2-9 没落からの巻き返し
「先週までの戦争で引き裂かれる恋人の話も良かったが、今日のは一層泣かせるじゃねえか!そう思わねーか?」
「……はあ。面白い筋書きでしたけど。生憎と先週までの演目を見てないので比べようが」
「殴り合いで互いの気持ちを確かめるってのは、男の特権だよなあ。昔は俺もクライセンと良く衝突したもんさ」
「クライセンは一応女だったと思うんですが、殴り合いしたんですか」
「んん、やっぱもう一度観たいね。俺的歴代トップの称号をくれてやってもいいなー」
「またですか。前も似たようなこと言ってましたよね。これまで観た劇を全部ブチ抜いて一位だとか、そんな感じに」
適当に相槌を打ちながら、俺は驚いていた。普通に劇場へと連れてこられて、普通に芝居を見て、普通に出てきたからだ。
今週から始まったという芝居は確かに面白かった。最近にしては珍しく恋愛要素のない男臭い話。俺の好みだったのに、しかし純粋に入り込めなかった。没頭できる筈がないのだ。そもそも前提が間違っている。
俺たちは休日に一緒に芝居を見る仲ではない。断じてない。
隙を見て人の腹に拳をぶち込んでくるような奴だぞ? 年増の給仕長にいびられる新参の給仕なんて逸話はどこにでも転がってるが、俺たちの関係はまさにそれだろう?
「ひょっとして、芝居は決して一人で見るなと身内に遺言でもされてるんですか?」
「あん、何の話だ?」
「いえ」
馬鹿馬鹿しいことを訊いたと首を振った。
しかし、そうでもなければ説明がつかない。確かに女が喜ぶ芝居ではなかったが、それなら一人で見ればいい話だ。
「でもホットドッグは微妙だったな。味、落ちたか?」
リヒトは手にしていた紙袋を放り投げると、どこへともなく歩き出した。連れがゴミを投げ捨たことに眉を寄せつつ、結局は拾い直すでもなくついていく。
「どこへ?」
訊くが、返事はない。
俺たちが歩いているのは、バックボーン・ライン。町を縦断する南北の物流の要だ。
馬車数台が余裕を持ってすれ違うことの出来る幅の広い通りなのだが、歩くに従って人気が失せていく。何故なら北に向かっているからだ。
拡大が進む南と違い、首都の北側は随分と寂れている。理由は簡単。十数年前の内乱で蹂躙し尽されたからだ。水源が破壊されたせいで再建の目処も立たない、放置されっぱなしの地域。
このまま進んでいけば、その内誰かとすれ違うことすらなくなるだろう。そんな廃墟へと向かって行って、一体何をしようってんだか。ろくでもないことだけは確かだな。
真意を問い質したかったが――結局、沈黙を保ったまま歩き続けること十数分。
「なあコジロウ」
頭の後ろで腕を組んだリヒトが真面目な声を出した。
「お前、クライセンが
「いえ」
首を振る。
「知るワケないでしょう。貴方の相方は俺を心底嫌っている。自分の事情なんて話すわけがない」
こっちだって興味ないしな。
「だよな」
けらけらと笑った。何がしたいんだ、こいつは。
「あいつの家――ハヴェスト家は、実のところ結構落ちぶれちまっててな」
リヒトは構わず話を進めた。
「聞いたことあるかもしれねーけどよ」
「まあ、噂だけは」
「長年男爵位を維持してきた家だが、次の審査には通らないと言われていた。今の当主、つまりクライセンの父親は貴族の家長としちゃ無能もいいとこだからな」
「……クライセンの父親ということは、あなたの父親でもある筈ですが?」
「なら、余計に納得できるだろ」
ああ、全くその通り。今ほどお前の言葉に深く頷いたことはない。
「やたらと浪費するわ、オレみてーな隠し子が出てくるわ。結局、愛想を尽かした奥方が実権を取り上げたものの、時すでに遅し。クライセンが継ぐ際に爵位は返上することになるだろうと言われていた。準爵に格下げで済めばむしろありがたいとな」
クライセン・リ・ハヴェスト。
男爵位を持つハヴェスト家の跡取り娘。
ほとんどの国がそうであるのと同じく、この国にも貴族階級が存在する。伯爵から準爵までの全六階級だ。
一口に貴族と言っても国によって扱いは様々だ。位の高さに応じた領土が与えられ自治を認められるところもあれば、有名無実化し、成り上がり者に金で位を買い叩かれるまでに落ちぶれた国もある。
「勤勉なお前のこった。知ってるよなコジロウ。この国における爵位の扱いは」
リヒトがちらりと俺を振り返った。
「爵位とは家に与えられるもの、でしたか」
「さすが。
やめろ、お前らに褒められると鳥肌が出る。
国を統べるのは王家。王家は功績あった者に爵位を下賜する。そして、有爵者を当主とする家の者は、貴族として振舞うことが認められる。それがこの国における貴族制度だ。
一度与えられた爵位は基本的に永続する。家に与えられるものだから、当然世襲も認められている。
だが、剥奪される場合もある。
ひとつは、反乱に代表される、王家に対する重大な罪を犯した場合。これは言うまでもない。
もうひとつは――世襲が認められない場合だ。貴族の当主交代が起こった際、貴族院による審査が行われる。貴族に相応しい格があるかどうかの審査だ。ここで相応しくないと判断された場合、爵位は格下げ、または剥奪されてしまう。増え過ぎた貴族対策として、護国戦争以後に始まった制度。
ハヴェスト家はその審査に通らないと誰もが予想するほどに内情が悪化していたのだろう。
「だが今は違う。あいつが跡目を継ぐ際の格下げはまずないだろうと言われている」
「立て直した、ということですか」
「そうだ。クライセンが立て直した」
淡々とした物言いだった。
「
「…………」
なんとなく、相槌を打つのはためらわれた。
「誰もがハヴェスト家の男爵位喪失を覚悟していたが、ある日、跡取りたる娘は自分が
「……そりゃまた」
随分と思い切った真似を。
「あいつは真面目ちゃんだからなー。怠けまくってた俺を尻目に与えられた課題を地道にこなして、たった一年で認定試験に通過しやがった。その後は
確かに奴の
「どうして、俺にそんな話を?」
「クライセンが執拗にお前を追放したがる理由を、知ってもらおうと思ってな」
リヒトがヘラヘラと笑った。
「男爵位の維持はほぼ成ったが、あいつは満足しちゃいない。もっと上を目指している」
「執政府付きを狙っている、ってわけですか」
呟くと、肯定の笑みが返ってきた。
活躍目覚ましいギルドは執政府から声がかかり、お抱えとなることがある。多くの
「だがコジロウ。お前が入団しちまった」
指を突きつけられ、むすりと顔を歪ませる。
「お蔭で多少名前は売れたが、悪い意味でだ」
「……クライセンが俺を疎んじる理由は良く解りました」
要するに、己の目的を果たす為に邪魔で仕方ないってことだ。
「でも、それを俺に話したところで何になるんです。男爵に相応しくあろうとの努力は尊敬しますが、だからと言って」
「俺はさー」
こちらの台詞を遮り、リヒトが立ち止まった。
気付けば、人気のない町外れに来ている。
「俺はさ、正直なところ、お前がギルドにいても構わねーんだ」
「は?」
また目が丸くなる。今日何度目だ。
「相棒にして妹たるクライセンがお前を目の仇にするから。仕方なく付き合ってるだけなんだって。心底追放したいとは考えちゃいねーのさ。その舐めきった態度がムカつくことに変わりはねーが、お前は
――益々判らない。
お前を苛めていたのは付き合いで仕方なくだと。それを今更弁明してどうする。何の意味がある? 半端に俺の機嫌をとったところでこいつに何の益がある。
「だけどよー」
リヒトが笑う。
「今日のこれは、俺の意思だ」
どういうことだと、俺が疑問を発するよりも早く。
「決闘しようぜー。コジロウ」
あまりに軽々しく、奴は言い放った。
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