2-10 薄っぺら

「展開に全くついていけないんですが」


 鼻の頭を撫でる。混乱していた。

 ふと、周囲を見回した。

 瓦礫だらけの空き地だ。元々北寄りの劇場から更に郊外へと向かって歩いて来ただけある。再建どころか清掃すら進められずに放置された首都の北端。夜に女子供がうろつくのは決して認められない人気の失せた半廃墟。ここで多少の荒事があったとしても大した問題にはならないだろう。


「あれ、意外に鈍いな」


 呆れ声。


「だから、これまでの嫌がらせは相棒に協力していただけ。だが今この瞬間、俺は俺の意思でお前に敵対しちゃうと、そう説明したつもりなんだがな」


 んなこた判ってる。肝心なところが抜け落ちてんだよ。


「聞こえただろ? 決闘だよ決闘。創作家クリエイター同士の決闘。倒す倒されるの他にも、色々と対決するやり方はあるけどよ。共通しているのはひとつだ。何かわかるだろ?」

「もちろん」


 ごくりと唾を飲み込んだ。


「賭けた条件の、絶対遵守」


 創作家クリエイター同士の決闘は、単に優劣を決めるだけの行為ではない。事前に相手への要求を示し、勝てば、相手に要求を飲ませる事が出来るのだ。

 先日のリーフィとの勝負だって、決して馴れ合いなんかじゃなかった。応じた以上、もし負けていたら、俺は本気で創作家クリエイター廃業を考えなくてはならなかったのだ。


創作家クリエイターの誇りを賭けて行う勝負。その誓いを破ったなら、もう誇りある創作家クリエイターとは認めて貰えない。そうだよな」

「ええ」


 法的な拘束力はない。だが、破れば軽蔑を浴びせられても文句は言えない。免許証を持つ者が共有する、暗黙の了解。


「不思議に思った事はねーか? コジロウ」

「何をです」

「どうしてクライセンはお前に決闘を挑まなかったと思う? お前を追い出したいなら。ギルドの籍を賭けて決闘を仕掛け、勝てば済む話なのによ」

「軽々しく決闘を吹っかける者もまた、軽蔑の対象となるからでしょう」


 半分は目の前の男に向けて言った。


「俺が受けるとも限らない。万一の敗北だって有り得る。特にクライセンは、荒事にそこまで向いていない」

「違うね」


 リヒトが前髪をかき上げた。


「あいつがお前に決闘を挑まなかった理由。それはな、決闘とは格が等しい者同士でやるモンだからだ」

「……ああ」


 いっそ清々しかった。


「『小さな器』を同格だと認めるわけにはいかないと、そういう考えですか」

「そうそう。自分をお前のところまで引きずり下ろすに等しい。だからこそ実力行使に及ばず、遠回しに忠告を続けてきたってわけだ」


 忠告、忠告ね。モノは言いようだな。


「どういう心境の変化です」


 その理屈に従うならリヒト。お前は何故俺に決闘を申し込んだ。俺のことを認めたとでも? 有り得ない。


「リーフィ」


 唐突にギルドメンバーの名を口にした。


「今日、シュレンとデートしてんだってな」

「らしいですね」


 我関せずといった態度で答える。


「すんなり送り出すとはなー」


 リヒトはニヤついている。


「ようやく、自分とは釣り合わない存在だと気づいたか」

「そんな自惚れを抱いたことは、一度だってありませんよ」

「そうかい。そりゃ身の程を知ってて何よりだ。まあ、何だ。俺はアイツが欲しいのさ」


 ……おい待て、ちょっと待て。

 またかよ!

 どいつもこいつもリーフィリーフィ。幼馴染がモテることにケチを付ける気はないが、どうしていちいち俺を巻き込む!


「これで解ったろ? 俺が決闘を吹っかける理由。それはお前にぜひとも飲ませたい条件があるからだ」


 普段は女の尻ばかりを追いかける目が、怪しく光る。


「今後、俺がリーフィに何をしようと、お前は口も手も出すな。一切関与するな」


 すぐには答えない。何となく、足元にあった崩れた煉瓦を蹴り飛ばした。――かつん。ひび割れ崩れかけた石壁に当たって落ちた。


「無意味な話ですね」


 首を振った。


「俺の許しなんか要らない。誰と付き合おうと何をしようとリーフィの自由だ」

「そうでもねーぞ」


 解ってないなと言わんばかりの口調だった。


「お前に知らぬ存ぜぬを決め込んでもらえるだけで、随分と――やりやすくなる」


 何故か身震いを覚えた。そのまま羽を生やして飛んで行きそうなほどに軽い男から、冷たい息吹が流れ込んで来る。


「考えようによっちゃ、お前にとっても好機だぜー? 俺に対して好きな条件出せよ。何でもいいぜ? 今後一切自分に話しかけるなでも、気の済むまで殴らせろでも構わねー」

「実に興味深い提案ですが、必要ありません」

「何だよ。言ってみろよ。散々腹に溜め込んでんだろ? 俺への文句、不満。それなりに取り繕っちゃいるが、お互いが目障りな相手なんて判り切ってるこったろ? 関係なんざこれ以上悪化しようがない。参考までに聞かせてくれよ、お前が心の中で俺のことをどう罵っていたか」

「……俺は」


 務めて平静を装った。


「応じる気はありませんよ。やらかしたばかりですし」


 そう告げた俺に、リヒトは酷くつまらないモノを見る目を向けた。だがそれは一瞬のこと。そうかと呟くと、何故か見当違いの方向に顔を向けた。


「リーフィ、いい女だよな?」


 唐突に話が戻った。

 嫌な感じだ。こちらに向けられていなくても判る。獲物を見定めた目だった。


「多少跳ねっかえりだが、そこがまた好みだ。理想からすると多少胸が足りねーが、ま、些細な問題だな。ゾクゾクするぜ。お前は当然として、シュレンにももったいねえよ、ありゃあ」

「……先日、力づくでモノにすればいいと彼をけしかけたのは、貴方でしょう」

「そりゃお前とシュレンをぶつける為さ。他意はねーよ。どうせあのお坊ちゃんじゃリーフィは口説き落とせねえし。女の扱いが解ってねーからな」

「随分な自信で」

「まーな」


 皮肉ではなく褒め言葉と受け取ったらしい。


「自信あるぜ? 女をイイ気分にさせてやる技術にはな。もちろんベッドの上も含めてだ。お前の幼馴染も喘がせてやりてえなあ。一体どんな声で鳴くんだろうな、あいつ」


 下世話な発想に、ぎり、と歯が鳴った。


「どうせまだ男は知らないんだろ? 手ェ出す度胸なさそうだもんな、お前は。任せとけよ。最初は面倒だが、すぐに解きほぐしてやるさ」


 相手にするな。本気にするな。この男はこんなものだ。最初から判っていただろう。


「お前は知らねーだろうなコジロウ。初心な青春ごっこに興じる女を、いきなり大人の世界へと引きずり出す快感。手が触れただけで顔を赤くしてた純情ちゃんが、ベッドの上でおねだりするようになる恍惚。たまらねーよ。その時が来たら、お前にもリーフィのイイ声聞かせてやるよ。壁越しにな。払うものを払えば相手をさせてやっても――」

「だまれ」


 自分にこんな声が出せるのかと初めて知る。いつもは喉で押し留めていた言葉に、先に進むことを許した。


「――その汚え口を閉じろ。この『薄っぺら』め」


 ためらいなく免許証ライセンスを叩き付けた。


「はははは! そうこなきゃな! これで容赦なくブチのめせるってもんだ!」


 その顔に浮かぶのは、まんまと罠にはまった獲物を見下ろす表情。リヒトは高らかに笑いながら、免許証を掴む己の手を振り上げた。


「誓えよ? 今後、俺がリーフィに何をしようとも、お前は絶対に邪魔立てするな!」

「てめえが勝てばの話だ」


 目にありったけの力を込めて、敵意を撃ち込む。


「俺が勝ったなら、二度とリーフィに対してクソ下らねえ劣情を抱くな」

「いいぜ! ありえねーけどな」


 リヒトの免許証が宙に舞う。


「さーて、拝ませてもらおうじゃねーか。お前の安い魂をな!」


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