3-9 いけにえ
馬車を降りる。とりあえず往路分の運賃を御者に渡し、すぐに戻ると言い含めて歩き出した。
一瞬、人気のない場所に、御者とはいえ誰とも判らない男とリーフィを二人きりで残すのは……と考えたが、すぐに打ち消した。実に無駄な気遣いだ。
さて、団長はどこだろう。
ここが町として機能していたころは、おそらく中央通りとして使われていた広い道。電報の内容が確かなら、この先に――あった。国立図書館の跡地。ここを右へと曲がった所にある、スニューウ朝建築のビルが待ち合わせ場所だ。建設途中で放置された物件だから一目で判る筈。
身知らぬ土地の、しかも廃墟で、更には夜。気を抜けばすぐに迷ってしまうだろう。とはいえ方向感覚には自信がある。ちゃんと戻って来られるよう周囲を見回し、月と星に照らし出された光景を頭に叩き込む。
そうして角を曲がり、歩き出す。
目的の場所はすぐに見つかった。進行方向の奥にランプの光が浮かび上がっている。近づいてみれば、そこには人影。時間にはかなりの余裕を持って出てきた筈なのに、当の団長が既にその建物の前で煙をくゆらせていた。
「お待たせしてしまいましたか?」
慌てて駆け寄る。
「気にするな」
団長は眼前の建物を見上げたまま応えた。
「暇があったからな、先に来てここいらを眺めていた。長く放置された家屋は、見ていて面白い」
その気持ちは少し解る。退廃的な建物は、ぼんやり眺めているだけでも飽きがこない。
「さて」
団長は懐から携帯用灰皿を出すと、葉巻の火を押し消した。
「では、返事を聞こうか」
少しだけ血の巡りが早くなる。リーフィには強がってみせたものの、流石にこれだけの話、気楽には断れない。
「コジロウ。直属推薦の話、受けてくれるか?」
団長の問いに、俺は。
「――すいません!」
深く深く頭を下げた。
「今回の話、辞退させて頂きます」
「断るか」
中々勇気ある決断だと、笑い含みの声が降ってきた。
「理由が見当たらないが」
「俺の勝手な気持ちなんです」
頭を下げたまま言った。
「俺なんかに目を留めてくれて本当に感謝しています。こんな好機、二度とないものだってことも重々承知しています。でも、まだ早いと思ったんです。
顔を上げた。団長は苦笑いを浮かべている。
「もうしばらく、団長の下で――『霧雨の陣』で勉強させて下さい」
「ふむ」
団長は一度唸ると、俺の目を見た。
「最後にもう一度だけ訊く。今回の直属推薦を断る。その気持ちは変わらないのだな」
「はい」
ためらうことなく頷いた。
「そうか、残念だ」
「申し訳ありません。折角の好意、」
俺の眉間を、ぐわん、と圧迫感が襲った。
慣れた感覚。間違えようも無い。間近で誰かが
誰が練っている? ここにいるのは、俺ともう一人。
「だん、ちょう?」
「残念だ。実に残念だ。出来るなら穏便に事を運びたかったが」
団長の顔には相変わらずの苦笑い。でも、どこか、邪な。
「しかし困るのだ。お前の下した決断は、俺を困らせるのだ」
団長の背後の空間が歪んだ。いや、生み出された
俺が呆然としている間にも、団長が練り上げた
――人型だった。
ただし肌は青く、錚々たる体躯の団長より、一回りも二回りも大きい。ビルの二階に手が届きそうなほどの巨体。
衣服と思しき形は作られない。筋肉の造形を誇示するような裸体。藁で編んだような蓑が、腰にくっついているだけだ。さらに手には無骨な木造りの槌とくれば――深遠大陸の奥地にいるという現地民を思い出さざるを得ない。
いや、何よりも特徴的なのは、その顔。
顔がない。いや頭はある。表情を覆い隠すかのごとく、包帯のようなものでぐるぐる巻きにされているのだ。事故で顔全てを焼いてしまった鍛冶屋の記事の傍らに、こんな挿絵が載っていたのを見たことがある。
――見るのは、これが初めて。
だが、名前だけは知っている。
元・王家親衛隊。協会が第一等級と評価する
現・ギルド『霧雨の陣』団長。
ムーア・バイセンの代名詞たる
【
「ならば致し方ない。力づくで連れて行こう」
団長が告げた。
「どう、して」
聞きたいことは沢山あったが、口に出せたのはそれだけ。しかし十分だろう。
疑問に対し、背後に青く巨大な番人を控えさせた団長は、今までに見たことのない、顔の肉全てを歪めるほどに大きな笑みを浮かべた。
「すまんなコジロウ。諦めてくれ。俺が護紋の輩へと戻る為、我が姫の元に舞い戻る為に――お前という生贄が、どうしても必要なのだ」
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