第四章 次なる舞台への渡り鳥
4-1 巨大なる番人
俺は笑いながら、涙を堪えていた。
ついさっきまで俺が立っていた場所が、地面ごと大きく抉られている。団長の
俺に対して、団長が容赦なき敵意を示した、結果だ。
「直属行きの話が全くの嘘だったわけではない」
団長が言った。
「ただし、正式なメンバーとしてではなく、珍しい症例のひとつとしてだがな」
甘過ぎる蜜は毒と疑え。浮かれりゃ梯子を踏み外す。なるほど、先人の格言には従うもんだ。
「呆れてモノも言えませんよ」
団長を睨みつけた。
「俺を実験体扱いしていたのは、副団長ではなくて貴方だったんですから」
「俺自身はそのように思ってはおらんよ」
真顔だった。
「貴様をそう見ているのは、執政府の技術部にいる知人だ。他人に貸しを作るのが上手い奴でな。こういう奴を見つけたが欲しくないかと訊いたところ、ぜひ寄越せと言われた。放っておくと協会に持っていかれると煽ったのも功を奏した。お陰で対価として『護紋の輩』復帰へのお膳立てを引き出せた」
やけに小さな声だった。俺にだけ届くような。流石に罪悪感のひとつもあるのだろうか。
「……仮にも執政府の人間が、誘拐拉致に加担するって言うんですか」
「するだろうな。どんな組織にも、善人と悪人はいるものだ。貴様に興味を示している『あいつ』は、狂っている」
それに、と付け加えた。
「犯罪者ともなれば話は別だ」
「なっ!」
「両親の経歴が、いい後押しになる」
「……俺と親は別だと、この間は!」
「あれは俺の見解だ。他の者がどう思うかは、別の問題だな」
「そこ、までっ!」
それ以上言葉が出ない。俺を執政府に売り渡す為に、罪人に仕立て上げるとまで言っているのだ。仮にも一年間、ひとつ屋根の下に住まい、同じギルドの一員として働いてきた俺を。
団長の背後に佇む、一目で異形と判る青い巨人が、その大きさを更に増した、気がした。
「ひょっとして」
思考が最悪へと傾いていく。
「このノースト・エンドに呼び出したのは」
「予感があった」
団長が言った。
「貴様が推薦話を断るのではないかという予感がな。だから備えておいたのだ。力に訴えられるように」
俺の中の『団長』が音を立てて壊れて行く。
信頼が、尊敬が、憧れが。ひび割れ、崩れていく。目の前の闇に沈んだ瓦礫の街のように、がらがらと。
絶望に打ちのめされながら――。
「はいそうですかと、捕まってたまるかよっ!」
怒りを吐き出した。己を奮い立たせる。
「抵抗しますよ俺は。当たり前だ!」
右手で左手の甲を握り締めた。相手は超一流の
認識、抽出、精錬、形成、固定。
作る。作り続ける。ひたすら作る。【
「ほう。それが貴様の」
俺が次々と生み出す【星々】を見上げなら団長が破顔した。
「素晴らしいな」
眼前で自分に撃ち込む弾が作られているというのに、団長は――顔を覆い隠した青い巨人は動かない。邪魔をしてこない。まるで物珍しい大道芸を眺めているかのごとく。
見定めているのか。唯一無二の回復力とやらを。生贄としての俺の価値を!
上等だ。その余裕が命取りだと思い知らせてやる!
敵うだなんて思っていない。しかし、逃げ遂せる時間ぐらいは稼いで見せる。【流星群】は、リーフィの
「うおおおおぉぉぉ!」
猛る。そして放つ。顔なき青い【番人】へと、抗いの決意を降り落とす!
「――では、行くか」
団長が手を前に突き出した。俺たちに号令する時と同じ動作。
足音が体の芯を震わせる。【
降り注ぐ雨に向けて、棍棒を、横薙ぎに振り抜いた。
「っ!」
ごう、と風が巻き起こる。離れて立つ俺の髪すら揺らす風圧。
さらにもう一振り。再び風が巻き起こる。腕で顔を覆いながら――それでも俺は見ていた。
幾重もの風切り音と共に、星の群れが番人の青い肌を貫く!
――筈が。
「嘘だ」
目を疑った。
星は確かに落ちた。半数が振り払われたとしても、残りは確実に巨体に突き刺さった。
なのに、巨人は、平然と立っている。
削れてすらいない。人間に例えるならば傷ひとつ負っていない。全く効いていない。馬鹿な。そんな馬鹿な。
「本物だな」
歓喜が聞こえた。
「想像以上だ。『小さな器』と呼ばれた貴様がこれほどの
なけなしの自信を打ち砕いた本人がせせら笑う。平然と受け止めておいて、何が本物だ! 生贄としての価値なんぞ欲しくもない。
再びの――足音。
番人が迫る。空いている手を振り回す。狙いは勿論、俺を握り掴む為だ。
「ぐっ!」
躱す。どうにか躱す。童話の中で人間に追い立てられる小人の気持ちを、否が応にも思い知る。
俺を掴み損ねた手が、崩れかけていた壁塀を完膚なきまでに叩き潰す。廃墟の中、俺の背丈の二倍はあろうかという番人から必死で逃げ回る。
「噂の底なしぶりも、この目で確認出来た」
団長の目が怪しく光る。
「本気で行くぞ。若人よ」
「ちくしょう!」
どうする。いや、どうもこうもない。【
――ぐわん。
「まさか」
他にも誰かいるのか? 新たな敵の気配に汗が吹き出す。だが、この感覚には馴染みがある。
「リーフィ?」
振り向く。予想通りの銀髪が立っていた。その頭上には作りかけの
「リーフィ、これは!」
状況を説明しようと声を張り上げた。だがすぐに口を噤む。
「ごめんコジロウ」
深赤色の瞳は、団長に据え定められている。完成間近の白い鳥の嘴は青き番人へと向いている。
「回り込んでいたせいで、ちょっと遅れちゃった!」
「……クソ」
目頭が熱くなる。幼馴染ってのはありがたいもんだ。事情を問い質そうともせず、迷いなく俺の味方。団長の謀略に凹んでいた俺は、不覚にもリーフィが情け深き女神――焔神セーノスのように見えてしまっていた。
「いや待て、ちょっと待て」
だが、すぐに我に返る。
「駄目だ! いくらお前でも!」
【
「解ってる! 見えてた!」
しかしリーフィは怯まない。
「でも、例えどれほどの傑作を操ろうと、作り手本人の意思さえ削ぎ落としてしまえば!」
巨大な鳥が夜空に舞い上がった。確かに『浮遊』と『操作』の技術を持つリーフィであれば、巨人を躱して団長本人を狙うことも出来る!
「これで完成!」
【鳥】は完成した。翼を広げ空に舞い上がる。
「コジロウは【番人】の引き付けを!」
「――っ、ああ!」
団長の目的は俺だ。ならば餌になれる。身軽を活かして攪乱に徹するのだ。
団長はどう動いてくる? おそらく手の届かない【巨鳥】ではなく、地上の俺たちを潰しにかかる筈。一歩目を踏み出しながら敵の表情を盗み見る――。
「ふむ」
団長は俺を一瞥した。
それだけだった。
すぐに目を逸らした。お前など脅威ではない。後回しだとでも言わんばかりに。
「……っ」
自分に何も出来ないことを悟る。囮にすらなれない。
団長は表情に余裕を残したまま、地上の獲物を狙う猛禽類さながらに急降下の隙を伺う【鳥】を見上げた。途端。
――だんっ!
巨人が跳んだ。
土埃を残して、肉食獣を思わせるしなやかさで【番人】が高く高く跳躍した。あの巨体で、なんつー身軽さだ!
一瞬の出来事。宙を舞う【巨鳥】に一瞬で【番人】が肉薄。旋回も間に合わない!
「だったら!」
激突は避けられない。そう悟ったか、リーフィが気合を発した。
「せめて半壊させる!」
リーフィの【巨鳥】が滑空する。
団長の【番人】が棍棒を振り上げる。
首都の端の端。見捨てられた瓦礫の町の空で、二つの月明かりを背負い、大作と呼ぶに相応しい
結果は――。
「「そんな」」
俺とリーフィの声が重なる。だが、その意味するところは全く違う。……違う筈だ。
――巨大な足が地鳴りを起こす。【巨鳥】を打ち据えた【番人】が地上に舞い戻ったのだ。
明暗は、見るも明らか。
【鳥】は完全に消滅した。
対して【番人】は、手にした棍棒が失われただけ。
「うそ!」
リーフィが叫んだ。
「いくら何でも。ここまでの差!」
さっきの俺と似たような反応。当然だ。【伝書鳩】は圧倒的な
――リーフィはきっと、そう驚いている。だが俺は。
「棍棒が、壊れた?」
逆に考えれば少しは通用したということだ。俺の【星】は一切受け付けなかったにも関わらず。
「すまんな、若人よ」
団長の言葉が俺たちを現実に引き戻す。青い番人の棍棒はすぐに修繕が開始される。一から作り直すのと、一部を直すだけでは手間が段違いだ。
「不思議かリーフィ。ここまでの差がついたことが」
その声音。敵でありながら貫禄を感じざるを得ない。
「貴様の
「くっ……」
「
「技術だ」
団長が手を翳した。開かれた指の、一本一本にまで力が漲る大きな手は、まるで鉤爪。
「リーフィ。貴様はいずれ誰もが名を知る
これが第一等級の実力。
勝てるわけがない。リーフィの手を取った。
「コジロウ!?」
「逃げるぞ」
はっきりした。俺たちがどう足掻いたところで、団長には歯が立たない! 幸い今は夜だ。闇に紛れてしまえばなんとか逃げ遂せられる筈!
一目散に走り出す――がくん。
何だ? 足が前に出ない。何かに絡め取られている。不思議に思った次の瞬間――。
「う、がァっ!」
焼けるような痛みが、駆け上ってきた。
痛みの元は足首。視線を落とす。黒い塊が俺の脚にくっついていた。これは。
「なっ!」
傍のリーフィもすぐに気づく。
「犬……まさかこれ、
「ッ……調子こいてんじゃねえ!」
反射的に【星】を作り上げる。そのまま足元の【犬】へと向けて撃ち落とす。だが当たらない。星が当たる直前に、俺の足から口を離していた。
――どう、と地面に倒れた。痛い。足に力が入らない。リーフィが俺の名を呼びながら傍にしゃがみこむ。
激痛を堪えながら、忌々しい猟犬が走り去っていく方向を睨み付ける。【
間違いない!
「クライセン、てめえ!」
「やはり、そういうことでしたのね」
空いた手で日傘を握り締めながら、黒い【犬】を従えた女は俺を見下ろした。
「騙しましたわね、コジロウ」
声が震えている。
「あの雨の如き
――見られていたのか。そもそも、どうして奴がここに。
咄嗟に団長を振り返る。
「団長の言葉は、正しかったのですね」
クライセンが噛み締めるように言った。表情までは判らない。暗い上に距離がある。
「己の測定項目を偽造し、公認ギルドに潜り込んで情報を探る犯罪者がいることは聞き及んでいました。
……おい待て、ちょっと待て。何を勘違いしてやがる。
「一体何の話よ!」
俺の代わりにリーフィが叫ぶ。その手が血に濡れている。ハンカチで俺の足を縛ってくれているのだ。
「リーフィ! 目を覚ましなさい! あなたも騙されているのです!」
クライセンが日傘の先を俺に突きつけた。
「その野良犬は
――そうか。そういうことか!
「貴方は、そこまでして!」
俺が叫んだ先は、団長。
クライセンが偶然ここに居合わせるなど断じて有り得ない。団長の手引きだ。奴は最初からここで、全てを見ていたのだ。
団長は言っていた。犯罪者となれば話は別。
「そんなに戻りたいんですか! 親衛隊に!」
団長は俺の責める言葉をそよ風のように受け流し、優雅に葉巻を吹かし続けている。
「ようやく、全てに納得がいきました」
クライセンが叫んだ。
「リヒトの敗北も、お前の薄汚い嘘に騙されたせい!」
激昂が加速する。あのクソお嬢様め。吹き込まれたネタを都合よく解釈してやがって。誤解は解こうとするだけ無駄か。事情を知らずに【流星群】を見れば、俺が『小さな器』だと嘘をついていたようにしか見えない。
クソ、まずい。何がまずいって、【狩猟犬】に噛まれたのが何よりヤバい!
「諦めろコジロウ。もはや、どうしようもない」
団長の宣告にリーフィが息を呑む。
どうにか体を起こす。だが駄目だ。立ち上がれない。この
「コジロウ」
リーフィが俺の手を強く握った。
巨人が迫る。目前にそびえ立った団長の
その手が、振り上げられる。
「絶体絶命……だな」
諦めが押し寄せた。捕らえられた後のことばかりが浮かぶ。濡れ衣さえ晴らせれば。隙を見て外部と連絡を取れさえすれば。いや、まずはリーフィだけでも無事に。
「足掻かないのか? らしくないな」
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