後編

 ヤサとキヨワは、マジョに教えられたビルの近くまで来ていた。

その高いビルは日が沈み行く中で異様な寂しさを感じさせて建っている。閑静な住宅街にたたずむビルは、建ってから年数は経ってないと思われた。そのせいか、当初感じた寂しさというのはこのビルは他と比べて抜きん出て高い為だろう。

一人だけ取り残されたように建つビルに、ヨゴレの息子はいるのだ。


「高い建物だね」

「ここいらじゃ、一番高いビルだよ。でも、セキュリティがあって中には入れない。恐らくヨゴレの息子さんは完全な家猫なんだね。これじゃあ、会いに行きたくても会えない訳だよ」


ヤサと一緒にビルを見上げていたキヨワは呟いた。


「でも、マジョが言っていた向こうが会いたくないっていうのは分からないな。これで会えないってことじゃなさそうだよ」

「うーん。会って話さないことには分からないけど、会える方法が難しいよ。配水管を伝って登るにも何階にいるのかも分からない」


いくら猫が高いところを上れるからといって、限度がある。

このビルは十五階建て、その一つ一つを探し回るにも時間がかかるだろう。

それにキヨワの言った配水管はこの建物には見当たらない。上りやすい足場もなかった。


「一旦、帰ろう。お腹すいちゃった」

「そうだね。ここにいるってことだけ分かっただけでも収穫だ」


そう言ってヤサが振り返ろうとしたとき。


「君たち、ここに入りたいのか?」


 二匹が振り返ると、そこには黄色い首輪に鈴の付いた猫だった。光沢感のある黒い毛並み、瞳の金色は宝石のように美しい。その猫の眼差しにヤサはヨゴレを見た。


「ねぇ、君はもしかしてヨゴレさんの息子さん?」

「えぇ!!」


 隣で驚くキヨワに、その猫はどうして分かったのと尋ねた。


「目がヨゴレさんと似ているんだ。だからかな」

「そんなこと、初めて言われた。母さんが僕を捜しているのは知っているし、僕自身、会えなくもない。だけどごめんね。帰ってくれないかな」

「どうして」


 ヤサの追求を、彼は逃れられないと思ったのかため息を付いた。その姿はこの話をするのをためらっているというよりも、話し疲れた様子だった。


「母さんは、僕を捨てて、君のお父さんと一緒になったんだ。これが会いたくない理由だよ。どこの世界に自分を捨てた母親に会いたいなんて思うの」


 そう言われ、ヤサは驚いて声も出せなかった。隣のキヨワも驚いて目をまん丸くしている。


「見たところ、君は僕と同い年か下みたいだから、母さんとあいつの子だってありうる」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「待たない。生まれて間もない君を世話してた母さんを見た人がいるんだ。だから、間違いないよ」


 彼は怒るでもなく、呆れるでもなく淡々と話す。

マジョが言っていたよっぽどの理由が、これだったとはヤサは思いもよらなかった。恐らくこれが、誰もヨゴレを相手にしなかった理由。子供を置いてキヨワの父と不倫をし、キヨワを産んだ母親。でもだったらなぜ、キズアトはヨゴレを自分たちに会わせたのだろう。


「ねぇ、ちょっと待って。僕のお母さんは僕を産んですぐ、亡くなったって父さんから聞いた。だから違うよ」

「それも彼の嘘ってことかもしれないだろう」

「まったく、面倒なことになってんなぁ。おい」


 そこへやってきたのは、キズアトとヨゴレだった。


「全く面倒でしょうがねぇーぜ。ヨゴレ、お前さん。なんで説明してやらなかったんだよ」

「仕方ないじゃない。そのあと、すぐに離ればなれになっちゃったんだから」


 だいぶ砕けたヨゴレの言葉に、三匹が顔を見合わせる。するとヨゴレは彼の方へ歩いて行くと、あのねと幼い子供を諭すように言った。


「キズアトはね、私のお兄ちゃんなの」

「えぇ!!!」

「そいでもってキヨワのお母さんは私のお姉ちゃんなのよ」


 ヨゴレには同じ日に生まれた姉がいて、その姉がキズアトに嫁いだ。しかし病気になった姉が、生まれたばかりのキヨワを世話できるわけがなかった。キズアトは姉の看病で手一杯だったこともあって、一時ヨゴレが世話をしていたのだ。


「でもなんで、あんな噂が立ったわけ?」

「姉と私は後ろ姿が似ていてね。それで勘違いしたんじゃないかね」


 しかもそれを知っていたのはヨゴレの亡くなった旦那さんだけ。ヨゴレもこの街のボスが義理の兄とは、息子には言えなかった。ボスの義理の息子というわけで、暴力沙汰に巻き込まれる恐れがあったからだ。


「それに、キズアトは私の姉をとても愛していてね。いくら私が姉に似ているからって靡いたりしないよ。そんな簡単に靡いたらボスなんてものに、長年、やってられないからね」


 ヨゴレはそう言って、キズアトを悪戯っぽく見詰める。するとキズアトは顔を赤くして、へっと鼻を啜った。


「だからこれを伝えたくてお前を捜していたというわけさ。あんたの旦那はちゃんとした家の一人息子だったからお前には余計、言いづらかったんだよ」


 彼が大人になったら、このことを伝えると旦那と約束していたらしい。それを果たす前に旦那は亡くなり、勘違いの末に彼は旦那の実家に引き取られていった。


「ライバル関係なのは?」

「それが原因さ。私自身もだいぶ落ちぶれたから余計に火が付いちゃってね。息子とは会わないと向こうの親御さんには約束したけど、向こうはこちらと違って高齢でね。今のうちにって思ったのさ」


 だからヨゴレはあんなにも必死になっていたのだ。


「でも、親御さんが亡くなったあとでもよかったのでは?」

「それは出来ないよ。だから向こうの親御さんにはちゃんとお詫びをして許しを得たかったんだよ」

「ここへ来たってことは、許しが出たの?」


 ヤサがそう言うとヨゴレは、首を左右に振った。


「いいや。行ったら火に油を注いでそれでぽっくり。何とも目覚めが悪いことをしてしまってね」

「あちゃー」


 キヨワは思わず目を覆った。


「最初からここにいるって分かってたの?ヨゴレさん」

「知らないよ。キズアトが知ってて黙ってたんだ。顛末を話したらようやく、ここへ連れてきたんだよ」


 全部知ってて黙って、キヨワとヤサにやらせたというのだろうか。


「てめぇらはそいつの足止めを出来ればいいと思ったんだよ」


何ともな言い草に、ヤサとキヨワは何だかどっと疲れた気がした。

でもどうして。


「息子はどうも名前のとおり気弱でいじめられって子で友達もいねぇ。それがお前とはいい感じに仲良くやってるのを見て、俺も人の親だ。仲良くなれる手助けをしてやろうと思ったんだよ。悪かったな、ヤサ」


 そう言うと、キズアトは申し訳なさそうに頭を下げる。それを見て慌ててヤサは、首を左右に振った。


「気にしてませんし、それにキヨワとは友達ですよ」


弾かれたようなキヨワの顔に、ヤサはにこっと笑った。


 その時、キヨワが見たヤサは沈む夕日を背にしょって彼の周りを照らしていた。その光はキヨワにも当たっていて、二匹一緒に同じ色になっているかと思うと嬉しかった。


「うん、父さん。僕とヤサは友達です」


そう言うと、キヨワはヤサの方を向いて言う。ヤサは誇らしい気持ちで、キヨワの横顔をいつまでも眺めていた。

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猫たちの夕べ ぽてち @nekotatinoyuube

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