竜に変じた時の姿が四首四尾や七首一尾等が多かったとの理由で何と八進法なのだ〕程の田舎なのだから、栄える下界の活気と輝きは新鮮だったのだろう。しかしそれでいながら僅かも堕落していないのは、鯨飲馬食というか竜飲竜食、酒樽を一口で干し家畜を一呑みにする大型魔竜ラハルムを思わせる勢いで飲食しながら、美しく滑らかで引き締まった細さを保ち続ける彼女の腰つきウエストが証明していた。


(あの摂取カロリーを平然と消費する鍛練を、仕事以外にも毎日してるんだもんなあ。どんなに早起きしても先に起きてるし)


 さらっとルルヤにお触りを賭けられているリアラであるが、平然と踊りが終わった後炊事と給仕を手伝っていた、ビキニアーマーの上にエプロンつけた姿で。まだ成長途中のリアラでは万が一さわられる可能性があるじゃないかとアンコールは自分一人で受け、竜卵という発言が真意であることを示すようにルルヤは自分の段階でもう、絶対にさわらせず、リアラへのタッチをシャットアウトするのだ。一度ルルヤをすっ飛ばしてリアラに手を出そうとした不埒者をうっかり脱臼させてしまい、リアラが手当てをする事になったほど。


(『色欲アスモデウス』と戦ったときも、僕がピンチになった時物凄い剣幕だったもんな、ルルヤさん……まあ僕もルルヤさんの貞操の危機ってなったらキレるだろうけど)


 大事にされているのは、嬉しく心暖まる事。故にリアラは安心して、アンコールの代価で酒代と食費を節約するルルヤと同じく料理人兼ウェイトレスとして追加で生計に貢献している。


 実際リアラは料理が上手い。だがそれは基礎こそリアラ自身転生前から素で家庭的だった故だが、地球の料理の力ではない。そもそも食材も違えば民の嗜好も違うし、混珠こんじゅの文化は地球のそれに勝るとも劣らぬ程成熟している。リアラの感じた所ではいかにも地球で夢見て愛好した中世風ファンタジーのようではあるが、そこに古代ローマとペルシア、中世東欧を混ぜたような独自性があり、加えて生活の隅々に魔法が用いられ、現代と遜色のない快適さだ。その道の文化を知る面白味にも魔法の有難味にも気づかずただ中世ファンタジーと切って捨てる玩想郷チートピアの蒙昧を、リアラは嫌う。豊かな毛で真ん丸の輪郭になった丸羊と違いコーギー犬のように胴長でアルパカのように首の長い食肉家畜種の長羊、家畜を扱うことに長けた牧騎の民の歴史故に丸羊や乳畜より幾らか後に産み出された品種の肉と干果実を白魔術の圧力と泡穀酒の炭酸で柔らかくして煮込み、保存法術によって冷蔵より新鮮な鮮度を保ち運ばれてきた魚を刻みハーブと魚醤と酢で和えながら、リアラはソティアとハウラを想った。


 貴族出身として民の生活を知恵で安んじることを重んじたソティアは、ハウラから狩山亜人ワイルドドワーフの知識を聞いたことを皮切りに、彼女の案内で他にも様々な種族や辺境から学び、山菜やハーブとして活用可能な植物や有毒とされていた種実の無毒可食化法等を会得、冒険先で広めて回っていた。その知識は今リアラに受け継がれ、野で収集した様々な香草等がこうした〈旅の泉〉での稼業を支え、師たる旅の友に報いたいというリアラの思いに答え道中でルルヤを楽しませている。本当に、感謝してもしきれない。立派な人たちだったのに、と、彼女達の旅を無駄にせぬよう、これからの旅の間にもこの知識を守り磨き続け広よう、という思いをリアラは噛み締めた。


 ソティア、ハウラと一緒にいた時は冒険者として活動していたのに現状においてこのような暮らしをしているのには、幾つかの理由がある。


 一つは、冒険者として登録を行っているのはリアラであり、ルルヤは登録していないという事。だがこれは些細な事だ。


 二つ目は、真竜シュムシュの信徒としてルルヤが冒険者として振るうには己の力はあまりに大きすぎると感じた為である。


 竜術【真竜シュムシュの息吹】は個々の術者毎に気質と才能から属性が決まる。神話時代の真竜シュムシュ自身やその信徒となる事で世界平定の戦に力を振るった者達、隠れ里に一族が籠ってからの歴代祭司の中で特に適性のあった者、それぞれが様々な属性を過去に発現させてきた。火、風、雷、水等が一般的でその中で水は宙海を象徴する故尊ばれるが、ルルヤの力は月、泡界の中を巡り世の巡りを司り、昼に日の光を引き寄せ夜は自ら光る重力の吹き溜まりたる存在、極めて希な属性。そんなこの世界の月と重力の在り方故に、ルルヤの【息吹】は単純に重さを齎すのではなく、重力の向きを変え斥力としたり慣性に干渉したりと、地球の重力の常識からはみ出した科学考証で縛れない強力なものだ。例えば矮鬼ゴブリン豚鬼オークの群れが巣食う洞窟程度なら丸ごと落盤させ、巨鬼トロルの住まう渓谷を山崩れでがらがらどんと埋め、一発で殲滅出来る。当たり前だ。竜術の優れた使い手は人の姿をした古竜なのだから。そんな力を冒険者として用いれば、他の冒険者の仕事を無くす程度では済まず魔物を含めて構成されている地域の生態系にすら悪影響を与えかねず、それは真竜シュムシュの教えとしては忌むべき事だと。


 事実、リアラ達が行っていた冒険においてはソティアは矮鬼ゴブリン等の生態について調べ、((魔王の影響が介在しない時の矮鬼ゴブリンは本来猿と人の間の生態的地位を占める存在であり、矮鬼ゴブリンが災いを為す可能性が増すのはその巣になる洞窟が村に近い状態で山の環境が悪化した時。それは矮鬼ゴブリン退治が初級冒険者仕事の定番として語られながらも、実際には山賊退治や都市での小事件の解決等を考えれば、人類と矮鬼ゴブリンの人口比・繁殖力が人類側が勝ると算出出来る事からも証明されている。そうでない時に矮鬼ゴブリンを狩りすぎると、矮鬼ゴブリンが食う山森の獣が増え過ぎ其方が農産に害を為す可能性が大。狼や熊と同じ事、生息地域と環境に気を付け準備をすれば災害は避けられる))という研究を纏め、繊細に事に当たっていた程だ。流石にここまで考える冒険者が全てではないが、冒険者の集いの場で情報を積極的に発表し、広く業界全体の改善を行っていたソティアの仲間として、リアラもルルヤのその考えには同意をした。尤も一つ目の理由はリアラが一人で依頼を受けてこなす事もルルヤを登録することも出来るし、


 二つ目に関しても加減は可能だ。 実際冒険者が予想外の強敵出現で敗北し逆に要救助者となったとを聞き、依頼ではなく自主的にだがルルヤが助けた事もある。


 三つ目で最大の理由は、玩想郷チートピアと戦う為だ。敵とのこれまでの接触により彼らが都市や軍や商会、国までも所有する者達もいることと、組織内において張り合い競いあいバラバラである事を二人は知った。国家規模の敵に昼も夜も眠る暇もなく攻められては面倒極まりない為敵が内輪争いを止めない内に出来る限り削り取る必要があり、その為に正体を隠して移動し暴虐の転生者あれば此を討つという旅を行うとし、それにおいて変装と生計の一挙両立として考えたのがこの家業。木を隠すには森の中、色気を隠すには色気の中。ビキニアーマーの女戦士は目立つが、セクシーな格好をした踊り子は割りと普通の存在だ。他にも神秘性を纏う為そういう格好をした者もいる占い師や魔術医等、会得した白魔術や竜術で出来る事も色々としながら、いわゆる道々の者として生きる事で、敵の目を掻い潜る事を選択したのである。それはまた現在の目的においても必要な事であった。今、二人はある場所を目指して旅をしていた。それは、リアラが目指していた場所。〈開発〉されてしまったハウラの故郷。改めて風聞を調べてみるに、その〈開発〉は玩想郷チートピアの仕業と見てとれたからだ。


「たっだいまー! ふぁー、お腹一杯。リアラはご飯食べた?」

「はい、作る合間合間に」


 そんな二人の新しい日常家業を終えて、ようやくアンコールを止めたルルヤが此方もラストオーダーを済ませたリアラの所へやって来た。酔っているように見えて結局ルルヤは誰にも指一本触れさせなかったのは【真竜シュムシュの武練】の腕前故でもあるが、同時に竜術の力でもあった。竜術使いが常時発動させている術は【真竜シュムシュの鱗棘】以外にも幾つかあり、世界と呼応する【真竜シュムシュの角鬣】は知覚を拡大し油断なく奇襲〔今の場合は死角からのおさわりだが〕を完全看破し、竜の頭脳たる【真竜シュムシュの宝珠】は様々な効果の一つとして反射速度を増強し、生命力の具現たる【真竜シュムシュの血潮】が血液自体に回復霊薬の効能を持たせる為、何時でも即座に全力発揮が可能なのだ。ちなみに日頃身に着けているビキニアーマーの鉢金の角や尖った肩鎧や玉型の飾りは、真竜シュムシュの体の部分を象徴的に象る事で、術を維持行使する際の負担を低減する効果があるが、あくまで低減であり装着せずとも術を行使可能なのが隠秘術との違いだった。


 そうして二人は立て置いた混珠こんじゅ式の天幕に入り、井戸水やビキニアーマーの裏地以外の僅かな旅道具以外の結構な部分を占める身だしなみの品で汗を流し歯を磨いた。水浴びは、ビキニアーマーを外すという点で竜術使いにとっては幾らかの防御の低下を伴うと言えば言えたが、ビキニアーマーを外して尚守られている面積のほうが守られていない面積より多い上に【真竜シュムシュの角鬣】で奇襲を防げる故に、危険は少なく。


(女の子の体に慣れてて良かった)


 それ故に共に水浴びする事を好むルルヤに対し元男のリアラであるが、女に転生しソティアとハウラとで女だけで旅する事二年、自分の体もそうでない体も、女の裸を見る事に慣れ自然に女として生きられるようになったことに内心感謝していた。


 なぜならばルルヤは水浴びの後。「さ、寝ようか」と言うや、リアラを押し倒すからだ。これは毎晩の事であり、リアラも「うん」と二つ返事で従う。彼女は決まって眠る時、リアラを覆い被さるように抱き締めて眠るのだ。彼女曰く、((魔竜ラハルムが体の下に財宝を敷いて寝るのは真竜シュムシュの習性が伝わったもの。竜にとってこの世の物は皆己の体の鱗に比べれば脆いから、眠る時は大事なものを自分の体で守れるようにしないと心配で安眠できないのだ))とのことで。ちなみに特に手元に大事なものが無い場合はどうするのだとリアラが聞いた時、ルルヤはとぐろを巻いて寝ると答え、((人の身でとぐろ、って、どうやるんですか))と知的好奇心をそそられ、やってみせてもらったが((とぐろを巻いている、っていうよりは、猫が丸まってるみたいですね))というのがリアラの感想であった。


(あれはあれで、かわいかったけど)


 そう回想しながらリアラは、でもやっぱり今の寝方がいいやと思った。滑らかな頬、繊細な睫、目を瞑ったルルヤの顔がすぐ近くにある。それをリアラは見つめた。


 それを、純粋に愛おしく美しいと思えることが嬉しかった。男の身のままで転生していればやれ恋愛だ、やれ興奮だと、こんなにも穏やかに、純粋にこの人に接する事は出来なかっただろう……ちなみに、男のままだった場合でも竜術は行使可能で、その場合【真竜シュムシュの鱗棘】の防御が及ばぬ部位は股間に限定される為竜革の褌か腰部防具のみ最低限あれば良いらしいが。


 元々生前から同年代の男子と違い、がつがつ争うように女を惹き付けようと競いあう事が浅ましく思えて、男と女で性別が違うならそこにある関係は必ず恋愛だという風潮を強制的と感じて、容姿や人気や下半身や本能に基づく欲望が序列を作るのがどうにも疎ましかった。今の自分がかつて男性であった記憶を持つ純粋な女性で男性を好きになる事もあるのか、あるいは一種の性同一性障害や同性愛者のような状態でこのルルヤに対する感情は穏やかな恋慕なのか、恋愛をしたことはないリアラにはハッキリとは分からなかったが……自分の内心はそもそも彼女が期待する程美しくないのだから、せめて関係だけは美しく、純粋なままで居たいと祈った。


 そんな風に心穏やかに、リアラがルルヤを見つめていた時。


「……気づいているか?」


 不意に、ルルヤが目を見開き言った。二人で話す時、戦の時、活気在る踊り子ではなく、彼女は古風で戦士的な本来の口調に戻る。その言葉に、リアラは頷いた。


「はい。様子を伺ってる気配が一つ。鎧無し。手に短剣状武器。襲撃気配有り」


 それは【真竜シュムシュの角鬣】による探知。増強された五感霊感が宿営を襲おうとする者を捉えた。


「うん、良くできた。踊ってる最中から此方の様子を伺っていたが、皆火を消し始めたから仕掛ける気になったか。逆に言えば、冒険者が商人の護衛をしている事を知っていても仕掛ける気になる程の腕前か。私達の歌を聞いてくれた者達に、怪我はさせられんな」


 ルルヤの言葉にリアラは内心舌を巻いた。リアラがそれを察知したのは寝転がってからだ。ルルヤはそれよりはるか前から、徐々に接近してきたより遠くに居た相手を、激しく踊りながら感知し続けていたのか。


(まだまだ、全然追い付けないや)「行くぞ」「はいっ」


 驚嘆しながら、静かに身を起こすルルヤにリアラは従って。



「はぁああああっ!」「ぐわあぁっ!?」


 暫時後、ルルヤの鋭い気合と同時に、野太い男の苦悶が夜の原野に響いた。宿営を襲おうとして居たのは、腰布と革帯、僅かな獣の爪牙の飾りを帯びた、ルルヤに負けず劣らずの露出度をした筋骨隆々の大男であったが、その手の得物がリアラの探知通り片手に握った短い刃一つであると見て取るや、ルルヤは徒手で戦を挑んだ。自らの身体能力を【真竜シュムシュの膂力】で増強しているルルヤであるが、男の屈強な肉体も同じように精霊術で強化されていた。しかしルルヤの一撃は恐ろしく的確で、霊力を帯びた短刃を突き出そうとした男の拳を全く恐れずルルヤは斜めから己の掌底を激突させ、筋力差を折り易い骨を狙う技量で覆し一打で男の薬指と小指をへし折って刃を取り落とさせると、体を旋回させながら男の爪先足指を踵で踏み潰し、同時に折った指を取って相手の体を崩しリアラの方へとその身を投げ出させた。


「やあーっ!」


 ルルヤがそのまま戦えば後一打で昏倒させただろうが、それは丁度母獣が子獣に狩りを教えるのと同じ稽古だった。ルルヤから教えられた【真竜シュムシュの武練】の秘訣、徒手を含む武器、翼を含む乗騎、鱗を含む防具の三つに、落下する・振り下ろす力である天、踏込の力・大地からの反発である地、旋回による遠心力と位置関係の掌握である界、体の構造を把握した相手の動きの予測と効率的なダメージの与え方・自らの体の動かし方である身、相手の精神を呑み己の精神を制御する心の五つを加えた八つの力を使いこなす事を要とする教えにリアラは従い、【真竜シュムシュの骨格】で形成した中空軽量化鉄杖を跳躍と踏み込みで体重を乗せて振り抜いた。


 よろめきながらも腕で防ごうとした男は支えきれず打たれ地面に倒れ、同時にリアラはこれ以上の抵抗は無駄だと知らせる為に、【竜の息吹】を放った。【息吹】は本来竜ならば文字通り口から吐くが、竜術使いは狙い易さから手で口を象り放つ。ルルヤが指を牙の如くして掌から放つのに対し、リアラは人差し指と中指で口吻を象りそこから放つ。それはリアラの【息吹】の属性がルルヤの【月】と並び希少な、光を司る【陽】の属性を持つ言わばレーザーブレスであるが故と、元地球人のリアラには感覚的に拳銃めいたこの手つきが狙いやすい事が理由であったが。


「っ!! ひいっ、ひいいいっ!?」「えっ!?」


 閃光と、その構えが、思わぬ劇的な効果を齎した。倒れた身の回りに威嚇攻撃を受けた男は、豪胆そうな顔をくしゃくしゃに歪め、冒険者が護衛する宿営から略奪を行おうという無謀をルルヤなくば成せたやもしれぬ逞しい体を震わせて怯えたのだ。


「これ、は……」


 驚くリアラ。同時にルルヤは見た。男が取り落とした武器は短剣では無く穂先の根本を魔法でも唯の武器でもない何かに穿たれ折れた槍の穂先。男の四肢にも幾つか穿たれた傷痕があった。それを成す悍ましい異界の武器をルルヤは知っていた。隠れ里故に戦闘用の竜術も会得せず平和に暮らしていた一族を、真竜シュムシュの宗家として鍛練はしていても未だ竜術に未習熟だったルルヤの前で笑いながら指先を動かすだけで穿ち、砕き、爆ぜさせていったものを。


「銃か!」「うぉっ!?」


 男は驚愕した。己を迎え撃った踊子風の女が己を片手で引きずり起こしたからだけではない。


「狩闘の民、虎羆の一族が裔よ、汝が武勇の誇りを砕き、夜盗に貶めたは銃か!」


 故郷の神官の如き古語による叱咤下問。その爛とした瞳。初めは踊子と見誤ったが、その額飾は逆立った角ではないか。その肩鎧は怒る翼ではないか。これは、伝承に語られたる……


「銃とは異界の卑劣なる武具。それにより混珠こんじゅが貶められ嬲られる事は我等が許さぬ。お前達が我等シュムシュの元から巣立とうとも、我等の愛は変わらぬ故に、真竜シュムシュの名の下にかつて統べられたる狩闘の民に問う。銃を振り回す者共は何処に居る!」


 男は恐懼し、平伏した。再び真竜シュムシュの戦いが始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る