3.草壁健司(くさかべ けんじ)の証言

 ずっと、櫻宮さくらみや先生のことが好きでした。

 ええ、そうです。入学してからずっとです。

 僕が美術部に入部したのは、絵を描くのが好きだからというのが一番の理由で、二番目が、櫻宮先生が顧問をしていたからでした。

 先生は綺麗で、清楚で、凛とした大人の女の人って感じがして、僕の憧れでした。

 そうです、憧れの人です。

 言ってみれば、アニオタが二次元ヒロインに恋するように、アイドルオタがアイドルにのめり込むように、僕は櫻宮先生に憧れていました。

 先生の一挙手一投足に心が躍り、先生がひと声発するごとに一喜一憂しました。

 櫻宮先生に夢中でした。

 僕は想像の中で、何度櫻宮先生を辱めたか分かりません。

 先生も男ならわかるでしょう?

 想像の中の櫻宮先生は真っ赤なルージュを引いた唇で、僕の唇を塞ぐのです。

 先生の肌は、白くて、温かで、なまめかしくて

 均整のとれた肢体は、理想的で美しくて

 形の良い柔らかな乳房や、ピンクに色づいた乳首や、薄っすらと生えた恥毛を想像して、僕は果てるのです。

 ですから

 あの日、人払いをした放課後の美術室にこっそりと呼び出されたときには、どきどきが止まりませんでした。

 櫻宮先生が僕に異性として興味を持っているとか、そんなこと有り得ないと思いつつ、しかし、一方で否定しきれない自分がいました。

 ええ、僕は何かがあるのを期待していたんです。間違いなく。

 でも

 清楚で綺麗な櫻宮先生があんなことをするなんて――

 先生、助けて下さい。

 このままだと、僕はダメになってしまう。溺れて死んでしまう。

 あの日、美術室で何があったのか、全部お話しします。

 だから

 先生、僕を助けて下さい。




 あの日、部活は休みでした。

 前の日部活が終わるとき、僕ら美術部員は顧問の櫻宮先生に、明日はコンクールの作品を描くために先生が美術室を専有したいから、部活動は休みにする。作品に集中するので、誰も来ないように、と言われたのでした。

 それから画材道具の片付けをして、帰り支度をしているとき、先生が僕に耳打ちしました。

 二人っきりで話したいから、明日の放課後、美術室まで来るようにと。


「待ってるわ」


 そう言って笑った櫻宮先生の笑顔が、気のせいかなまめかしく見えました。


 翌日、HR(ホームルーム)が終わると、僕は急いで美術室へと向かいました。

 櫻宮先生の待つ美術室へと。

 今思うと、カバンと一緒にスケッチブックを持って行ったのは間違いでした。

 ええ、そうです。いつも持ち歩いている赤い表紙のスケッチブックです。

 あれには秘密の絵が描いてありましたから。


 特別棟の三階の一番奥にある美術室までは、教室からだと普通に歩いて五分はかかります。ましてや、HR直後のこの時間は、帰宅する生徒や、部活動に行く生徒たちで廊下はちょっとしたラッシュ状態です。

 僕は、人の波をかき分けて走りました。

 途中何度か人にぶつかりそうになったり、生活指導の先生に見つからないようこそこそしたりしながら、ようやく美術室まで辿り着いたころには、HRが終わってから十分が経過していました。

 肩で息をして扉を開けると、櫻宮先生が居ました。

 先生は、入り口に背を向けて、カンバスに向かって絵筆を走らせていました。


「遅かったわね、草壁君」


 こちらに振り返ることもなく、背を向けたまま先生が言いました。

 その声が、なぜだか怖く感じられて、一生懸命走って来たけれど、先生を待たせてしまった負い目もあって、僕は――


「いえ、あの……すみません、櫻宮先生」


 乱れた呼吸のまま、先生に謝っていました。

 すると、先生はひとつ大きくため息を吐いてから、絵筆を手にしたまま僕の方へと振り向きました。

 櫻宮先生は学校では見たことがない、真っ赤なルージュをしていました。

 想像の中で僕の唇を奪う、あの真っ赤なルージュです。


「入ってそこを閉めなさい」


 それはいつもの優しい先生の声でしたが、あの大きなため息を聞いた後では、無理に取り繕われたものであると思わずにはいられませんでした。

 きっと先生は呆れてるんです。

 僕のおどおどとした態度に、呆れ果てているんです。

 でも、憧れの先生にあんな大きなため息を吐かれた後です。情けなくも僕はおどおどして挙動不審になるのを止めることが出来ませんでした。

 僕はまだ酸欠状態が続いている肺から息を絞り出して「はい」と答えると、言われた通りに扉を閉めました。


「座って」


 先生が、上辺だけの優しい声で椅子を勧めます。

 僕は勧められた椅子に腰かけました。

 カバンは横に置き、赤い表紙のスケッチブックは膝の上に乗せました。

 それに特に意味があったわけではありませんが、なんとなく櫻宮先生の視線がスケッチブックに注がれているような気がしました。


 それから先生は一旦席を立つと、「ちょっと待って」と言って絵具で汚れないように着けていたエプロンの紐をほどきながら、僕が入って来た入口の方へと歩いて行きました。

 紐をほどく先生の白くて細い指の爪には、ルージュと同じ真っ赤なマニキュアが塗られていました。


 カチリ


 先生が、扉に鍵をかけました。

 それがなぜかは、僕にはわかりませんでした。


 エプロンを外しつつ先生が元いた席へと戻ってきます。エプロンの下は動きやすい作業着ではなく、短いタイトスカートに大きく胸の開いたブラウス姿でした。

 再び席に着くと、先生はミニのタイトスカートからスラリと伸びた脚を組みました。

 綺麗な脚に目が釘付けになり、どうしても逸らすことができません。

 蒸し暑い真夏でもないのに、先生はストッキングを穿いていませんでした。


「草壁君、今日呼び出したのには理由があるの」

「……はい」

「先生、草壁君に聞きたいことがあるの」


 組んだ脚に見惚れて、一拍返事が遅れます。

 それを櫻宮先生がどうとらえたか、僕にはわかりません。


「ひと月ほど前、放課後この美術室であったことについて、と言えばわかるかしら」


 先生が持って回った言い方をして聞きました。

 その目がなぜか、たのしそうです。

 僕はそう聞かれても思い当たることがなかったので、わからないと答えました。

 すると、先生はまた聞きました。


「草壁君と城ヶ崎さんは、ひと月ほど前の放課後二人きりでこの美術室にいた。違う?」


 そこまで聞いて、僕はひと月前のあの出来事を思い出しました。

 そして、城ヶ崎さんとのことを、なんで櫻宮先生が知っているのだろうと、別に悪いこともしていないのに動揺しました。


「何があったのか、正直に話してちょうだい。悪いようにしないから」


 先生の目は、また愉しそうです。


「話して、草壁君」


 先生が上辺だけの優しい声で促します。

 でも、僕は城ヶ崎さんとのことを先生に話すのが嫌でした。

 憧れの櫻宮先生に、あの日の出来事を言うのが恥ずかしくて、僕が言い淀んでいると、先生の瞳の奥に妖しい光が宿りました。


「話しなさい」


 声音は優しいのに、その台詞には有無を言わせぬ迫力がありました。

 観念した僕は、仕方なく、あの日の出来事を話し始めました。


「あの日、三年生は修学旅行でいなくて、一年も全員休みで、部活に出て来たのは僕と城ヶ崎さんの二人だけでした」

「そう、それで?」


 先生の目は、また愉しそうでした。


「先生も部活には来られないとのことでしたので、いつものように二人で石膏像のデッサンをしていたんです。そのとき……」

「そのとき?」


 例えるなら、猫が小動物を玩具オモチャにして遊んでいるそんな目でした。


「そのとき、どうしたの?」

「そのとき……、僕……告白されたんです。城ヶ崎さんに」


 恥ずかしくてこの場から逃げ出したいのを、やっとの思いで答えます。

 僕の答えを聞くと、櫻宮先生は満足げに「そう」と言って、組んでいた脚を組み替えました。

 組み替えたとき、タイトスカートの奥の赤い下着がチラリと見えました。


「それで、どうしたの?」

「それでって……」

「それで、草壁君はどうしたの?」


 本当は、そこまでで勘弁して欲しかったのに、矢継ぎ早に聞かれて仕方なく僕は答えを続けました。


「そういうの、僕、初めてだったから、びっくりして……その……僕……」


 先生が愉しそうな猫の目で見つめます。

 僕はその目から逃れるため、本当のことを答えました。


「僕、城ヶ崎さんのこと、振ったんです」


 櫻宮先生の目は、相変わらず愉しそうでした。

 赤いルージュを引いた唇が、笑っていました。


「城ヶ崎さんは友達で、同じ美術部員として仲良くしていただけで、付き合うとかそういう気持ちはないって」


 僕は本当のことを言いました。

 但し、続けたのはそこまでで、その先の「他に好きな人がいるから」と言った台詞は飲み込みました。

 当の想い人本人を目の前にして、そんなことを言えるはずなどありませんから。


「だから、気持ちは嬉しいけど、城ヶ崎さんとは付き合えないって断って――」

「嘘おっしゃい」


 先生が、優しい声で愉しそうに言いました。


「本当のことを言いなさい」

「いや、でも、僕は本当に――」


 小動物を玩具にする猫の目で、先生が見つめます。


「草壁君。あなたは城ヶ崎さんが自分に好意を寄せているのを知って、彼女にヌードモデルになるよう強要したのよ」

「ヌードだなんて、そんな――」


 僕は身に覚えのない疑いを慌てて否定します。


「自分を好きなら出来るはずだって。自分のよこしまな欲望を満たすために、城ヶ崎さんの純粋な気持ちを利用してけがしたのよ」

「僕は、そんなことして――」

「嘘おっしゃい」


 全くの濡れ衣なのに、櫻宮先生は僕の弁明を聞いてはくれませんでした。

 僕を責める先生は、とても愉しそうでした。

 先生が脚を組み替えます。

 また、赤い下着がチラリと見えました。

 そして、先生が言いました。


「スケッチブックを見せなさい」


 僕は、膝に置いていたスケッチブックを両手で胸に抱えました。


「いやです。これだけは、絶対にいやです」


 赤い表紙のスケッチブックには、秘密の絵が描かれていました。

 僕の欲望の詰まった、秘密の絵です。

 こんな卑しい絵を他人ひとに見せるわけにいきません。

 ましてや、憧れの櫻宮先生に見せるなんてできっこありません。

 僕は、慌てて拒否しました。

 すると、先生は組んでいた脚を直し、僕の方へと身を乗り出しました。

 大きく開いたブラウスから、胸の谷間が覗きます。

 豊満な胸を包むレースのついた下着は、やっぱり赤い色をしていました。

 先生の白い手が、赤いマニキュアを塗った細い指が、スケッチブックを抱える僕の手に重なります。

 ゆっくりと先生の顔が近づいて、真っ赤なルージュの唇が僕の耳元で囁きました。


「見せなさい」


 先生は甘い匂いがして、頬に当たる吐息はくすぐったくて


「いや……です。先生にだけは絶対に……」

「いいから、見せなさい」


 それに抗うことが出来ず、スケッチブックを抱える手から力が抜けていきます。

 抵抗する力が抜けたと見るや、先生の白い手が、しっかりと胸に抱えていたはずのスケッチブックをするりと引き抜きました。

 それから櫻宮先生は、甘い残り香とくすぐったい吐息の感触を残して離れると、再び脚を組みました。

 目的の物を手に入れた先生の目が愉しそうです。

 赤いマニキュアを塗った指が、スケッチブックの表紙をめくります。


「……見ない……で」


 涙声で懇願する僕を、愉しそうに横目で眺めつつ、先生は頁をめくりました。


「お願い……です、先生……」


 先生の指が次々に頁をめくります。


「櫻宮先生……お願い……」


 そして


「先生……」


 頁をめくる手が止まりました。


「お願い……です」


 それはきっと、僕が見られたくなかった秘密の絵に違いなくて


「……見ないで」


 哀願する僕に、真っ赤なルージュを引いた唇が愉しそうに笑いました。


「これって、私?」


 その問いに、僕は答えられませんでした。

 櫻宮先生に見られたくなかった秘密の絵。それは、ビーナス像のデッサンに手を加えた淫らな絵でした。

 右手は乳房を揉み、左手は下へ伸びて女性器を弄んでいます。

 そして、指で自身を慰める女の顔と髪型は、櫻宮先生を模写したものでした。


「この顔と髪型、私よね?」


 僕は恥ずかしくて情けなくて、先生の顔が見れず俯くしことしか出来ませんでした。

 この絵を描いているとき、僕は何度も射精しました。

 先生の淫らな姿を想像して、何度も何度も自慰行為を繰り返しました。

 絵が完成してからも、何度も何度も。

 想像の中で、先生のことを何度汚けがしたかわかりません

 この絵を見れば、それは容易に想像がついてしまう。

 僕の恥ずかしい行為が、全部――

 男のくせに、ぽろぽろと涙が零れます。

 涙も鼻水みたいに、すすったら溢れなければいいのに。

 僕は鼻水をすすって、それから手の甲でごしごしと零れる涙を拭きました。

 すると、先生が言いました。


「見たい?」


 最初、それがどういう意味なのか、分かりませんでした。

 でも


「先生のこと、見たい?」


 驚いて顔を上げると、先生は笑っていました。

 愉しそうな目をして笑っていました。

 小動物を玩具にして弄ぶ猫の目です。

 僕がどう答えていいのか分からず、うろたえていると、先生はまた脚を直して僕に近づきました。


「見たいんでしょ? 草壁君」


 大きく開いたブラウスから、胸の谷間が見えました。

 先生の吐息が頬に当たります。

 甘い匂いに頭がくらくらします。

 まるで熱に浮かされたように何も考えられなくなって、無意識のうちに僕は頷いていました。


「じゃあ、草壁君も見せて」


 先生の手が、僕のベルトを外します。


「そしたら、先生も見せたげる」

「先生……」


 続いて


「ねえ、草壁君」

「先生……僕……」


 ズボンのホックを外して


「先生に触りたい?」

「僕は……」


 赤いマニキュアをした白い指が、ジッパーを下します。


「触らせてくれたら、先生も触らせたげる」

「僕は、先生のことが……」


 露わになった下着が、痛々しいほどに張り詰めていました。

 先生の甘い匂いは一種の媚薬で

 心臓はこんなにバクバクしているのに、血液は一向に脳に届かなくて

 頭がボーっとして、何も考えられなくて

 そして、先生の細くて柔らかな指が触れたとき

 ただ、それだけで、僕は果ててしまいました。


「ご、ごめん……なさい、僕……」

「謝らなくていいのよ」


 涙声の僕を、先生は猫の目で愉しそうに見て、それから


「先生が綺麗にしてあげる」

「え? あッ、イヤッ、先生……」


 抵抗する間もなく下着を下すと、真っ赤なルージュを引いた口が僕の――


「ダメ、そんな……先生、汚いっ……」


 先生の口の中は温かくて

 絡みつく舌はぬめぬめして

 僕はすぐに何も考えられなくなりました。


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