第7話
宮藤はいつも通りの微笑を今日も堤に向けていた。
「懲りないね」と相変わらずの軽口を叩く宮藤に、堤はアクリル板の下にある書類通し口から三枚のA4用紙を差し出した。
「なにこれ」
「それに俺の情報が書いてある。今の関係じゃフェアじゃないと思ってな。俺のことも知ってくれ」
「へえ、わざわざ作ってきてくれたんだ。感心だね」
宮藤は到底感心したようには思えない調子で書類を手に取り、
「でも、いらないや」
と書類を綺麗な4等分に破いていった。
「なんだよ、残業してまで書いたのに」
堤はそう言ったものの、そこまで怒りは感じなかった。そうなるような予想はしていた。
「ごめんよ。でもね、こんな紙切れなんぞで人は語れない。嘘はいくらでも書けるしね。僕が面接官なら、履歴書なんて書かせないよ。直接、面と向かって語ってもらうねぇ」
宮藤は破いた書類を丁寧にまとめ、堤の方へ滑らせてきた。
「語る言葉も嘘かもしれないぞ」
「そうかもしれないけど、僕自身が見て、聞いて、感じて、信じられればそれでいい。嘘か誠か、なんて話は個人の感じ方の問題だと思うんだよ」
「……例え嘘だとしても?」
渋い顔をしている堤に、宮藤はニコリと笑みを返す。
「ああ。暴かれなければ真実なんだよ、堤記者。君もよくわかっているはずだ、報道の世界にいるならばね」
確かにそうだ、と堤は思う。情報における完全犯罪は日常茶飯事に行われている。真実を嘘に、嘘を真実に。そのラリーが行われる理由は損得や体裁の為が多いが、現状、そんな社会の中でも人々は特に問題なく生活できている。
堤は小さくため息をついた。
「じゃあ、君に信じてもらうために俺はどうしたらいいのかな」
「いくつか質問よろしいかな」
宮藤はまるで大企業の重役かのごとく、組んだ手の甲に顎を乗せ、堤を見据えた。
「……どうぞ」
「君、妹は好き?」
何故、その質問が今出てくるのか。
堤が真意を量りかねて答えないでいると、
「はい、ブブー。もし就活生なら真っ先に落とされるよ堤君」
と、宮藤はおどけた。
「…好きだよ」
「ふむ、では、ご両親は好き?」
またも堤は言い淀む。
「どうしたの、言いづらいかな、やっぱり」
「まあ、言いづらいかな」
「その言いづらい理由も是非聞きたいんだがね。もしかして、僕以外の人に聞かれることを気にしてる?」
宮藤はちらりと天井の隅にある半球型のカメラを見た。
「大丈夫だよ。ここの人間は他人に無関心な奴ばかりだから。どうせ、今日の当番も船を漕いでるよ。でも、僕はとても君に興味がある。生まれ、育ち、人間関係、心情、行動、妹さん、ご両親のこと。嘘でもいいから君の言葉で聞かせてよ」
「別に俺自身の話を誰に聞かれようが構わないが……」
堤は眉をひそめると宮藤は眉を上げた。
「その素直さ、二重丸。でも黙り込んでしまえば先はないよ。等価交換しようよ」。
「それじゃあ約束してくれ。俺の話をしたら少しでもいい、お前の話もしてくれ」
「ああ、こちらも、君の努力が無駄にならないように、君の話に価値を感じる努力するよ」
不敵に笑う宮藤のその曖昧な言葉に、堤は約束に応えるだけの強さを感じた。
「さあ、教えてくれよ。君の事を」
堤はもう一つ、軽くため息をつく。そして、ゆっくりと息を肺に入れた。
「俺たち兄妹は、捨て子だったんだ」
両親が、どんな顔なのかは今も知らない。好こうにも嫌おうにも、思い出がないのだから判断が付かない。まあ、生まれて間もない俺を捨てた両親を恨むという選択肢もあったかもしれない。けれど、まったく知らない人間へ感情を抱くことは俺にはできなかったし、そう感じないほど、周りの人達に恵まれていたんだ。
俺が入れられていた赤ちゃんポストがある児童養護施設は『天心園』と言う。そこまで大きくなくて、あまり経済的に余裕があるとは良い難かった。
でも園長をはじめ、職員は皆優しく真っすぐな人たちばかりだった。園にいた他の子どもたちとも仲良く、大きな問題を起こすことなく年を重ねることができた。小学校に上がると、親がいないことをとやかく言ってくる同級生なんかもでてきたが、十分満たされた生活を送れていた俺には、特に気にするようなことではなかった。特に夢もなく、悩みもなく、ぼんやりと幸せを噛みしめて生きていければと、幼心に思っていた。
そんな俺の世界に、急に妹が現れた。
綺麗な雪の降る寒い冬の日。園長は赤ちゃんポストの中に凍えた声で泣いている妹を見つけたとき、既体験感を得たらしい。ただ、俺の時と違ったのは、妹がくるまれていた毛布に「ごめんなさい」と一言、メモが挟まっていたことだった。
DNA鑑定の結果、俺の妹と分かったが、出生記録はどこにも見つからず、以前両親は分からないままだった。いや、本当はわかっていたのかもしれない。俺たちにはそう伝えていただけで、園長は親の連絡先くらい掴んでいたのかもしれない。でも、捨てるくらいよほどの理由があったのだから、いずれにしても一緒に暮らすことは叶わなかっただろう。まあ、つまらない理由かもしれんがね。
俺は妹の登場に戸惑いを覚えた。初めての血縁者という存在が目の前にいて、どう接したらいいのか分からなかったんだ。
園長の勧めで、俺が妹の名付け親になることになった。単純に、雪の日に見つけられたことと、幸せになれるように願いを込めて、『幸子(ゆきこ)』と名付けた。
幸子が初めて話した意味を持つ言葉は、「にー」だった。それがどうやら俺を指した言葉だということに気付いた時はとてつもない感動を覚えた。友人に、園長に、学校の先生に、誰に名前を呼ばれるよりも、一番呼んでほしいのは妹だった。
いつしか戸惑いも消えて、この子と園のみんなと健やかに生きていければ、と願った。
でも、現実はうまくいかないもんだよな。
俺が大学2年、幸子が10歳の時だった。
学校から泣いて帰ってきたあの子が言ったんだ。
「なんで私たちにはお父さんとお母さんがいないの」って。
ああ、これが兄妹の違いなんだと思った。
「お前には親がいない」
俺がなにも感じなかったその言葉に、あの子は、泣いたんだ。衝撃だった。てっきり、あの子も気にしていないんだと思っていたから。
それから、幸子が泣いて帰ってくることが多くなった。どれだけ担任の先生が言ってもいじめは消えなかった。『親のいない子』の次は『貧乏人』。それに飽きたら『家が児童養護施設』。しょうがないよな、他の子どもから見たら、俺たち兄妹は格好のおもちゃになる要素を沢山持ち合わせていたんだから。
苦しかったよ。親がいないのはどうしようもなかったし、幸子の劣等感に気付けなかった。
そして、俺は妹の為に努力をすることをした。一目置かれるように、妹に劣等感を味合わせないように、生活を変えようと思ったんだ。
授業さぼって馬鹿みたいに飲んで騒いでいる同級生を横目に、必死こいて勉強してさ。給料が良い出版社に内定貰って、園から出ることにした。園長に無理言って金貸してもらって、幸子をいじめたやつと別の中学になるように隣の区のちっさいアパートに部屋を借りた。
このネクタイはその時期に妹から貰った。就職祝いじゃなくて、誕生日のプレゼントだったけどな。
それから、妹が大学に入学して家を出るまで、二人で暮らした。お前も妹がいたからわかるだろう。思春期で反抗期の妹がどれだけ面倒くさいか。暴言は吐くし、物は壊すし。いじめられていたのが嘘のように幸子は変わったよ。流石に今は落ち着いてるけれど。
まあ、それなりに上手くやってこれたとは思う。嫌味に聞こえるかもしれんが、妹を大学に入れられるだけ稼ぎはあるし、今の仕事に満足している。妹も大学で楽しくやっているようだ。
以前お前は「君は何者だ」と言ったな。今こうして振り返ってみると、『それなりに幸せ者』と言えるんじゃないだろうか。
これで、満足か?
ぱち、ぱち、ぱち。
ゆっくりとしたテンポで宮藤が手を叩いた。
「うん、素晴らしい。いい話を聞かせてもらったよ。泣きそうだ」
宮藤は目をしばたたせたが、目には変わらず光は宿っていなかった。
「それはどうも」
「君、案外自分語りが好きでしょ」
「否定はしないね。で、どうだ、俺の話に同情して少しは話す気になったか」
くくく、とくぐもった笑いをして、宮藤は腕を組んだ。
「もう少しだけ質問いいかな。なんで記者になったの?」
まだ堤の話が聞き足りないようで、宮藤は上目使いに顎を引いた。
「興味があった、というのが一番かな。人生は一度きりなんだから、面白い仕事に就きたいと思ったんだよ。浅いと言われるかもしれないが」
「ふうん。やっぱり、いいネタは金になるのかい?」
「ああ、危険そうでやっかいなネタほど金になる。雑誌の売り上げもよくなるのさ、お前のような輩の話は特に」
「へえ、それは恐縮だなあ。でも、危険なネタってことは、君もそれなりに危ないことになったりするんじゃない?」
相変わらず、宮藤の顔つきは強縮からは程遠い。
「まあな。記事を書くことで誰かを陥れてしまうこともある。それこそ、死に追いやってしまう程にな。報復されることもあるだろう」
「理不尽だねえ。君は欲しがる人に与えているだけなのに。悪いのは情報を知りたがっている人たちじゃないの」
「確かに、需要がなければ供給は成り立たない。おまけに、記事の読者は情報を知ることに責任を持たない。全部俺たち記者の責任だ。だからこそ、ビジネスとして成り立っているんだろう」
「そうだろうね。責任放棄は金になるからね」
今度は、宮藤の目に軽蔑の色がはっきりと見て取れた。こいつにも、思うところがあったのだろうかと堤は少し驚いた。
「でも、君の話を聞いていると、記者も悪くないと思うね。ここから出られたら、君の下で働こうかな」
「死刑判決が濃厚なのに?」
「わからないよ。模範死刑囚になれば出られるかもしれないじゃないか」
宮藤の冗談とも本気とも取れない口調に、堤は思わず笑った。宮藤も笑い出した。しばらく二人の低い笑い声が、部屋の中に小さく反響した。
「妹、殺したいでしょ」
唐突だった。
宮藤が口にしたその冷たい言葉は、一瞬で堤を取り巻く。
体の芯が冷えていく感覚を覚えながら、堤は真顔になるように努めた。
「……なにを言っている」
「殺したいほど憎いだろ、妹のこと」
「なにを言っている」
冷えていく感覚とは裏腹に、冷静さが消えていく。頭が熱くなってくる。
「妹を足かせとは思ったことはないか? 妹がいなければもっと楽に人生を過ごせたとは思わないか? 誰しもが思うことさ、あいつさえ居なければもっと自分は輝けたとね」
「そんなことは、思っていない」
堤は、自分の中を抑える力より、出て行ってしまう力の方が大きくなっていくのを感じた。
「本当に一度も思ったことはないか? 妹のために仕事しなければならない、大金を稼がなければいけない、だから危険な仕事をしなければいけない。もったいないよ、堤記者。君はもっといろんな可能性があったはずだ」
そんなことをお前に言われる筋合いはない。だんだんと、体の内が煮えたぎる・
堤は腕を組んで椅子の背もたれに体を預けた。
「ああ、俺は妹のために金を稼いでいる。でもな、それが俺の選択なんだよ。あいつには人並みに幸せになってほしいんだよ。ただ一人の肉親の俺が妹のために働いてなにが悪い」
ばんっ、と宮藤はアクリル板に張り付いた。大きく見開いた目が堤を射抜いている。
「そうやって自己犠牲に酔っているだけだろう! 前に僕が煙草の話をしたとき、君は言ったね? ただの正当化にしか聞こえないと! そっくり言い返すよ! 君は妹のためだと言って、人を死に追いやるような情報を扱う罪悪を討ち消している! 恨みを買うことの多いだろうこの仕事を妹のためだと正当化しようとしている! 違うか?」
宮藤の語気が強くなっていく。満面の笑みになっていく。
「違う! 妹は関係ない!」
堤は椅子を倒しながら立ち上がった。これだけ怒鳴りあっているのに、看守は誰も来ない。きちんと仕事をしているのだろう。
「認めてしまえよ、自分の本心を! 妹が邪魔なんだと! そのネクタイは君の首を締めあげているんだよ!」
堤は握り拳を宮藤に向かって叩きつけた。薄いはずのアクリル板は少しもひび割れなかった。痛いのは、自分の手だけだった。
「黙れ、俺はお前とは違う! お前のように自分の家族を殺しはしない!」
一瞬、静寂が面会室を包んだ。
堤は自分が息を止めていたことに気付いた。荒い呼吸が後に続いた。宮藤は、目の前に拳が現れたというのに、にやけ顔は変わらなかった。
「合格だよ。そうだね、君は妹を殺しはしないだろう。少し口が過ぎたよ。ごめんね」
呆気にとられた堤は、宮藤がゆっくりと椅子に座るのをぼんやりと見ていた。
「君は他の記者連中とは一味違うね。変に媚びへつらったり、誤魔化したりしない。感情を真っすぐぶつけてくれた。合格だ」
「……試したのか」
遠くに転がった椅子を取りに行く気は起きず、そのままぺたりと床に座り込む。宮藤の首から上しか見えなくなる。
「それにしても、君の妹への愛は相当だね。重度のシスコンだ」
そう言って宮藤はけらけらと笑った。
「……お前は愛してなかったのか?」
堤は自分の声がか細いことに情けなくなった。
「ああ、愛していたよ、両親も妹も」
「じゃあ、何故あんな残酷な殺し方ができる。動機は……なんなんだ」
幾分冷静さを取り戻した堤は、立ち上がって宮藤を睨む。
「……今日は疲れた。また次にしてくれないか。次、全部話すよ」
宮藤は俺から天井へ目線をずらし、深く息を吐いた。
「ああ、俺も疲れた。その言葉、信じるぞ」
踵を返し、ドアを開ける。廊下の空気は少しだけ軽い。堤は息を吸い込み歩き出した。
ふと、堤の頬に涙が伝った。水滴を拭った掌をしげしげと眺める。
堤はネクタイを、ギュッと閉め直した。
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