第5話
ビル全体はシンと静まっていたが、『月刊真実』の入っているフロアのみ、煌々と外へ光を放っている。
吉松と後藤はパソコンのブルーライトを目に取り込みながら、淡々とキーを叩いていた。
しばらくして、後藤が「んん!」っと伸びをした後、宙をぽかんと眺めはじめた。
「ねえ吉松」
「なんや」
「……人を好きになるってどういうことなのかな」
「急になんやねん」
後藤は手を休めることなく言葉を返す。
「いやあ、ちょっと気になって」
「……好きが生まれると、嫌いも同時に生まれゆく」
「へ?」
「前に取材した姉ちゃんが言っとったんや。好きな人ができたら、その人を認めん奴を嫌いになるっちゅうことらしい」
「はあ、深いねえ」
「せやろ。なんやえらい悟った姉ちゃんやったな」
後藤も手を止めて一伸びし、言葉を続ける。
「そりゃな、人間すべてを好くことはできひんからな。バランスが大切なんやと」
吉松は椅子に乗りながら床を蹴り、クルクルと回転している。
「そうだよねー。好きになるって、リスクがあるもんねー。その取材って記事になったの?」
「いや、おもんないって、堤さんにボツ食らった」
「そりゃ、ご愁傷様だね」
「ホンマにな! こっちの苦労も知らんと勝手なこと言いよって!」
「まあまあ。堤さんの目は確かでしょ」
「……なあ後藤。好きな人ができたやろ」
吉松の唐突な問に、後藤は勢い良く立ち上る。椅子が衝撃でくるりと回った。
「いや!なんで?」
「バレバレや。集中力ないし、変なこと聞いてくるし」
ニヤリとした顔を向ける後藤に対して、吉松は露骨にアタフタとし始めた。
「だったらなんなのさ! 悪いかよ!」
「ちっとは落ち着けや、童貞」
「ち、違うわ!」
「で、誰やねん、好きな人」
下を向き、「ええと……」と後藤は口先を尖らせる。
「なんや、言われへんのか」
「なんで君に言わなくちゃならないんだよ!」
「取材や。記事にしたるから。五十ページ」
「余計なお世話だよ!」
「うるさいわね! いい大人がギャーギャーと!」
と、狭間が部屋の中へ入ってきた。目の下にはうっすらとクマが出来ている。
「あれ、狭間、お前どこおったんや?」
「集中部屋よ! あんた達みたいなガキに邪魔されないように!」
廊下を挟んで、三人が今いるオフィスの向かいに『集中部屋』と言われる小さな個室がある。狭間はそこで原稿を書いていたようだった。
「そらお疲れさん。で、終わったんか」
「できたわよ! 『新進気鋭映画評論家』の記事! もう堤さんに文句言わせないわ!」
「そりゃ良かった。そんな狭間ちゃんにいいネタあるんやけど」
「ん、なあに?」
「おい吉松!」
遮ろうとする後藤を尻目に、吉松は基よりさらにいやらしい顔をした。
「後藤君に好きな人ができましたぁ!」
「ええ、うっそー! あんた、恋はしない主義じゃなかったの」
「どうせ、格好つけてそう言っていただけやろ。彼女できたことないからって」
「まあまあ、何はともあれ、好きな人ができるって素敵なことじゃない。で、アプローチしたの?」
「……まあ」
後藤は椅子に座り、深くため息をついた。
「こいつ、どんな奴を好きになったか言わへんねん」
吉松は渋い顔で腕を組んだ。
「なによ、私たちに隠し事は無しよ」
「せや、なんか悩んどるんなら、言ってみいや」
しばらくの逡巡の末、後藤は口を開いた。
「近所の飲み屋の、店員さんなんだけどさ、実はもう一回デートに行ったんだ」
狭間と吉松はぎょっと目を見開いた。
「もう行ったの!」
「事後報告やんけ!」
「まあ、デートに言ったまでは良かったんだけど……」
「だけど?」と後藤に向けて二人は首を傾げた。
「『あなたはスピチュアルなパワーを信じますか?』って……。なんだか勧誘されちゃって」
「あー、そっち系か」
「勧誘されちゃったのね」
「僕ん家、結構熱心な仏教徒でさ。他宗教に入ったらじいちゃんに凄く怒られるんだよ」
「でも、好きなんやろ?」
「そうなんだよなぁ」
そう言って、後藤は頭を抱えた。
「難しいわよね、信じる者が違う人との接し方って」
拳を顎に当て、狭間は唸る。
「そんなの簡単やん。その子を嫌いになるか、その子の宗教に入るかや」
吉松はあっけらかんと言い放つ。
「あんたねえ、他人から見たら簡単そうでも、当事者から見れば難しいことってあるじゃないのよ」
「そらそうやけど、結局その二択やろ」
「でも、僕、じいちゃんのことも裏切れないし、かといって、その子のこと、諦めきれないし……」
「それじゃ、嘘ついちゃいなさいよ。入ったふりか、入ってないふり」
「ええー。そんなの、いつかボロがでちゃうよ」
吉松はまたも口を尖らした。
「大丈夫やろ、お前が慎重にやれば。嘘って案外バレへんもんやで。俺らやって、記事の内容増す為に、ちょこちょこ嘘を――」
「嘘がなんだって?」
吉松の発言を遮る声の出所を三人は見る。
冷たい雰囲気をまとわせた堤が、ゆっくりとオフィスへ入ってきた。
「お前ら、仕事が終わってないのか」
「あ、はい! 終わりました!」
吉松が元気に答える。
「そうか。なら帰れ。明日も仕事だろう。終わったのが嘘じゃなければな」
「は、はい。じゃ、二人とも帰りましょ!」
狭間の音頭で、三人は帰り支度を始めた。
堤が自分の席に着く頃には支度が終わり、「お疲れ様でした!」と堤へ頭を下げた三人は、自宅への仕事の持ち帰りと堤のタイミングの悪さを小声で愚痴りながら帰っていった。
自席に座った堤はネクタイを外してパソコンを立ち上げた。文章制作ソフトを開き、しばらく文字を打ち込んでいたが、机の上に置いたネクタイを見て、ふと思い立った様に電話を掛け始めた。
「――はい」
呼び出し音が数回鳴った後、若い女性の声が聞こえてきた。
「幸子、元気か?」
堤の口元が少し、緩む。
「元気だよ。こんな時間にどうしたの」
「どうせ、今日も夜ふかしてんだろうなと」
「いいじゃん。明日は休みだもん」
「寝なきゃ背が伸びないぞ」
「もう伸びないよ! いつまでも子供だと思って!」
「すまんすまん。大学は楽しいか?」
「……うん、楽しいよ」
「それは良かった」
「四回生になってからも友達が増えてね、今度またパーティーするの」
「おいおい、勉強が本分だろう」
「遊べるのは今のうちだもん」
「そんなこと言って、単位落としてやけっぱちになって大学燃やすなよ!」
「しませんよ!……兄貴こそ元気? 仕事はどうなの?」
「ああ、俺も元気だ。仕事も順調。毎日が充実しているよ」
「それは良かった。でも大変じゃない?」
「兄ちゃん、三人も部下ができてな。みんな優秀で、しっかりしていて仕事が少しは楽になったんだ」
「兄貴も偉くなったんだね」
「ああ、給料も上がったし、もう少し仕送り増やしてやれそうだ」
「……うん、有難う」
「休み取れたら飯行こうな。食いたいもの考えとけよ」
「なるべく高いやつね」
「お手柔らかに頼むよ。……じゃ、兄ちゃんまだ仕事あるから。体に気を付けてな」
「うん、またね」
電話を切った堤は、またキーを叩きだした。
その口元は柔らかさが失われ、真一文字に硬く結ばれていた。
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